第3話 悪役令嬢さんはこの後憑依されます

 舞台は中世の貴族社会。今日も愛しの婚約者アルト様と会いに行くため、念入りに侍女からの化粧を受ける女性がいた。ふふんと笑みを浮かべるセシアという彼女は、所謂悪役令嬢だ。本人はまだ知らないが、三日後に婚約者から婚約破棄を言い渡され、これまでの行いをアルトに断罪される予定である。


 そんな事を微塵も知らないセシアは、唐突な客人にも上機嫌で対応する。侍女の案内によって迎え入れられたディレクタは、では早速と要件を伝えた。


 セシアは今から三日後に前世の記憶を思い出し、この世界は前世に読んだ小説の内容そのままであるという事に気づく。

 このままだと断罪された後に処刑されてしまうと気づいたセシアは、これまでとはまるで別人のような行動をとり始める。

 婚約者アルトへの執着が無くなったセシアは、本当に幸せになれる別の恋を探す物語を始めるのである。


「……と、要約するとこういった流れになります。詳しくはこちらの台本を見ていただければと」

「一つ、よろしいかしら?」

「は、はい……」


 セシアから発せられる物を言わせぬ威圧感に、ディレクタは思わず息を飲む。今度は一体どんな文句をぶつけられるのだろうか、と身構える。すると彼女はこれまでの上品な振る舞いがどこかに飛んで行ったように机を叩いて想いをぶちまけた。


「そんなとんでもない展開を聞いてしまったわたくしは! 後三日どんな気持ちで過ごしたらよろしいの!?」


 彼女にとっては最悪なネタバレである。幸せな日々が三日後に全部崩れ去ります、なんて言われて正気でいられる人間はあまりいないだろう。


「お嬢様、そんなに取り乱してしまっては化粧が崩れてしまいます」

「化粧なんてどうでも良くなる様な話を聞かされたの分かっているでしょう!? 婚約破棄ってどういう事か説明してくださる!?」


 将来王妃になるための教育を徹底されてきたセシアだったが、全て無駄になってしまうと知って思わず令嬢としての御淑やかさが全て消し飛んでしまっていた。ディレクタは話すと長くなるのですけれど、と掻い摘んで一言で説明する。


「サクーシャ様は色々と背景を用意しておられるのですが、端的に言えば『セシアより可愛げのあるトウコの方が好きになっちゃったから悔い改めて♪』だそうです」

「いやぁーっ! あの平民女に私が負けるだなんてーっ!?」

「お嬢様! お気を確かに!」


 トウコ、とはこの世界を描いた小説における主人公のポジションであり、本来のシナリオではアルト王太子と結ばれて幸せになるキャラクターである。セシアとの婚約破棄とトウコとの婚約宣言は、同じタイミングで行われる予定だ。


 余談だが、トウコという世界観にそぐわない名前からお察しの通り、彼女はセシアよりも先に参入してきた転生者である。セシアは記憶のみなのに対してトウコは存在自体が転生してきているのだ。台本には『二人の掛け合いが物語のキモとなる!』とサクーシャの手書き文字があったりする。


「セシアさん。記憶が戻るのは三日後、アルト王太子殿下に頬を引っぱたかれた瞬間です。なのであまりここで気持ちをぶちまけすぎないで下さい。三日後のリアクションが薄くなってしまいますから」

「アルト様に引っぱたかれる!? そんなの嫌ぁ! ……というか貴方はさっきからなんなんですの!? 失礼というかデリカシーの欠片もありませんわね!?」


 それなりにこの役目を勤めてきたディレクタは、だんだん伝達相手への対応が雑になってきていた。本人には自覚が無い様だが、ここ数件は全て相手の反感を買ってしまっているためかなり重症である。



 ひとしきり感情を出し終えて肩で息をしていたセシアは、ふとディレクタに言われた事を脳内で反芻し始めた。


「はぁ、はぁ……、何故かしら。言われてみたら確かに以前別の世界で生きていたような気が……」

「あぁダメです! まだ優香さんに戻るのは早いです!」

「優香さんって誰ですの!?」

「おっと、うっかり言っちゃいましたね。優香というのは前世での貴女の名前です」

「ユウカ……優香……?」

「あっ! だからまだ思い出しちゃ駄目ですって!」

「はっ! ……い、今のは貴方の落ち度ではなくて!?」


 正気に戻り、色々と悩みに悩んだセシアは大きなため息をついて自分の運命についてぼやく。その目は寂しそうで、諦めも含まれている。


「はぁーっ。……わたくしの一途な思いは、アルト様には拒否されてしまう運命だったのですね」

「はい、ですが前世の記憶を思い出した貴女は、別の素敵な方と結ばれる事が約束されています」

「そうなんですの? 一体、誰と……いえ、知ったところで今の私にはあまり意味が無いのでしょうね」

「……そうですね。セシアさんにはまだ伝えないでおきます、楽しみにしていてください」

「ええ、そうしてちょうだいな」


 憑き物が落ちたように冷静になったセシアは、これから先に起こる運命を受け入れる準備ができた。ディレクタはこれ以上のフォローはいらないだろうと思い口を噤んだ。『まあ相手の名前は台本にバッチリ書いてあるんですけどね、あっはっは!』とディレクタは内心思ったが、流石に言わないでおいた。



「前世の私、優香。どうか私セシアを幸せにしてちょうだいね」



 セシアは小声で自分に向けて後押しの言葉を呟く。そしてセシアはこれから起こる出来事を受け入れるという決意の眼をディレクタに向けた。これから彼女は、主人公となるのだ。


「……もう、迷いは無くなりましたわ。私の恋も、この先待ち受ける人生も、前世の私にお任せしましょう。たった今、ようやく諦めがつきました。今日は会いに行くのは止めておきましょうかしらね」

 

「あ、すみません。イベントまでの後三日程は激ウザアプローチを続けていてもらわないと困ります」

「そんな事言われてももう諦めがついてしまったのだけれど!? あと私の決死のアピールを激ウザアプローチとか言うの止めてくんない!?」

「ああ! 前世の口調が出ちゃってますから抑えて!」

「ああもう! 締まらないわね!」


 この後、セシアは台本通りにアルト王太子から婚約破棄を宣言された。表面上は驚き悲しみつつもすんなりと受け入れた。彼女を処するために挙げられた罪状も穴だらけで役に立たず処刑もされなかった。


 そして彼女は、自分を助けるために割り入った上求婚までしてくれた隣国の第二王子ラウルに惚れて、間もなく結ばれたのであった。

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