第5集 それぞれが「決めたこと」

炎威やんうぇいー!」

 道場で稽古をしていた炎威に天籟てんらいが飛びつく。前の戦闘から1週間が経つ。あれから炎威は道場に通い詰めては鍛錬の日々を送っていた。

「天籟さん、戻ったんですか」

「おうよー。なんかあっちの片付けに手間取ってな。それより平気かー? 流涛るーたおが西側から攻めてきたって聞いたときはもうお前死んだと思ったわ」

「いや、そんなはっきりと」

 冗談めかして返す炎威に天籟がにこりと笑む。

「だって、

 ゾワっとしたものを背中に感じた。目の前の天籟はいつもの人懐っこい顔をしていたが、その目は笑ってはいなかった。天籟にも火璇ふぉーしゅえんがどうなったかくらい知らされているはずだ。あの時あった事を。

「んで? なんで長物の稽古?」

 いつもの調子に戻った天籟が問う。炎威のあざだらけの体に驚いている。

「俺、市街で喧嘩はよくしてたけど、だいたいが素手だったし、ちゃんと武術習ったことないんで。えとー……」

「火璇が両剣タイプのギロチンだからか」

「ウス。こういう武器の扱いに関しては先輩たちめっちゃ強いんで」

 そうかと天籟が感心して頷く。すると炎威に稽古をつけていた組員が二人に声を掛けて来た。

「天籟さん、こいつなかなか筋いいっすよ。前のシナル襲撃以来ずっと道場に入り浸ってて。今度こそ火璇さん守るんだって、ずっとそれ」

 そう言うと周りで稽古をしていた組員たちにどっと笑い声が湧く。

「いいか炎威。クリーチャーが俺ら人間の武器となり盾となんの。お前が守ろうなんておこがましいってもんよ」

 組員たちから笑われて炎威の顔が真っ赤になる。

「そ、そうかもしんないすけど、俺が守れるくらい強くならんとって思ったんです! いいでしょ別に」

「いいねいいね、その威勢はどこまで続くかね。俺らを守れるくらいに強くなってくれよ」

 天籟もちゃかすようにおどけてみせる。「もー」と腹を立てる炎威に構うフリをしながら、横目に道場の入り口を見た。確かにそこに人影が隠れた。「火璇か」。隠れるのであればバレたくないのだろう。たぶん目の前の、やる気に満ちたこの男に。

「だから! あいつにもぜってー笑われるから今のうちにこっそり稽古してんだって」

 火璇が入り口の外に身を潜め耳をそばだてる。盗み聞きをしたいわけじゃない。ただ、どうすればいいか分からなかった。器とクリーチャーは共に戦えど、守ってやるなど口にする者はいなかった。

「守る? 俺を?」

 炎威の言葉を復唱するようにぽつりと呟く。この時感じた感情が分からない。器がクリーチャーを守る意味が分からない。だって、ずっと教えられてきた。クリーチャーは人間の剣となり盾になれと。そういう存在であると。

「もー! 先輩たちもしつこいんだけど! 天籟てんらいさんもニヤニヤしない! あいつは嫌がるかもしんねーけど、鼻で笑われるかもしんねーけど、決めたんだよ守るって。あ、これぜってー他言無用。なんで!」

 「あーはいはい」と返しながら天籟がちらりと入り口の方を見る。

 嬉しい事言ってくれんじゃねえの。なあ、火璇。

 入り口にあった人の気配が消えていく。天籟が眉をハの字にして笑う。

 炎威はまだ組員たちとやいのやいのと言い合っている。熱に犯された男の興奮は当分冷めそうになかった。


 稽古を終えた炎威やんうぇいが集会室へと向かう。炎威はこの集会室がなかなかに気に入っていた。主楼の上階にある部屋の窓からは城内が一望できる。たまに光躍がんやお金瑞ちんるいとも遭遇できる。といっても光躍は相変わらず寡黙で、威圧的なオーラも相まって挨拶意外に気軽に話しかけられない。しかしこの空気が炎威の士気を高める。だからヒマがあれば集会室に立ち寄っていた。しかし今日は光躍と金瑞は中立都市と言われているグリファへ出かけているらしい。天籟てんらいのパートナーは東での事後処理のため戻ってきておらず、まだ顔を合わせたことはない。あと二人、これも器とクリーチャーのペアなのだが、こちらも都市外での任務が多いらしく会った事がない。

