第45話 夜襲は殺戮の始まり




「お、のれっ……!!?」




 鳥頭だった獅子の悪魔が地に沈む。

 『だった』というのは、すでにその首を刎ね飛ばされていたからだ。


 体も死に絶え、地面に転がる悪魔の首は塵と化していく。


「この〈煽動せんどうのイポス〉が、たかが人間一人にやられるとはな……やはり、腐っても“大罪”と言うわけか……!」


 悪魔──イポスは、眼前に立つ巨漢を見据えて吐き捨てた。


「貴様、どうしてそれを……?」


 男は肩で息を継ぎながら、悪魔を見下ろす。

 当初、襲い掛かってきた悪魔はもっと大勢居た。しかし、すべてこの人間が返り討ちにしてしまったのだ。


 その証拠に周囲には激しい戦闘痕と、不自然なほど綺麗に残されたトランクの存在があった。


 これを見たイポスの口元には笑みが浮かんだ。

 完全な敗北を前にした自嘲の笑み。

 しかし、彼の笑みに含まれているものはそれだけではなかった。


「ク、ククッ……おめでたい奴だ。キサマほどの人間が、悪魔おれたちに目を付けられていないとでも思っていたのか……」

「どういう意味だ……!?」

「冥途の土産だ……キサマが居ない村は今頃どうなってるだろうなぁ……?」

「──まさか!?」


 男はイポスの背後に続く一本道を見やった。

 この先にあるのは一つの村。何の変哲もない、どこにでもあるような平穏な村だったはずだ。

 若い男はある程度暮らしているものの、そのほとんどが農家のような戦えない者達ばかり。


──そのような村に凶悪極まりない悪魔が攻め入ればどうなるか?


 男は背筋に氷柱を突き刺されたかのような悪寒を覚え、全身をぶるりと震わせた。


「貴様ら……!」

「家に帰るなら早い方がいいかもなぁ? じゃねえと、子供の死に顔も見れ──」


 そこまで言いかけたところで、最後の首は容赦なく踏み潰された。

 勢いよく撒き散らされる血飛沫も、間もなく塵となって宙に消える。


 この場に残されたのは怒りに震える男と、彼が乗ってきた愛馬、そして大事に運ばれていたトランクの三つだけだった。

 夜闇に静寂が訪れる。

 本来であれば、このような暗闇の中で馬を走らせるべきではない。

 しかし男は愛馬に跨ると、〈光魔法ルクス〉で前方を眩く照らし上げ、手綱を溜めて解放する。


 すると、愛馬は軽やかな駈足で夜道を走り始めた。


(どうか無事で居てくれよ、ベアティ……!)


 男は壮絶に顔を歪めていた。

 それは怒りに依るもの──だけではない。


(俺はもう二度と……家族を失うわけにはいかんのだ!)


 頬を伝う汗は、涙の代わりか。

 今ほど時の流れが早過ぎると思ったことはない。


(頼む、間に合ってくれぇ!)


 幽かに暗闇を照らす月には叢雲が掛かっていた。




 まるで、行く先を暗示しているようにしか思えなかった。




 ***




 シルウァの村に悪魔の群れが襲来した。


 夜空には月光を遮らんばかりの悪魔が羽搏いていたが、血肉を欲するが余り、次の瞬間には人間が暮らす村へと飛び込んでいく。


「いいか、若い女は生け捕りだぞぉ!? 間違って殺しやがった奴はおれが直々に殺してやるからなぁ~~~!」


 吼えるグラシャラボラスに呼応するかのように、村へと降り立つ悪魔も雄たけびを上げる。

 どいつもこいつも血気盛んな悪魔ばかりだ。

 眼下では早速悪魔の笑い声と住民の悲鳴が響き始める。


「ククッ、今日は何匹殺せるかなぁ~?」


『はははっ──ぎゃあ!?』


「……あ?」


 しかし、突如として悪魔の笑い声が途切れた。

 代わりに聞こえた悲鳴に、グラシャラボラスは大げさなくらい首を傾げる。


「なんだぁ……?」




「はいはい皆さんご注目!」




 不意に場に似つかわしくない飄々とした声が聞こえ、悪魔の視線が一斉に集まった。グラシャラボラスもその例外ではない。

 見晴らしのいい地に立つ人間は、パンパンと手を叩いて注目を一身に集めていた。

 鉄仮面に軽鎧を纏った剣士は、たった今塵になる真っ最中の悪魔を足蹴にしながら、周囲の悪魔一人一人に切っ先を突き付けていく。


「まず夜中に騒いだお前ぇ!?」

「あ? オレかぁ?」

「ギルティ!」

「ぎゃあああ!!?」


 直後、剣士は目にも止まらぬ速さで悪魔に肉薄すれば、その胴を袈裟斬りにしてみせた。

 骨肉を断つ深い一閃は、それだけで悪魔を絶命に至らしめる。


「て、てめえ!」

「そしてノックもせず家に押し入ろうとしたお前ぇ!!」

「死ねぇ!」

「お前もギルティ!」

「がああああ!!?」


 仲間をやられて憤慨した悪魔が襲い掛かるものの、剣士ははらりと身をひるがえして攻撃を躱すどころか、すれ違い様に脇腹を斬りつけた。

 半分以上斬られた胴体は背骨さえも断たれたようであり、ぐらりと斜めに傾いた悪魔の肉体は、間もなく塵となって宙に霧散した。


「こいつ、何者だ!?」

「囲めぇ!! まずはこいつからぶっ殺す!!」

「死体にしてネビロス様に献上しろぉ!!」


「ギルティ! ギルティ! お前もギルティ!」


 瞬く間に二人やられて危機感を覚えた悪魔が、剣士を取り囲んで一斉に襲い掛かる。

 しかし、剣士の輪郭はまるで霧に巻かれたかのように不安定だった。ひらひらと悪魔の爪や魔法を避けては、いつの間にか懐に入り込んでいて、致命の一閃を悪魔に叩き込んでいく。


「がひっ!?」


 そうやって襲い掛かった最後の悪魔が死んだ時、ようやく周囲に緊張感が走った。


「……ほぉ」


 だが、唯一空中に待機していた黒翼を生やす人狼はほくそ笑む。

 そして、ゆっくりとその足裏を地に着けた。


「一方的な狩りになるとばかり思ってたが……なんだよ、殺し合えそうなのが居るじゃねえかぁ~~~!」

「お? なんだかアホ面のワンちゃんが来たな。ほら、ハウスハウス! おうちに帰らないと去勢しちゃうぞ~?」

「おれ様はグラシャラボラス。よろしくろうぜ!!」

「こ~の馬鹿犬~~~!」


 一瞬で肉薄し、鋭利な爪を生やした手を振り下ろすグラシャラボラス。

 だが、完全に命中したかに思われた一撃を回避した剣士は、踏み込んだ懐の中で握っていた剣を全力で振り抜いた。


 が、しかし。


「っ!」

「っ……ってぇな~~~!」

「危なっ!?」


 渾身の一閃は鋼の如き硬度の体毛に遮られ、薄皮一枚を切り裂くだけにとどまった。

 多少血は溢れてきたものの、これだけで戦意を失うほど悪魔は軟弱でも正気でもない。


 むしろ自身に刃を通した相手に一段と笑みを深くし、グラシャラボラスは反撃の爪撃を剣士へと見舞おうとした。

 けれども、剣士はこれを回避。

 グラシャラボラスと距離を取り、剣を構え直すことで仕切り直しとした。


「なるほど、元気いっぱいのワンちゃんだ。しつけ甲斐があるぜ」

「……てめえ、強ぇな。名は?」

「──〈虚飾きょしょくのライアー〉」

「罪使いか……!!」


 鉄仮面に罪紋シギルが奔った瞬間を見逃さなかったグラシャラボラスは、今度こそ口が裂けんばかりに口角を吊り上げ、自身に嵌められた首枷に触れる。


「いいぜいいぜぇ、殺し甲斐が出てきた!! 一方的な“狩り”には飽き飽きしてたとこなんだよぉ!!」

「……“狩り”ねぇ……」

「罪使いの人間なら〈シン〉でぶち殺すのが流儀だぁ!!」


 グラシャラボラスの全身の毛が逆立つ。


「──告解する」


 首枷より全身に紋様が広がる。

 猛獣を縛りつける鎖のような、輪の連なった罪紋だった。


「おれの〈シン〉は〈殺戮さつりく〉……おれぁ 〈殺戮さつりくのグラシャラボラス〉だぁ!!」


 高まった魔力が解放され、辺りに暴風が吹き荒れる。


「あっちゃー、しつけのなってないワンちゃんはこれだから……」

「おい、ライアー」

「ん? どうしたリーン。そっちの悪魔は──」

「生首そっちに飛んでったぞ」

「ウッキャアアアア!!?」


 振り返る瞬間に真横通過する生首。

 これにはライアーも猿叫染みた悲鳴を上げた。


「突然のバイオレンスにドキドキが止まらない! これが恋って奴!?」

「安心しろ、ただの動悸だ」

「鼓動の数には限りがあると知っているならお前のそれは殺人行為だ、よろしいか?」

「なら後でその分鼓動を止めてやる」

「ヤダ……遠回しの殺害予告に寿命がどんどん縮んでいくわ……!」


 リーンの物言いにライアーは恐れ慄く。

 その間にも彼女は手当たり次第に悪魔の首を斬り飛ばす。全身に鎧を着込んでいるというのにも関わらず俊敏な動きに、悪魔は付いていけていない様子だ。


「どうする? 勝てそうにないなら交代してやってもいい」

「お前それ分かって言ってるだろ」

「どうだかな」


 ほくそ笑むような声色のリーンが、また一人悪魔を斬首した。

 対してライアーはただ一人──罪化を遂げ、一層凶悪に変貌したグラシャラボラスに切っ先を突き付ける。


「俺はあのワンコロをしつける。お前は取り巻きをヨロ」

「フンッ。安い駒を押し付けやがって。私より遅れたらどうなるか……分かるな?」

「ひゃあ怖い。お前とのデートは五分前行動しないとだな」

「いいや、一時間前だ」

「時を遡れとおっしゃってる?」




「おい……おれを差し置いてごちゃごちゃくっちゃべってんじゃねえぞぉ!!」




 と、二人の会話から取り残されていたグラシャラボラスの我慢が限界に達し、爆発した。

 羽搏く黒翼からは猛烈な羽根が撒き散らされ、次々にライアーとリーンに襲い掛かる。

 それらを各々の剣で斬り落とす二人であるが、真っ二つに両断された羽根は爆発を起こした。


「のわっ!? こいつは……!」

「罪魔法か」

「リーン! 後ろに行かせるな!」

「言われなくても……」


 爆発する羽根の第二波を前に、リーンは魔力を収束させた左手を地面に突き立てる。


「──〈土魔大盾テッラ・スクートゥム〉」


 突き立てた左手を中心に魔法陣が広がり、直後に地面が盛り上がる。

 それは羽根がリーンの眼前まで迫る間、巨大な土の防壁と化す。一拍遅れて羽根が突き刺さり次々に爆発するものの、分厚い土壁はボロボロに瓦解しつつも、爆発を村まで届かせることはなかった。


「ヒュウ♪ 流石だな、リーン!」

「あまり私に尻ぬぐいさせるなよ」

「りょ~かいッ!」


 大地を蹴って一気に加速するライアーは、一気にグラシャラボラスの眼前へと迫った。

 先の罪魔法──爆発する羽根を撃たせてしまえば周囲の被害は免れない。


 その為にはともかく接近。

 接近し、撃たせないことを第一とする。

 そして、撃たれるより前に倒す。


「お前は硬そうだからな。出し惜しみはしねぇ」

「──〈もう一人の自分アルター・エゴ〉」


「なにッ!!?」


 〈虚飾〉の罪魔法で具象化した分身が、本体と同時に悪魔へ斬りかかる。

 最初はたんなる幻影と見ていたグラシャラボラスであったが、振り抜かれた刃が自身の毛を、皮を、そして肉を切り裂く感触を覚えた瞬間、全力で身を捩って斬撃を受け流す。


「実体のある分身だぁ!!? おいおい、最高かよぉ!! 殺し放題ってことじゃあねえかぁ!!」

「すみませ~ん。うちはそういうのやってないお店ですんでご遠慮くださ~い」

「堅ぇこと言うなよぉ~!!」


 グラシャラボラスは、むしろ相手の数が増えたことに喜んでいた。

 涎を垂らし、目を血走らせ、だらりと外へ放り出された舌は血肉の味を欲して蠢動し続けている。


「ったく……」


 ライアーは深いため息を吐き、腕に魔力を集中させる。その間、彼の脳裏に過っていたのはサンディークだった。

 しかし、目の前に居る悪魔は赤い死神ともまた違う戦闘狂だ。


 この悪魔は殺人そのものを目的としているタイプ。

 あくまでも戦士だけを標的としていたサンディークとは違い、戦えない女子供や老人すらも殺害対象だ。


 むしろ悪魔とはそういう性分の個体が多いのはさておき、そのような悪魔を前に手札を出し惜しみしていれば、無駄に被害が広がってしまうだろう。


 そこでライアーは腕に魔力を流す。

 魔人化まで至らずとも、魔力に充てられた肉体は内包する魔の因子が活性化する。それに伴い身体能力は飛躍的に向上する。


 すなわち、


「まずは一人目ぇ!!」

「だ~か~ら~」

「ッ!!?」


 鋭利な爪による斬撃を搔い潜り、ライアーがグラシャラボラスに肉迫する。

 新品同然の剣を両手で握りしめる彼らは、今度こそ鎧の如き体毛を切り裂かんと、その手に渾身の力を込めに込めた。


 そして、


「──やらせねえって言ってんだよ」


 底冷えのするような低い声を響かせ、一斉に悪魔へと斬りかかる。


(こいつ──!!)


 グラシャラボラスは迫りくる剣士に反撃する。

 が、先に彼へ襲い掛かった悪魔とは比較にならぬ連携を前に、乾いた血の色合いの体毛を靡かせる肉体には次々に刀傷が刻まれていった。

 それもそのはずだ。何せ連携を取っているのは偽物とはいえ本人同士。自分がどう動くかなど手に取るように分かっているはずだった。


 加えてライアーは〈幻惑魔法ハル〉も併せて使用している。

 実体を持つ幻影、持たない幻影。

 嘘に紛れる真実、真実に紛れる嘘。

 波状となって襲い掛かる虚構と現実の連続攻撃を前に、いつしかグラシャラボラスは防戦一方になっていた。


「強ぇ……強ぇなあ、てめえ!!」

「お褒めの言葉をいただき光栄ですぅ~」

「いいぜいいぜぇ!! やっぱ殺すなら骨のあるやつに限る!!」

「ワンちゃんだから?」

「ははぁ!! 上手ぇこと言ったつもりか!!? だが……確かになぁ!!」


 腕を交差させ、翼も折り畳んでいたグラシャラボラスであったが、突如それら全てを全開に広げてみせる。

 次の瞬間、周囲には猛烈な突風が吹き荒れる。

 これには至近距離で斬撃の嵐を浴びせていたライアーも、突風に煽られて攻撃を中断せざるを得なくなった。


「おぉっと!?」

「柔ぇ骨の子供を殺すのも愉しい!! 脆ぇ骨のジジイやババアを殺すのも愉しい!! けど一番愉しいのは歯応えのある骨を漸く噛み砕いた時だぁ!!」

「そんなに噛み噛みしたいんだったら犬用ガム用意してやるよ。牛皮の奴な」

「乾いた皮なんざ味がしねえだろうがよぉ!!」


 強引にライアーと距離を取ったグラシャラボラスは、宙に体が浮いた彼の下へ剛翼を羽搏かせて接近する。


「ちぃ!」

「おれが欲しいのは血の味だ!! 肉の味だ!! 骨をかみ砕いた時に溢れる髄の味だ!! あれに勝る幸せなぞ、この世に存在しねえ!!」

「別に好きな味どうこう言うつもりはねえけどさぁ……世間一般的には人肉ってそんなになんだぜ?」

「知るかぁ!! おれはそいつが好きなんだぁ!!」

「じゃあお母さんもう何も言いませんっ!!」


 嗜好の矯正は不可能と断じたライアーは、諦めて剣を構える。

 いかに宙に浮いているとはいえ、武器さえあればどうとでもできる。

 しかも彼が手に握るのは〈虚飾〉の〈罪〉の権能を宿した罪器。伝説の武器に語り継がれずとも、それらと同等の力を発揮する無二の武器だ。


「さあ来い!! 真正面から叩っ切って……あらぁーーーーーっ!!?」


 だが、今まさに剣を振りかざそうとした瞬間だ。

 


「ウソウソウソウソそんなウソなーーーっ!!?」

「あぁん……? まあいいか。歯ぁ食い縛れぇ!!」

「きゃあああ!!? こっち来ないでぇーーーっ!!?」


 武器を失っててんやわんやするライアーに対し、グラシャラボラスは構わず突進してくる。

 その光景を前に情けない悲鳴を上げるライアーであるが、彼はけっして手を滑らせたわけではない。まるで神隠しにでも遭ったかのように、一瞬にして消えてなくなったのだ。


(まさか……!?)


