【レイ=味方】

体を包んでいた青白い光が徐々に消え去っていく。視界が戻り、辺りを見渡す。直ぐに自分が数秒前までいた場所とは違う事に気付いた。

 あの冒険者達もいなければ、居酒屋前の路地でもない。しかし信じられない。状況が理解できない。ほんの一、二秒で何が起きた。

 暗くてジメジメした空間を天井の淡い光が静かに照らしているこの場所には、見覚えがあった。つい先ほど訪れたばっかりであった。見紛うはずがない。

「ピュアパレットの地下か」

 どうして突然ここにいるのかは分からない。だが一瞬で違う場所に来たというのは間違いなさそうだ。

(瞬間移動…? そんな手品みたいなのが…)

 しかし実際問題、彼は今ここにいる。夢を疑うが、そうでは無さそうだ。

 彼の隣には先程の少女と変異歹が横たわっていた。暴力による怪我が酷いのか意識はない。

(今は考えるよりも手当が先だ!)

 呼吸が乱れている。相当なダメージを受けているようだ。レイは自分が応急措置の知識を持っていないか、頭を捻る。

(えっと、取り敢えず真っ直ぐな姿勢で寝かせて…。それから衣類が傷口に触れないようにするんだっけ)

 彼女の服はボロボロで、数カ所切れていて血が滲んでいる箇所もある。早く脱がせないと傷口にバイ菌が入ってしまうかもしれない。

「…って、脱がす⁉︎」

 重大なことに気づき、少年の顔は真っ赤になった。若い女の子の服を脱がすなんて彼には刺激が強すぎた。

 しかし手負の彼女達をこのままにしてもおけない。いくらかでも措置をしないと酷く後悔することになるかもしれない。

「と、取り敢えず綺麗な包帯を買ってこよう。話はそれからだ。薬もあるかな」

 置いていくのは躊躇われたが、ここで見つめていても仕方がない。彼は急いで梯子を登っていった。


 二十分も経たないうちに薬と包帯を買ったレイが戻ってきた。息を切らしており、かなり急いで来たようだ。

 地下へ入るための小屋の扉は外から鎖で閉ざされていて出ることができなかった。そのためレイは心の中でセンリに謝りながら、剣で扉を思いっきり殴り壊した。センリもまさか自分が売った武器で自分の扉が壊されるとは思わなかっただろう。

 そうして彼は土地勘もなく街を走り回り、閉店ギリギリの薬局を見つけ出し、一通り買ってきたのだった。

 少女も変異歹も変わらず寝そべっていたが、少女の顔色がさっきより悪くなっているようだ。床にできた血溜まりを見るに出血が酷いのかもしれない。

「待ってて。もう少しの辛抱だ」

 レイは恥ずかしがる自分を無視して少女の服に手を伸ばす。彼女のピンク色のセーターはすっかり血で染まって赤くなっていた。レイは剣でセーターを切って脱がせ、中に着ていた白いシャツも同様に脱がせる。

「ひどい…」

 幼い少女の柔らかい肌は痣や傷だらけで、お腹には大きな切り傷があった。剣か何かで斬られたのかもしれないが、幸い深くはない。だがその傷から赤黒い血がたらたら流れ出してしまっている。

 レイは消毒液の入った小瓶を取り出し、それを含ませた布で少女の体を隈無く拭き始める。出血の止まらない箇所には綿を当て、買ってきた包帯でそれを固定する。

 慣れない手つきで作業し、何分か掛かってようやく手当が終わった。

(よし、ひとまずは大丈夫かな。次は…)

 少女が連れていた鹿の変異歹も怪我がひどいようだ。苦しそうに喘いでいる。

 しかし、手当てをしようにも相手は変異歹。動物だというだけで難易度は上がるのに、患者は体の半分の骨格が剥き出しになっている未知の生物。素人のレイにはどこから手をつけて良いものか全く分からない。

(そもそも何で半分骸骨になりながらも生きていられるんだろう。内臓も欠けてたり。変異歹ってかなり特殊な生き物みたいだ。血も紫色だし)

