第26話:寒風・松浦節子視点

 義孝の言う方を見ると、正月も近い寒い日だというのに、明らかにサイズが小さいボロボロの服を着た男の子がいました。 

 ガリガリに痩せていて、まともにご飯を食べているとは思えない姿でした。


 子ども食堂に通うようになって、ご飯を食べにくる子や一時的に預けられる子から、ネグレクトされた時の話を聞く事が何度もありました。


 直ぐに助けるべきだと分かっているのに、身体が動きませんでした。

 声をかけて助けたら、虐待する親と対峙する事になるのです。


 常識が通じない連中だから子供を虐待するのです。

 下手に揉めて私が殺されるような事になったら、義孝が孤児になってしまう。

 金子さんたちからも、くれぐれも勝手に人助けをしないように言われていました。


「金子さんですか、××スーパーの前にネグレクトされているように見える子がいます、どうすればいいですか?」


「三郎と四郎を行かせるから、そのまま見守ってやるだけで良い。

 誰かに連れて行かれる事があっても、追いかけないでいい、こちらでやる」


「あ、男の子1人だけだと思っていたのですが、小さな女の子が男の子の陰に隠れていました。

 男の子はサイズの合わないボロボロの服を着ているのですが、女の子は男の子用と思われるマシな服を着ています」


 酷く痩せた兄妹が××スーパーに入るのについて行きました。

 買い物するふりをして、義孝と一緒について行きました。

 男の子は何かを探していました。


 男の子の服装が明らかに貧しいからか、店員が不審の目を向けていました。

 あの服装ではどこに行っても監視されるので、万引きなどできない。


 このまま何事もなければ、三郎さんたちと子ども食堂に保護できる、そう思ったのですが……


 グゥウウウウウ


 男の子か女の子か分かりませんが、盛大にお腹が鳴りました。

 女の子が恥ずかしそうに下を向いているので、女の子の方だったのでしょう。


 女の子のお腹の音に背中を押されたのか、男の子の方が菓子パンを取って服の下に隠しました。


 菓子パン1個を盗んだ男の子が、女の子を抱き隠すようにして出て行きました。

 中年の女性店員が、鬼のような形相で後ろをついてきました。

 これでも何もしてはいけないのか、私は思い悩みました。


 私はまだまだ世間知らずなのだと、これまでの自分を思い出しました。

 ずっと間違った判断をしてきましたし、これからも間違えると思いました。


 両親の言う事を聞かなかったから悪い男に騙され、婦人警官さんの言う事を聞かなかったから、もっと早く抜け出せたはずの不幸から抜け出せなかったのです。

 金子さんたちの言う通りにしなければ、義孝まで不幸にしてしまうと思いました。


「万引きしたね、警察に突き出してやる!」


 兄妹が××スーパーの自動ドアを出た途端、あとをつけていた中年女性店員が、男の手を吊りあげて怒鳴りつけました。


 見ていたから知っているはずです。

 盗ったのは100円もしない菓子パン1個だけなのです。


 何人もの万引きに苦しめられているのかもしれませんが、パッと見ただけでとても飢えているのが分かるはずなのに『見逃す事もできないの?』そう強く思いました。

 

「警察に突き出してやる、早く電話して」


 鬼の形相の中年女性が、レジにいる小柄な中年女性に向かって叫びました。


「うわぁああああん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 小さな女の子が大声で泣きながら謝っています。

 寒そうな男の子は、泣くのを我慢する表情で鬼の中年女性を睨んでいます。

 本当に助けなくても良いのでしょうか?


「おかあさん、助けてあげようよ」


 義孝に言われて声をかけようとした時、三郎さんが走って来ました。

 信じられないくらいの早さで走って来ました。


「このまま警察を呼ばせます」


 もうこれで安心と思ったのに、信じられない事を言われました。

 三郎さんが子供を見捨てるなんて思ってもいませんでした。


「虐待しているとはいえ、実の親から引き離すには確たる証拠が必要です。

 万引きをするほど飢えさせて、逮捕されたとなると、引き離しやすいのです」


 三郎さんにそう言われて、ようやく理解できました。

 また間違えてしまう所でした、取り返しのつかない間違いをしてしまう所でした。

 自分の命ならともかく、幼い兄妹の命を危険にさらしてしまう所でした。


「金子さん、××スーパーの店員が万引きで警察を呼びました。

 話をつけてもらえますか?」


「分かったよ、直ぐに署長と本部長に連絡しておくよ。

 三郎は現場の警察官が勝手な事をしないように見張っていておくれ」


「分かりました、ちゃんと逮捕するのを見届けます。

 ただ、物凄く飢えているように見えます。

 このままでは、数日で餓死するかもしれません」


 三郎さんの言葉を聞いて血の気が引きました。

 実の親なのに、子供を餓死させるほど虐待できるのですか?!

 あのクソ男でもそこまではやりませんでしたよ!


「節子さん、勘違いしないように言っておきますが、義孝君が死ぬほど虐待されなかったのは、愛情ではなくお金の為ですよ。

 実家の方々を皆殺しにできれば、家屋敷を含めた財産は貴女が相続するのです。

 そういう計画をしていた証拠も出ているのですよ」


 三郎さんに言われて初めて知りました!

 保険金をかけて殺されなかったので、売春をさせても殺さない程度の情はあるのだと思っていたのですが、違ったのですね!


「お母さん、大丈夫?!」


 私の顔の前に義孝の顔があります。

 いつの間に義孝はこんなに大きくなったのでしょうか?

 ああ、私が座り込んでしまっているのですね。


 ウゥウウウウウウ


 サイレンを鳴らしてパトカーがやってきました。

 鬼の中年女性が大声で男の子を罵り、警察官にも何か言っています。


 三郎さんが私の側に残り、いつの間にか来ていた四郎さんが警察官の所に行き、何か話しています。


 鬼の中年女性が、まさに鬼の首を取ったような自慢げな表情になっています。

 レジの方に集まっているお客さんたちが、鬼の中年女性を睨みつけています。

 私の感覚が間違っている訳ではないのですね、正常なのですよね?


「節子さん、単に同情だけして何の手も差し伸べない人であり続けるのなら、あの人たちと同じ感覚のままで良いのですよ。

 それが普通で、何も恥じる事ではないのです。

 ですが、私達と同じ様な、手を差し伸べる人になるのなら、単に可哀想と思うだけでは駄目なのです。

 どうやったら助けられるかを考えて、最適の行動をしなければいけないのです。

 どうされますか?」


 真剣な表情の三郎さんに言われました。


「私が手を差し伸べる側に成れるのですか?」


「最初に言っておきますが、なる必要など全くありません。

 ですが、私たちの側にいると、そういう現場に何度も遭遇します。

 その時、私たちの指図通りにしないと、子供たちが不幸になります」


「分かりました、自分の手で子供たちを不幸にするのは嫌です。

 何も考えず、言われた通りにします」

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