第8話 泣けない死体です。
すごいわ……だんだん、生前の姿に戻ってきている?
このままお坊っちゃまのお菓子を食べ続ければ、目だけじゃなくて、髪の色も元に戻るのかしら。それでも醜いことには変わりないでしょうけど……明らかに死んでいる見た目よりは、ずっとマシでしょうから。
聖なる日まで、あと一週間。辺境伯様はあのように仰ってくださったけれど……同じ食卓に着いてくれるお坊っちゃまの為に、少しでも “普通” に近付きたい。
結局ジュリを呼んで、身体を診てもらうことにした。
「……死体は死体ですね。部分的に細胞が生き返ってはいますが、死んでいることに変わりはありません。私のメンテナンスを受けていただかなければ、動くことは出来ないでしょう」
「やっぱりそうよね」
「とはいえ、見た目や体質はかなり改善されそうですね。口にされたお菓子は、排出しなくても自然と消えてしまうみたいですし、お身体の負担も少ないでしょう。ただ、歯が心配なので、なるべく噛まなくて済む溶けやすいものから続けてみてください」
ジュリはそう言うと、さっき辺境伯様が持って来てくださった山盛りのお菓子を見て、顔をしかめた。
「……本当にチョコレートも美味しかったのですか?」
「ええ。ジュリの口には合わなかった?」
「……正直合わないなんてものじゃありません。腐った泥を食べているような……そんな味でした」
腐った泥……想像がつかないわ。腐ったお肉や魚なら食べたことがあるけど、お腹が空きすぎて味はそんなに気にならなかったし。……後で辛かったけど。
「あっ、そうそう、心臓に異常はなかったかしら? さっき急に動悸が激しくなって」
「動悸……ですか? 本来は止まっているものを、いつも通り魔力で無理矢理動かしてはいますけど、特に異常はありませんでしたよ」
「……そう」
「ご心配でしたら、もう一度診てみましょう」
……ジュリの言葉通り、特に異常はなかったが、念の為お菓子は小分けに食べるよう注意された。そうね……一気に五個も食べたから、心臓がびっくりしたのかもしれないわ。
一度止まったのに、頑張って動いてくれているんだもの。これからは、もっと鼓動に耳を傾けよう。
◇◇◇
キャンディ、チョコレート、キャラメル……ついにはクッキーまで。
お坊ちゃまの美味しいお菓子を食べるごとに、どんどん死体から生きた人間に見えるようになっていった。
肌は白いけれど、あの病的な白さではなくなり、ふっくらとした薄桃色の頬が映えている。澄んだ金色の瞳には金色の睫毛がふさふさと縁取り、その上には金色のなだらかな眉毛。髪の毛も金色に変わっただけでなく、量も艶も増して、腰の辺りまでたっぷりと伸びていた。
乾燥していた青い唇は、潤いを取り戻し濃い桃色に。歯茎の色も良くなって、歯が取れることもなくなったし、唾液も分泌されるようになった。あっ……汗もだわ。
そうそう、顔だけじゃなくて、身体にも大分肉が付いてきた。まだ他の人よりは痩せているかもしれないけれど、ここへ嫁いで来た時みたいなボリュームのあるドレスを着なくても、人に不快感を与えないくらいにはなったと思う。
顔も身体も、栄養状態がいい為か、むしろ生前よりも健康的に見えるかもしれない。
何より嬉しいのは……実家の人達から受けた “罰” の痕が、少しずつ薄れてきたことだ。
顔や体型とは違い服で隠れるけれど、裸になる度に、その時の痛みを思い出して辛かったから。
……人に迷惑をかける部分よりも、迷惑をかけない見えない部分が治ったことを喜ぶなんて。
やっぱり私は、罰を受けて当然の人間だったのかもしれない。私が新しい家族に愛されなかったのは……見た目や身分なんかじゃなく、心根の問題だったのだろう。
『泣きも喚きもしないなんて……殴っても殴ってもスッキリしやしない』
『気持ち悪いのは見た目だけじゃないのね』
ちゃんと生きていたはずなのに……涙を流すことも出来なかった私は、やっぱりおかしかったのだと思う。
