第23話:母性愛・谷口郁恵視点

 天子さんたちの貫禄は、私程度では足元にも及ばない。

 屈強な軍人でも、天子さんたちに聞かれたら何でも話してしまうだろう。

 人の好さそうなお母さんが黙っている事などできない。


 男の子をお母さんが、ポツポツと事情を話した。

 男の子は松浦義孝君、お母さんは松浦節子さんと言うそうだ。


 松浦節子さんは、そこそこ良い家に生まれ育ったようだ。

 箱入り娘だったから、質の悪い男に惚れてしまったようだ。

 私も人の事は言えないが、恋は盲目だね。


 高校の卒業直後に、妊娠している事が両親にバレてしまい、結婚を激しく反対されたので、家出して男と2人で福岡から大阪に逃げてきたらしい。


 ところが、一緒に逃げてきた男が全く働かなかったと言う。

 しかたなく節子さんは、身重の身体で朝早くから夜遅くまで働いたと言う。

 それなのに、男は節子さんの金を当てにしてダラダラしていたと言う。


 男も最初は働かないだけで、特に悪さをする事もなかったそうだ。

 だが、節子さんが子供を生んで直ぐに本性を現したそうだ。

 働かないどころか、幸子さんお金で飲み歩くようになった。


 施設で一緒だった子たちに聞いた、子供を人質にして言う事を聞かせるクズだ。

 節子さんのお金だけでは足らず、質の悪い所から金を借りたと言う。

 家に質の悪い連中が現れて、金を払わないと子供を殺すと脅したと言う。


 男は何の役もたたず、質の悪い連中が来たら便所に入って出てこなかったと言う。

 聞いているだけで腹が立って来た、私がその現場にいたら、その男を思いっきりひっぱたいてやったのに。


 健吾さんは女にだらしがなかったが、ちゃんと働いていた。

 遊ぶ金も自分が働いた範囲で済ませていたし、家にもお金を入れていた。

 

 健吾さんの事は置いておいて、松浦節子さんの事だ。

 頼れる所がない松浦節子さんは、質の悪い奴の言い成りに水商売に入った。


 飲んだ事もない酒を飲み、身体を痛めながら借金を払い続けたと言う。

 そんな生活を8年も続けて来たと言うのだから、人が好過ぎるにもほどがある。


 そんなある日、突然家に警察がやってきて、根掘り葉掘り聞かれたと言う。

 その時に男も警察に連れていかれて、そのまま戻ってこなかったと言う。


 警察に聞きに行くと、売春防止法違反と強要罪で実刑になったと言う。

 遠回しにだが、売春防止法違反と強要罪と言った。


 男は被害者ではなく加害者だったのだ。

 いつの間にか質の悪い連中の仲間になっていて、節子さんを食い物にしていただけでなく、他の女性も食い物にしていたらしい。


 話を聞きに行った警察署の婦人警察官がとても親切な人で、親身になって相談に乗ってくれて、クズ男と離婚できるようにしてくれたそうだ。


 水商売ではない新しい働き先も、母子生活支援施設も紹介してくれたそうだが、自分の手で子供を育てたかったので、お金になるスナック勤めを続けたそうだ。


 表向きシャッターを閉めてアフターを続ける悪質店だが、これまで働いていたスナックに比べたら天国で、お金にもなるから良かったと言うのだから、8年間は生き地獄だったかもしれない。

 

