第8話:甘えん坊・保護司鈴木建造視点
子ども食堂の中は、何時も通りの穏やかな雰囲気で居心地がいい。
半グレの連中が難癖をつけに来るのではないかと心配していたが、何もない。
真弓さんの怯え方から、必ず何か仕掛けて来ると思ったのだが……
「こんばんは、1人前お願います」
念願の生活安全課少年係に配属された朱里が、朗らかな笑顔で入ってきた。
「はいよ、今日は親鶏のトマト煮込みだよ」
「……そんな時期になったのですね」
一瞬言葉に詰まった朱里だが、直ぐに普通に話しだした。
卵の産みが悪くなった雌鶏の事を親鶏というのだが、養鶏業界では廃棄物扱いだから、廃鶏と呼ばれているなんて、ここで教えてもらうまで知らなかった。
日本では大量の卵が生産され、誰でも安く買う事ができる。
それだけの卵を産む親鶏がいるのだが、2年弱で卵の産みが悪くなり、経済的に採算が取れないので、新しい雌鶏と入れ替えるのだ。
ブロイラーのような、安価に美味しく育てられる鶏がいるから、肉質が硬く取れる正肉も少ない親鶏は、廃棄料を払って処分するのが普通だ。
金子さんたちは、本来ならお金を払って処分する廃鶏を無料でもらってきて、子ども食堂で使っているのだ。
昔は自宅で鶏を絞めて食べていたが、今ではちょっとできない。
獣畜と違って屠畜場法で制限されている訳ではないのだが、近所の手前やり難い。
ましてここは白髪稲荷神社の敷地内だ、料理ならともかく屠殺は憚られる。
次郎さんたちは、猟友会仲間の山林を借りて鶏を絞め、ここまで持ってくる。
大量に寄付してもらった親鶏も、直ぐに食べない分は山林に放しているそうだ。
親鶏を放した山林は、猟友会の良い練習場になっているらしい。
「しみったれた顔をしているんじゃないよ、私たちの糧になった命に感謝していただきなさいと、何度言えば覚えるんだい」
「覚えています、感謝しています、ちょっと思い出した事があるだけです。
いただきます!」
朱里がまた怒られている、警察官になっても迂闊な所が治らない。
「はい、残さずお腹一杯お食べ」
朱里が、主菜と副菜が盛られたお盆をもらってカウンターに置く。
骨付きのもも肉を、トマトを中心にたくさんの野菜で煮た主菜、胸肉を片栗粉をまぶして揚げた副菜、各種野菜のピクルスと糠漬けを前にうれしそうな顔をしている。
親鶏のもも肉は筋が多くて硬いので、唐揚げや焼物には向かない。
長時間に込んで柔らかくしないと、子供たちが美味しく食べられない。
細かく正確に隠し包丁を入れたら、唐揚げでも焼物でも美味しく食べられるそうだが、多くの子供たちにお腹一杯食べさせてあげようと思うと、仕込み時間が限られる子ども食堂では、どうしても主菜は煮込み料理になってしまう。
「香ちゃん、南ちゃん、お替りする?」
先日府議会議員の息子たちから暴行されているのを助けた真野明良のお母さん、真野美代さんが、まだ大人たちを怖がる幼い姉妹に聞いている。
あの姉妹も金子さんたちが保護したばかりの子だ。
自分たちを虐待していた母親と同じくらいの若い女を、極端に怖がる。
母親と同棲していた男の影響なのか、男性は年齢に関係なく酷く怯える。
40歳前後の女性には懐くようなので、美代さんが世話をするようになった。
児相に通報されるたびに違う管内に引っ越していたので、通報歴を調べに行ったのだが、前に住んでいた家の近所に、姉妹を庇ってくれる40代の女性がいた。
以前は金子さんたちがお世話していたのだが、今は美代さんに任せている。
美代さんが毎食子ども食堂に来やすいように、世話させているのだと思う。
「……からあげたべたい……」
妹の南ちゃんの方が、とても小さな声でおねだりした。
おねだりした後で、周囲を伺うようにしているのは、お替りを言ったら虐待されていたのかもしれない。
「次郎さん、唐揚げをお願いします」
美代さんがそう言いながら、立ってカウンターにお替りを取りに行こうとしたのだが、南ちゃんが服をつかんで離さないので立てないでいる。
「そのまま掴ませておいてやりな、次郎が運ぶから座っていればいい」
「はい、ありがとうございます」
次郎さんが香ばしく揚げた胸肉とササミを小上がりに運ぶ。
人によって好みは分かれるが、俺は唐揚げなら若鶏よりも親鶏の方が好きだ。
特に長く煮込む料理は、親鶏のもも肉や手羽元の方が若鶏よりも美味しいと思う。
唐揚げにしても、胸肉やササミなら親鶏の方が美味しいと思う。
子供たちも、親鶏のもも肉を煮込んだ主菜よりも、胸肉やササミを唐揚げにした副菜の方が好きなようで、しきりにお替りする。
全員分のお替りまで料理した金子さんたちは忙しかっただろう。
「……おいしい……」
満腹になって眠くなったのか、妹の南ちゃんの方が美代さんに抱きついた。
姉の香ちゃんの方は、遠慮をしているのか抱き着いて行かない。
「眠たいの、お布団で眠る?」
「いや」
離されるのが嫌だったのか、南ちゃんが更に強く身体中で抱きついた。
「そう、抱っこしてあげるから、このままねちゃおうか?」
「うん」
「香ちゃんもこちらに来なさい」
「……いいの?」
「抱きつくだけなら2人でも大丈夫よ、いらっしゃい」
「うん!」
くっ、いい年こいて泣いちまうじゃねぇか、こっぱずかしい!
「ママ、私も抱っこ」
半グレにネグレクトされていた幸子ちゃんが、お母さんに抱きついた。
厚化粧をしなくなった真弓さんは、二十歳そこそこにしか見えない。
調書では、あの腐れ外道に高校時代にレイプされ、子供を授かったとあった。
そんな腐れ外道が3年ほどで刑務所から出てくると思うと、どこか遠くに逃がしてあげた方が良い気がする。
とはいえ、俺には府外に母子を任せられるような知り合いはいない。
身体を鍛え続けて、3年後でも腐れ外道とやり合えるようにしておかないと。
「あんたたちも眠くなったようだね、いるかい、いるなら抱っこしてやりな」
金子さんが奥に声をかけると、天子さんたち四姉妹が奥から出てきた。
前から子ども食堂に来ている子の中には、父親だけしかいない子がいる。
女の人に甘えたいと思っている子が結構いる。
目の前で美代さんと真弓さんが子供に愛情を注ぐのを見れば、寂しくなるのは当たり前で、場合によったら嫉妬から虐めに発展してしまう事もある。
そんな事にならないように、天子さんたちが他の子供たちを寝かしつけしてくれるのだろう。
遠慮する子もいれば、正直に思いっきり甘える子もいる。
普段なら甘えない子も、美代さんと真弓さんが子供たちを甘やかせる姿を見たからか、いつもよりも正直に甘えている。
ちくしょう、我慢できずに涙を流しちまったじゃないか、こっぱずかしい!
「金子さんも手伝ってやってください、ここは僕が変わります」
奥からお仕着せを着た太郎さんが出てきて金子さんに声をかけた。
「そうだぜ、こういう時はこっちの事なんて気にするな」
「そうだぜ、俺達の給仕は次郎さんと太郎さんで十分だ」
「そうそう、老い先短い年寄よりも、子供たちを優先してくれ」
カウンターに座っていた親父連中が口々に言う。
「食べ終わったから私も手伝います」
朱里、お前に母親の代わりができるのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます