妹は天使かと思ったらむしろ悪魔だった(ホンモノの)
室太刀
1. 妹は天使
「……雨、強くなってきたな」
傘に降りかかる雨粒の音に、天を仰ぐ。
黒々とした雨雲が空を覆い、昼間だというのに日が沈んだように辺りは暗い。
やがて雨音はざあざあと苛烈な音となり、傘を差して歩く彼ら
見ると、横を流れる川の水位がさっきとはまるで別物のように増している。
コンクリートで固められた街中の小さな川とはいえ、こんなに増水しているのは見たことがない。
この短い時間でここまで増えるなんて、上流でずっと降っていたのだろうか。
「うわっ、これはキツい……!
そう言って妹の手を取ろうとした
「……結衣里?」
差し伸べられた兄の手を、結衣里はとっさに手を引いて避けていた。
「あっ…………えっと、兄妹で手を繋ぐなんておかしいし……」
「なんで? 昔からいっつも繋いでたじゃん」
「それは子供だからでしょー」
「今も子供だよ」
二人とも今は中学生、世間的に見ればまだまだ十分子供のはずだ。
「……子供じゃないもん」
「わかったわかった。でも危ないし、急がないと」
「危なくないもん! 手は繋がない!」
「どうかしたのか? 今までそんなこと気にしたことなかったのに」
「……だって、」
何かを言いかけた結衣里の言葉は、ドンッという大きな音とともにかき消された。
「────結衣里っ!!」
司は、とっさに手を伸ばし────
「……────結衣里……っ!」
「? お兄ちゃん、なに?」
ソファに横たわったまま手を伸ばした司の顔を見て、結衣里が不思議そうな顔をしていた。
大きな瞳と、ツインテールにまとめられたサラサラの髪。
切り揃えられた前髪で、隠されることのなく屈託のない表情を晒す血色の良い肌つやをした顔は、高校生となった今でもどこか幼さを残している。
いつ見ても可愛らしいその顔は、どこかイタズラっぽくも慈しむような微笑みをたたえて兄の顔を覗き込んでいた。
「…………俺、寝てた?」
「うん、寝てたー。へへ~、お兄ちゃんの寝顔可愛かった」
「……見るなよ、あんまり」
どうやらリビングのソファの上で寝落ちしていたらしい。
変な体勢で寝ていたせいで、良くない夢を見ていたようだ。
気恥ずかしくて誤魔化すように悪態をつくと、妹はおかしそうにクスクスと笑う。
改めて見ても結衣里は目の醒めるような美少女で、そのあどけない笑顔を見ると我が妹ながらつい見惚れてしまい思わずハッとする。
「だってぐっすり寝てたんだもん。疲れてたの?」
「雨だからかな。気圧低いとなんかだるいんだよな」
「そう? わたしは全然平気だけど」
天気が悪いと気分も凹みがちになる。
気象病なんて言い方があるように、気圧が低くて天気が悪いと体調を崩す人もいるらしい。
司はそこまで気圧の変化に弱いわけではないものの、やっぱり雨の日は何かと気分が上がらない。
結衣里を含め、
「この大雨だと、母さん大変だろうな」
「ねー。今日は遅くなるって言ってたけど、夜までには止むかなぁ」
窓の外では大粒の雨と風が吹き荒れていて、まさに春の嵐といったところだった。
あの日とは違い、梅雨にはまだ早いというのに今年の空はずいぶんと気が早いものだ。
「……それに、ここまでの嵐だとさすがに思い出すというか」
先ほどの夢を思い出して、呟く。
司と結衣里は2年前の大雨の日、川岸の崩落事故に巻き込まれている。
まさかコンクリートで固められた街中の歩道が崩落するとは誰も予想しておらず、運の悪いことにその上を歩いていた二人は揃って巻き込まれ、命からがらなんとか助け出された。
結衣里は気を失っていたのかほとんど覚えていないようだが、流されないように結衣里を抱きしめながら必死になって岸壁にしがみついていたあの時間はまさに地獄のようで、思い出すと今でも震えが止まらない。
あれ以来、司は雨の日が苦手だった。
小雨くらいならまだ大丈夫だが、ここまでの大雨になるとあの時のことを思い出してしまう。
「そっか……夢、みてた?」
「……まあな」
結衣里はさっきの寝言の意味を理解したようで、それ以上からかってはこなかった。
それどころか、
「……とうっ!」
結衣里はやや勢いをつけてぶつかるように司の隣に座ると、何も言わずに肩を預けてくる。
文字通り生きるか死ぬかの瀬戸際にいたあの出来事は忘れようもない苛烈な体験だったが、そのおかげか司たち兄妹は他の兄弟姉妹によく見られるような、反抗期的なギクシャクした関係とは無縁だった。
お互いが大切な存在であることを再認識できたし、そしてそれはある時突然失われてもおかしくない貴重なものでもあると身をもって味わった。
だから、こうしてどちらかが弱っている時に側に寄り添うことだって、気恥ずかしさはあれど
「……ありがと」
「どういたしまして。それに、わたしが今こうして生きているのはお兄ちゃんのおかげだからね」
「そっか」
大げさな、と思うと同時に、それが冗談にならないほどに危うい状況だったことを思えば今でもゾッとする。
こうして兄妹で密着しあうのは普通の家庭からすれば変に見えるのだろうが、そんな些細なことはどうでも良いと思うくらいに司たち兄妹は深い繋がりで結ばれている。
だからあの時のことは司にとって大切な思い出でもあり、誇りでもあった。
「さてと。そんなお兄ちゃんがうたた寝している間に、デキる可愛い妹はすっかり夕飯を用意し終えていたのでした。どう、食べられる?」
父は単身赴任しており母は仕事で遅くなることが多い水野家では、夕飯作りは結衣里の担当だった。
すっかり手慣れた結衣里の料理の腕は母親からも太鼓判を押されるほどで、普段食べることのできない父親は日々血涙を流しているとか。
父曰く、結衣里は我が家の天使なんだとか。
可愛くて甲斐甲斐しいその姿を見ていると、その表現もあながち間違いではないと思ってしまう。
なお、それを言った父は結衣里に「お父さんウザい」とバッサリ斬られている。
「もちろん。いつもありがとうございます、神様妹様」
「なぁに、それ。これも役割分担だよ。その分、洗濯物とか掃除はお兄ちゃんがしてくれてるもん」
「それで美味しいご飯が出てくるなら安いものだよ。料理だって時間かかるでしょ?」
「えへへ……半分趣味みたいなものだから、むしろ願ったり叶ったりなんだよ」
そう言って二人分のおかずを取り分ける結衣里の顔は楽しそうで、背中に翼が見える気さえしてくる。
ほら今も、薄目に見るとキッチンに立つ妹の背中に黒い羽が────
「────ん?」
思わず目をこすり二度見する。
改めて見てみると、結衣里の背中に羽なんて無い。
当たり前のことのはずなのだが、司はひどくホッとした心地がした。
天使といったら白い翼だろうに、なぜだか黒い羽が見えた気がしたのだ。
まるで悪魔みたいな黒い翼なんて、結衣里には到底似合わない。
「? どうしたのお兄ちゃん」
「ああいや、なんでもないよ」
不思議そうに首を傾げる結衣里に、司は気にしないでくれと肩をすくめた。
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