裏切り:はじまり

 鮮やかな赤い髪が風にさらわれるのも気にせず、少年は大きな声で泣いていた。二人の友人を抱きしめて離れようとしない

「ほら、アルガ。いつまでも泣いてないの、二人とも帰れないでしょう?」

「嫌だ!帰らなくていいんだ!ポウラもゼンもうそつきだ!ずっとここにいたいって言ってたのに!」

「まったく……」

 首の後ろに回る手の優しさと強さに、一人の少女がうれしそうに笑い、もう一人の少年はつられて泣きそうになっていた。

「アルガ、泣かないで。わたしたち、また来るから」

「おれらが騎士になればまた会えるだろ?」

「ほんとに?ほんとうに、また来てくれる?」

「当たりまえだろ!おれ、アルガまもれるような騎士になる!」

「わたしも!また会えたら、つぎはいっしょにクッキー作ろうね」

「うん。三人でクッキーつくろう」

「やくそくね!」

「そうそう!やくそくだ!」


 この世界には魔法がある、龍の亡骸から成る木が世界に零した魔力の影響だ。そんな龍の木はいつの日か丸い水晶を実らせるようになった。透き通り、まだ持ち主を知らぬ水晶は、魔力をその身に満たし落つる時。光に包まれ消え、やがて世界へと降り立つ。そして応えるように、世界には生まれつき魔力を持つ人間も現れ始めた。

その水晶は魔力が持つものが触れると色を変え、形を変え、魔法使いの魔力を大きく底上げする。そして、不思議なことにこの力は感情に大きく強く作用する。いつしか人はその水晶をアトリビュートと呼ぶようになった。その大きな力は救いであり、危険な火種でもあった。

そして彼の村は、アトリビュートを守る義務がある。どの国にも属さない。どの国にも媚びず、しかし誰をも受け入れる。この世界唯一の中立の村。それが彼の暮らす透隴岳。魔法を宿した木の実、アトリビュートを守護し、正しい存在へと導くための小さな国。


太陽が昇って数時間、ギリギリ朝と呼べる時間に、彼は食卓が置いてある部屋のカーテンを開けた。

「今日はとてもいい色をしているね!これは明日も期待できそうだ」

 この世界はいつでも綺麗だ。草も、空も、木も、炎も、生き物も、何もかもが色を携えてこの世界を飾っている。だから僕は、この世界がとても好きだ。

 空は快晴。夏の青。冬よりも青く、鮮やかでさわやかな、彼が見上げたくなる空の色。明日を待つ素晴らしい日にぴったりな色だ。

 彼の名前はアルガレン・バースレイズ。透隴岳の当主であるエジンバラ・バースレイズの一人息子だ。いわば次期当主である。親しい者たちにはアルガと呼ばれる十六歳の少年だ。

 瞳の色は炎を宿すことを示す赤と、その真っ赤な虹彩には龍の魔力を宿す証たる鱗の文様が光の角度によって浮き出ている。それはステンドグラスのように美しく陽光を反射させ、彼自身が炎の一部であるような錯覚すら覚えるほどだ。

 髪も同様に赤く、日々の狩りによって体は引き締まっており、さほど身長が高いわけでもなく、服装もワイシャツにチノパンとシンプルではあるが、腰につけた刀が目立ちなんとも存在感のあるいで立ちをしている。

 そんな彼の表情は誰が見てもご機嫌であり、口元の笑みは隠すつもりもなく緩んでいる。窓から差し込む陽光に負けないほど、輝かしい笑顔だ。

 そんな彼の姿に、幼少のころから彼を知る使用人たちも自然と口角が上がる

「おはようございます、アルガ様!ご機嫌でございますねぇ!」

「おはよう、ばあや。そうみえるかい?でも明日ようやく会えるんだ。楽しみで」

「そうですね。実に十年ぶりでしょうか?」

「そうだね、最後に会ったのは僕がまだ六歳のころだったから」

 十年前。彼はとある少年と少女に出会った。とても強く正しくあろうとする少年と、とても優しく人に寄り添える少女。自分の人生の道標になった二人だ。あの時に食べたクッキーは彼にとって思い出の象徴ともいえる。

バースレイズ家が統治する国、透隴岳は中立国であると同時に、重要な儀式を持っている。

アトリビュートに加護を宿すこと。加護を宿したアトリビュートは、本来の力を幾分か上げることが出来る。そして数百年前から始まったとされる世界の制約により、透隴岳を中立国として保護している七つの国のうち二か国のスぺアラールと  は年に一度この加護を宿したアトリビュートを選ばれた騎士に宿すことになっている。それにより、アトリビュートをを持つ騎士の力を均等に分け与え、一つの国に魔力を伴う武力が集中させないようにするためのものだ。

