纏物語

つばき春花

第1話 その男、女子高生をひき殺す?

【序章】


 私が子どもの頃、どこからともなく『声』が聞こえる時があった。それは掠れた声だったり、低い声だったり時には囁くような声だったり。最初の頃は、気味が悪かったけど、私はこの声に何度も命を助けてもらっている。

 初めてその声に助けられたのは、小学校2年生の頃。一人で帰っていると『舞美』と聞こえて立ち止まり振り向いた瞬間、すぐ目の前の壁が倒れてきた。そのまま歩いていたら間違いなく下敷きになっていた。また別の日、横断歩道を渡ろうとしていると『舞美!』と声が聞こえた瞬間、信号無視したトラックがすごいスピードで走り抜けていったりと幾度となくその不思議な『声』に助けてもらった。

 でもこの『声』の事は誰にも言えなかった。両親にすら内緒にしていた。友達に相談でもして、もし変な目で見られたりしたら、もし怖がられたら……。だから怖くて誰にも言えなかった。一人で悩んでいた時もあったけど、何時しかその声は聞こえなくなった。そして、そんな不思議な出来事の事も……いつの間にか……忘れてしまっていた。


【序章 バイクの男編】


 定時で仕事が終わり帰宅の用意をしている男(29才、独身、1人暮らし)


 男は、逸る気持ちを抑えていた。その理由は後、40分後の18時に行きつけのパチンコ店が〈新台入れ替え! 本日18時オープン!〉するからである。

 ちなみにこの男、自分が『パチンカス』という事は、誰にも公言していない。なぜなら社内での評判を気にしているからである。

 通勤用のバイクは排気量125CCのスクーター。マフラーが改造されおりかなり五月蠅い。

 会社からパチンコ店まで、この時間に出てもバイクで約30分。現在17時20分なので余裕で間に合うと男は腕時計を見ながら薄ら笑みを浮かべた。

 鼻歌交じりで駐輪場に着いた男、ヘルメットを被りグローブを着けバイクに跨り

キーを取り出そうと胸のポケットに手を突っ込む。しかしそこにあるはずのキーが……ない。いつも入れているはずのライダースジャケットの胸ポケットに鍵が入っていない……。グローブを外しもう一度よく確認するがやはり入っていない。

 その時、男は『あっ』と声を出した。

 それは今日の朝の事だった。出社してロッカーのハンガーにジャケットを掛け、

扉を閉めるとロッカーの中から『カシャン』と何かが落ちる音が聞こえた。

『なんの音だ?』と思い再び扉を開けると何故かバイクの鍵が下に落ちていた。

『何故落ちるの?』と少し疑問に思いながらも鍵を拾い、ジャケットのポケットに入れようとした時、後ろから同僚が今日の午後行われる会議の事で相談にきた。少し難しい話だったのでそれを聞き逃さない様に、話を聞きながら鍵をロッカーの棚に置いた事をすっかり忘れていた。

 ロッカー室は、オフィスがあるビルの6階にある。『クソッ!』と言いつつヘルメットを脱ぐと足早に6階へと急いだ。

 普通にエレベーターで行けば5分ほどで元の駐輪場まで帰ってこられるのだが


〈帰宅途中の上司につかまり飲みの誘いを軟らしく断るのに7分〉


〈ロッカー室の電気が何故かスイッチを入れても付かず、手探りでロッカーの場所に行きロッカーの鍵をリュックから出してロッカーを開け、バイクのキーを取るまで7分〉


 〈1階まで降りていたエレベーターを6階まで呼び戻して下に降りるまで4分〉


 結局バイクのキーを取って帰ってくるまで18分もかかってしまった。

 バイクに跨りながら腕時計を見ると17時39分、キーを差し込みエンジンをかけると同時にアクセルを一気に開ける。男は焦っていた(18時開店に間に合わない)

 会社を出て細い道から大通りへ出る。大通りは帰宅ラッシュのため渋滞していたが男は、車の間を右へ左へすり抜けていく、明らかに危険な運転だ。

 止まっている車の間を縫うようにすり抜け前方が開けたらアクセルを一気に開ける。しかし18時開店には、到底間に合いそうになかった。しかし何故か男は、更にアクセルを開けスピードを上げる。


【序章 舞美編】


 ごく普通の高校1年生、名前は舞美。時刻は17時21分、いつもならば部活動でまだ学校にいる時間だった。しかし今日は、何故かここ何年も部活を休んだことがない顧問の先生が都合で練習に来られなくなった為、急遽部活動が休みになった。だから珍しくこの時間に帰宅していた。

