第1章〜初恋の味は少し苦くて、とびきり甘い〜④

 その日の放課後、針太朗しんたろうは、約束を果たすべく、北川希衣子きたがわけいこのあとを追って、校庭に向かう。


 ひばりヶ丘学院高等部の広い校庭は、校内探索オリエンテーションで見学したとおり、運動部向けに人工芝が敷き詰められていて、グラウンドの隅には、学院のシンボルでもあるクスノキの大樹が、その存在を誇示するように、そそり立っていた。

 

針本はりもと、約束を守ってくれてありがと」


「いや、そんなに大したことでは……」


 ほとんど面識がない女子生徒(しかも、これまで接点のないタイプのギャル系の女子だ)に誘われて、ただでさえ緊張気味であることに加え、異性との会話に苦手意識を持つ彼は、一刻も早く、この場から立ち去りたい気分だった。


 とはいえ、一年間、教室をともにする同じクラスの生徒に、失礼なことはできない――――――。


 頭の片隅で、なるべく、相手の気分を害さないように、この場を立ち去る方法を考えながらも、無礼にならないように、相手の言葉に耳を傾ける。

 

針本はりもとも忙しいと思うから、要件を伝えるね」


 いきなり本題に入ることを告げた希衣子けいこは、針太朗しんたろうの返答を待たずに、緑の色を増しつつある広葉樹を見上げながら、彼に問いかける。


「ねぇ、針本はりもと……針本はりもとは、この学院に伝わる伝説を知ってる?」


「伝説……? いや、ボクは……」


「そうだね、針本はりもとは高等部からの編入組だもんね……」


 針太朗しんたろうが、首を横に振って、自身の問いかけに『NO』の答えを返したことを確認しながら、希衣子けいこは、言葉を続けた。


「この大きなクスノキの木は、アタシたち生徒の間で、『伝説の大樹』って呼ばれてるんだけど……この樹の下で、――――――そんな風に言われてるんだ」


 彼女が、そう口にしたとき、にわかに風が吹き、色を濃くし始めた葉を大きく揺すった。

 それは、まるで希衣子けいこの言葉を耳にした針太朗しんたろうの動揺を表しているかのようだ。


「二人は永遠に――――――」


 彼女が口にした言葉を反復するようにつぶやく針太朗しんたろうの様子から、自身の言葉が理解されたことを確信した希衣子けいこは、さらに、畳み掛けるように、彼に告げる。


「だからね……針本はりもと、アタシと付き合ってくれない?」


 彼女が発した一言は、『伝説の大樹』にまつわるうわさ話以上の衝撃を針太朗しんたろうの耳に届いた。


「えっ! えぇっ!? ボクと付き合う? 北川きたがわさんが?」


 希衣子けいこから、ファーストネームで呼ぶように言われていたこともすっかり忘れて、針太朗しんたろうは声を上げる。


「ちょっと、そんなに大声ださないでよ……でも、急にこんなこと言われたって、針本だって、ビックリするよね? アタシの気持ちは、ここに書いてるからさ……家に帰って、時間があったら読んでみてよ。返事は急がなくて良いからさ!」


 異性に告白されるという、十五年あまりの人生の中で、彼にとっての初体験をもたらしたクラスの陽キャラ女子は、薄いイエローの可愛らしいデザインの封筒を手渡すと、


「今日の用事は、これだけ! じゃあ、また明日ね!」


とだけ告げ、駆けるようにして、『伝説の大樹』のもとから去って行った。


 ◆


 クラスメートになったばかりの女子から交際を申し込まれるという衝撃的なイベントの発生に、『伝説の大樹』の樹の下で、しばし茫然としたまま動けずにいた針太朗しんたろうは、吹き抜けるそよ風に、鮮やかな緑の葉がさざめく音で我に返る。


北川きたがわさんが……どうして、ボクを?)


 ふたたび、さきほど起きた出来事について、疑問に感じたことを反復しながらも、彼は、校内見学の時に上級生の女子生徒と交わした、もう一つの約束を思い出す。


(そうだ、会長さんにも呼ばれてたんだ……)


 生徒会長を務める東山奈緒ひがしやまなおの言葉を思い返しながら、針太朗しんたろうは、急いで生徒会室を目指す。


 校内探索オリエンテーションの際の彼女の言葉どおり、生徒会室は、高等部の生徒たちのために、重々しい扉が開け放たれていた。

 針太朗しんたろうが、呼吸を整えながら開かれたままの扉を静かにノックすると、中から


「どうぞ」


という威厳のある声が聞こえてきた。


「お邪魔します……」


 おずおずと遠慮がちに声を掛けながら、針太朗しんたろうが生徒会室に入室すると、一人で机に向かいながら、何事か作業をしていた生徒会長から、明らかに先ほどより、朗らかに聞こえる声が返ってきた。


