第20話 嘘は作戦の始まり
アイベルの実家で猛烈な歓迎を受けてから一時間後。
「つ、疲れたぁ~……」
アータンはパンパンになったお腹を擦りながら、そう零した。
若干顔色が悪いのは言うまでもなく食べ過ぎが原因であろう。
「アータン大丈夫か? もうすぐマーライオンの住処に近づくぞ」
「だ、
「だいじょばないじゃん」
孤児院で粗食に慣れていた胃袋には少々厳しかったらしい。
マーライオンを見る前にアータンがマーライオンになりそうだ。腹ごなしの散歩ついでに討伐対象の居場所を確認しに来たのだが、これなら屋敷で休んでもらっていた方が良かったかもしれない。
「どうする? きついなら今からでも屋敷に戻るか?」
「……ううん、平気。今は少し歩いてたいの」
「屋敷に居たくないからか?」
「!」
俺の言葉に目を見開くアータン。
相変わらず分かりやすい反応で助かる。
「おおかた初対面なのに向こうの距離が近過ぎてどうすればいいかわからない──ってとこか?」
「……うん」
「そりゃあ、あんだけグイグイ来られたらなぁー」
さっきの『疲れた』という言葉も『食べ疲れた』だけではなく、アイベルの養親相手とのやり取りに疲れたという意味も含まれていたのだろう。
それに──。
『マーライオンの討伐に来た!? だめだめだめだめ! あんな危ない魔物を倒しに行くなんて!』
『後生だから考え直してはくれないかい!?』
『そうよそうよぉ! アータン、考え直してあそばせ!』
『なんでライアーそっちの味方してるの!?』
屋敷から出立する際、アイベルの両親がそれはもう必死にアータンを引き留めようとしていたのもある。カワイイ愛娘を危険な魔物に近づけさせるなど、親からしてみれば言語道断だ。危うく俺も両親側に味方しかけてしまった。
しかしながら、アータンが説得すればやけに素直に引き下がってくれた。話を聞いてくれるだけの理性は保ってくれていたらしい。
だが、アータンにとっての両親は故郷を焼かれた際に自分達を庇って亡くなった夫婦だけのはず。
いくら友好的であろうと、見ず知らずの他人に親の面をされるのは複雑な心境だろう。
アータンの足取りも心なしか重々しい。
「まあ、悪い人達じゃあなさそうだし後できっちり話してみるしかないな」
「うん……」
「それよりもだ……ほら」
人間関係は一朝一夕で解決できる問題ではないが、魔物の討伐はその限りではない。
俺達は茂みに隠れながら、荒波に打たれる岸壁にぽっかりと空いた海蝕洞を指差した。一見何の変哲もないように見える洞窟であるが、よく目を凝らしてみると、辺りの岩場に食いかけの魚や船の破片が散乱しているのが見える。
「あそこがマーライオンの根城だ」
「うわぁ……お魚の身をあんなに残すだなんて」
「そこ気にするんだ」
アータンはお残しを許さない主義らしい。道理で屋敷のごちそうで地獄を見たわけだ。
なんて他愛のない考えを巡らせていると、ふと海蝕洞の中から現れる影を見つけた。
咄嗟に茂みに体を隠し、気取られぬよう細心の注意を払いながら観察を始める。
現れたのは灰色の体毛に細長いシルエット。
水かきのついた五本指。
どこか平べったい顔は、無性に愛嬌を感じてしまう。
そんなイタチを彷彿とさせる生き物は──。
「あれがマーライオン……!?」
「いや……カワウソだ」
「だよね」
『やっぱりそうだよね』と、流石にアータンもライオンには見えなかったらしい。
今、俺達が目にしていたのは紛れもないカワウソだった。あの水辺に生息しているカワウソだった。紛れもないカワウソだった。海に居るけどカワウソだった。
きっとマーライオンのおこぼれに預かろうと川からやって来たのだろう。
出てきたのがマーライオンでないと分かり、アータンはホッと胸を撫でおろす。
それどころかカワウソの愛くるしい見た目に一目ぼれしたのか、頬を赤く染めながら熱心に視線を送り始めた。
「おいおい、俺達は討伐対象の偵察に来たんだぜ?」
「分かってる……けど、カワイイんだもん」
「やれやれ。それならアータンに一つ問題を出してやろう」
「問題?」
「ああ。カワウソの鳴き声……どんな鳴き声だと思う?」
この問題にアータンはうーんと唸る。
「そう言われてもカワウソの鳴き声なんて聞いたことないし」
「ちなみにカッコウって鳥は『カッコー』と鳴くからその名前がついた」
「じゃあ『カワ』? あっ、待って……『ウソ』?」
「答えは……お、見ろ。今から鳴きそうだぞ」
「ホント!?」
茂みから身を乗り出し、耳を澄ませるアータン。
次の瞬間、岩肌に君臨するカワウソは鳴いた。
「キュ~」
「ウソつき!!」
アータンが俺に向かって吼えた。
おいおい、ウソつきだなんて人聞きの悪い。
「別に『ウソ』が鳴き声だなんて言ってないだろ」
「じゃあカッコウの下り何!?」
「どうでもいい豆知識」
「タイミングは時として悪意に変わり得るよ!?」
両肩を掴み、アータンは俺を前後に揺らす。
ハッハッハ。提示される情報が必ずしも今の話題に関係しているものとは思わないことだ。一つ賢くなれたな。