バースレイズ家しか使えないこの加護づけは十六歳の時に発現することが多く、本番前の練習みたいなものを兼ねている。その為成功と失敗は特に重要視されていない。何ならアルガの祖父も父も一番最初の加護付けは失敗に終わっている。そしてアルガ自身も成功するとは思っていない。最終的には父であるエジンバラが加護付けすることは確定しており、プレッシャーも特になく、形だけの友好を示す儀式だと理解していた。しかしそれ以上にアルガは、今日加護付けのためにわざわざここまで来てくれている二人の友人に思いを馳せている。

「ゼン・テンベディング、ポラフェス・フェリアンス。二人とも、既に見習い騎士とは思えないほどの武功を上げているそうだぞ。お前も負けてられないなぁアルガ」

 ひときわ大きなテーブルの一番右端。定位置である場所でコーヒーを飲みアルガに笑いかけるのは、父であるエジンバラ・バースレイズ。息子同様、赤く、鱗が煌めく瞳の持ち主だ。

「そうだね、父さん。でもポウラとゼンは騎士だよ。六歳のころには才能を見出されていたから、透隴岳に来ていたんだ、僕なんかとは大違いだよ」

「ったく、お前はそうやってすぐに自分を下に見んなっていつも言ってんだろ」

 ミルクを混ぜていたティースプーンを投げれば、それは綺麗に放物線を描き、ちょうど窓から振り返ったアルガの額に直撃する。反射的にティースプーンをキャッチしたものの、当たったことには変わりなく、アルガは父をににらむ。

「いっ!不意打ちは卑怯だよ父さん」

「こら、ご当主!奥様に言いつけますよ」

「おっと、怖い怖い。それは勘弁かな」

 ケタケタと笑う父にため息をつきつつアルガは額をなでる。キャッチしていたティースプーンをばぁやから貰ったナプキンで拭いて父に返す。

「まったく、すぐ子供っぽいことするんだから」

「お前こそまだまだガキだろうが」

「うわぁ!ちょっと、父さん」

 わしゃわしゃと頭をなでられて、アルガが抗議の声を上げるが、エジンバラは愉快そうに笑うだけだった。

何とか父の腕から逃れて、アルガは部屋に入ってからようやく席に着いた。

「今日はガロウ君が来るんだろう?」

「そうだぞ。今回は仕事での訪問だから長い時間いれないらしいけどな。いやぁ、ガロウも可哀そうだな。あいつはよくお前に会いたがってるのに、当のお前は友達に夢中なんだから」

「失礼な、それじゃ僕がガロウ君が来るのを楽しみにしてないみたいじゃないか」

 ガロウは父の親友であり、ガンディグラムの騎士を務めている。アルガにとっても馴染み深く叔父のような存在だ。

「なんだ?そんなことないってか?」

「そうだよ、ガロウ君が来るのは久しぶりなんだから。刀の使い方また見てほしいんだ」

 アルガはナイフとフォークを手に取り、準備された朝食にてを付け始める。父も先ほど返却されたティースプーンで砂糖を追加した。

「はっ、ったく父親の得物じゃなくて、ガロウの得物を使うようになるなんてね、この親不孝者め」

「はいはい。何度も聞いたよそれ」

「かーかわいくねぇガキ……ってにがぁ!」

 コーヒーを啜った瞬間にとんでもない苦みがして、エジンバラは跳ね上がる。悪戯が成功した息子はこらえきれないとでも言ったように吹き出した。

「ぷっ、ははは!少しは危機感もったらどうだい?父さん!いつも息子にはめられるなんて情けないねぇ!」

「ってめ!いつの間に!あっ、あれ拭いたフリか!この野郎、ガキみたいなことしやがって!」

「さっきガキって言ったのは父さんだけどね」

 煽るだけ煽ってアルガはベーコンを口にして上機嫌に、朝ご飯を食べ始める。そんな息子に青筋を立てて、父は口元をぬぐう。

「お前、マジで今日という今日は許さねぇぞ」

 ティーカップをソーサーに雑に戻して、仕返しをしようと立ち上がるが同時に奥の扉が開く。

「もうなに?朝からおしゃべりね」

 中に入って来たのはアルガの母であり、エジンバラの妻であるアラメリンだった。水の魔力を宿す瞳は今日の空模様のように快晴色であり、美しいロングヘア―がまっすぐと背中に向かって流れている。

