16. 巫


 そうして、人目に付きづらい裏道を通って神社の外れにある一軒家に辿り着いた司たち。

 それなりの大きさをした古民家といった風情のある建物で、どうやらここが羽畑さんの家らしい。


 「お父さんもお母さんも今なら境内で仕事中だから、上がって」

 「お、お邪魔します」


 鍵を開けながら司たちにも入るように促す羽畑さん。

 事態が事態だけに仕方ないとはいえ、クラスメイトの、しかも女子の家に上がるとなると緊張もする。


 少しだけ待ってと言われ、ものの数分待たされたのちに、羽畑さんの部屋に通される。

 突発的に自分の部屋に人を招き入れられるというのもすごい。

 結衣里だったらこうはいかないなと、司はらちもなく考えてしまった。


 「なんかすごく失礼なこと思われてる気がする」

 「事実だろ」

 「むー……」


 結衣里が不満そうだが、家族以外の女子の部屋にお邪魔するなんて生まれて初めてのことだから、司としては下手に意識しないように努めているのだ。

 その分余計なことを考えてしまうのは仕方のないことだろう。

 女の子の部屋特有の良い匂いも、結衣里の部屋で多少耐性はあるとはいえやはり緊張してしまうものだ。


 「ごめんね、何もないうえに散らかってて」

 「いや、すごくきれいに片付いてるから驚いてただけだよ。足の踏み場もないほど散らかってる女の子の部屋を知ってる身としては、感心してるくらい」

 「お兄ちゃんっ!!」


 司の上着を引っ張り憤慨する結衣里。

 興奮したからか背中の羽は威嚇するように広がり、しっぽでも司の腕を咎めるように引っ張ってくる。


 「……それ、やっぱりニセモノじゃないんだね」

 「あ……」

 「まあ、ね。見ての通りだよ」


 お茶を出しながら、羽畑さんは結衣里の姿を見てしみじみと言った。


 彼女の視線の先は、結衣里の体から生えた角や羽、しっぽにじっと観察するように注がれている。

 まごうことなく、結衣里の頭や腰から生えているそれらに羽畑さんの表情は驚き半分、戸惑い半分、あと興味も少々といった所だ。


 「羽と角、やっぱり消せないの? 結衣里」

 「うん……そもそも、なんで勝手に出てきたのかも分からないし……」

 「この間もそうだったけど、焦ったり興奮すると出てきちゃうのかもな。まずは落ち着こう」

 「えっと、よく分からないんだけど……結衣里ちゃんって、何者?」

 「う、直球で訊いてきたな……率直に言うと、分からないんだよ。結衣里がこうなったのも数日前からだし。それまでは普通の、どこにでもいる女の子だったんだけどなぁ」


 ボヤくように呟いた司の言葉に、結衣里もうんうんと頷く。

 羽畑さんが口にしたのは当然の疑問であり、身も蓋もないまっすぐな問いかけだが、これに対する答えを司たちは持っていない。


 「正直、俺たちもどう受け止めたらいいのか分からなくてさ……今日だって、まさに神頼み的な思いでここに来たんだよ。もしかして、こういう例ってけっこうあったりするとか? しっぽとかあったりする人。他には……例えばほら、キツネの耳が生えてたりする人とか」

 「なっ、無いよっ!? うちは五穀豊穣の神様ってわけじゃないし……そういうのはお稲荷様とかの神社の方なんじゃないかな!?」


 世間には知られていないだけで、実は珍しい症例じゃなかったりはしないかと一縷の望みをかけて訊ねてみたのだが、そう都合の良い話は無いようで。

 代わりにテンパって明後日の方向にズレたツッコミをくれる羽畑さんという、珍しいものが見れた。


 「そうか……でもまあ、相談する相手が出来ただけ良かったと言えるのかな。今まで天使だとか悪魔とか神様とか、そういうのって今まで眉唾物だとしか思ってこなかったからさ。専門家に話を聞いてもらえるのはめっちゃ頼りになるというか、助かる」

 「専門家って、私なにも分かんないよ!? 宮司ぐうじの娘ってだけで、本格的に神職の勉強してるわけでもないし。お父さんたちからもこんな話聞いたことないし……」

 「それでも、こういうオカルト? 的な話をしても怖がったり笑ったりはしないでしょ。下手に写真撮ってSNSに上げようとかされたら、相談どころじゃないし」


 やはり神社の娘として育ったからだろうか、フレンドリーではあっても彼女の態度には他者への敬意が根底にあるように感じていた。

 彼女なら、物珍しさにつられて軽率な行動はしないだろうという信頼がある。

 実際、悪魔の姿をしたクラスメイトの妹なんてものを見ても、戸惑いはしても気味悪がることなく真摯に向き合ってくれている。


 「そうは言っても、こんなのどうしていいか分かんないよ……今の結衣里ちゃんの格好って、悪魔……っぽいし、神社というよりむしろ教会とかの管轄なんじゃないかなぁ……」

 「やっぱり羽畑さんもそう思う? なんの因果か、結衣里って教会系の女子校に通ってるんだよなぁ……」

 「ヴェル女だっけ? この辺りだとよく見かけるけど、あの制服の帽子が可愛いよね」

 「は、はい……」


 結衣里の通う聖ヴェルーナ女学院、略してヴェル女はここからそう遠くない所にあることから、羽畑さんもヴェル女の制服姿の子はよく見かけるらしい。

 この学校は敷地内に教会があったりするらしいので、もし相談するならそこだろう。

 結衣里なら学校の帰りにでも気軽に立ち寄れるはずだ。


 「……でも、やっぱり他の人に言うのは怖い、かなって。今はお兄ちゃんが一緒だからよかったけど、一人で相談に行くのは……ちょっと」

 「そう言われても、ヴェル女の敷地内でしょ? 女子校の敷地に勝手に入ったら警備員さんとかに捕まりそう」

 「敷地内って言っても、教会は外れの方だし学校とは直接は繋がってないから、誰でも入れるんだよ。それに、お兄ちゃんならわたしの家族だから話せば学校にも入れるとは思うけど」