「節子さん、良くお聞き、親兄弟に結婚を反対されて家を出た女は、自分だけで子供を育てようとするんだ。

 親兄弟に結婚を反対された男に裏切られたら、意地を張ってしまい、誰にも頼らずに子供を育てようとしてしまうんだ。

 それで身体を壊して死んでしまったお母さんを何人も知っている。

 父親に捨てられ、母親を亡くした寂しい子供も何人も見てきた。

 節子さんは義孝君を寂しい孤児にしたいのかい?」


 天子さんが普段に比べれば優しい言葉で、でも厳しさを感じる話をした。


「……いいえ……」


「1番良いのは昼の仕事を探して、夜は義孝君と一緒にいてやる事だ。

 長い目で見て、これからの人生を立て直せるようにするんだ。

 生活保護の申請をしつつ、母子生活支援施設の入所願いも出して、最低所得に満たない場合に備えるんだ。

 このままでは、義孝君が何時変な奴に攫われて殺さえるか分からないよ?」


「自分の力だけで子供を育てたいと言うのは我儘なのですか?」


「いいや、本当に自分の力だけで育てられたのなら我儘じゃないよ。

 だけど、やってみたけれど出来なかった場合は、我儘になる。

 さっきも言ったが、身体を壊して死んでしまったら我儘以外の何物でもない」


「試してみるのも我儘なんですか?」


 天子さんが言うように、節子さんは意地になっているのかな?

 それとも、心が病んでしまっているのかな?

 もともと人に頼るのが大嫌いな性格なのかな?


「試すのは我儘じゃないよ、だけど、できなかった時の事を考えて備えておかないのは、我儘だね」


「天子さんは、私ではできないと思っているのですか?」


「たくさんの子供とお母さんを見てきたからね。

 この世の中はまだまだ独り親には厳しいのさ。

 子供が急に病気になった時、堂々と家に帰れない企業や店がほとんどだ。

 帰れる企業や店が少し出てきたけれど、そういう企業や店は、高卒の途中採用なんかしていない大企業ばかりだ。

 節子さんが義孝君に人並み以上の生活をさせたい、大学にも行かせてやりたいと思うと、また無理をしてしまう事になる」


「だから、母子生活支援施設に入って生活保護の申請をしろと言うのですか?

 それでは義孝を大学に行かせてやれません!」


「義孝君が大学に行くまで10年近くあるよ。

 それまでの間に公的な支援を利用して資格を取ればいい。

 資格があればそれなりの仕事につける。

 それに、義孝君が本当に大学に行きたいと思ったら、自分で頑張って奨学金をもらえば良い」


「奨学金は返すのが大変だと聞きました、食べたい物も食べられないくらい大変だと聞きました、義孝にそんな大変な思いはさせられません」


「義孝君を心優しい好い子に育てたいのだろう?

 心優しい好い子が、お母さんが身体を壊してまで働いて、心を痛め傷を残さないと思っているのかい?

 義孝君に罪の意識を植え付けたいのかい?」


「それは……」


「最初から誰かを頼り、楽をするような性格に育てるのが良いと言っているんじゃないんだよ、頑張るつもりでも、駄目だった時の事を考えられる子に育つように、手本を示してあげなと言っているんだよ。

 義孝君がお母さんを見倣って、誰かを頼る道があるのに頼るのを拒み、身体を壊すまで頑張るようにしたいのかい?」


「あっ!」


「分かったかい、あんたが無茶な頑張り方をしたら、義孝君はそうしなければいけない、そんな事をしたらお母さんに恥をかかせてしまう、そう思ってしまうんだよ」


「ようやく分かりました、女将さんの言う通りにします。

 でも、それでも、義孝が大学に行きたいと思った時には、私に遠慮する事なく、好きな大学に行けるようにしてあげたいんです。

 良い私学や良い塾に通わせてあげないと、良い大学にはいけないと聞いています。

 それには結構なお金が必要で、家庭もしっかりしていないといけないそうです。

 私にそんな事ができるようになるでしょうか?」


「義孝君が本気で大学に行きたいのなら、授業料が免除される大学もある。

 防衛省の防衛大学校が有名だけど、海上保安庁の海上保安大学校、気象庁の気象大学校も学びながら給料とボーナスがもらえる。

 防衛省の防衛医科大学校なら、給料とボーナスをもらいながら医者になれる。

 自治医科大学なら、将来一定期間公立病院に務める約束をすると、授業料が免除され奨学金までもらえる。

 児童養護施設で生まれ育った子でも、防衛医科大学校や自治医科大学に入学しているんだ、義孝君が本気で大学に行きたいのなら、どこにでも行けるさ。

 節子さんは身体を壊さない範囲で頑張ればいい」


 節子さん、信じ切れないみたいだね、分かるわ、私だって実際に同じ施設で育った子がやり遂げていなければ、信じないと思う。


「天子さん、いいですか?」

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