 取り敢えず血だけでも拭こうと、レイが伸ばした手を何者かが弱々しく掴んだ。少女の小さな手だった。

「目が覚めたんだね。良かった」

 しかし少女は虚な目のままで、今にも再び気を失いそうだった。だが彼女は一生懸命口を動かして何かを言おうとしている。

「…その、…子…に、ジロール…を…」

「ジロール?」

「黄、色…きの…こ。変…歹の、怪我…に効く…」

 それだけを伝えると彼女は再び失神してしまった。

 レイは取り敢えず持ってきた栄養剤を二人に飲ませると、言われた品を探しに再び街へと走っていった。


 数時間が経ち、夜が明けた。レイは看病に疲れていつの間にか眠ってしまっていた。

 眠る彼の手の甲を鹿の変異歹が労わるようにペロペロと舐めていた。少女はその光景を見て微笑む。

 彼女は枕元に新品の服が畳まれてるのに気が付いた。きっと前の服は手当のために脱がせてくれたのだと少女は悟る。

 今は裸に包帯という格好だが、布団が何枚もかけられていて寒くはなかった。

 ご親切に、用意された服は前と殆ど同じようなものだった。白いシャツにピンク色のスカート、ピンク色のセーター。

 服は少しだけサイズが大きかった。しかし少女は嬉しそうだ。服がとても暖かく感じたのは多分気のせいじゃない。

「ん…? 起きたの…?」

「あ、おはよぅ!」

 レイの方も目が覚めたようだ。鹿も喜び、甘えるように彼に背中を擦り付けている。

「あなたが看病してくれたんだねぇ。助けてくれてありがとぉ」

「どこか痛むところとかはない?」

「うん! もう平気だよぉ」

 語尾を伸ばすような癖のある喋り方と甘ったるい声で少女は元気に答える。これが彼女本来の喋り方なのだろうか。昨晩のボロボロだった彼女とは見違えるようだ。

(本当に元気になったみたいだ。良かった…)

「あなたお名前は? あたしはティアだよぉ」

「僕のことはレイって呼んで」

「レイくん!」

 ティアは嬉しそうに何度も名前を口の中で連呼した。笑顔を浮かべる彼女の幼い顔に昨日までの悲壮感はもう無い。すっかりただの明るい少女に見える。手当が効いたようでレイはほっとした。

 しかし彼女の心が受けた傷は計り知れない。それを見せまいと笑う彼女にレイはさらに胸を痛めてしまう。

「ねぇ、何があったか聞いても…いいかな?」

 レイの質問にティアは答えずらそうに俯く。

「いや、いいんだ。無理にとは言わない」

「ううん。レイくんには話さなくちゃいけないと思う。危険を顧みずに助けてくれたもん。知る権利があるよぉ」

 鹿の変異歹が彼女に寄って抱っこを強請る。抱き上げられた鹿は彼女の頬をぺろぺろと舐め始めた。きっと彼女の悲しそうな顔を見て慰めに来てくれたのだろう。

「仲がいいんだね」

「うん! この子はシューくん。私と仲良しの変異歹さんなんだぁ!」

「その…認識が間違ってたらごめんね? 確か変異歹って人を襲うんじゃ無かったっけ」

「うん? だってシューくん襲ってないじゃん」

「そうだけど。でも僕は実際に襲われているんだ。おっきな亀みたいな奴に」

 彼は襲われた時のことを説明した。ティアは柔和な顔で静かに話を最後まで聞いた。レイが話終わると、彼女はゆっくりと口を開く。

「レイくん、変異歹さんってどういう子達か知ってる?」

「確か…生物が突然変異したんだよね?」

「そうだよぉ。だから基本的には普通の動物さん達と変わらないの。だけど体が突然溶け出して、おまけに凄い力が手に入ったからびっくりしちゃってるだけ。他の動物さんの仲間外れになって苦しんでいるんだぁ」