「あ、おはよう母さん」

「おはよう、アルガ」

 手前に座っている、息子の頬に自分の頬を寄せた。次に自分の夫の方に向かい、コーヒーまみれになったテーブルからコーヒーだけを魔力で浮かび上がらせ、彼女の手に集めると、己の魔力で生成した水と相殺させて片づけた。突発的な怒りは収まったのかエジンバラは席に着いた。

「アラメリン、俺らのかわいい息子が親不孝者のクソガキに育っちまったぞ」

「はいはい、また悪戯に引っかかったのね。可哀そうに」

 慰めるように夫にキスをすると彼女は何事もないように席に座る。三人がそろい恒例の朝食の時間が始まった。

「アルガ、今日も朝の鍛錬はするの?」

「うん、その予定だよ。どんな時でも鍛錬は欠かさずに、ガロウ君から言われてるからね」

「まじめだねぇ」

「いつも言ってるけど、父さんが不真面目すぎ。よくもまぁ当主が務まってるよ」

「はいはい。わかってますよぉ。あ、一つ頼み事いいか?」

「頼み事?」

「そ、猪狩ってこい」

 無茶ぶりともいえないが、絶妙に時間と手間がかかる父からのお願いにアルガは思わず顔を顰める。

「えー。この時期はあんまりいない……あぁ、ガロウ君のため?」

「そういうこった」

 猪肉はガロウの大好物であり、父がいつも狩ってきている。しかし今日は仕事での訪問なため、もちろん父が対応しないといけない。おのずと自分に頼んだ理由が明確となり、断る理由もなくなった。

「それなら仕方ないね。大物狩ってこないと」

 食べ盛りらしく、さっさと朝食を詰め込んだアルガは、狩りと鍛錬の準備に行くために立ち上がる。

「アルガ、ちょっとおいで」

 母に呼ばれそばによれば、跳ねていた寝癖を直される。

「あぁ、ごめん跳ねてた?直したはずなんだけど」

「ふふっあなたは猫っ毛だから仕方ないわよ」

 狩りに行くときにいつも母は息子にハグをする。今日も例外なく、優しく抱きしめアルガも軽く抱きしめ返す。

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

「うん。じゃあ、父さんも行ってくるよ」

「おぅ頼んだ。しっかりやれよ~」

 相変わらず締まりがない父に苦笑しつつアルガは扉のドアノブに手をかける。

「アルガレン」

 ふと名前を呼ばれ、振り返ると赤い瞳に射抜かれる。そこには父として、当主としての威厳がうかがえる。たまに見せるこの強い眼光が、アルガが彼を父として絶対の信頼を置く理由の一つだ。

 茶化すことなく、その瞳を見つめ返せば。父の口が開く。

「アトリビュートとともにあらんことを」

「もちろん。行ってきます」

「行ってこい」

 日常的に行っていると言えど、狩りが命がけなのは変わりない。だからこうして父は適度に喝を入れてくれている。

 今度こそアルガはドアノブに手をかけ、部屋を出る。鍛錬に行くための準備をしに部屋に戻る途中、二人の青年が魔力で満ちた扉の前で立っている場所で足を止めた。

「おはよう、アルガ様」

「いまから鍛錬か?」

「おはようレオ、ハリー。お勤めご苦労様」

「いま交代したばっかだけどな」

「中、見てくか?今日は湿気もないし、魔素も満ちててお天気だからひときわ綺麗だったぞ」

 魅力的な言葉にアルガは目を輝かせる。この中で見れる光景はアルガのお気に入りの一つだ。

「じゃあ入らせてもらおうかな、今日からガロウ君も来るから、しばらくここは封鎖されるだろうし」

「そうそう、俺らが見て次期当主様が見ねぇなんて不公平だからな」

 二人に礼をいい、アルガはドアノブに手をかざす。扉は小さく光だし、見知った魔力を感じるとすぐに光を収めた。扉を開け中に入る、重厚な音とともに扉が閉まると、外の気配が遮断される。音も匂いもしないが、唯一窓から入る光だけがその場を照らす。

 そこは、魔力と光が満ち、色がともる場所。

 広さは先ほどダイニングの半分もない一室の白い空間。しかし今は空から降り注ぐ太陽が、木漏れ日よりも強く、日差しというよりは優しく、一筋それを照らしている。最奥、中央に、光を色へと変えるものを。

「今日も、君はとてもきれいだね」

 アルガはどこからともなく話しかける。別にこれに意志があるわけではない。でもこれは、彼にとって守るべき宝だった。

「流石は、はじまりのアトリビュートだ」

 この世界には魔法がある。龍の亡骸成る木がこの世界に魔法を齎した。いつしかその木は新しい魔力の源を実らせた。魔法使いの魔力を何倍にも底上げする水晶のようなものを。それを人々は時期に、アトリビュートと呼ぶようになった。

 そしてここで佇んでいるこの透明な水晶こそが、はじまりのアトリビュート。まだ魔法使いが一度も触れたことのない純粋なものだ。始まりであるその希少価値はこの世界では何よりも重要だ。それが一つの国に集中しないように、バースレイズ家はここ透隴岳で始まりのアトリビュートを守り続けている。

 アトリビュートは心に応える水晶だ。魔法使いが触れればその魔力を底上げし、姿形を変え魔法使いの武器となる。だからこそ強力で恐ろしいものだ。しかしだからと言ってその美しさがかすむことはない。

「じゃあ、行ってくるよ。しばらくここには誰も来れないと思うけど、時期が来たらまたすぐに会いに来る」

 意思を持たぬが、幼少のころから様々な美しい姿を見せてくれるアトリビュートが、アルガは好きだった。重要な場所でありながらも、自由気ままな父が見せてくれるこの場が好きだった。母に叱られた時に逃げ込むこの場が好きだった。いつしかここは、アルガの思い出が詰まった場所になっていた。

 扉を開け外に出ると、二人が変わらず護衛をしている。

「なんだ、もういいのか?」

「うん、また少しすれば見れるからね。それにお昼には間に合わないとしても、晩御飯には間に合わせたいからね」

「そうかい、そうかい。ガロウ様もいいねー親友の息子がわざわざ好物を獲ってきてくれるんだから」

「僕の叔父みたいなものだからね、喜んでくれるといいんだけど」

 からかわれているとはすぐに分かるが、アルガはにっこりと笑った。どの毒気のない笑みに二人も、一瞬だけ気が抜けたように笑う。

「気を付けていって来いよアルガ様」

「別になくてもあの方は喜ぶんだから、無理しないこと」

「あぁ、そうするよ。じゃあ二人とも引き続きよろしく頼む」

「仰せのままに、次期当主」

「かしこまりました。次期当主」

 最後に従者としての挨拶をしっかりしてくれた二人を通り過ぎて、アルガは今度こそ部屋に戻った。

 部屋の中は簡素で、ものが少ない。しかしその中で目立つのは机に置かれた手紙と写真立てだ。写真立ては二つ、家族写真と、小さい頃のアルガが二人の友人との別れに大泣きしてるところを父によって撮られた写真だ。一人はアルガ、茶髪のサイドテールの女の子と、海の色をした短髪の男の子。それぞれの手には、小さな手には有り余るすこし大きめのクッキーが握られている。花の形をしており何やらおいしそうだ。

 アルガは、自分の得物である刀と、狩りで使うかもしれない弓、昼食用のパンと、縄を手に持つ。最後に机の前に来ると、写真立てのそばに置いてあった。手紙を手に取る。

「早く、明日になってくれればいいんだけど」

 独り言をこぼして、彼は鍛錬と狩りへ出かけた。換気のために開けられた窓から風が靡き、手紙のはしが小さく揺れる。そこにはポラフェス・フェリアンス、ゼン・テンベディングと二人の名前が書いてあった。日付はつい先日のものだ。


 透隴岳は魔力濃度が高い。この世界に空気と同じように佇んでいるが、濃度が上がれば魔力を持たない人間には多少の毒になる。と言っても疲れやすくなるだけであり、もともと魔力を持って生まれてきたアルガにはほとんど関係のないことだった。むしろこの魔力濃度がアルガにとっては日常であり、通常だ。

 小さな村に変わりない透隴岳の周りをアルガは駆け抜ける。ちょっとした準備運動だ。

「アルガ様おはよう!」

「気を付けていくんですよ~」

 全員が顔見知りのこの小さな国の住民に手を振っ、てアルガは森の奥に入っていく。国の喧騒が一切聞こえなくなったころ、アルガは森の開けた場所で立ち止まる。開けた場を作っている木々一本一本を触りながら一周すると、中央に立って目をつむった。

「よし」

 一声発して、アルガは意識を集中させた。

「魔名アルガレン・バースレイズの名のもとに、魔力をことほぎ開放する」 

 その言葉に呼応するように、アルガを中心に半径三メートルほどの草木が魔力につられて揺らめきだす。チリチリと音を立てながら、一部が焦げたように赤く黒く変色し始めるが、先ほど触った木々が光だし、魔力の粒子が飛びだすと、草木をもとの姿に戻す。保護魔法を最初に付与するのは祝福の魔素が炎であるアルガの日課だった。

 祝福の魔素。人々は生まれつき魔力をもった人間が初めて魔法を発現させたときの魔法をそう呼んでいる。おもに炎、水、雷、光、土など自然物からなる魔法が人々が初めて発現させる魔法であり、生まれながらにして持つものもいれば後天的に発動する人間もいる。アルガは生まれつきかつ、祝福の魔素は炎だ。そして魔力量が一定値を超えている存在であった。

この世界においての魔法は誰もが使えるものではない。多くはないが少なくもない。左利きと同じくらいの割合と言えばわかりやすいだろうか。そのうえで、魔力量が一定値を超えるのはその中でも雀の涙にも満たないほどしかいない。ここでいう一定値とは“武器になりえるほどの魔力量を保持しているかどうか”である。

ほとんどの人間は、ちょっと日常生活で使い道があるかどうかの魔力量しか保持していない。しかも魔力を持った人間が魔力を使いすぎると重大な疾患に関わるため、魔力を持っていてもほとんど使ったことがない人間が大勢いる。だからこそこの世界は龍が作りし魔法と、人々が開発してきた科学が釣り合った世界であった。

そんな中で一定値に達する存在は日常的に魔力を使い、その力の強さからほとんどが魔法と戦争に特化する騎士や、王族に使える護衛になる。魔名は普段日常生活において抑えた魔力を開放するときに唱える呪文の一つだ。己の名を呪文とし、自分だけの力を自分で開放する魔法使いがもっとも重要とする魔法の一つだった。

魔法使いはその稀有さや力から、神として崇められる国もあれば、蛮族のように恐れられる国もある。しかしアルガは透隴岳の人間であった。ほとんどの人間が一定値に達する小さな国では、誰もが平等であり、そんな差別も神格化もなかった。

 体中の魔力が満ちたことを感じて、アルガは目を開ける。その瞬間に見えるものは、先ほどとは違う魔法使いしか見れぬ世界。

 色が増えるのだ。世界に漂う魔素がキラキラと輝き、夜であろうと、曇っていようと、世界は何倍にも鮮やかに輝きだす。アルガはこの世界がひときわ好きだった。今日の朝も瞳だけは魔力を少し開放して、この美しい景色を眺めていた。

「よし、やろうか」

 景色に呆けるのもそこそこに、アルガは荷物を木のそばにおいて、とりあえず準備運動と筋トレを一時間ほどでこなす。

 十分に体を慣らして、アルガは置いておいた刀を手に取る。

そのまま抜刀し、刀を構える。

『毎日欠かさずだ。いいなぁアルガ?エジンバラはお前の知っての通りもうほとんど力を使えない。ここを守れるとしたらお前だ。ちゃんと、強くなれ。最後の希望でいるために』

 ガロウの言葉だった。刀を教えてほしいとせがんだ日に、いつもおちゃらけている彼がまじめな顔をして言った言葉を、アルガは一言一句覚えていた。

 構え方の確認から入り、素振りをする。

 刀をひと振りするたびに、魔素が割かれ、太陽に反射して雪のように落ちていく。風を切る音が規則正しく響いて、じんわり汗がにじんできた頃にアルガは手に意識を集中させる。

『刀で何かを切るときは、必ず魔力を付与させることだなぁ。普通に切るとこの刀自体、大した強度もねぇから三回切ったら刃こぼれすんだよ。そうやって常に魔力を使いながら戦う方法を学べば、自然と魔力の使い方も身につく』

 ぼっと炎が発火する小さな音とともに、刀に炎が付与される。集中力を切らさぬように、目の前の木に目線を合わせ、腰を落とし、動かぬように固め、足を引いて、地面をける。

『おぉ~なかなかいいじゃねぇかアルガ~エジンバラは刀はからっきしだったんだけど、お前には才能がありそうだな。得物はアラメリンに似たか~』

 初めて叔父に褒められた日を覚えているだなんて、我ながら女々しいと思いながらも、アルガにとってはなににも代えがたい思い出だった。

 一刀両断とはこのことで、木がきれいに横に切られ、そのまま倒れる。大きな音を立てるが、手前に倒れたため、他の木に実害はないようだった。

「よし、あぁやっぱりだいぶ腐ってる」

 木の状態を確認して、持ってきていた小さいノートに必要事項を書き記す。ここはあとで母親に共有する必要がありそうだ。森の安全を守るのも透隴岳の人間としてやるべきことだった。

 その後も、型の確認やら、アルガは一通りの鍛錬を終えた。

「ん~どうしようかな。この時期は本当に猪少ないし、罠にかかってくれるほどここの猪は頭が悪くないんだよな」

 森の足場が悪いところでも、すいすいと登っていき、アルガは考える。

「素直に探して、捕らえるのが一番かな」

ここで一番猪がとらえやすいところは森の奥の方であり、視界は悪いが、魔力を開放して魔素が見えるアルガには暗がりも関係なかった。

「あ、あったあった。新しいものだし、問題なさそう」

 見つけたのは猪の足跡、先日まで降っていた雨の影響で土がぬかるんでいて残ったのだろう。

 足跡をたどって森の奥へ入るとやがて、太陽がまた森を照らしていき、動物の気配がする。うさぎやら、鹿はいるが、猪が見当たらない。

「おかしいな気配はするんだけど……」

 目を凝らし魔素の流れを見る。一つ、何かにあたって流れが変わる魔素が見えた。

「いた」

 つい喜びで漏らした声に、反応されてしまい。猪が逃げていく。

「あ、しまった」

 しかし見つけたからには、逃がすこともない。アルガは足音を殺して猪について行く。この時期には珍しく、大きさも申し分ない。持ってきてた弓を構え、猪が通るだろう道筋に狙いを定める。姿勢を正し、矢を引く。

静かな森に、弓の音が響く。

「よし」

 猪の急所を貫いたのを確認して、アルガは、猪のそばに駆け寄る。

 手を合わせて、持ってきていたロープとそこら辺の木の棒で手足を括り付ける。太陽が真上から少し傾いており、いつの間にか昼を回っていた。

 猪を肩に担いで、アルガは持ってきていたパンを食べながら森を歩く。この時間だとお昼には間に合わないため、のんきに歩きながら森を抜ける。途中で、さっきまで鍛錬していたところで足を止めると、一匹の動物が現れた。犬だ。

「ん?バスケット?珍しいね、どうしたの?」

 アルガはその犬を知っていた。今朝も給仕をしてくれていたばあやの飼い犬だ。とても利口な犬だから、迷ったようには思えない。

 猪を持っているから恐れて近づかないと思ったが、意外とそんなこともなく、素直にこちらに寄ってくる。

 その体は震えていて、何かにおびえているのは明白だった。

「どうしたんだ?ばあやは?なにかあったのか?」

 ふと、空中に漂っている魔素の流れが目に留まる。いつもと違う。毎日、何年も見てきた景色だ。見間違うはずがない。

「ガロウ君?」

 漂う魔素の中に彼が得意とする炎の魔素が見えた。しかしそれがいつも手本で見せてくれる時にあたりに飛び散るものより、ずっと強い光を放っていた。

 なぜか、不安が胸を覆う。何故か、心臓が鳴り始める。これが本能からなる警鐘だと、すぐにわかった。

「……バスケット、ここで待ってるんだよ」

 声をかけると、バスケットは理解したようにその場に座り込む。

 それを見届けて、俺は走り出した。何かの勘違いだ。気のせいだ。そう思う。そう思っているのに、刀を握り締める。

「父さん、母さん」

 冷汗が止まらない。そんなわけがない。でも、でももしそんなことがあるなら、僕は、どうしたらいいというのだろう。自然と口からこぼれ出るのは、家族と、家族のような人。

「ガロウ君」

 そんなことない、そんなことないはずだ。それなのに、なぜか焦げた匂いが感じる。炎の魔素がどんどん風に流れてこちらに来ては、鮮やかに光っている。そしてその魔素の色は青色だ。ガロウ君が使う炎特有の色だ。

 やがて、森を抜け、開けた瞬間、僕は自分の目を疑った。

「……嘘だろう?」

 焦げた匂いが漂っている。悲鳴はしない。きっと、もうしないだけだ。だって、いや。どうして、こんなに、青く、燃えているんだ。どうして、赤い血が、飛び交っているんだ。これはおとぎ話じゃないんだ。物語じゃないだろう。何故、僕の居場所が、国が、燃えているんだ。

 こんな晴れた、美しい日に。

「……父さん、母さん!」

 地面を蹴る。視界に、僕の知っている景色が僕の知らない姿で映っている。今朝、手を振ったばかりの二人が血を流して倒れている。昨日、遊んでやったばかりの子供が、動いていない。今朝挨拶をしたばかりのばあやがシーツを血にぬらしている。今朝、誰も、彼も、僕の友人で、守るべき国民がだれ一人、僕のいないうちに、息をしていない。

