第1章〜初恋の味は少し苦くて、とびきり甘い〜⑦

「うむ……どうやら、自分の置かれた立場の危うさに気付いてくれたようだな……」


 満足するようにうなずきながら、養護担当教諭の安心院幽子あじむゆうこが、針太朗しんたろうに声を掛ける。


「そんな……南野みなみのさんが……いったい、どうして……?」


 絶望的な表情で、つぶやくように語る彼に対して、幽子ゆうこは、淡々とした口調で解説を加える。


「それが、彼女たちリリムの生きるかてだからな……リリムは、自身に寄せられる純潔・純粋な恋愛感情をはじめとした《想い》を食料とする特別な種族だ。一部の宗教では、そうした存在をかつて、夢魔や魔族と呼んだのだがな……」


 保健医の説く解説に、「ま、魔族……」と口にした針太朗しんたろうは、続けて幽子ゆうこに問いかける。


「そのリリムって名前の魔族に関わった人間は、どうなるんですか!?」


 悲壮感すらただよう表情から発せられた質問に対して、養護教諭は、真剣な眼差しでうなずきながら、針太朗しんたろうにたずねる。


「そうだな……ちょうど、リリムがヒトのたましいを喰らう場面を撮影した映像が、私の手元にも回ってきたところだ。針本はりもと、映像を見てみる覚悟はあるか?」


 心構えを問う質問に彼がうなずくと、幽子ゆうこは、


「それじゃ、これを見てもらおうか?」


と言って、私物のタブレットPCを開く。

 彼女が、デスクトップ画面のフォルダから、ファイルを指定してダブルクリックすると、映像が再生されはじめた。


 常緑樹の根元は、春の陽光が差し込んで明るく照らされている。

 校内でもっとも長い樹齢を誇るその巨木は、針太朗しんたろうも見慣れたモノだった。


『伝説の大樹』の下で、愛を告白した二人は永遠に結ばれる――――――。

 

 クラスメートの女子から聞かされた言葉を思い出し、彼は、緊張で固くなったつばを飲み込んだ。


 映像の中には、二人の男女が、この伝説の大樹の下に立っていた。

 キラキラとした木漏れ日の中では、まるで彼と彼女、二人だけのときが流れているかのようだ。


 その二人のうちの男子生徒の方が、女生徒に声を掛ける。

 

「…………さん」


 彼女の名前を告げた彼は、意を決したように、自らの想いを打ち明けた。


「一年のときから、好きでした! オレと付き合ってください!」


 あまりに純粋で一途な想いを告げられたからだろうか、彼女はうつむいたように見えた。


 「――――――クン! 嬉しい! やっと……やっと、思ってることを言葉にしてくれたんだね?」


 うつむきながら答えたため表情をうかがい知ることはできないが、彼の告白に応じた彼女は、


「……ありがとう」


そう言って、相手を見つめているようだ。


「一生懸命、自分の想いを伝えてくれる男子の姿って、本っ当に胸が熱くなるよね」


 映像を通しているにもかかわらず、そう口にした彼女の全身からは、言葉のとおり、いや、その語り口以上に異様な妖気なようモノが溢れていることが、針太朗しんたろうにも感じられた。


 女子生徒の目の前の彼は、まるで大蛇に魅入られた小動物のように、身をすくめている。


 そして、緊張に耐えきれなくなったのだろうか、男子生徒が思わず、ゴクリ――――――と固い唾を飲みこむと、彼女は再び口を開いた。


「そんなあなたの姿を見せてもらって、あらためて、思ったの……」


「こ、こたえを聞かせてくれるのか?」


 震えるような声で問いかえす彼に、女子生徒は、ゆっくりとうなずきながら、男子生徒が予想もしていなかったであろうことを口にした。


「えぇ……あなたのその熱くたぎった想い……じっくり、美味しくいただかせてもらうね」


「はぁっ!?」


 間抜けな声が、男子の口から漏れた。


「お、美味しくいただくって、どういうことだよ――――――?」


 想定外の返答に、彼は初めて、自分の置かれた立場が、思春期の男女の甘酸っぱい一場面ではない、ということに気づいたようだ。

 

 しかし、時すでに遅く――――――。


「私たちにとってはね……自分に向けられる恋愛感情が、最高に甘美なごちそうになるの……」


「ご、ごちそうって、いったい、なにを言って……」


 男子生徒が、最後まで言い終わらないうちに、彼女は極上の食材を目の前にした美食家のように舌なめずりをしながら、彼の身体に両腕を回す。

 人類特有の男子と女子の体格差や腕力の差など、彼女の前では、なんら意味をなさなかった。


「それじゃあ、いただきます……」


 女子生徒は、そう口にすると、男子生徒の唇に自らのそれを近づける。


 その瞬間、目には見えない気体……スピリチュアルな表現をすれば魂のようなモノが、男子の口元から溢れ出した!

 そして、彼女は、その気体状のモノを一気に吸い込むと、ゴクリ――――――と、喉を鳴らして飲み干し、


「フゥ……」


と、軽く息をつく。


「数年分、溜め込んでいた想いというのは、やっぱり、極上ね」


 そう言って、女子生徒は、唇についた食事の名残を親指で拭い取り、ペロリと舌で舐めとったようだ。


「でも、予想どおり、これが『初恋』じゃなかったんだね……」


「はぁ……もっと純粋で、甘酸っぱい『初恋』の味を味わいたい……」


 独り言のようにそうつぶやいた彼女は、『伝説の大樹』の下で立ち尽くす男子生徒に対して、


「ゴメンね、西高にしたかくん。あなたの想いは、無駄にしないから……」


と、声を掛けてから、何事もなかったように彼の元を立ち去る。


 女子生徒が、その場を去ったあと、西高にしたかと呼ばれた男子生徒は、魂が抜けたように膝をつき、暖かさを呼ぶ春の強い風が、クスノキの葉を揺らしていた。

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