「でも人を襲うのは事実だよね?」

「そうだねぇ。でも悪意があるわけじゃないのよ。怒りと苦しみで我を忘れてるんだぁ。

だからあたし達の村ではこの子達を研究することにしたんだぁ。どうにか落ち着かせて共存したり、さらには元の姿に戻したり出来ないかなって」

 鹿の変異歹シューくんは拾われた時まだほんの赤子で、ずっとティア達が愛を持って育てたから人を襲ったりしないんだと彼女は説明した。人と変異歹共存の第一歩こそが彼女とシューくんの絆なのだそうだ。

「だけどそれを説明しても聞いて貰えなくて…。冒険者の人はあたし達のことが嫌いみたいなんだぁ…」

 確かに変異歹撲滅を掲げる冒険者ギルドが反発するのは当然だろう。

「それでギルドと揉めていたのか。変異歹を殺すことを邪魔されれば怒るのも仕方ないのかな…」

 それにしたってティアに暴力を振るうのは間違っている。あの冒険者達も、それを良しとしていた連中も、レイは許すつもりがない。

「邪魔はしてないよ。本当は殺してほしくないけどねぇ…。でも他の生き物を襲うのはダメな事だもん。守るためには仕方がないのはわかってる。だから胸を張って変異歹さんは人を襲わなくなるって言えるまで、その方法が完成するまで、冒険者さんが何をしていても私達は口は出さないよ」

「そっか…」

 ソモの民の実態がどうであれ、少なくとも目の前の少女の言葉と想いに嘘はない。レイは心の底からそう感じた。

「わかった。君を信じるよ」

 少女は頷いた。

「君達を邪魔に思うにしてもやり方がある。僕はあの冒険者達のやり方が許せない。そしてそれがもしギルド全体の方針なら、僕は彼らの敵だ。それに…」

 レイは、ティアの胸の中で子猫みたいに甘えるシューくんを見た。

「この子を見てたら、確かにただ殺すのは違うって気がする。元は普通の野生動物なんだもんね」

「ありがとぅ」

 ティアはほっとしたように笑った。もしかしたら内心では怯えていたのかもしれない。シューくんの事を、レイになんて言われるのか。

 彼女のその態度に、レイは自分も冒険者であった事を思い出した。変異歹殺しの仲間である事を。

「安心して。君達が人を襲うことを良しとしていないなら、僕は君達の味方だ」

「うん、わかった。レイくんってやっぱり優しいのねぇ」

 そう言ってティアは笑い、嬉しそうにくるくると回る。抱き抱えられたシューくんは目が回って大変そうだ。その様が面白くて、レイもつい笑ってしまった。

「レイくんに出会えてよかったねぇシューくん!」

「ピュー!」

 突然ティアがハッと、何かを思い出したようなような顔をして止まった。

「どうしたの?」

「どうしようレイくん! 私、忘れてたぁ!」

「何を?」

「私、この街に知り合いを探しに来てたんだぁ。道中シューくんが病気になっちゃったからすっかり忘れてたよぉ」

「病気? そういえば昨晩そんなこと言ってたね。大丈夫なの?」

「うん。レイくんが買ってきてくれたキノコは変異歹にとって万病の薬なのぉ。キノコならどれも体に良いんだけど、中でもジロール茸は効果抜群なんだぁ。怪我だって治っちゃうんだから」

 彼女の言う通り、レイが昨日ジロールをシューの口に入れてから彼の体調はみるみる良くなっていった。今なんて怪我していたのが嘘だったみたいに元気鹿だ。勿論、半身は骨が剥き出しのままだが。

「だからごめんねぇ、あたし行かないと。早く止めないとあの子何しでかすか…」

「ちょっと待って。僕もついていくよ。また冒険者に何をされるか…」

「レイくんみたいな良い子をこれ以上巻き込めない」

「でも…!」

「だめよ。危ないから」

 キッパリと、彼女は言い放った。その表情は何故か、やけに大人びて見えた。

「助けてくれてありがとうねぇ。お礼は今度必ずするから! また会おうねぇ」

 レイは何も言えず、梯子を登っていく彼女を見送るだけだった。

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