「あ、あぁ、なんで!どうして!」 

 家の前で、また二人倒れている。血で顔が汚れてしまっているが、すぐに分かってしまう。あぁ、さっき喋ったばかりじゃないか。どうして、倒れているんだ。

立ち止まったら、その場から動けなくなりそうで、僕は二人の横を走り抜ける。やっぱり、レオとハリーだった。

 走って、走って、家の扉を開ける。パチャリと、音が鳴った。足に、血だまりがある。視線の先には、赤い髪の男の人が、水色の髪の女の人を守るように、庇ったように……血を流して、倒れている。

 二人に駆け寄り、母に覆いかぶさった父を、引き寄せようとすると、父の腕が、簡単に重力とともに、垂れ下がる。その目は閉じたまま、開く気配がない。

「遅かったな、どこ行ってたんだ?」

 そしてその奥に、今日来ると言っていた僕の、叔父。家族の、ような人。赤い髪に、黒いメッシュが入ったその髪は、僕と揃いの猫っ毛だとよく言っていた。軍服は騎士の誇りだと語り、赤が基調になっているその服が、彼によく似合うと思っていた。瞳は、祝福の魔素が炎なのに青で気味悪がられると言っていたが、僕は青空のようなその瞳が好きだった。僕に刀を教えてくれた人で、母さんの料理をいつもおいしそうに食べて、父さんをこの世で誰よりも信頼していると言っていた。そんな人が、なぜ、倒れた僕の両親の前で、血が滴る刀を握っているのだろう。

「ガロウ君……?」

「アルガ~また背伸びたか?」

「これはどういうことだ……説明、してくれないか」

「説明?なんの?見てわかんねぇの?」

「僕が勘違いを、してしまいそうなんだ」

「あぁ?」

「僕の目には、君が、父さんと母さんを、殺したようにしか見えない」

「なんだよ、アルガ~お前そんな察し悪かったか?見てわかんだろ、俺が殺したんだよ」

 一瞬で間合いを詰める。頭が真っ赤で、何も考えていなかった。刀を抜いて、切りかかった。それでも、その一瞬を見逃されることなく刀で応戦される。

「どういうことだ!なんで、なんで君が!」

 ぎちぎち、鍔ぜりあうも、力で押し合いをしているだけだ。

「簡単な話だろう、ここは中立国だ!ここが侵された!現当主が殺された‼国民全員皆殺し!どういう意味か分かんねぇのか!」

「うるさい!」

「戦争だよ!戦争が始まるんだよこれから!」

「黙れ!そんなことを聞いてるんじゃない!」

 刀に力をこめても、込めても、彼に刃は届かない。

「どうして!君は!……父さんの親友だったはずだ!」

 彼は、馬鹿にしたように笑った。青い瞳が、見たこともないほど、濁り歪んだ。

「ははっ、なぁアルガ……裏切りって知ってるか」

 それが答えだった。わかってる、それしか考えられない。ここは中立国で、ここが襲われるとするならば、戦争が始まるときだけだと、小さい頃から頭に叩き込まれてきた。

「なんで、なんで君なんだ。なんで……お前なんだ!」

「まだまだガキだなぁ?潜入捜査を何十年にもわたってやるなんて普通だろう」

 もう、聞きたくない。僕の中で、全部が壊れそうだ。僕は、生まれる前から知っている人に、父の親友に、家族のような人に、今、全て裏切られたのだ。

「ふざけるなぁぁぁ!」

 刀にさっきの何倍もの魔力を付与して、アルガはもう一度裏切り者に切りかかる。腹をめがけて降ったはずの刀は、いとも簡単にいなされる。右へ、左へ移動し、攻撃を仕掛けても全て彼の思うつぼだ。その理由をアルガもよくわかっていた。なぜなら、彼は自分の師なのだから。

「ゔっ……」

 やがて腹にかかとが沈み、両親の死体の上を飛んで壁に押し付けられた。刀が手から離れてしまい、すぐにでも拾おうとするが。そのままガロウの手が首にあてがわれ、締め付けられる。抵抗しようと左手で腕をつかむと同時に、ガロウが布に包まれた何かを取り出す。

「なぁ、アルガ。これ、なーんだ」

「——っ!」 

 アトリビュートだ。始まりのアトリビュートだった。ダメだ。絶対に渡しちゃいけない。

「あっ、ぐぁ、か、かえ……せ!」

「なーに言ってんのかわかんねぇな~あれ?触っていいの?触っちゃったら何年もの間守ってきた始まりがぜーんぶ無駄になるなぁ」

 そうだ、魔力を持っている人間が触ると、アトリビュートは姿を変えてしまう。2度と水晶の形には戻らない。そして始まりのアトリビュートはどんな力があるかわからない。だから、何年も何百年も透隴岳がここでこれを守ってきた。

