病気だった。
長谷川ももか
第1話 もはや友達
今までの自分の人生を振り返ると、「病気」と縁の無かった日など無かったと思う。毎日体のどこかしらで不調を感じ、病名は増え続け(命に関わるものでは幸い無いのだが。)、体のせいで我慢しなければならないことも少なくはない。
けれども、今ではもう慣れきってしまい友人のような関係になっている。私が病気をきちんと労っていれば良好な関係でいられるし、少しでもいい加減な態度を取ればヘソを曲げてしまう。
そもそも私は幼い頃から体が弱かった。未熟児で生まれ、なかなかミルクを飲まない子であったし、保育園に通うようになってからは常に鼻水ダラダラ。遊びに行ったり学校行事の次の日は必ず熱を出していたし、毎月何かしらで保育園・幼稚園・学校を休んでいたため、皆どうしてそんなに元気な状態を保持し続けられるのか不思議で仕方なかった。
そんな私も成人し、さすがに風邪を頻繁に引くということは無くなった。けれども、別の理由で毎日生きるのがやっとである。
別の理由とは、17歳の時に発症した精神病である。
はじめはうつ病と診断されていたが、複数の精神科を渡り歩くうちに双極性障害Ⅱ型と診断された。
双極性障害(躁鬱)についてあまり存じない方に向けて説明すると、あくまで私の場合だが、心が軽く自信に溢れ疲れ知らずな「躁」と呼ばれる期間と、自分は何もできない社会のお荷物だと自責の念に駆られる「抑うつ」の期間を繰り返す心の病気である。
病気でない人でももちろん元気な日と落ち込む日を繰り返していることはわかっているが、ここで自力で気分を切り替えることが難しいのがこの病気の厄介なところだと思っている。また、元気と落ち込みの度合いがだいぶ普通と違う。
躁状態の時は、ただ元気なだけでなく、異様にテンションが高く些細なことでも笑い転げ、体内のエネルギーが抑えきれずずっと動き回ったり何日間も徹夜しても日中元気に過ごしていられる。
対して抑うつ状態の時は、躁の時とうってかわって体が鉛のように重く動けなくなり、立ち上がるのがやっとである。無意識に涙が溢れ、良くない行動を取ろうとし家族に止められたことが何度もある。
躁鬱と付き合うためには躁と鬱のバランスを保ちニュートラルな状態で居続けることが必要である。躁の時にいくら元気だからといって無理をすると、次に来る鬱がひどくなってしまう。そのために薬をきちんと服薬し、生活リズムを整えることが大切だ。しかしそれが簡単そうでなかなかに難しく、薬にしても、毎週病院に通い種類・量を何回も調整し、今の安定した形になるまで大分時間がかかった。
今現在は割とニュートラルな状態を保持しているが、少しでも生活が乱れるとすぐメンタルの不調につながってしまう。なので毎日「今日は仕事を頑張りたいんだけど、一緒に頑張ってくれるかな?」とご機嫌取りをしながらなんとか共存して生きている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます