第17話 聖地は巡礼の始まり


 血の臭いが満ちていた。

 とある森の一帯を覆う、むせ返るほどの濃密な死の臭い。地面に広がる血の池地獄には、複数人の騎士の死体が浮かび上がっていた。


 どれも五体満足ではあるものの、綺麗に胸を一突きされている。


 足掻いたのだろう。

 藻掻いたのだろう。


 地面には苦悶と後悔、そして恐怖にのた打ち回った跡がついていた。

 己が身より流れ出る血は泥と混じり合った赤色の泥濘。

 一度深みに嵌まれば二度とは抜け出せぬと分かっていながらも、唯一息をしていた騎士の一人はゆっくりと面を上げる。


 そこには、


「──ワタクシは、戦士に深い敬意を払っています」


 血に浮かぶ人影があった。


 髪は燃えるような紅蓮に染まり。

 身に纏う燕尾服もまた同じ色だ。

 唯一違う色があるとすれば、両手に嵌められた革手袋ぐらいだろう。


 鼻眼鏡を直した真紅の体現は、杖を突きながらに語る。


「戦う理由は人それぞれでしょう。国の為、家族の為、友人の為……しかし、太古より生きとし生ける者の戦う理由は決まっています」


──それは生きる為です。


 血のように紅い唇が弧を描く。


「ですが、何故なのでしょう? 人は時に、最も死に近い戦場にその身を置くのです。これは酷い矛盾です。生きる為に自ら死に近づくのですから。野生の獣でさえ、負けて死ぬと分かれば逃げるのですから」