「おぉ! 針本くん、約束どおり来てくれたのか? 思ったより早かったじゃないか!」


「はい……北川きたがわさんの用事は、すぐに済んだので……」


「そうか! それは、ありがたい。立ったまま話し合うというのもなんだし、遠慮なく、椅子に掛けてくれ。君は初めての訪問だし、お茶でも飲みながら語り合おうじゃないか」


 そう言って、生徒会長は、生徒会室の重々しい扉を閉めたあと、備え付けと思われるティーポットから、二人分の紅茶を注ぎ、応接用のテーブルに置く。


 彼女と向かい合う形で皮革ひかく生地のソファーに腰掛けた針太朗しんたろうが、「いただきます」と断って、ダージリンの香りが漂うカップに口をつけると、生徒会長は、彼が予想もしなかったことをたずねてきた。


「それで、同じクラスの北川希衣子きたがわけいこからは、交際の申し出を受けたのかい?」

 

 ブホッ!!


 高級茶葉で淹れられた琥珀色の液体が霧状になって、針太朗しんたろうの口から吹き出す。


 ゲホッゲホッ……


 唐突に、触れられたくないことを問われた彼が、むせながら、


「す、すいません……会長さんが、急に変なことを聞いてくるから……」


と、申し開きをしながら、取り出したハンカチで応接テーブルを拭こうとすると、彼女は一人で納得したように話しを進める。


「突然、すまない……ただ、その反応をみると、私の予想どおりではあったようだな。に抗えるリリ……いや、女子など、そうそう居ないだろうからな……ムリもない」


(ボクの魅力に抗えない……?)


 会長さんは、いったい、ナニを言ってるんだ――――――?


 針太朗しんたろうが、奈緒なおの言葉をいぶかしく感じるのも無理はない。

 

 すでに述べたように、彼は、女子との会話全般を苦手にしていて、当然のように、これまでの人生で異性から好意らしきものを向けられた経験など皆無と言って良いからだ。


「ん? なんだか、不思議そうな表情をしているな……君が、私たちにとって、どれだけ魅力的な存在か、どうやら自覚が無いように見える。ただ、それはそれで、私に……いや、私たちにとって好都合なのだが……」


 生徒会長の言葉は、針太朗しんたろうをますます混乱させるだけだった。

 

 ことここに至り、彼自身にも、自分がなにやら良からぬ事態に巻き込まれているのではないか、と警戒心が芽生え始める。


 ただ、彼の疑念が大きくなる前に、生徒会長は、ふたたび口を開いた。


「君のクラスメートと同じように、私も回りくどい言い回しは苦手な性質たちだ。君をここに招いた目的を単刀直入に述べよう」


 そう言ってから、彼女は浅く呼吸を整えたあと、針太朗しんたろうに想いを告げる。


「針本くん、校内探索オリエンテーションで、君を見かけたときから、気持ちが抑えられない。私と交際してくれないか?」


「は? はい〜!?」


 校内見学の時に続き、針太朗しんたろうは、またも彼女の前で素っ頓狂な声をあげる。


「フム……『はい!』と聞こえたようだが……いまのは……残念ながら、肯定の返事ではないようだな……」


 少しだけ落ち込んだ様子の生徒会長だったが、すぐに顔を上げて気持ちを立て直したようだ。


「いや、私の方も急なことで驚かせてしまったかも知れないな、申し訳ない。今日、知り合ったばかりの相手に対して、いますぐに結論を出すのも気が引けるだろう。そんな訳で、私なりに君への想いを一筆いっぴつしたためてみた。午前中に出会ってから、急いでしたためたので、乱筆乱文になってしまっている点は、どうか見過ごしてほしい」


 そう言って、上級生の女子生徒は、薄い青色をした洒落たデザインの封筒を手渡してくる。

 針太朗しんたろうには、彼女の表情が、心なしか紅潮しているようにも見えた。


「わ、私からの用件は以上だ。じっくりと考えて結論を出してくれると嬉しく思う。もっとも、女子としての魅力で一年生に負けるつもりはないがな……」


 最後の言葉は、自信のあらわれなのか、それとも、照れ隠しによる強がりなのか、女性と会話経験に乏しい針太朗しんたろうには、判断がつかなかったが、『伝説の大樹』での告白に続く衝撃に、彼は、それ以上のことを考える余裕を持つことはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る