第10話 怪物

「――」


――外した。ブラカーンの肘はフェイント。来るはずだった場所に放った拳は空を切る。


裏の裏を読んで攻撃したはずだった。単純なこと。相手は――さらにその裏を読んだのだ。



策を使い切ったイジュンに次の攻撃を避ける手段はない。がら空きの腹部にミドルキックを放つ。


「っっっっ――!!??」


直に内蔵へと伝わる衝撃。鉄球で殴られたかのような痛み。ふたつの刺激で脳は考えるのをやめる。



「シュッ――」


ハイキック。――この一撃にてイジュンの意識は遠い闇の中へと消えていった。




『ダウン!!1.2.3――8.9.10!!オ・イジュン選手が脱落しました!!ブラカーン・バックサック選手に1ポイントが付与されます!!』


首を鳴らしている。その顔にも体にも汗ひとつかいていない。


「悪いな。不意打ちには慣れてるんだ」


倒れるイジュンに背を向ける。――勝者に拍手なし。歓声はブラカーンの耳には届かない。






「嘘だろ……!?」

「イジュンが負け……た」


蹴り技は効かず。不意打ちは当たらず。結果的に見てみれば、この戦いはイジュンの完全敗北であった。テコンドーでは最強の男として君臨していたはずのイジュンが、だ。


仲間たちは痛感していた。この戦いのレベルの高さに。越えられぬ壁は――壊すことすらできぬことに。



「……負けたな」

「……」

「……『体格程度で決まる戦いなら戦うまでもない』だっけ?それとも『長年の感……かしら』だったかな?」

「――うっるさいわね!?」

「ま、まぁまぁ」



美馬が掴みかかる。蓮花が煽っている。果糖はなだめている。隣の人らはまた揉めている。なんとも緩い空気の場所だ。その隣で――男が震えていた


「あぁ――あ、あの――あの男だ」


よく見ると1人だけじゃない。男の隣。そのまた隣。列の横や後ろの男までもが震えている。


「えっと……どうかしたの?」


流石に心配した美馬が男に話しかける。


「ヤツです……次はヤツが……」

「ヤツ?ヤツって――」

「――『魘魅』です」


3人はスクリーンへと顔を向けた――。






――2階にある専門店『タオル美術館』前。そこに立っていたのはフランシスだった。


「フッフっ」


垂直跳び。そしてシャドーボクシング。戦いの前のウォーミングアップと言ったところか。


真正面に立っているのは――オレンジ色の長髪。『魘魅』と呼ばれていた男である。不運にもフランシスと鉢合わせたのはこの男だ。


「――アンタはウォーミングアップしなくていいのかい?」

「……」

「なんだよ無視か。戦う前に話ぐらいしてもいいじゃないか。それとも――怖くて話もできないか」


顎を上にあげ、挑発する。


「――あぁ悪い悪い。


――悪意に満ちた笑顔。フランシス以上に相手をバカにした言葉。


「ふふ……なるほど」


その言葉はフランシスを怒らせるのには十分――いや、それ以上であった。






「なーんで格闘家ってこうも喧嘩っぱやいんだろう……」

「そういう生き物なんですよ」


格闘家を夫にもつ果糖だからこその言葉だった。


「でもさぁ。そんなにビビることか?確かに魘魅って奴も強そうだけど」

「フランシスは強いです。それは事実です。でもそれはあくまでの範疇。には勝てません」


震え方が尋常じゃない。まるで悪魔にでも襲われたかのよう。想像もできないほどのトラウマを与えられたのか。



「――おい。その言葉は聞き捨てならねぇな」


割って入ってきたのはフランシスと共に居たマイクであった。


「あ、フランシスの付き添いの」

「さっきぶりだな兄ちゃん」


気さくな挨拶はしているが、マイクの内心は少し憤慨している。


「アイツは俺の相棒だ。あいつが世界一になれたのは俺のおかげだし、俺が世界一のセコンドになれたのもアイツのおかげだ。まぁようするに――俺の相棒は最強ってこと。どんだけ強いのか知らねぇが、気軽に『勝てない』なんて言うな」

「気に触ったのなら謝ります……ですが貴方は分かっていない。私は何も馬鹿になんてしていないんです。蟻が象に勝てないのと同じ――魘魅ヤツは住んでいる世界が違うんです」


――言葉は本心からのようだった。男の一挙手一投足。その全てが言葉を本心だと決定づけている。


「なんなんだよ魘魅って――」


不穏な空気はスクリーンの外だけ。その奥には何も届かない。

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