 ライアーは咄嗟に周囲を見渡す。

 すると、少し離れた場所に佇んでいた悪魔の一体が自分を凝視していることに気付く。コウノトリのような頭部を携えた鳥人だった。その悪魔の手には、たった今自分の手から消えてなくなった剣が握られていたではないか。


「──罪魔法か!!?」

「おおおおおらぁ!!!」

「ちぃ!!」


 凄まじい音圧を伴った咆哮と共に、グラシャラボラスの拳がライアー目掛けて振り抜かれる。

 空気の壁をブチ破っての殴打を受けたライアーは、そのまま民家の壁をブチ破り、後方へと飛んでいく。


「へっ……」


 眼前から轟音と土煙が上がるのを見て、グラシャラボラスは口腔に溜まっていた血を吐き捨てた。

 するや、彼の視線は先ほどライアーが向いていた方へと送られる。


「──おぉい、シャックスぅ!! 勝手に手ぇ出してんじゃねぇぞぉ!!」

「す……すみません」

「てめぇは黙って女の尻追っかけてりゃいいんだ!! さもなきゃあ……」

「っ! ……分かりました」

「へっ、それでいいんだよぉ」


 シャックスと呼ばれた悪魔は、グラシャラボラスに怒鳴られるや、ひどく焦燥に駆られた表情で飛び立った。

 その姿を見届けたグラシャラボラスは、つまらなそうに眉尻を下げる。

 彼が横目で一瞥する先は、たった今鉄仮面の剣士を殴り飛ばした方角だった。


「ちっ!! 折角の獲物が台無しじゃねえか……あ~あ、死んじまったか」

「──女探してるのか?」

「あ? ……あ゛ぁ!!?」


 声は、背後より聞こえた。


 ゾワリ、と全身の毛が逆立ったグラシャラボラスは、ほとんど反射的に背後に向けて剛腕を振るった。

 当たれば巨木でさえへし折るであろう壮絶な一撃だ。

 だが、剛腕は命中することなく空振り。それどころか振り抜いて速度が減衰した瞬間、何者かに腕を掴まれては、視界がぐるりと上下反転した。


「おお、おおおおお……!!?」

「ポイッとな」

「おおお゛ッ!!?」


 続けて頭部に襲い掛かる痛烈な衝撃。

 そこでようやく人狼の悪魔は己が投げられたことに気が付いた。二メートルは超えるであろう超重量の肉体を、だ。

 当然、頭を襲う衝撃は想像を絶した。常人であれば頭蓋が砕け、そうでなくとも首の骨が折れるであろう衝撃に、グラシャラボラスの視界は明滅する。


 が、しかし。

 そんな単純なダメージで倒れるほど悪魔はヤワではない。頭部が半分ほど地面に埋まったグラシャラボラスは、すかさず両の腕を地面に突き立てるや、自身の頭を地面から引っこ抜いた。


「〈虚飾のライアー〉!!」


 お花が咲いたよ、満面の笑顔。


 たった今自分がぶん投げられたことにこれっぽっちも憤っていない……それどころか尻尾をブンブンと振って最大限の喜びを示すグラシャラボラスは、己が身に覆いかぶさる影の主の方を見た。


「最高だぜ、てめぇ!!」


 魔力を纏った拳が、月明かりに色濃く浮かび上がる人影へと放たれた。

 命中すれば岩でも粉砕する拳。たとえ常人でなくとも喰らえば致命の傷を食らうであろう攻撃だった。


 しかし、だ。


──バンッ。


 晦冥に乾いた音が響き渡った。

 グラシャラボラスは己の拳に伝わる衝撃にほくそ笑む。が、次の瞬間には眼前に佇む人影から巨大な翼が伸び、そちらに意識を引かれてしまった。


「なんだ──とぉ゛!!?」


 今度はグラシャラボラスの体が吹き飛ばされる番だった。

 鳩尾目掛けて振り抜かれた拳が命中すれば、人狼の悪魔は地面を何度もバウンドしながら進路上に居た悪魔を巻き込んでいく。


 そして、


「邪魔だ」

「あぉおん゛!!?」


 ゴール地点に立っていたリーンが、あろうことかグラシャラボラスの巨体を軽く足蹴にし、たった今辿ってきた進路を逆走させるではないか。

 威力は先の一撃となんら遜色がない。

 再びグラシャラボラスはボールの如く地面を跳ねる羽目に遭った。


「お゛ぉん!!? きゃん!!?」

「剣奪われちゃったらさぁ~、俺も手段選んでられなくなっちゃうじゃ~ん?」

「あ゛ぉ!!?」


 そこへ再びキック──ではなくストンプがグラシャラボラスの頭蓋を襲う。

 今度こそ頭蓋が砕けかねない衝撃に、悪魔の口からも悲鳴にもならない声が上がるのであった。


「て、てめぇ……その姿……!!?」

「やってやろうぜ、猫ちゃんとワンちゃんの代理戦争って奴を」

「罪度……Ⅲ!!?」

「猫キック!!」

「がぁ!!?」


 未だ伏しているグラシャラボラスへ、罪度Ⅲへと至ったことで鷲獅子の魔人と化したライアーのキックが突き刺さる。

 罪度ⅢはⅠやⅡとは次元が違う。魔の因子の完全覚醒。肉体が人から魔人へと変化することにより、そもそもの身体能力が劇的な向上を果たした。


 そこへダメ押しと言わんばかりの魔力による強化。


 獅子(ネコ科)のキックは、それこそ獅子の魔人に準拠した威力と魔力による身体強化が上乗せされ、人間とは比べ物にならない威力を発揮する。


「猫キック!! 猫キック!! 猫キック!!」

「ぐばぁ!!? ぼけぁ!!? あがぁ!!?」

「猫キック!! キャット蹴り!! 猫キック!!」

「がばぁ!!? ふぐぁ!!? ほがぁ!!?」

「鷲パンチ!! ホーク殴り!! ……あれ、グリフォンって手ぇあるか?」

「……いや、それ……前足ッ……」

「そうか。グリフォンパンチ!!」

「ぎぇあ!!?」


 真面目に返答するも虚しく、渾身の鷲獅子の拳がグラシャラボラスの顔面に炸裂する。

 誰が見ても一方的な状況。マウントポジションを取られてボコボコに殴られるグラシャラボラスは、自慢の翼も地面に着いていることも相まって、先のように仕切り直しの暴風を巻き起こせない。


 そうなってしまえばグラシャラボラスはただの人狼。

 鋭い爪を生やした剛腕も、いつの間にか増えたライアーの分身が押さえつけることで、これでもかと反撃の手段を奪われていた。


「グ、グラシャラボラス様……!?」

「おい、黙って見てないで助けるぞ!」

「で、でも……勝手に手ェ出したら俺達が殺されるぞ……?」


「退け、三下共」


「「「ぎゃあああ!!?」」」


 頭領である悪魔がやられているのを眺めて議論していた悪魔達であったが、刹那に横を通り過ぎるリーンにより、彼らの首はいともたやすく刎ね飛ばされた。


「次」


 流れるような動きで、リーンは近くに居た悪魔へと肉迫する。


「ち、ちくしょう!」

「次」

「へ?」


 迎撃せんと魔法を放った悪魔であるが、すでにリーンは背後に立ち、別の獲物を探していた。

 こいつ、と振り返る悪魔。

 しかし、すでに首は言うことを聞かなかった。


「は……ぇ……?」


 世界が回っている。

 いや、自分の視界が回っていた。


 いつの間にか刎ね飛ばされていた首は、クルクルと宙を舞っていただけだった。それ以上でも、それ以下もない。

 怨嗟を吐く間もなく死に絶えた悪魔が塵と消えてなくなる。


 そうして悪魔は一人、また一人と首を斬られて殺されていく。

 ここは地獄だった。地獄を故郷とする悪魔達であるが、それ以上に残酷で、残忍で、そして希望のない死地と化していた。


 何故ならここには死神が居る。

 処刑人の剣を振るい、懺悔を聞く間もなく命を刈り取っていく死神が、だ。


「いや、怖っ……首ばっか狙って斬るって」

「士気を下げるにはこれが一番だからな」

「お前の方が殺戮の悪魔だろ……」

「どうやら次の獲物はお前のようだな」

「ヤダァーーー!!」


 と、グラシャラボラスの腕を取り押さえていたライアーが悲鳴を上げる。

 しかし、その一方でグラシャラボラスをボコボコにするのはやめない。


「こ、こいつら悪魔だ……」


 悪魔が、ライアーとリーンを見てそう漏らした。

 次の瞬間には、彼の首も宙に刎ね飛ばされ塵と消えた。


 それほどまでに一方的な状況。

 悪魔はここへ“狩り”に来たつもりだった。狩りとは一方的なもの。狩る者が狩られる者を一方的に追い立て、罠に嵌め、そして命を刈り取る。


 そうなるはずだった。そうする側のはずだった。

 だが、現に狩っているのは彼ら──グラシャラボラスを殴り倒すライアーと、悪魔を次々に斬首するリーンの二人。


「グリフォ~ンパァンチ!!!  グリフォ~ンパァンチ!!! 醤油はムース!!!」

「おげぁ!!? ぎゃが!!? あがぁ!!?」


「おい、散るな。逃げるな。追って斬るのが面倒だろう。首を差し出せ」

「ひぃ~!!?」


 やはりここは地獄だった。

 弱者が強者に蹂躙される地獄。弱者に生の権利を許されぬ淘汰の地。


 故に、真っ先に消えて居なくなったのは有象無象の悪魔達であった。


「ふぅ……後はそいつか? さっさと仕留めろ」

「いや、まだだ。こいつには色々と吐いてもらわないといけねぇ」


 リーンに促されたライアーであるが、首を横に振り、グラシャラボラスの胸倉を掴み上げた。


「おい、ワンコロ。この村に来た目的はなんだ?」

「……はっ。そん」

「グリフォンパンチッ!!」

「早ぁ゛!!? それに……パンチじゃなくてアイアンクローじゃねえか……!!?」

「あ、バレた?」


 肥大化した鷹爪で人狼の頭部を掴みかかるライアーは、ギリギリと手に込める力を強めていく。

 間もなく食い込んだ皮膚から血が溢れ、悪魔の体毛は血に濡れていく。


「もう一度訊く──お前らの目的はなんだ?」

「ぐッ……がッ……!!?」

「女探してるっつってたな? ありゃどういう意味だ? 口を割るなら早くしろ。お前の頭がいちご味のホワイトチョコチップアイスになる前にな」


 吐く言葉こそ飄々としていた。

 だが、猛禽の如く前方へ突き出した鉄仮面より覗く双眸は欠片も笑っていなかった。冷徹に、冷血に獲物を睨みつける捕食者の眼光だった。


 ただし、この鷲獅子が狙っているのは悪魔の命ではない。

 悪魔が抱く情報、ただそれだけだった。


「ぐッ……ぐぎ……!!?」

「ほらほら、早くしろ」

「が、あぁ……!!?」


 メキョ、と鋭い鷹爪が肉を突き破り、とうとう頭蓋に到達する。

 あと少し力を込めれば、万力の如き力で握られている頭蓋には五つの孔が空き、中に納まっている脳に致命的な傷を与えるだろう。


「あぁ、ああぁあ゛……!!」

「……口を割る気はなさそうだ。これ以上は無駄だ」

「いや、まだだ。限界まで粘る」

「……気がかりでもあったのか?」

「……まあな。だから──」


 そこまで言いかけた時だった。


 何かが爆ぜるような音が耳朶を打つ。

 グラシャラボラスの罪魔法──では、ない。


「ライアー!」

「わからいでか!」


 猛烈な速度で迫りくる強大な魔力の存在に、リーンとライアーは咄嗟に互いに呼びかけてその場から離れる。


 次の瞬間、強大な魔力の正体はライアーの眼前へと現れた。


 それは一人の巨漢だった。

 浅黒い肌に聳え立つような筋肉。短く刈り上げたくすんだ銀髪は、使い古された剣の如き鈍色を発していた。

 身長は180㎝を優に超えるだろう大男は、鬼の形相で巌のような拳を握りしめる。


 そして、


「悪魔め……」




 巨漢の目に映っていたのは、黒翼を広げる剣士──ライアーであった。




「え? 嘘?」


──これは予想外ですねぇ。


 ライアーの笑えていない目が、ありありと語っていた。

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