 紅い紳士は騎士に歩み寄り、その顎をゆっくりと持ち上げる。


 直後、ドスッと響く音があった。


「おや?」


 体に衝撃を感じた紳士は、自身の腹に突き立てられた剣に気づく。

 騎士が最後の力を振り絞り突き出した一撃。紳士の腹からドクドクと血が溢れ出し、刀身を伝って騎士の手を真っ赤に汚していく。


 しかし、おおよそ軽傷とは言い難い一撃を食らいながらも、紳士の笑みは崩れなかった。

 むしろ、騎士の抵抗に感極まったように唇を噛み、目尻に大粒の涙を湛えていた。


「そうです……それこそ、ワタクシの愛するもの。死から免れようとする本能を御する、強靭な戦士の魂! 嗚呼……やはりアナタもワタクシの友人だ!」


 刀身が腹を貫き、背中を突き破ろうと厭わない。

 紳士は感動のままに騎士を抱きしめ、その耳元で囁いた。


「ぜひとも、アナタの名前を教えてください……アナタという戦士の死を、ワタクシの罪に永遠に刻む為に……」

「ク……」

「ク?」

「クソ、食らえだ……」

「……なるほど」


 赤き紳士は、騎士の体から離れる。

 直後、騎士がそうしたように、彼もまた体を剣で貫かれた。


 紳士が握っていた杖が、いつの間にやら剣へと変わっていたのだ。

 それは鋼鉄の鎧を易々と貫いて、騎士の肉を、骨を、そして命さえも食い破った。


 騎士の体が力なく崩れ落ちる。

 血の海に顔から浸り、それからはピクリとも動かなかった。


 その光景を悲しそうに眺める紳士は目を伏せる。


「……戦ってしまった以上、我々は勝敗をつけなくてはならない。アナタがワタクシの死を以て自身の勝利を定義してしまった以上、ワタクシもそれに準じることにしましょう」


──安らかに。敬愛すべき戦士よ。


 そう言って紳士は一輪の薔薇を手向けた。

 血に濡れたような、真っ赤な薔薇を。


「……盗み見とは余り良い趣味とは思えませんがね、アルブス」

「気づいていたデスか☆」


 紳士が呼びかければ、どこからともなく白い道化師が現れた。

 鬱蒼とした森には似合わぬ道化服。さらには、道化師にしては淡泊な白一色の色合いが余計に不自然さを際立たせていた。

 アルブスと呼ばれた道化師は、胡乱な足取りで木陰から歩み出る。


「今日はアナタに耳寄りな情報をお届けに来たデスよ♡」

「またまた……どうせアナタの主探しの進捗でしょう?」

「それもあるデスが♢ でも、残念なことに新しい主様は捕まってしまいましたのデス☆」

「では何用で?」

「『ライアー』」


 反応を見せたのは紳士だった。

 その反応を目敏く目を付けたのかどうかすら分からぬ笑顔を湛える道化師は、ピョコピョコ紳士の下までやって来たは楽しげに語った。


「彼をこの前王都で見かけたのデス♡ 新しいお仲間も連れているようで、今は聖都グラーテを目指しているようデス☆」

「ライアー……」

「どうデス?♢ お気に召しましたデスか?☆」

「嗚呼、ライアー……ライアー!! ライアー、ライアー、ライアー!!」

「おやおやおや」


 紳士の豹変ぶりを見た道化師は一歩下がる。

 その対応は適切だったようで、直後に紳士は劇団員でもあるかのように両手を広げて歓喜を体全体で表現した。


「彼を見つけてくださったのですね!? ありがとうございます、アルブス!! 普段のアナタとはどうにも馬が合いませんが、こればかりはアナタに感謝の意を表したい!! よくぞ彼を見つけてくださいました!!」

「どうもデース☆」

「彼は今グラーテに向かっているのですね!? それならば急がなくて……いえ、彼の前に稚拙な御粧おめかしで出るわけにはいきません!! 嗚呼、早く会いたいのにこのままでは会えないというジレンマ……くぅ、この感覚さえも今は愛おしい!!」


 先程までの寂寥が嘘のように燥ぎ回る紳士。

 まるで雨の日に幼児が水たまりを踏んで遊ぶように、血の池を高級そうな革靴で踏んで回る紳士の風景は、どこか浮世離れしていた。


 そして、何かが致命的に壊れていた。


「ライアー……待っていてください」


 紳士は恍惚とした表情を浮かべながらその場に跪いた。

 膝が血に濡れるのも厭わず、彼は手を差し伸ばす。




「すぐに、アナタの下へ……」




 ***




 聖都グラーテ。


 七大聖教の一つ・インヴィー教の聖地であり、都市の大部分が海に面した港町でもあるこの場所。周辺海域には大小様々な島が点在しており、各島々で生き物や魔物がガラパゴス的進化を遂げているのが特徴的だ。


 そして何より──。


「ウッヒョ~!! 〈嫉妬の勇者〉伝説の地!! まさに聖地巡礼だぜぇ~~~!!」


 『ギルティ・シンⅥ 嫉妬の反逆者リベリオン』の舞台がここだ!

 現代社会でもゲームに登場する場所のモデルとなった土地を訪れて『聖地巡礼』と称すが、実際の聖地に訪れているのは俺ぐらいなものだろう。


「ライアーも嫉妬の勇者が好きなの?」

「ったりまえよぉ!! 悪徳貴族達が課す重税に喘ぐ民衆の為に立ち上がったのを始まりに、最後には神と魔王に抗うと決めた伝説の勇者だぜ!! こんなもん、スゥーーー……しゅき……」

「そ、そうなんだ……」


 俺の熱量を前にアータンは若干引き気味になっているが、実際俺はギルシンⅥが大好きである。いや、ナンバリングタイトル全部好きなのだが、その中でもプレイして気持ちいいのがこのタイトルであった。


 主人公は準男爵の家に生まれた〈嫉妬〉の〈罪〉を持つ騎士・リヴァイ。

 当時、王権神授説を元に圧制を強いていたインヴィー教国は、どこもかしこも国からの重い徴税によって苦しい生活を強いられていた。

 領地の民が苦しむのを見過ごせなかった彼は、領主であった貴族へ直談判に向かう。そこで彼は貴族が抱えていた問題──凶悪な魔物の話を耳にする。

 リヴァイは見事魔物を討伐し、一件落着……かと思いきや、それはあくまで表面上の解決にしか過ぎず、その裏側には腐敗した王家の陰謀と、水面下で暗躍する魔王軍の動きがあったのだ。


 リヴァイは民を救う為、魔王のみならず、腐敗した王家にも反旗を翻す──。


 というのが大まかな流れだ。

 ナンバリングごとにゲームシステムなりバトルシステムが変わるのがギルシンの特徴であるが、本作は無双アクションの流れを汲んでおり、大勢湧き出てくる敵や魔物をバッタバタと倒していく爽快感に溢れている。

