【2話】家出先での出会い

 

 翌朝。

 

 気持ちのいい朝日が降り注ぐ中、ミレアはエルドール家を出ていく。

 

 持っていくものは、最低限の着替えが入った小さなトランクケース。それから、リグレルからもらった三枚の金貨。

 この二つだけだった。

 

 随分と少なく感じるが、他に持っていくべきものが見当たらなかった。


「うん、いい天気だわ!」


 上空には澄み渡る青空が広がっている。

 天が門出を祝ってくれているように感じたミレアは、ウキウキで足を動かしていく。

 

 

 家を出てまず向かった場所は、ここ、フィルリシア王国の役場だった。

 

「こちらの書類をお願いします」

 

 役場の職員に、父とミレアのサインが記載されている絶縁状を渡す。

 

 しばらくして、職員の王国の捺印が入った絶縁証明書が発行される。

 これで晴れて、エルドール子爵家との縁が切れた。

 

「ありがとうございます!」


 職員に弾んだ声でお礼を言い、ミレアは役場から出て行った。

 

 

 役場から出たミレアは、辻馬車業を営んでいる業者のところへ向かった。

 辻馬車とは、賃金を払うことで指定した場所まで走行してくれる、便利な乗り物のことだ。

 

 車内へ乗る前に、御者から行き先を尋ねられる。

 

「いらっしゃいませ。目的地はどちらでしょうか?」

「王国の一番端にある街までお願いします」


 そこへ向かうのは、何かしらの目的がある訳ではない。

 

 とにかくミレアは、この王都から離れたかったのだ。

 エルドール家の近くというのは、どうも落ち着かない。

 

「それでしたら、東の国境沿いにシルクットという小さな街があります。ここから三日ほどで着きますが、そこでよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします」

「かしこまりました。では、馬車賃として金貨一枚を頂戴いたします」

 

 御者に金貨を渡し、ミレアは馬車に乗りこんだ。

 

 御者が馬に鞭を入れ、ゆったりと馬車が動き始める。

 

 

 その日の夜。

 揺れる車内の中で、ミレアは今後のことを考える。

 

「街に着いたら、まずは仕事を探さなきゃいけないわね」


 生きていくためにはお金が必要。

 そして、お金を稼ぐためには働かなければならない。

 

(うーん、どんな仕事をしようかしら……って、あんまりゆったりしている余裕はないのよね)

 

 リグレルから迷惑料としてもらった金貨を取り出す。

 

 一日にかかる宿代と食事代を考えると、金貨一枚で五日ほど持つ計算だ。


 元々は三枚あった金貨だが、馬車賃として金貨一枚を使った。

 今ミレアの手元にある金貨は二枚だ。

 

 金貨一枚で五日、二枚なら倍の十日。

 つまり、ミレアに残された猶予は十日ということになる。

 その間に、どうにかして仕事を見つけなければならない。


 見知らぬ地で仕事を探すというのは、かなり骨が折れるだろう。

 秀でた特技を持たない自分に、果たしてできるのだろうか。


 気分が落ち込みそうになったが、ミレアはそれを苦笑いで吹き飛ばす。

 

「これに関しては、今考えてもしょうがないわよね」


 ソファの上で体を横にするミレア。

 車窓から差し込む月明りが、ぼんやりと体を照らす。

 

「おやすみなさい」


 小さな呟きが、狭い車内にポツリと浮かんで消えた。

 

******


 馬車に乗り始めてから三日。

 

 昼下がりの太陽が照らす砂利道を走っていると、前方に小さな街が見えてきた。

 目的地である、シルクットの街だろう。

 

 馬車はゆっくりと減速してゆき、街の入り口で動きが止まった。

 

「お客様、到着しましたよ。ここがシルクットの街です」


 御者から声が掛かる。

 

 トランクケースを片手に馬車から降りたミレアは、御者の元へ小走りで向かった。


「長い間ありがとうございました」

「いえいえ、ご利用ありがとうございました!」


 気持ちの良い挨拶をした御者が、馬に鞭を入れる。

 カタカタと揺れながら、馬車は来た道を戻っていった。


 街の入り口に立つミレアは、そこから街の様子を眺めてみる。

 

 こじんまりした田舎町という感じだが、外に出ている人は結構多いように思える。

 これなら、仕事もすぐに見つかるかもしれない。

 