「天籟さんも帰ってないし、今日も一人か」

 ドアノブを回すとガチャリと音が廊下に響く。静かだった。開かれた部屋の中へゆっくりと視線を移す。視界に映った光景にはっと息をのみ込んだ。

 ソファのひじ掛けに腕をかけ、気だるく頬杖を突くその人物を知っていた。

火璇ふぉーしゅえん!」

 驚きかけよる炎威とは反対に、なにも珍しくはない様子で振り向く火璇。

 目の前に現れた待ち人に疑いがぬぐえず、思わず火璇の顔を両手で包み込む。その顔をじっと見つめた。これには驚いた様子の火璇だったが、すぐに不機嫌に眉間にしわを寄せる。

「本当に火璇!?」

「遺伝子同じなんだから、そうだろ」

 相変わらずのふてくされた物言いに火璇だと確信する。

「いや、そういう意味じゃなくて」

 動いている火璇は、やはりあの火璇と同じだった。タンクに入っていたとは思えない。あれは夢だったのではないかと思うほどに、まったく同じ人物だった。しかし炎威が火璇の目元に気付く。

「涙ぼくろがえ」

 だからなんだと炎威やんうぇいの腕を振りほどく。ぱっと火璇の顔から炎威の手が離れた。つっけんどんな態度を取ってしまったことに罪悪感を覚える。もやもやとした感情に苛立ちを覚えた。

 火璇がそのまま奥の部屋へと入っていく。払われた手を見つめながら炎威が立ちすくんでいた。弱い自分とパートナーだなんて、嫌に決まっている。大事な体を失わせてしまったこと、誰でも怒るに決まっている。体が変わってしまうなんて、クリーチャーだとか人間だとか関係なく耐えがたい苦痛に決まっている。苦しい顔のまま佇んでいると、火璇の足音が戻ってきた。顔を上げると、火璇の手には茶器を乗せた茶番が用意されている。無言のまま火璇が机に茶番を置き席に着く。その様子を立ちすくみ眺めているだけの炎威を見上げた。

「座ったら?」

 短い言葉に炎威がはっとする。しずしずと机の角を挟んで火璇の隣に腰を下ろす。火璇はすでに茶を入れる準備を始めていた。

 茶器を湯で温める。茶壺ちゃふうに茶葉を入れ、湯を溢れるほど注ぐと蓋をする。茶壺の外からも湯をかけ温める。一連の所作は目を奪われるほど美しかった。

「こんな行儀よく茶を飲むなんて初めてだ」

「さすがチンピラ風情だな」

 冷たい言葉に「ちげえよ」と口を尖らせた。

「俺ん家は兄弟も多いし、外じゃ喧嘩だ抗争だって耐えなくて。家の中も外も毎日が騒々しかった。俺がいたグループは区域の治安守る役目もあったし、ゆっくり家で過ごすってよりはいつも外で動き回ってたよ」