このお屋敷の人達は、皆とても親切で、よくしてもらっている。お水や食事を運んでくれる給仕も、中庭の手入れをしてくれる庭師も、顔も見たこともない私を “お母さま” と呼んでお手紙を書いてくれるお坊っちゃまも……それをお許しになり、貴重なお菓子まで下さった辺境伯様も。皆、気味の悪い私に暴言を吐いたり、暴力を振るうこともなかった。
契約が終わり棺に戻るまでの一年間……恩返しは出来なくても、せめて出来るだけ不快な思いはさせたくない。
◇
とうとうやって来てしまった聖なる日の夕方、私はドレッサーの鏡に向かい、これ以上艶が出なくなるまで、髪に懸命にブラシを当てていた。
山盛りのお菓子を下さったあの日から、辺境伯様にはお会いしていない。お坊っちゃまとのお手紙交換も、給仕を通して行われていた。
……生まれ持った、私のこの異質な姿を見て、辺境伯様はどう思われるだろう。
パチパチと静電気を帯びながら背に落ちる髪を、どのように処理したら良いか考えていると、生真面目なノックの音がした。
「……お呼びくださればお手伝いさせていただきましたのに」
そうね、ジュリは私のメンテナンスをしてくれるお医者さんという意識が強かったけれど、侍女でもあったんだわ。嫁いだ日以来、部屋に閉じこもっていたし……身の回りのことは自分で出来るから、いつ、どんな時に手伝ってもらえば良いかよく分からなかった。
こんなんじゃ怪しまれてしまうわよね。仮にも侯爵家の令嬢なのに。
「お
「出来るだけ目立たないようにしたいの。……あっ、貴女の髪みたいに、きっちり一つに
「それは可能ですが……何故目立たないようにと?」
『髪も瞳も変な色。見たことがない』
『ああ、本当に気持ち悪い』
「……変な色で気持ち悪いから」
消え入りそうな呟きに、ジュリは私の金髪を一房掬い、しげしげと見つめながら言う。
「美意識は人それぞれなので、辺境伯様やお坊っちゃまがどう思われるかは分かりません。ですが、私はこの色を気持ち悪いとは思いませんよ」
「……そうなの?」
「ええ。むしろ華やかで美しいと思います。確かに珍しい色ではありますが。……結わいても目立ってしまうので、いっそ下ろしてはいかがでしょうか? せっかくここまで丁寧にブラシを当てられたのですから」
華やかで……美しい。
初めて言われた言葉は、吸収することが出来ず、ただふわふわと心の表面を漂う。漂いながら柔らかく
「……怖い。怖いの、すごく。怖くて苦しいわ」
初めて口に出した感情に、金色の瞳がじわりと熱くなる。でも、やはり涙に変えることは出来ずに、苦痛のまま滞ってしまった。
……唾液も汗も出るようになったのに。どうして涙は出ないのだろう。
下を向いて苦痛に耐えていると、いつもと変わらない、ジュリの淡々とした声が響いた。
「お好きな色を、一つ選んでください」
差し出された箱の中には、色とりどりのリボンが入っている。
分からない……刺繍糸を選ぶ時は、あんなにすぐ決まるのに。
「どれでもいいんですよ。この中に可も不可もありませんから。違いはちょっとしたデザインと色だけです」
色……そうね、自分を布だと思えばいいんだわ。白い肌に、白みがかった金髪。だったら合うのはきっと……
私は一本のリボンを選び、ジュリに渡した。
支度が済んだ頃、ちょうど迎えに来てくれた侍従と、長い廊下を歩き食堂へ向かう。
……嫁いだ初日に執務室へ案内してくれた若い彼は、私を見て一瞬ぎょっとした顔をしたけれど、すぐに気を遣い背中を向けてくれた。
辺境伯様とお坊っちゃまはどんな反応をされるだろうか……不安はあるけれど、あのリボンを選んでから、何故かすっと気持ちが軽くなった。
やっとお坊っちゃまに会えるんだもの。覚悟を決めよう。
少し震える手を鮮やかなドレスの
開けられた扉の向こう、長い食卓には、想像を遥かに超えた可愛い男の子と……正装姿の辺境伯様が着いていた。
こちらに向けられたアイスブルーの瞳。それはみるみる見開き、これ以上開かない所で止まる。すると今度は、薄い唇がぽかんと開いた。
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