第22話:夜食・谷口郁恵視点
「ちゃんと食べてきたのかい?
朝も食べさせるけど、寝る前もちゃんと食べな」
天子さんたちの流儀は、ここに通っている間にしっかりと叩き込まれた。
最近の動画で見るような、ダイエットだとか糖質抜きだとかなんて言ったら、震え上がるくらい怒られる。
子供たちが幸せを感じられるくらいお腹一杯食べさせるのがここの流儀だ。
食べたくないなんて言ったら、この歳になっても怒られる。
私も怒られるが、他のお母さんも怒られている。
子供が見ていようが関係なく怒るけれど、それも困っているお母さんの為だ。
見ている子供にはネグレクトになるのだが、苦肉の策だと天子さんは言う。
旦那にDVされるお母さんは、自分の食事を減らしてでも子供に食べさせる。
子供には平気な振りをして、空腹に耐える。
下手に訴えると子供が殺されるかもしれないから、我慢に我慢を重ねる。
そんなお母さんでも、子供に食べてと言われたら、吹っ切れる。
天子さんたちは、子供たちが食べてと言うように上手く誘導する。
子供の言葉を聞いた旦那がブチ切れて、子供に暴力を振るおうとする。
太郎さんたちが暴力旦那をケチョンケチョンに叩きのめして捕まえる。
子ども食堂という逃げ場を得たお母さんは、訴える覚悟ができる。
以前は、暴力旦那に子供が害されるのが心配だったが、今なら分かる。
太郎さんたちが、子ども食堂以外の場所でも陰から見守っているに違いない。
などと考えているうちに、天子さんが特別製の夜食を出してくれた。
「熱いから火傷しないように」
夜食は大きな丼に入った熱々のにゅう麺だった。
懐かしい、常に作られている煮物の汁に素麺を入れて煮た料理だ。
施設を飛び出して初めてここに来た時に食べさせてもらった料理だ。
野菜も食べろと言う事だろう、丼の上一面に煮野菜が浮いている。
丼の煮野菜だけでなく、ピクルスと糠漬けを入れた皿も置かれる。
煮野菜の中に鶏肝があるのは、貧血に気をつけろとの注意だね。
最近はお客さんに勧められてもお酒は飲まないようにしているけれど、お酒の売り上げが減った分、料理を食べるようにしているから、お腹は空いていない。
だけど、キャパクラで出す料理なんて揚げ物か乾き物ばかりだ。
野菜不足になっているのを見抜かれている。
全部食べないと本気で怒るんだろうな……
「はい、残さず美味しくいただきます」
食べてみると、にゅう麺の量は思っていたよりも少ない、ほんの少しだ。
野菜と鶏肝を私に食べさせたかったのだろう。
私が無理にたくさん食べてきた事なんてお見通しなんだ。
分かりました、キャパクラは辞めます、勧められた飲食店で働きます。
だから、ドンと胃腸薬の瓶をカウンター置くのは止めてください。
もういっそ、ここの持ち帰り店で働こうかな?
持ち帰り用の親鶏料理があまりにも人気になり、子ども食堂の邪魔にならないように、近くのアパートの一室を親鶏料理の持ち帰り店にした。
事情のあるお母さんたちが交代で売り子をするようになっている。
水商場で子供を養うしかなかったお母さんたちが、転職して売り子になった。
本当に好きで水商売をやっているのでなければ、子供が年頃になる前に辞めたいと思っているお母さんが多かった。
稼ぎが少なくなるけれど、まだ小さい子供と一緒の布団で寝てあげられるから。
私は水商売が好きだけど、自分のお店を持ちたいけれど、明菜ちゃんが大きくなるまで中断するくらいなら、大した寄り道ではないだろう。
などと考えながら天子さんが作ってくれたにゅう麺を完食した。
添えられていたピクルスと糠漬けも完食した。
膨れたお腹を抱えて二階に上がり、明菜ちゃんたちと眠った。
「郁恵お継母さん、おはよう、起きて、起きてご飯食べないと怒られるよ」
「う~ん、分かっているわ、直ぐに起きるから」
朝早くから元気な明菜や子供たちに起こされる。
健吾が死んでしまい、私が水商売に戻った頃から、明菜が朝起きなくなった。
私が帰って来るまで眠れなかったのだと、今なら分かる。
生れて初めて好きになった健吾に裏切られたばかりか、他の女と一緒に死なれてしまい、私1人で明菜ちゃんを育てるのだと意地になり、周りが見えなくなっていた。
あのままだったら、明菜ちゃんを不幸にしてしまっていただろう。
子ども食堂に寝泊まりするようになって、小さな子たちと一緒に眠るようになって、明菜ちゃんが朝早く起きるようになった。
天子さんたちがいてくれるから安心できるのもあるだろうけど、小さな子供たちを寝かせていると、自分も眠くなるのかもしれない。
明菜ちゃんたちと一緒に子ども食堂に降りると、味噌汁の好い匂いがした。
鶏団子と根菜が汁よりも多い味噌汁と白御飯、好きな人だけ食べればいい各種鶏モツの甘辛煮、定番のピクルスと糠漬けの朝定食だった。
さっき夜食を食べたばかりなのに、しっかりと茶碗1杯の白御飯が食べられた。
鶏団子と根菜の赤味噌汁が美味しくて、しっかりと食べられた。
明菜ちゃんや小さい子供たちも、子供用のお茶碗1杯食べ切っていた。
「天子さん、子供とお母さんを連れて来たよ」
太郎さんがそう言って入ってきた。
その後ろから、昨日の深夜に児童公園で寝ていた男の子を抱いた、私くらいの女の人が申し訳なさそうに入ってきた。
男の子の言動を聞いて、お母さんは悪い人ではないと思っていた。
むしろ人が好過ぎるくらいの人だと思っていた。
想像していた通り、人が好過ぎて損をしてきたような女の人だ。
「あの、太郎さんに義孝が児童公園で過ごしていた事を教えていただきました。
私の注意不足で大変な事になるかもしれませんでした。
助けていただき、ありがとうございました。
これからは、このような事がないようにします」
「夜働きに出る事も、子供が出歩く事も、お母さんが謝るような事じゃないよ。
それよりも朝飯を食べな、無理に飲んで来たんだろう?
歩合を稼ごうと無理に飲み続けたら、身体を壊しちまうよ。
胃腸に良い味噌汁だ、これだけでも飲みな」
「え、あ、はい、ありがとうございます」
児童公園にいた男の子のお母さんの前に、みぞれ味噌汁が置かれた。
「おっと、白味噌にしたが、赤味噌の方がよかったかい?」
「あ、いえ、白味噌の方が好きです」
天子さんは本当に優しい、好きな味の味噌汁が食べられるように、白味噌、赤味噌、合わせ味噌の3種で鶏団子根菜味噌汁を作ってくれている。
私には赤味噌汁を、明菜には白味噌汁を、子供たち全員の好きな味噌汁を覚えていて、それぞれに合わせた鶏団子根菜味噌汁を出してくれる。
朝から来ている常連さんは、3種の鶏団子根菜味噌汁を飲み比べている。
朝御飯を作るのが面倒なお母さんは、家族を連れて食べにくる。
初めて来るのに二日酔いだったりすると、太郎さんにつまみ出されてしまう。
このお母さんも二日酔いだけど、子供連れだから特別扱いだね。
「凄く美味しいです」
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