デビュー前
@kurikuriboz
第1話
背景のスクリーンには「ロックフェス準決勝」の字が映し出され、ステージには、いつものツンツン頭で歌う楽人と、バリッと固めた七三分けでベースを弾く
「このGATTANって優勝候補だったよな?」
「ボーカル、プロの誘いがあるらしいぜ。けどここ、ドラムねぇのかよ」
「リハのときは、くしゃくしゃ頭のドラマーいたけどな」
観客席を通り過ぎるとき、耳に入った声に思わずキャップを深く被り直した。こいつら、おれがそのドラマーとは気づかねぇよな。
楽人と徹とおれは、出会うべくして出会った三人組だ。最高のオリジナル曲は決勝に取っておくつもりだったが、あれを演奏することはもうないだろう。
大学に入学した日、おれの後ろの席に座っていたのが楽人だった。かったるいオリエンテーションを終え、カバンを肩に引っかけたところで後ろから背中を叩かれた。
「バンドやらへん? ドラム探してんねんけど」
髪をおっ立て、いかにもバンドやってます、という風貌の奴が、初対面のおれに話しかけてきた。
「ずっとビンボー揺すりしとったやろ。あれがな、めっちゃリズム感あってん」
単位の説明に飽きて脳内音楽を鳴らすうちに、いつの間に体が動いていたらしい。
むっとしながら「ビンボー揺すりじゃない」と答えたら、ニュッと手を差し出された。
「わかってるって。俺、音楽の人と書いてがくと。よう『らくな人』ってまちがわれるけど、そやない。覚えといて」
名前といい、いきなり握手を求めるところといい、いかにもお気楽な奴だ。
「おれがドラマーってなぜわかる?」
楽人は差し出した手をピストルの形に変えて、おれの鼻に突き付けた。
「
楽人はにっと笑った。その笑顔があまりに無防備で、気がつけばおれは楽人の仲間になっていた。
楽人は音楽の天才だった。突然、ふんふん、と鼻歌を歌い出したと思ったら、もう曲の原型ができている。毎日見る景色や、とりとめないバカ話の中に歌の種を見つける。あいつの頭はいつも音楽のことでいっぱいだった。
楽人が作った音楽の種を完成させるのが徹だ。徹は楽人のイメージを曲に落とし込んでいく。どんなときも髪は七三分けで、難しそうなタイトルの文庫本を持ち歩く。がっちりした体格に整いすぎる顔つき、ベースの腕は確かで、艶のある低音ボイスは、楽人のボーカルにハモるのにぴったりだ。
おれの役割は、自由すぎる楽人のお守りだったかもしれない。何かに秀でている奴は、その分何かが凹んでいる。時間や約束にルーズな楽人を引っ張ってスタジオまで連れて行ったり、ちゃんと単位が取れるようにレポートを手伝ってやったりしたことは数限りない。
三人でバンドを組んだ日、楽人は早速グループ名を考えた。
「発表します。俺らのグループ名は」
楽人がトゥルルルルーとドラムロールの口まねをする。
「ガターンでーす」
「ガターン? なにそれ」
「楽人のG、彬のA、徹のTをとってGATTANや」
「だっさ。何のひねりもない。最後TANは?」
「ん、TANな。それはおまけ。ノリでつけただけ」
楽人はおちゃらけたままだ。徹はあきれ顔だったが、おれは「だっさ」と文句を言いながらも、内心は少しうれしかった。
GATTAN。
彬のAが楽人のGと徹のTに囲まれている。三人でガッチリ肩を組んだ姿が想像できた。
学祭に出たり、他のバンド仲間と小さなライブハウスに出たりするうちに、いつしか三人でこのままやっていけたらいい、と思い始めた。楽人がいればいい曲が出来る。徹もいる。二人にくっついてこのまま音楽を続けられたら。夢はいつしか根拠のない自信に変わり、プロに手が届くところまで近づいたように思えた。今日のロックフェス準決勝に出るまでは。
全国から集まるロックフェスは、ロックバンドの甲子園みたいなものだ。全員がてっぺん目指して東京に集まる。今思えば、会いたくない奴に会ってしまう可能性は高かった。
準決勝のリハを終えたところで、金髪の奴とすれ違った。
「よぉ彬。出てたのか」
聞き覚えのある声だ。
「バンド、つづけてんだな」
高校生の頃、おれは大学生とかセミプロに交じって叩いていた。地元では高校生ドラマーとしてそれなりに知られたつもりで、すっかりいい気になっていた。蒼太に出会ったのはその頃だ。