「さて、私も行きましょうか」

 

 期待に胸を膨らませながら、ミレアはシルクットの街に踏み入ろうとする。

 

 だが街の右手に広がる大きな森が、その足を止めた。

 

 ずっと王都で暮らしてきたミレアは、森とは無縁の生活を送ってきた。

 知識として知ってはいるが、自分の目で見たことは一度ない。

 

 だからか、どんな場所なのか気になってしまう。


(ちょっとだけ森に行ってみようかしら)


 好奇心を優先したミレアは、急遽予定を変更。

 森へ向かうことにした。

 

 

 十分ほど歩き、緑の木々に囲まれた森に入ったミレア。

 腕を上に伸ばし、深く深呼吸をする。

 

「ん~、空気が美味しいわ!」


 草や葉の香りがして、とてもリラックスできる。

 王都の空気とは全然違う。

 

 入ってすぐに、森の素晴らしさを実感したミレア。

 さらなる素晴らしさを求め、奥へと進んで行く。

 

 

 自分の何十倍も生きていそうな大木。

 良い香りのする花や、派手な見た目をしたキノコ。

 

 森の中は、ミレアにとって初めて目にするものばかりだった。

 見ているだけで新鮮で、楽しい気分になる。

 

 森の魅力をどっぷり堪能しながら歩いていると、開けた場所に出た。

 そこには、広い湖が広がっていた。

 

 トランクケースを足元に置き、じっくりと湖を眺める。

 

「なんてキレイなのかしら……」


 目の前に広がる澄んだ湖に、ミレアはうっとり。

 夕焼けの赤色が反射して、とても美しい。

 

「ってあれ、もう夕方なの!?」


 水面に映る赤色に、ミレアはハッとする。

 

 時間を忘れて森を散策していたら、いつの間にか結構な時間が経っていたようだ。

 暗くなって足元が見えない状況で、森を歩くのは危険だ。

 そうなる前にここを出て、シルクットに向かった方がいいだろう。

 

 そうして、湖に背を向けた時だった。

 

 正面の茂みが、バサバサと大きく揺れる。

 

「グルルルル!」


 唸るような声を上げ茂みから飛び出してきたのは、銀色の大きな狼だった。

 

 鋭い牙をむき出しにしながら、ナイフのような目つきでミレアを睨みつけている。

 あの牙に襲われたら最後、ひとたまりもないだろう。

 

 正面に現れた脅威に、ミレアは大きく怖気づく。

 

 狼から逃げるようにして、じりじりと後ろへ後退。

 一歩、また一歩と足を動かしていく。

 

 そうして何歩目かの後退の時、突然足場がなくなった。

 同時に、ふわりとした浮遊感。

 

「え」


 小さな水柱が上がる。

 背後に広がる湖に、ミレアは背中から落ちてしまった。

 

(溺れる!)


 パニックになるが、それは一瞬。

 湖の底は浅く、足をつけて立つことができた。これなら、溺れることはないだろう。

 

 安堵しそうになるミレアだったが、そんな状況ではないことにすぐさま気づく。

 

 まだ脅威は去っていないのだ。

 ずぶ濡れのミレアに、狼はゆったり距離を詰めてきている。

 いつ飛びかかって来てもおかしくない。

 

 その時。

 

 突如として、見知らぬ男性が現れる。

 彼は目にもとまらぬ速さで剣を振るい、一瞬にして狼を切り伏せた。

 

 何が起こったのかよく分からないミレアは、ただただ呆気に取られていた。

 

「大丈夫か?」


 男性の右手が、湖に立つミレアに向かって差し出しされる。

 

 その右手を見て、ハッと我に返ったミレア。

 差し出してくれた右手をギュッと掴む。


「よし、それじゃあ上げるぞ」

 

 男性は軽々とミレアを湖から引き上げた。

 

「ありがとうございました」


 地面に上がったミレアが深く頭を下げると、男性は「気にするな」と笑った。

 

「怪我がないようで何よりだ」


 優し気な言葉を受けて、ミレアは顔を上げる。

 

 艶めく銀色の髪に、ルビーのように美しい真紅の瞳。歳はミレアより、少し上だろうか。

 脅威から助けてくれた男性は、これまでに見たこともないような、とんでもない美丈夫だった。

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