なんてことを言ったらさらに激しく揺らされた。鉄仮面の内側に頭がゴンゴン当たって痛い。ごめんて。
「っ! アータン静かに」
「な、なに?」
咄嗟にアータンと共に身を低く伏せる。
海蝕洞の方に動きがあった。岩場に立って辺りを見渡していたカワウソが途端にうそうそし始め、海面が盛り上がった瞬間、慌ててその場から逃げ出していったではないか。
「──あいつか」
俺の目に映っていたのは巨大な獅子。
しかしその強靭な肉体に生える鬣はヒレのようで、さらには魚類を彷彿とさせる鱗が生え揃った極太の尾鰭が生えていた。
「あれがマーライオン……!」
「デケェな……」
随分と良い物を食ってやがったようだ。丸々と肥えていやがる。
それを差し引いても体格が大きい。あのサイズは普通のマーライオンと比べても巨大な方だ。
そんな海獣の王は、口に何か網のような物体を咥えていた。
「なるほど。漁師が仕掛けた網を漁ってきやがったか」
定置網か落とし網かは分からないが、問題はそこではない。
人間の仕掛けた罠を理解し、その成果を奪い去る。ただの獣ではこうも頭は回らない。
「道理で漁師さん達が苦労するわけだ」
「ひどい……」
「あんなん漁師が見たら泣くぞ」
漁船の残骸があちこちに散らばっているのも、恐らくは漁師が獲った魚を横取りした為。
自分で獲物を獲らずに他人が獲った獲物を奪うとは、ずる賢いというかなんというか。しかし、それで生活が脅かされている漁師からしてみれば堪ったものではないだろう。
「──けど、目途は立ったな」
他者の成果を横取りする魔物。
そいつを懲らしめる算段がな。
「アータン、今日は一旦帰るぞ」
「今日は偵察だけ?」
「ああ。準備を整えて明日倒す」
「そっか……」
『わかった』とアータンは頷いた。
彼女からしてみれば日々の生活に苦心する漁師の為、一刻も早くマーライオンを討伐したいところだろうが、こういう時こそ焦らないことが肝要だ。
険しい顔を浮かべるアータンを見て、俺は空気を変えようと話題を変える。
「ちなみになんだが、マーライオンの毛皮は高く売れるんだ」
「そうなの?」
「傷が少なかったら……ゴニョゴニョ」
「……そんなに!?」
「へっへっへ、アータンの旦那ぁ。ここはマーライオンの毛皮を高く売り捌いて、漁師さん達の生活費に充てるってのはいかがですかい?」
主人公に秒殺されそうな三下風に語る。
だが、効果はてきめんだったらしく、暗かったアータンの表情はパァッと明るくなった。
「うん! それがいいよ!」
「よし、そうと決まれば話が早い。アータンにも手伝ってもらうからな」
アータンの魔法使いとしての才能は上澄みだ。
ほとんど独学で中級魔法を使えているのだから、きちんと学べばいずれは上級魔法を使えるようになるはずだ。というか、なる。
なにせ原作では、一時的ではあるがパーティーに加わる面子なのだ。彼女の離脱が惜しまれる理由はその背景もあるが、味方としても非常に優秀だったことが挙げられる。
だって、後半にポッと加入したキャラなのに全キャラ中火力1位なんだぜ?
『終盤で味方も育ってきたなぁ~』ってとこに見せられるバ火力のインパクトよ。
『こ、こんな強いキャラが味方でいいんですか……?』という驚愕と『このままラスボスぶっ潰してやるぜ~!』という高揚に脳を焼かれたプレイヤーは数知れず。
ま、その後離脱してボスになってプレイヤーを焼いてくるんですけどね。ゲヘヘ(初戦敗北)。
閑話休題。
「その前にだ。今日の内にやっておきたいことがある」
「え、何?」
「お花を摘むぞ」
「……」
「アータン? なんで急に距離取った?」
大真面目に言い放った俺に対し、アータンは怪訝な表情を湛えたままじりじりと後退する。
なんでだ、解せぬ。
***
「──この花の根っこには強い毒がある。こいつをマーライオンに食わせるって作戦だ」
「本当にお花だった……」
ライアーとアータンは帰路に着く途中、川辺にあった植物の群生地へとやって来ていた。
目的はとある毒草。人間は勿論のこと、魔物に対しても強い効果を発揮する猛毒の種であった。
これをマーライオンに食べさせ、弱ったところを仕留めるというのがライアーの作戦。汚い方のお花でなくて良かったと、アータンは心の底から安堵していた。
「これを集めればいいの?」
「おう。10本くらいあれば十分だ」
「分かった! 川沿いに生えてるんだよね?」
「ああ。でも、あんまり奥には進むなよ? 川辺にも魔物が出るからな」
「だいじょうぶー!」
花(植物)を摘むとなれば話は別だ。
アータンは川辺に生えている花を見つけては摘み、次々に革袋の中へと放り入れていく。たとえそれが毒草だったとしても、見た目は鮮やかな色合いの花だ。自然と気分も上向いてくる。
弾んだ足取りで花を捜索すること30分。
革袋にはすでに9本もの毒草が入れられている。
「あと1本……どこかにないかなぁ~」
『キュ~』
「うん?」
『キュ~』
「……この声は」
どこからともなく愛くるしい鳴き声が聞こえてくる。
この鳴き声は記憶に新しい。ついさっきマーライオンの住処で聞いたばかりだ。
(カワウソだ!)
食肉目イタチ科カワウソ亜科の生物。
世界中に生き物は数多く生きていれど、その中でも真っ当にカワイイ見た目をしたカワウソはアータン的にも心にときめいた存在であった。
(どこに居るのかな?)
心はすっかりカワウソの方へと揺らいでいた。
どうせノルマはあともう少し。ちょっとくらいカワウソを観察していても怒られはしないだろう。
子供っぽい悪戯心が芽生えたアータンは、一旦花を摘むのを中止し、カワウソを見に行くことにした。
「カワウソちゃ~ん、出ておいで~」
『キュ~』
「あっ、そっちかな?」
アータンはルンルン気分で木々の間を縫っていく。
あの時は遠目に観察していたから触れるも何もなかったが、目の前に居るならば話は別だ。
あのフワフワでむっちりしていそうな肢体を撫で回したい。
その一心で少女が躍り出た場所は川辺だった。いかにもカワウソが棲んでいそうな場所である。
カワウソまでもう少しだ。
「可愛い可愛いカワウソちゃ~ん♪ どこかなぁ~?」
『キュ~』
「こっちから聞こえる! カ~ワ~……」
振り向いた先で、アータンは目撃した。
しなやかな肢体。
水に濡れた毛皮。
水かきのある手。
血にまみれた牙。
羽織る獣の毛皮。
正気ではない目。
獅子程もある体。
「ウ……ソ……?」
その巨体はカワウソと呼ぶには余りにも大きかった。
人間の頭蓋骨など簡単に噛み砕けそうだ。
うっかり腰を抜かしそうになるアータンであったが、寸前で踏み止まった。
まだだ。まだ希望を捨てるには早い。
あれがカワウソでないと決まったわけではない。
せめて『キュ~』と愛くるしい鳴き声を出してくれれば、まだ大きいカワウソで片づけられるはずだ。
「──ウソォッ!!!」
「ウソォ!?!?!?」
希望は潰えた。
えげつなく野太い声で吼えてきた巨大カワウソは、呆然と立ち尽くしていたアータンに向かって駆け出した。
こうなっては触れ合いどころの話ではない。
あんな巨大カワウソと握手会を開催しようものなら、おててが可哀想になること間違いない。
アータンは走り出した。
全力で走り出した。
後ろを振り返ることなく、涙を流して走り出した。
「きゃあああ!!?」
「ウソォーッ!!!」
巨大カワウソは意外にも俊敏な身のこなしだった。
相手を撒こうと木々の合間を縫っていくアータンに勝るとも劣らない動きで追いかけてくる。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
「ウソだと言ってぇーッ!!!」
「ウソォーーーッ!!!」
「そういう意味じゃないィーッ!!?」
「アータン! 何があっ……
「何語!!?」
悲鳴を聞きつけて駆けつけてきたライアー。
だがしかし、アータンを追いかけるカワウソの大きさに目を見開いた。
「こいつは
「ウソカワウソ!!? ウソカワウソって何!!?」
「狩った獲物の鳴き声を真似して同じ獲物を呼び寄せる魔物だ! しかも獲物の皮をはぎ取ってそいつを羽織り、臭いも誤魔化す狡猾な生態をしていやがる!」
「じゃあこの魔物は……!?」
確かにカワウソの鳴き声を真似していたが、今のウソカワウソが羽織っているのもカワウソの毛皮だ。
「カワウソの皮を被ったウソカワウソ……つまり、カワウソカワウソカワウソだ!」
「どのカワがどのウソ!!?」
「だがこの大きさ、ただのウソカワウソじゃねえ! ウソカワウソの中でも巨大に育った上位種……
「つまり!!?」
「カワウソを騙るオオウソカワウソ……カワウソカワオオウソカワウソだ!」
「ウソみたいなややこしさ!!?」
「ウソォーッ!!!」
「きゃあああ!!? もう後ろに!!!」
「切り捨て御免!!!」
「ウソォ゛ーッ!!?」
ライアーの一閃の下、オオウソカワウソは切り伏せられた。
一方その頃、遠い場所で断末魔を聞いた旅人は『何がウソなんだろう……?』と首を傾げていたとな。
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