蒼太は名の知れたライブハウスで叩いていた。奴の音はひとつひとつが光っていた。スネア、ベードラ、タム、シンバルそれぞれ絶妙のバランスで、音を聞けば奴が叩いているのはすぐわかったし、バンドは何をやってもキレキレだった。ドラマーだけでこんなに音楽が変わるのか。同じ高校生だと知ったときは打ちのめされた。
悔しくて練習に没頭した。だが、蒼太はいつも軽々と上を行く。周りが蒼太の演奏を誉める度に、反吐が出そうだった。自分を追い込むうちに、蒼太と競い続けるのがだんだん苦痛になった。呪縛から逃れようと大学で地元を離れ、楽人と徹に会って、やっと自由に叩けるようになった
なのに。
蒼太のバンドは準決勝のトップバッターだ。おれは二度も鼻をへし折られた。
バイトを終えて下宿に帰ったら、家の前に楽人と徹が立っていた。二人とも腕を組んでにらんだまま何も言わない。
「悪かったな」
それだけ言って家に入ろうとしたら、楽人に前を立ち塞がれた。
徹には押し殺した声で迫ってきた。
「言うことはそれだけか」
「おれよりもすげえドラマーがいんだよ。そいつがいる限り、おれらのバンドは優勝できない。だから出るのをやめた」
殴られる、と身をすくめるより先に徹の拳に張り倒された。おれは鼻血を押さえながら、二人を見上げた。
「才能がないってわかってんのにがんばるの、馬鹿らしくね?」
徹がふっと笑って、「『トカトントン』だな」とつぶやいた。
その瞬間、楽人がわめき出した。
「ざけんな! 俺、めっちゃムラムラしてきたで。おい彬、中入れろや!」
「は?」
「お前の家に入れろ言うてんねん!」
楽人はおれのリュックを奪って中から鍵を探し出すと、勝手に家に入った。靴を脱ぎ捨て、ローテーブルの前に座り込む。
「今から歌うからな! ちゃんと音、拾えや」
楽人は目をつむり、体を前後に揺すりながら歌い出した。唇からもれ出すメロディー、肩で刻むリズム。とっさにスマホで録音を始めた徹が怒鳴った。
「彬! ボケッとすんな! 楽人がゾーンだ!」
楽人がゾーンに入るところは今まで何度も見てきた。前触れなくこの状態になる度に、徹と二人で反射的に楽人のサポートに入る。おれはテーブルの空弁当だの雑誌だのを床になぎ落としてPCを置いた。
徹が楽人の断片的なメロディーを音符に置き換える。思いつくままに口走る言葉を歌詞に整える。三人でPCに向かいながら、バラバラだった音や言葉の切れ端を少しずつまとめていく。
画面を見ながらだと目を合わせずにすむ。おれは本番をぶっちぎった訳を話した。
「もし蒼太がGATTANでおれの代わりに叩いたとする。曲が生まれ変わんだよ。別ものになんだよ。高校のとき、そういうの何度も体験した。しかもあいつは超然としてやがる。おれはライバル認定すらされてないわけ。奴の前で自分が虫けらみたいに感じるのがたまんねぇんだよ」
徹がキー操作しながら、よく通る低音ボイスで言った。
「彬は大事なことを見落としてる」
リターンキーをパンッと打つと、おれを真正面から見据えた。
「楽人がゾーンに入るのがどういうときかわかってない。楽人からアイデアが生まれるのは、俺とお前がいるときだけだ。三人が揃うときにしか、GATTANの曲は生まれない」
「ほんまに彬アホやな。お前よか上手いドラマーなんて、世の中いくらでもおんねん。そんなんとっくに知ってるわ」
楽人は片膝を抱いて鼻をほじっている。
「俺らこうやって新しい音楽作ってきたやんけ。何度も何度も」
何度も何度も。
楽人の言葉が心の中で響いた。
「もひとつ、聞かせたる。元バンドマンのおやじ、俺がプロになりたいって言うても止めんかったで」
おやじさん、だから楽人と名付けたのか。ここまで付き合ってきて初めて聞いた。
楽人は台所の水道に口をつけてごくごくと飲み、濡れた口を腕で拭くと、どさっと音を立てておれの前に座り直した。