 一方でウォー・シミュレーションの一面も兼ね備えており、具体的にはストーリー上で出会う貴族や部族と交流を進めていくことで味方にするか敵対するかを自分で選べる。

 友好関係を結べば領地内の店頭に交易品が並ぶ他、各種商品が大幅に値下げされるなど多大な恩恵を得られる。

 全員と仲良くすれば国が一丸となった最強自陣営が誕生するし、逆に敵対ばかりすれば孤軍奮闘で頑張らなければいけないハードモードと化す。


 さらに、王を倒すか魔王を倒すかでもエンディングが分岐し、その際どの程度民衆の支持を得ているかで結末が変わってくるマルチエンディング方式を取っている。

 マルチエンディング自体はギルシンシリーズ恒例であるのだが、カルマ値以外の要素でエンディングが変わるのは、このギルシンⅥぐらいなものだ。


 ……いかん、オタク語りが過ぎた。

 でも、アータン相手には語らなかった点は褒めてほしい。その気になれば数時間は余裕で語ってしまえるから、これでも大分自重した方なのだ。


 閑話休題。


「とりあえずギルドに行って依頼の報告でもするか。その後は達成した報酬金で美味しいものでも食べようぜ」

「うん!」


 思い返せばここまでの道中色々あった。

 火事があった宿場町からいくつもの宿場町を経由したわけだが、その間野盗に襲われたり、蛇に襲われたり、野盗に襲われたり、蛇の唐揚げ作ってみたり、野盗に襲われたり、蛇のスープを飲んだりした。おかげでなんだか精力が漲っている気がする。

 アータンも心なしか逞しい顔つきになった。初日は宿場町に着いた時点でヘトヘトだったのが嘘のようだ。


 幾たびもの野盗や魔物との戦いで心身共に成長したのだろう。

 当初蛇の肉を嫌がっていたのに、今では蛇料理を美味しく平らげてしまう。本当に強くなったぜ……。


「ちなみにここのギルド、ウミヘビの料理とかあるんだけど……」

「普通の魚介がいい!」

「ウミヘビ……ヤダ?」

「普通の! 魚介が! いーい!」

「しょうがないにゃあ……」

「しょうがなくないから!」


 ウミヘビの料理はお気に召さなかった。

 嫌ならば仕方がない。無難に海鮮パスタやスープでお腹を満たしてもらおう。


 そんなことを思いつつグラーテのギルドに訪れれば、なんだか入口に見たことのある人影があった。


「おっ、ザンちゃんじゃん」

「……気安くちゃん付けで呼ばないでくれませんか」

「じゃあザーさん」

「……まあいいでしょう」


 入口付近に団員と佇んでいたのはインヴィー教国聖堂騎士団副団長ことザンである。

 今日も今日とてウニみたいにツンツンな彼女は、むさ苦しい海の男から向けられる視線を完全に無視しつつ、俺達の方まで歩み寄ってきた。


「どうやら無事聖都に到着したようですね。アイベルの妹も……」

「アータンって呼んであげてよ~、他人行儀だなぁ~」

「……アータンも無事なようで何よりです」


「あ、ありがとうございます!」


 ザンの言葉に頭を下げるアータン。

 うんうん、その純真さが君の良いところだ。


「それにしてもこの集まりなんだ? なんかあったのか?」

「……いいえ。一冒険者に過ぎない貴方には関係のないことです」

「そっか。じゃあ、この後騎士団の詰め所に戻るか? だったらセパルに到着したって伝えておいてくれないか?」

「言われなくともそのつもりです……というか、団長だったら私が言うまでもなく到着を察知してそうですが」

「たしかに」


──ッぶぇくしょんおらぁい!