 「なんとしても、付いてきてほしいんだね……」


 もちろんこの姿のことを他人に話すことへの不安もあるのだろうが、それ以上にこれは単に人見知りを発揮しているだけっぽいなと、司は直感した。

 未だに人見知り癖が抜けないのかと、司は小さく零しながら妹にため息をつく。


 「アハ、そんなこと言いながら、ちょっと嬉しそうだね?」

 「なんでだよ、そんなわけないだろ」

 「お兄ちゃんとしては、なんだかんだ言って妹に頼られるのは嬉しいってことかな。良いお兄ちゃんだね」


 羽畑さんの揶揄からかいに司は憮然とし、結衣里はやや照れながら視線を逸らした。


 「ふふっ…………結衣里ちゃんの身体のこと、私じゃなんともできないけど……なんとかなるように、お祈りするね。ウチの神様は運気や厄払いの力があるって伝わってるから」

 「神社の娘さんが直接神様にお願いしてくれるっていうなら、心強いな。……でも厄払いって、大丈夫だよね? 結衣里本体には影響ないようにお願いしたいんだけど」

 「う、うーん……悪魔憑きみたいな感じで、お祓いでもすれば結衣里ちゃんの身体から悪魔を追い出したりできないかなって思ったんだけど」


 さっき結衣里が懸念したように、結衣里自身にまで危害が及ぶようでは困る。


 「……じゃあ、とりあえず簡単なお祓いで試してみる?」


 そう言って羽畑さんは、あのまま持ってきていたぬさを手に取る。


 「こう、この場でサッサーッ、って。効果があるとしても、そんなに大層なものじゃないと思うけど……」

 「……それ、確かなの?」

 「……分かんない」

 「それもそうか。……どうする、結衣里?」


 誰も経験したことのない事態、確たることが何も言えないのは当たり前だ。

 お試しのお祓いで試してみて、反応があるかどうかだけでも確かめてみるのは有効だと思う。


 だが、万が一のことを考えるととても「じゃあどうぞ」なんて軽々しくは言えない。


 「…………お兄ちゃんは、わたしのこの身体、治った方がいいと思う?」

 「え? そりゃ、いつバレるか分からない状態でビクビクしながら生活するのは結衣里としても辛いと思うし」

 「……じゃあ、やる。あの、羽畑……さん? お願いします」

 「うん、じゃあやってみるね」


 羽畑さんは頷くと、正座のまま目を閉じて結衣里に向けてさっさっと幣を払った。


 「彼女の中の悪しきモノ、けがれや罪過、災いが祓い清められますように」


 巫女装束の羽畑さんが祈りの言葉を述べると、静寂の中に神聖な空気が生まれる。

 先ほどの神事のときにも見た、静謐で神秘的ですらある“かんなぎ”としての姿。


 「────……どうかな?」


 パッと雰囲気を変え、いつものクラスメイトの顔に戻った羽畑さんが結衣里に訊ねる。


 「…………あ、戻った、かも」


 そう言った結衣里は、羽と角を消してみせた。


 「うそ、上手くいった……の?」

 「は、はい……なんか、また消せるようになったみたいで」

 「ううん……というよりこれは、単に結衣里が雰囲気に流されやすいってだけじゃ」

 「む~……おにいちゃん?」


 司が呟いたのを聞いた結衣里が不服そうに口を尖らせたので、それ以上は口をつぐむ。


 「……さすが、神社の娘さんだねぇ」

 「あ、ありがとう?」


 司の声掛けひとつでテンパったり落ち着いたり、占いなんかも信じやすい性質たちの結衣里だ。

 儀式っぽい雰囲気に飲まれて効いたように思い込んでいるが、単に落ち着いたから再び制御が出来るようになっただけのような気がする。

 ある種、プラシーボ効果のようなものだろう。

 本人が効いたと思っているのなら万々歳なので、それ以上追及はしないが。


 「羽畑さん、ありがとうございます。すごい……です!」

 「……う~ん。なんだろ、嬉しいような、なんか申し訳ないような、微妙なこの感じ……」

 「ま、とりあえずは結衣里が落ち着いてくれたんだから、自信持ってくれたらいいと思う。うん」

 「いいのかなぁ……」


 半信半疑な羽畑さんだったが、結衣里は彼女に懐いたようだった。


 「何にせよ、結衣里が落ち着いてよかったよ。ありがとう羽畑さん」

 「お兄ちゃん……」

 「……ああもう、ごちそうさま。相思相愛すぎて見てるこっちが恥ずかしくなるなぁ……!」


 微笑ましそうな、どこか羨ましそうにも見える表情でキレ気味に茶化してくる羽畑さんをよそに、結衣里は司に撫でられてくすぐったそうに頬を染める。


 何はともあれ、結衣里がまた羽を消せるようになったのは良いことだし、仲良くなってくれたのなら兄としても嬉しい。

 案外結衣里のこの状態も、思っていたよりは簡単に御せるのではないかと、司は少し前向きな気持ちになった。

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