【26話】ラルフの怒り


 唐突に現れたリルンに、ミレアは面食らっていた。

 

(どうしてリルンがここに……)

 

 家を出たあの時、もう二度と会うことはないと思っていた妹が今、こうして目の前に立っている。

 

「すまないミレア。俺が誘ったばかりにこんな目に……!」


 ギュッと唇を結ぶラルフ。深い後悔が表情に刻まれている。

 家族に虐げられていたという事情を知っているだけに、後悔しているのだろう。

 

 いつもと変わらない優しいラルフ。

 その思いやりに触れたことで、動揺していたミレアは落ち着きを取り戻すことができた。

 

「これは事故のようなものです。ラルフ様は悪くありません。それにもしエルドール家の人が出席していると知っていても、どっちにしろ私はパーティーに参加していたと思います」


 優しく微笑んだミレアが、ラルフの両手をギュッと握る。

 

「私、ラルフ様と特別な体験をしたいですから」

「ありがとう……!」


 泣きそうな顔で笑うラルフ。

 押し出したような声には、いっぱいの感謝が詰まっているような気がした。

 

「初めましてラルフ様」


 温かい空気を切り裂いたのは、砂糖菓子のように甘いリルンの声だった。

 胸の前で両手を組んで、上目遣いにラルフを見上げる。

 

「もしよければ、私と一緒にダンスをしてくださいませんか? お姉様なんかよりも私の方が可愛いですし、絶対楽しめますよ」


 リルンの口角がグイっと上がる。

 小悪魔のようなその笑みには、可愛さと妖艶さが同居していた。


 なんというか、物凄く手慣れている。

 きっとこのやり方で、これまでに何人もの男を誘惑してきたのだろう。

 

 しかし、ラルフにはまったく通じていなかった。

 

「貴様のような女と誰が躍るか」


 どこまでも冷めたい視線をリルンへ向ける。

 いつも優しいラルフが、人にこんな態度を向けたのはこれが初めてだ。

 

「……は? 私の誘いを断るの」

「そう言ったつもりだが、理解できなかったのか?」

「嘘よ……そんなのありえない」

 

 あはは、という小さな笑いがリルンの口から漏れた。

 それが虚しく響いた後、リルンはキッとラルフを睨んだ。

 

「私は世界一可愛いのよ! お姉様なんかよりもずっと! なのにどうして私の言うことを聞いてくれないのよ!」

「数点、言っておかなければならないことがあるようだ。まず、この世で最も美しい女性はミレアだ。断じて貴様などではない。それと、世の中の男が全員貴様の思い通りになると思うな。驕りも甚だしい。最後に、これがもっとも重要なことだ……!」


 ラルフの視線が鋭くなる。

 氷のように冷え切っていた瞳に、怒りの炎が激しく燃え盛る。

 

「貴様のような下劣な人間が、ミレアを愚弄するな!」


 声量はさほど大きくない。

 しかし、その声には殺気と見まがうほどの怒りが、ふんだんにこめられていた。

 

 激しい怒りを正面から受けたリルンは、少し怯えたような顔になっていた。

 

 常に自信に満ちあふれていて、大胆不敵だった彼女。

 怯えた顔を、ミレアは初めて見た。

 

「それよりも貴様、よくもまぁパーティーに来られる余裕があったな」

「え?」


 体をビクンと跳ねさせたリルンは、呆けた顔でラルフを見た。

 

「エルドール子爵家の噂は俺の耳にも入っている。綿花の収穫減で、大量の融資額を返済できないそうじゃないか。このまま金が工面ができなければ、爵位が取り上げられるかもしれないな」


(そんなことになっていたのね)


 そうなった原因は恐らくミレアだ。

 

 周囲の人間の運気を上昇させるスキルを持つミレアが家出したことで、エルドール家の人間の運気は下がった。

 綿花の凶作は、それが影響しているのだろう。

 

 エルドール家の置かれている状況を聞いて、ミレアは少しだけ驚いた。

 

 でも、それだけだ。

 かわいそうとか、助けなきゃとか、そんな風にはまったく思えなかった。

 

 エルドール家の人間がしてきた仕打ちを考えれば当然だ。

 むしろ、スッと胸がすく気持ちになる。


「そうなれば、貴様らエルドール家の人間は路頭に迷うことになる。今までのような裕福な暮らしはできない。そういうドレスも、二度と着れなくなるだろうな」

「嘘、そんなの嫌よ……。私はいつまでも輝いていたいの! 楽しく生きていたいの!」


 事の重大さを初めて理解したのか、リルンが大きな声で叫ぶ。


「そんなものは知るか。ミレアを虐げてきた罰、その身で受けるがいい」

「やだ……やだやだやだ!!」


 わめきちらすリルン。

 涙を流しながら駄々をこねる姿に、周囲の貴族の注目が集まる。

 

(まるで小さな子どもね)

 

 そんなことを思いながら見ていると、リルンと視線が合ってしまった。

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