「だからこれは俺が大事に貰ってやるよ」

 でも、それでも、今からこいつに奪われたら、アトリビュートが無事な保証はない。

『アトリビュートとともにあらんことを』

 ふと、父の言葉がよぎる。

 許されないことをしたなら、いい死に方はしないだろう。でも、許されないことをせずとも、使命を全うしたとしても、こんな死に方をしてしまうなら、そんなの意味がない。

 透隴岳は、父は、母は、守ってきた。アトリビュートを守ることで、世界の平和を守ってきた。なら、僕も守らなくてはいけない。次期、いや当主であるならば、透隴岳の人間として守るべきは、アトリビュートから成る平和だ。

「とうさ……ごめ、ん」

「あ?」

 いるかも知らないご先祖様。許されなくてもいい。一生恨んでくれても、呪ってくれてもかまわない。でも、もし、今。僕がここで守るべきなのが平和で、あるならば……どうか認めてくれ、君が認めてくれるのであるならば、応えてくれ。

 この世界の魔法は、心によって呼応する。強い感情を持てば持つほど、おのずと魔法も呼応するように応える。そしてそれは魔力を宿すアトリビュートも例外ではない。

魔素が、チリチリと燃え始める、それは周りの空気すらも赤く光らせるほどに変容する。漂う魔素はアルガレンに応えるように集まった。やがてその姿は、龍を模す。

「おまえ、何して」

 バチバチと、アルガの首を絞めていた手が手袋を焼くほどの熱を持つ。思わず手を緩めたその瞬間、アルガは、その手で——アトリビュートを掴んだ。

「アルガレン・バースレイズの名のもとに!」

 強く願う。力が欲しいと、この先もう誰も失わずに済むほどの強さが欲しい。

「魔力をことことほぎ!」

 いつか、自分の愚かを殺せるほどの強さを。こいつを、殺せるほどの力が。

「アトリビュートを解放する!」

 その心に、アトリビュートは応える。

 強大な赤い光が放たれ、それを中心に爆発する。一瞬のすきに手を離し後ろに飛びのいたガロウは、自分の目を疑った。

 龍がいる。そう思った。今まで見てきた幼子でも、若人でもない。龍を背負いし魔法使い。アトリビュートを掴んだその手には、刀が握られ、爆風が収まったころに現れた瞳は、赤黒く、焦点が合っていない。瞼には龍のうろこが、仮面のように浮き出ていた。

「……こりゃ、まずいことになったな」

 その独り言が、誰かに届くことはなかった。



 一人の少女が、岩場に腰かけ、手紙を読んでいた。ブロンドの髪は少しウェーブがかっているが、ポニーテールでまとめられており、黄色いシュシュで飾られている。服装は黒と白の軍服で、短いマントがケープのように服と一体化している、腰にはレイピアが装備されている。

 手紙は、数日前に届いてから幾度も読んでいる古い友人からのものだ。

『君たちが来るのが待ちきれない。もうあれから十年たっていると思うと、僕が言うのも変だけど時の流れは速いものだと思うよ。こうやって文字を介して君たちと話すのもとっても楽しくて幸せだったけど、やっぱり早く君たちに会いたいな。でもくれぐれも気を付けて、透隴岳までの道は大人でも苦労するそうだ。騎士の君たちならきっと大丈夫だと思うけど、心配はさせてほしい。じゃあ、気を付けて。良い旅路を。

君たちの友人 アルガレン・バースレイズ』

 最後の方だけで読むのをとどめ、顔を上げると、水浴びに行っていた旅の同行者が返ってくる。

「ポラフィー?お、また読み返してんの?好きだなぁ」

 まっすぐに伸びた青い髪と、腰には剣。水浴び後だというのに、丁寧に軍服を身にまとう姿は如何にも騎士と呼ぶにふさわしい。

「ゼンも昨日読み返してたくせに」

「ばれたか」

「あと少しだよ。ようやく会えるね」

「だな、元気にしてるといいけど」 

 二人の新米騎士は、焚き木にあたりながら、空を眺める。明日の朝には出発し、夜には着く予定の旅路は思いのほか順調で夕方ごろには着きそうな場所にいる。

「ま、とにかく今日は寝るか」

「そうだね、明日も早いし」

 夜、何も音がしないこの森で、静かな木々たちだけが、これから起こるすべてを予感し眠りについた。

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