 と、どこかでくしゃみをする幻聴が聞こえた。


「これからギルドに報告ですか?」

「おう。報酬金でそのまま昼飯だ。アータンが美味しい海の幸を食べたいって我儘言うから……」

「別に我儘を言ったつもりはないよ!?」

「そうですか。それならウミヘビの燻製なんかがおすすめですよ」

「本当にウミヘビがおすすめ!? 本当!? 本当なんですか、ねえ!?」


 アータンが本気で困惑している。カワイイ。


 と立ち話に花を咲かせていた俺達であったが、一人の団員がザンに耳打ちをしたところで彼女が踵を返した。


「すみません。急ぎの用があるので、私はこれで」

「おう。引き留めて悪かったな」

「いえ。どうせ貴方もしばらく聖都には滞在するんですよね? 話ならまた会った時にでも」


 それでは、とザンはキビキビした足取りでギルドから去っていった。

 あちこちから向けられていた未練がましい視線が彼女の背を追うが、誰一人としてザンに一瞥を返されることはなかった。

 哀れな男共よ……振り向かれるはずがないと分かっているはずなのに、女を目で追うとは。


『クゥ~、やっぱ副団長はたまんねえぜ……』

『あのツンツンした態度が……こう……クるんだよなぁ』

『酒が、酒が進む!!』


 いや、こいつら強火のファンだったわ。

 流石は副団長……魔性という点では団長のセパルにも引けを取らないというわけか……待って、なんで酒進むの? そこだけワカンナイ。


「人間も色々いるってわけか……」

「何に納得してるの?」

「いんや、言ってみただけ」


 強火な騎士団ファンが居るギルドの中に入り、俺は依頼達成の報告を済ませる。

 同時に道中討伐した魔物の素材も引き取ってもらった。額はまあまあもらえた。スワローラーの蛇皮もだが、上位種のヴォラレフィリアの蛇皮は中々の高級品だ。


 かくして財布が温まった俺達はギルド内の酒場で新鮮な海鮮料理を頼み、二人で舌鼓を打つのだった。


「これならそこそこ良いもん食えんな」

「わぁい!」

「アータン、ウミヘビ料理食べない?」

「食・べ・な・い!」

「美味しいのにぃ……」




「おい」




「「ん?」」


 席に着いて何食べようか悩んでいたら、やたらガタイのいい浅黒い肌の男とその取り巻きらしき男がやってきた。

 面構えが『お前ら気に入りません』と言っている。

 体のどこかに付いているタグを見れば……なるほど、銅等級か。


「おやおや、初めまして。あんたらここ拠点にしてる冒険者か?」

「ああ、そうだよ。そういうてめえはここいらじゃ見かけねえ顔だな」

「顔は晒してないからな。見かけない鉄仮面と言ってもらおうか」

「……」


 ピキピキ、と突っかかってきた男の額に青筋が浮かぶ音が聞こえたような気がした。

 取り巻きもやいのやいの言い始め、俺の隣に座っているアータンは強張った表情でプルプルと震え始めた。

 見知らぬ人間、それも自分より体格が上の男が相手なのだ。普通の人間なら怖くて当然だろう。


「おい、あんましデケェ声出すなよ。うちのアータンが怖がっちゃってるだろうが」

「なんだ、女連れか? 良いご身分だな。さぞかし金も持ってるんだろうなぁ」

「……なるほどな」


 恐らく先程の報酬金を受け取る場面を見られたのだろう。

 つまり、たかりに来たというわけだ。どこのギルドも血の気が多い冒険者が多くってヤんなっちゃうぜ。


 察した俺を前に浅黒い男は不敵な笑みを浮かべる。


「ここのギルドじゃあ新参の冒険者は俺らにメシを奢ることになってんだ。痛い目見ない内に出すもの出してもらおうか」

「ほほう、痛い目とな? どんな目に遭うのか気になっちゃうなぁ~。是非とも教えてくれませんかい、パイセン?」

「……口だけは回るようだな。いいぜ、お望み通り教えてやる。表に出な」

「ヘッ、話が早くて助かるぜ」


 俺は浅黒い男達と共にギルドの外に出ようとする。室内で乱闘なんざしようものならすぐさまギルドの職員がやって来てしょっぴかれてしまうからだ。

 最悪罰として等級をはく奪されてしまう以上、喧嘩をするなら外と冒険者全員には暗黙の了解があった。


 しかし、それを見ていたアータンが慌てて席を立ちあがる。


「ラ、ライアー!?」

「すぐ戻ってくるから席に座ってな、アータン。それよりもお前に任せなきゃいけない大事な仕事がある」

「え……な、なに?」

「──メニューにカツオのたたきがあったら注文しといて」

「直面してる問題に向き合って!?」


 だってぇ……。

 久々に海の近くに来たんだもん。海の幸を堪能したいじゃん?


