君が船になる前に

ちわりい

第1話

イルカは死んだ。「全てよりも強い光」と呼ばれる世界によって、責務を全うする者として選ばれてしまった。本来、人類全てが受けなければならないはずの、人類全てが到底耐えられない苦痛から人類全てが逃れるために、イルカはその少女相当の小さな身体に、人類の数だけの苦痛と言うにはあまりにも言葉足らずな苦痛を受けなければならない責務を、「光の子」になる役目を担ったのだった。この十五才の少女が選ばれたのは、「生命を持つ者に愛されたことがない」という理由だった。これによって、彼女がこの人生で受けた愛は、「愛」ではなかったという確固たる証明になってしまったのだった。


 イルカは美しい少女だった。珍しい銀色の長い髪と青い目を持っていて、よく笑う子供だった。イルカに親は居なかったが、ウドンスヅという古い軍事用アンドロイドと慎ましく暮らしていた。イルカに深い愛情(と本来分類されたはずの虚構)を持って与えていたウドンスヅは、通達を乗せた電波を受けて絶句した。自分が与えていた愛だったものは、「人間が」もしくは「生命を持つもの」が与えることが前提であって、自分はその対象では無かったからだ。

 通告の電波がイルカとウドンスヅに届いたのは、十月の始めの、イルカの誕生日だった。砂漠の片隅にある、古い電柱が指のように生えた古いアパート群の自室で、貴重なインスタントラーメンを鍋から食べている時に、突然仰々しい電波が入ったのだった。世界からの電波は手で払っても虫のように払えない。受け取るしかなかった。電波を受け取ったウドンスヅは憤慨した。イルカは通告を受けたショックで、貴重なインスタントラーメンを吐いて、残してしまった。後日FAXで送られてきた、正式で形式的な資料を見て、ウドンスヅはどうしようもない感情に襲われた。ミサキは戸籍がなく、両親や兄弟などの親族がいないこと、これまでの人生から、人間との接触がほとんど確認されなかったこと、人間から愛を受けたことがないこと、またこのような人間は世界に複数いたが、最終的には候補の中から無作為に選ばれたことが書かれていた。イルカと共に行動していることを確認されたDneitw688号は、本来軍事的使用のため作成されたアンドロイドであり、子供の生活の世話や教育指導が使用目的ではない。時折確認される、人間的精神に基づき、人間に酷似した行動や言動が認められる個体であるが、人間として換算すること、人権を与えることは不可能であること、情愛や性愛などは、この場では「愛」に含まれない、ということが書かれていた。


ウドンスヅは、なにがあってもイルカを守ってきた。強い酸性雨で足が溶けそうになっても、イルカに傘をさすことを優先して、砂漠の強風でアパートが壊れそうになっても、身を呈してイルカを守っていたし、遥か上空から軍事用アンドロイドの残骸が頭上に降ってきた時も、イルカが怪我をしていないかずっと心配するような機械だった。イルカはそれを愛だと認識していたし、ウドンスヅを大事な家族だと思いながら暮らしていた。金に余裕があるわけではないが、特別不自由ではなかった。二人の生活は二人にとって、当たり前に幸福なものだった。しかし、「全てより強い光」が世界である限り、通達は絶対的なものであり、逃げようにもその場所が世界である限り、逃げることなどできない。イルカとウドンスヅは、この世界で生まれ、生き(または作動し)ている限り、それを本能的に理解していたし、また理解しなくてはならなかった。


イルカはこれから、死に、全ての人類の代わりに苦痛を受けるために、「全てより強い光」の元へ行かなければならない。通達を受け取った者は、世界のどこにいようと直ちに出発しなければならないため、イルカとウドンスヅは次の日に出発した。人生をここで終えると思っていた、所々雨漏りする自室を、数えきれない程のサボテンに、色とりどりの毒々しく可愛らしい花が咲き始めたアパートの入り口を、誰もいないアパート群を、捨てなければならなかった。泣きわめこうが叫ぼうが、責務は消えない。十六歳の女の子とアンドロイドは、自分の意思で、死ぬために旅に出るしかなかった。

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