「市街はそんなに物騒なのか?」

 「そうか。クリーチャーは滅多に市街に出ないのか」と、椅子に浅く腰掛けた炎威が火璇を見遣る。

「いや、みんな血の気が多いだけだって。まあ、俺の住んでた区域はちょおっと貧しかったからよ。他よりガラが悪かっただけ」

 呆れたような火璇ふぉーしゅえんの視線が刺さる。それでも町を思い出した炎威やんうぇいが楽しそうにへへっと笑った。

「でもみんなあったくていい人たちだぜ。それもこれもエデンの領主さんのお陰だし、都市を守ってくれてる黒い牙のおかげだろ」

 いきなり自分が褒められたようで気まずかったのか、火璇が視線を茶器に移した。

「兄弟は?」

 場を繋ぐように、そわそわとした声色が発せられる。その声に人間味を感じた。炎威の頬が緩む。

「姉貴と、妹、弟が二人。一番下のヤツはまだ8歳」

 「火璇は?」と言いかけた寸前で言葉を飲み込んだ。アブねえと平常心を保とうとしたが、押し込んだ言葉は火璇自らの口から放たれた。

「俺は、家族の感覚が分からないから」

 茶を蒸している茶壺をじっと見つめる。見つめる瞳が携える長く揃った睫毛は華やかで艶っぽく、物憂げだった。

 小さく背の高い筒状の聞香杯もんこうはいに茶を注ぐと、その上に茶杯を被せる。それを炎威やんうぇいに差し出した。初めて見る様式に炎威が戸惑っている。火璇ふぉーしゅえんが聞香杯と茶杯を両手で掴み、それを上下くるっと返すジェスチャーをしてみせる。どうやら聞香杯と茶杯をひっくりかえし、茶を茶杯に移すらしい。炎威が見様見真似で器を返し、ゆっくりと聞香杯を上に引き抜く。すると茶杯になみなみと茶が注がれた。感動する炎威に、次は聞香杯を指し、それを嗅ぐようにジェスチャーで伝える。炎威がそっとさっきまで茶が注がれていた聞香杯を鼻に近づける。深呼吸するように香りを吸い込んだ。

「うわ! すっげーいい匂い! やば!」

 品があるとは言えない言動に呆れつつ、火璇の表情はまんざらでもない様子。それから茶を飲んだ炎威の率直な感動の言葉に、だんだんと火璇の心も和らいでいった。


「この前は、ごめん」

 半刻ほど過ぎた頃、真剣な様子で炎威やんうぇいが口を開いた。

「すまん。ごめん。すまなかった。俺のせいで――」

「誰かがお前を責めたのか?」

「……」

 火璇ふぉーしゅえんの口調はいつもと変わらず冷静だった。

「それなら、それはお門違いだ。全ては俺の判断。俺が決めてやったことだ」

 それでも炎威は自分を許せていないようで、顔をしかめている。

「ちゃんとお前に話をしなかったのも俺だから」

 その言葉を否定するように、炎威が火璇の腕を掴んだ。それは違うと首を振る。

「少し、話をしようか」

 火璇が静かに伝えた時だった。エデン内のサイレンが響き渡る。襲撃。前回の奇襲からまだ間もない。炎威と火璇が目を見合わせる。

「お前は嵐を持ち込む存在だな」

 冷ややかに言うと火璇が駆け出した。遅れて炎威がその後を追う。

 主楼の中も混乱する中、一人の組員が並走しながら火璇に状況を説明する。

「南西に装甲戦闘車の布陣あり。シナルの奇襲に間違いないかと。発砲が続いております。空霄こんしゃおさんが丁度帰還されたり。準備整い次第天籟てんらいさんと出陣します。光躍がんやおさんには通達澄み。直ちに戻られるかと」

「光躍たちが留守の間に、しかも直接市街を狙ったか。下衆共が」

 火璇が吐き捨てる。主楼から歩廊に出ると市街からは煙が上がり、遠方には戦闘車が並びおぞましい光景が広がる。

「お、俺の町が……」

 青ざめた顔でたじろぐ炎威に火璇が叫ぶ。

「行くぞ。このままでは市街が壊滅する」

 行かなければいけないのに炎威の足が動かない。脳裏に逃げ惑う人々の様子や家族の心配がよぎるのに体がいうことをきかない。それよりもあの時の火璇の姿が頭から離れない。

 砲弾を浴び壊破していくドラゴンを、血だるまになり動かなくなった火璇を、思い出すと手の震えが止まらなくなった。

 炎威の元へ火璇が駆け寄る。

「俺とお前しかいないんだぞ」

 もし、もしもまた自分が使い物にならなければ、今度は本当に火璇を失う。目の前にいる火璇は二度と戻って来なくなる。失う恐怖が思考を支配する。自分はまだ守れない――。

「おい! 前の威勢はどうした! 戦え!」

 それでも視線を落としたままの炎威の顔を両手で挟み込むと、視点の定まらない瞳を無理やり自分の瞳に向けさせる。

「その為に鍛錬してたんだろ。お前一人でどうにかしようなんて、どうにか出来るなんて思い上がるな。やるんだろうが!」

 火璇の言葉にはっとする。火璇は自分が稽古をしてた事を知っている。道場にいたのだろうか。なら、あの言葉を聞いていたのだろうか。それで、話をしようとしてくれたのだろうか。火璇の気持ちを、思いを、考えを、信じなければいけない。

 炎威の瞳に炎が宿る。

「俺の体を使え! 炎威やんうぇい!」

 ついに体に熱い血が巡り出す。

「分かった、信じるぜ相棒。俺を連れてけ、火璇ふぉーしゅえん

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