「へっ、この人数相手に料理の心配とはな……その意気に免じて奥歯ぐらいは残しといてやる」

「ハッ、お優しいねぇパイセン。だったら俺はアンタの親知らずだけ残しといてやる」

「フン、デカい口を……え、親知らずだけ?」

「アンタが親知らず生えている人間なのを祈ることだな」


 微妙に相手が呆気に取られたところに、俺は畳みかける。


 フッ、勝ったな。


 こうして俺達はギルドの外へと歩み出た。

 そして──。




 ***




「ライアーまだかなぁ……」


 一人席に残されたアータンは、先程ウエイトレスが持ってきた料理を前に箸も動かさずにジッとライアーの帰りを待っていた。

 時間で言えば五分程度しか経っていない。

だが、彼女の体感時間ではそれ以上の時がすでに流れていた。

 折角の聖都。彼との観光や食事を楽しみにしていたというのに出鼻を挫かれ、彼女のテンションは地の底に落ちていた。


 これで彼が怪我をして戻ってこようものなら──。


 そこまで想像が膨らんで魔力が高まった瞬間、入口の方から彼の魔力が近づいてきた。


「あっ、ライアー! 怪我はな──」




「やっぱレバニラだよね」

「分かる……」




「意気投合してる!!?」


 肩を組んだライアーと突っかかった男達が肩を組んで帰ってきた。

 喧嘩をした気配はこれっぽっちもない。全員が全員無傷で帰ってきやがった。


──むしろ傷一つぐらいは付けてこい。


 自身の怒りを思わぬ形で折られたアータンは、素直にそう思った。


「なんで打ち解け合ってるの!?」

「おぉ、アータン。カツオのたたきあった?」

「私の質問に答えよ!」

「お、おぉ……まるで高校の問題文のような問いかけをしおって。いやね、まずは軽いジャブで好きな女性のタイプを話し合ってたら、思いの外盛り上がっちゃって……」

「好きな女性のタイプからレバニラにいったの!!?」


 話のルート取りが無軌道過ぎる。

 好きな女性の部位としてレバーを挙げる人間が居ない限り、話がレバニラにいくことはないだろう。いや、そもそも好きな部位にレバーを上げる人間が居たならば、即刻豚箱にぶち込め。好きな部位にレバーを挙げていいのはボクサーだけだ。


 予想外過ぎる結末に怒りを忘れたアータンは、へにゃへにゃと自分の席へと座り直す。


「もう、心配して損した……」

「ごめんな。あっ、それでなんだけどカツオのたたきあった?」

「どれだけカツオのたたき食べたいの!?」

「いやぁ、どうもたまに食べたくなっちゃって……」

「そういうものなの? でも、お刺身しかなくて……」


 そう言ってアータンが持ち上げたのは、カツオの切り身が乗せられている皿であった。

 彼女の言った通り、それはたたきなどではなく紛れもない刺身。表面が炙られているということはなかった。


「そっかぁ、たたきはなかったかぁ……」

「だからちょっと叩いてみたんだけど……」

「だからちょっと叩いてみたんだけどッ!!?」


 思わぬ魔球にライアーが瞠目した。


 今この子なんて言った?

 『叩いてみた』と言ったか?

 聞き間違えか?


 信じられない言葉に驚いていたのはライアーだけではなかった。

 肩を組む浅黒い男もその取り巻きも、目を真ん丸と見開いて叩かれたカツオが乗せられた皿を持ち上げる少女を凝視していた。


 いや、まだだ。

 まだ聞き間違えの可能性は捨てきれない。


「叩いてみたってどういう風に……?」

「え? こう……手でペチンって」

「手でペチンって!!? カツオを!!?」

「たたきってそういうことじゃないの?」

「違うよぉ!!! それは叩かれたカツオであって、カツオのたたきじゃないのよぉ~!!! カツオを叩いて許されたのは昔の時代だけなのよぉ~!!!」

「……やっぱり違ったんだ」

「『やっぱり』ってことは自分の中に疑念はあったんだ。安心した」


 深刻な面持ちでアータンはカツオの刺身に『叩いてごめんね』と謝る。中々にシュールな光景である。


 しかし、もっと想像してみよう。

 『たたきってこういうことかな?』と疑問に思いつつ、一人訝し気にカツオの刺身を手で叩いてみるアータンを。

 きっと周囲の人間は『何事!?』と彼女に凝視したに違いない。

 だっていきなりカツオの刺身を手で叩いたのだ。カツオに恨みを持つ人間しかやらぬ所業である。


 その光景を想像した俺達は思わず噴き出し、腹を抱えて笑った。

 中でもリーダー格の浅黒い男は、目尻に涙を浮かべるほどアータンの行動がツボに入ったようだった。


「ヒィ~! お前ら面白い奴らだな! 良いモン見せてもらった礼に今日は俺達が奢ってやる!」

「マジかよ、太っ腹ぁ~!」

「勿論嬢ちゃんにも奢ってやる!」

「でも刺身が出てきても叩かないでね、ってね」

「「ギャーハッハ!!」」



「あ、あんまりからかわないで!」



 すっかりグラーテの冒険者と打ち解けた二人は、その後テーブルを囲んで大いに食事を楽しんだ。新鮮な魚の刺身だけではなく、今度はしっかりと〈火魔法〉で炙ったたたきも一緒だ。


 その際たたきネタを擦ったライアーは、しっかりアータンに叩かれた。




 この日以降、彼の鉄仮面にはたたきネタを擦った戒めとして、浅い凹みが残され続けたという。





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