 台所では母親が夕飯を作っている。献立はガラカブの煮物である。

 当初、鳥の唐揚げを作る筈だったが何故か『魚』という文字が頭に浮かび急遽、献立を変える事になった。

 手際よく魚をさばき大きめの煮炊き用の鍋を用意している時に、煮物用のみりんがないことに気づいた。もう魚を調理して一緒に煮込む大根や椎茸、生姜の切込みも終わっていた。

『ふぅぅぅ……ここでメニューを変えるわけにはいかないしなぁ』

と一息つき、どうしようかと悩んでいた時、ふとリビングに目をやるとゴロゴロと寝転び、お菓子をポリポリ食べながらアニメを見ている娘の姿が目に入った。

 その姿に少々イラっとした母親は、舞美にみりんを買ってきてもらう事を考えた。

 母親が『舞美ちょっとお使い頼まれてくれない?』と声を掛けると舞美は

『今忙しい』と軽く返した。しかしその返し方に益々イラっとした母親は

『録画だから帰ってからでも見れる!』と少々怒り気味に言い返した。面倒くさがり屋の舞美は、このピンチを中学生の弟に押し付けようとしたがタイミングが悪く、弟は昨日、自転車のタイがパンクしてしまいその修理に自転車屋に行っているらしい。

『えぇぇ……』と言いつつもようやく観念した舞美。せっかく滅多にない部活動の休みの日なのにお使い頼まれるなんてと気持ちは一気に落ち込んだ。しかしグズグズ言っていても仕方がないと気持ちをすぐに切り替え『よしっ』と立ち上がった。

 一番近いスーパーまで家から歩いて10分少々、自転車で行っても良かったが時間もあるし、天気も良いから歩いて行こうと動きやすいジャージに着替えた。

 母親からお金とエコバッグを受け取り家を出る。ふと時計を見ると17時55分、日暮れが近いのか辺りは徐々に薄暗くなりかけていた。でも近くのスーパーまでちょっと急ぎ足で行けば明るいうちに帰ってこられると思いながら家を出た。少し肌寒かったが不思議と足取りは軽かった。


【序章 終話編】


 男が目指しているパチンコ店は、もうすぐそこだった。しかし最後の右折をする交差点の二つ手前の信号が同時に赤信号に変わった。

 それに気づいた男は、すぐさま目前の交差点を右折し脇道に入った。ここをまっすぐ行って左折するとパチンコ店がある交差点に出るのだった。

 脇道は、車線のない住宅街の道だ。車が離合できるくらいの広さはあったが両脇に高い塀と背の高い植木が続いて見通しは悪い。それでも男は、ライトを上に向けアクセルを開ける。前方の横断歩道のある交差点の先にある交差点の信号が青に変わった。それを確認した男は、それに間に合うようにさらにアクセルを開けスピードを上げる。

 スピード警告灯の赤いランプは、ずっと付きっぱなしだ。信号のある交差点の手前に『前方に横断歩道あり』の標識がある。にもかかわらず男はスピードを落とさない。ここで男は前方、右上の壁に『キラッ』と光る何かに一瞬、ほんの一瞬気を取られた。それは、ヘッドライトに照らされ、光る猫の目だった。

 それに気を取られた男は、左から舞美が早足で横断歩道を渡り始めているのに気付くのが遅れた。 男が舞美に気づいたときには時すでに遅く止まる術はない。その猛烈なスピードのまま、舞美と激突してしまった。真横から跳ね飛ばされてしまった舞美は空中を舞い地面に叩きつけられ、更にそのまま何十メートルも転がり壁にぶつかりようやく止まった。


 舞美は、一瞬の出来事だったので自分が何故、地面に横たわっているのか全く理解できなかった。起き上がろうにも体が動かない。しかし自分の視線の先に壊れて煙を上げて倒れているバイクを見て『あぁ私はこのバイクに撥ねられたんだ』とようやく理解した。

 不思議と体の痛みは感じなかったが眠たくなるような感覚が襲ってきた。薄れていく意識の中、視線の中にゆっくりとこっちに近づいてくる人が……。

 よく見ると血だらけでボロボロの洋服を着て黒いヘルメットをかぶった人が私の傍に来て見下ろしていた(バイクの人……助かったんだ……よかった……)と思っているとその男の体が水に溶かした墨のような真っ黒い煙に包まれ、もがき苦しみながら消えていくのを見た。その後、舞美は、意識を失った。


 そしてこの街で一番設備が整ったこの街の病院に物語の主人公、東城舞美が瀕死の状態で運ばれてきた。

                       





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