「オヤジの受け売りや。耳かっぼじってよぉ聞けや。再生回数無限回とか、コマーシャルソング歌ってるとか、そんなのほんの一握りの奴らだけや。ピラミッドの頂点なんて針みたいに狭いし、裾野はべらぼうに広い。這い上がろうにも、途中の道はサラサラの砂山。滑り続けたやつらは登る力も失せて、やがて裾野で暮らし始める。けどな、ピラミッドの頂上なんてほんのちっぽけで、世の中のほとんどは裾野やねん。そこで暮らすんは人生の負けでも何でもない。だから若いうちは頂上眺めてみ。足ふんばってやりたいことやってみ。ほんであかんかったら、裾野で暮らしたらええ、って」
売れたい。有名になりたい。ドラマーとしての腕を見せつけてやりたい。自分を支えていたのは、ちっぽけなプライドだ。大学に入って楽人と徹に出会ってからは、蒼太のことなんか忘れていた。ただ三人の音楽が好きでやってきた。
それでいいんだ。それがいいんだ。
もしゃもしゃの前髪の間から二人を見た。楽人がイライラと体を揺する。徹は悠然と腕を組んでいる。
楽人のGと徹のTに囲まれた、彬のA。GATTAN。
頭を下げると、楽人にバシッとはたかれた。
「お前、めっちゃデカい借りを俺らにつくってんで。普通やったらケンカ別れや。けど彬と徹が揃わんと、俺は曲のイメージが湧いてこぉへん。この借り、一生かけて返せや」
気づけば夜中になっていた。楽人は徹が起こした楽譜を見て、よしと腰を上げた。
「これからスタジオ行くで!」
三人で行きつけのスタジオに行き、おやっさんをたたき起こす。
「今何時だと思ってんだ? 年寄りを殺す気か⁉」
楽人がいつもの食えない笑顔で拝み倒す。
「おやっさん、多めにみてや。俺らこれから大ヒット作んねん。売り上げはおやっさんと山分けや」
ドラムセットの前に座る。楽人と徹の後ろ、おれの定位置だ。
徹が振り返って目を合わせた。
ベースから始まる8ビート。裏拍で入ったドラムが後を追うようにリズムを刻む。ベースとドラムは競いながら音楽を進め、被さるように楽人のギターが加わる。通奏低音が流れる中、楽人が挑むように歌い始める。緊迫感のあるメロディー。三人のギリギリした音のせめぎ合い。一人ひとりが醸し出す必死感がグルグルと渦を巻く。
三人で走ってきた。
自由人の楽人。愁いを帯びた切ない歌声は、ミラクルを起こす。抗えない磁流が沸き起こり、おれはいつしかその歌声に身を任せ、感じるままに叩けるようになった。
徹は、どこに飛んでいくかわからない楽人をコーラスでつなぎとめる。正確無比に低音を刻むベーシストは、三人をまとめ上げる錨だ。
ぶつかってもそっぽ向いても、この三人でやってきた。誰が抜けても成立しない音がここにある。
いつしか音楽は一体化する。個と個の連なりで始まった曲調は、やがてタッグを組み、大きなうねりへと繋がる。
夢中で叩く。音が飛ぶように過ぎていく。
もっと行ける。もっと高く。宙までも。
今、この瞬間にしか作れないおれらの音楽。
真っ白な頭のまま、最後の音を未来へと解き放つ。
遠くへ行ってしまった意識を呼び戻すように拍手が鳴った。いつの間にかスタジオのおやっさんがいて、狂ったように手を叩いている。
「おめーら、最高だ!」
じわじわと言葉にならないものがこみ上げてきた。二人に目をやると、楽人は目の焦点が定まらず、徹も棒立ちだった。流れ出る汗が目にしみて、肩でぐぃっと拭いた。
「こりゃまちがいなくヒット曲だ。ここでいくつもバンドを見てきたから、見立てはまちがいない。デモをレコード会社に送ったら一発採用だぞ」
おやっさんに肩をどつかれた楽人は、どこか別の世界から生還したように周りを見渡し、頭をぶるんと振るった。
「いや」
楽人が真面目な顔になった。
「俺らが売れたらこの曲だすわ」
まだ余韻が残っていたおれと徹は、この言葉で一気に目が覚めた。
「これがデビュー曲だろ」
「順序が逆じゃね? 売れるようにこの曲をだすんじゃねぇの?」
楽人はいつものいたずらっぽい顔に戻っていた。
「これから俺ら、もっとすごい曲作んねん。ほんで武道館でやれるぐらいになったら、この曲を世に出す。三人の原点はこれやった! ちゅうて」
楽人は体中から光があふれ出るように輝いていた。徹は黙って頷くと、ピックを持ち直した。
「来年のロックフェスまでにデビューするぞ」
くるっとスティックを回して、おれもドラムに向かった。
(了)
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