第2話 七緒少年とフーリーさん朝の稽古をする

ここまでが僅か、二日間のできごと。

そして時は流れて――赤子であった七緒ななおも満7歳となった。



    *



ぼくの朝は早くて、日の出と共に目を覚ます。


「ふああ……あふんっ」


ぼくはむくりと起きてベッドの上であぐらをかき、しばらくぼうっとした。

銀髪のショートには寝ぐせがつき、獣耳がぺたんと垂れちゃう。

まだ眠いっす。


ぼくはキツネの獣人らしく体の線が細く華奢きゃしゃだった。

自分で言うのもあれだけど、その整った顔立ちも合わせて、どこか中性的な雰囲気を漂わせている。

アンニュイな7歳児なのでした。


だらりとした尻尾を気だるげにふって、寝ぼけた頭にほど良く血がめぐった所で、ぼくの1日が始まる。

麻のシャツに半ズボン姿のぼくは、首にタオルをかけ部屋から出た。

暗い石の廊下をぺたぺたと裸足で歩く。


台所へおもむき水瓶みずがめからおけで水を汲むと、口をすすぎ、ちゃちゃっと顔を洗った。

洗い終わり首にタオルをかけ直して、後ろを振り返る。


振り返るそこには台所用の大きなテーブルがあって、女の人がひっそりと椅子に腰かけていた。

少しうつむいていて微動だにしない。

ぼくが台所に入ってきて顔を洗うまでの間、ずっとそこに座っていたのでした。

というか、昨晩からそこに座っている。


ぼくみたいな獣人じゃない。

薄紫の髪を後ろでふんわりと束ねた、陶器のような肌をもつ女の人だった。


この異世界では珍しい、どこか和を感じさせる服を着ている。

ヒノモト出身のぼくとしては、とても馴染み深い格好だった。

ぼくは近づき声をかける。


「お早うございます、フーリーさん」


するとフーリーと呼んだ女の人の体から、微かな駆動音が響き、彼女が顔を上げる。

今始めてぼくを見るような目つきをしていた。


「お早うナナオ、もう朝か」


ぼくはこの世界でも、“ナナオ”と呼ばれている。

喋れるとバレていたので、赤子の頃からこちらの言葉を叩き込まれて、素性を根掘り葉掘り聞かれちゃったから。

赤ちゃんの頃の思い出としては、中身が何百年と生きた“妖狐”だとバレたのに、おしめを変えてもらうと言う、羞恥プレイを味わい続けた事かな。


「フーリーさん、朝の手合せをお願いできますか?」

「いいだろう、付いてこい」


フーリーはすくりと立ち上がり、台所脇の木戸から外へ出ていく。

ぼくもその背に続いた。


屋敷の庭先で対峙する、ぼくとフーリー。

ぼくたちの手には刃渡り50㎝ほどの、細身の剣が握られていた。

刃引きされていない真剣だ。


既に稽古は始まっているんだけど、ぼくの方が踏み込めず攻めあぐねている。

対するフーリーは、剣を持つ手をだらりと下げてたたずんでいるだけ。

視線もどこを見ているのか分かんない。


一見スキだらけのようだけど、それなのにぼくは剣を構えたまま動けない。

どこに打ち込んでも受け流されて、自分の方が腕を切り飛ばされる気がする。


ぼくにとってこれは、フーリーの前に自分との勝負だった。

切り飛ばされる恐怖を越えて、踏み込む胆力が必要なんですよ。


体に絡みつく迷いを断ち切って、ぼくが短く息を吐き踏み込む。


それはとても7歳児とは思えない間合い詰めだった。

妖狐としての筋力が、踏み込む足裏のヒフを破り、庭の土塊つちくれが足との摩擦で溶けてガラス化する。


刹那と言っても良い超速の一歩。

ただしフーリーには通じない。


ぼくの全身全霊を込めた上段切りを、超速をこえる神速で受け流し、ぼくの両手首を切り飛ばした。

手首は握っていた剣とともに宙を舞い、庭木に突き刺さる。


ぼくは切り飛ばされた両腕の脇を強く締めて、その場にうずくまった。

フーリーはそんなぼくを残し、切り飛ばした手首を拾いにいく。


ぼくが足元に広がる血だまりを見つめていると、フーリーが拾ってきた手首を傷口にあてがい、懐から小さな風鈴を取り出してリリリンと鳴らした。


均整の取れた修繕リーンリペア


風鈴は上位の回復魔法が込められた魔法具で、その効果により、ぼくの切り口が見る見るうちに閉じていく。

フーリーは修復しながら短い感想を述べる。


「良い踏み込みだ。

お前の初撃をいなせる者は、そうそういないだろう」


フーリーは治し終わると、ぎこちなくぼくの頭をぽんと叩いた。


「私は朝食を作ってくる。

ナナオは血が流れた分、ここで少し寝ておけ」


「はあ、はあ、はあ……ありがとうございます~」

「できたら呼ぶ」


そう言ってフーリーは台所へ入っていく。

ひとり残されたぼくは、ごろりと横たわって空を眺めた。

稽古の恐怖と痛みが過ぎれば、ぼくの中にただただ満足感が残る。


「くくく。

初めはやしろの神使であるこのぼくが、いまさら剣の稽古などと思っていたが……

なかなかどうして、面白い」


ものは試しかなとやって見れば、手加減を知らないフーリーとの稽古は、短いものであっても死線を肌で感じてヒリヒリとするものだった。

それはヒノモトで腑抜けていたぼくの根性を、叩き直すには充分過ぎると言っていいくらい。


気持ちがしゃっきりしてみれば、ものの見え方も変わってくる。

と言うか、本当に見ているものがヒノモトとは違った。


ぼくは空を見つめ、土の匂いを嗅ぎ、草木の匂いを嗅ぎ、血の匂いを嗅いだ。

そのどれもこれもが、ヒノモトより濃すぎる。


妖狐として眼を凝らせば、空や草木に、“気脈”の流れが輝いて見えた。

気脈とは生命の輝きであり、それがはっきり見えるなんて、ヒノモトだったら山深い霊場でしか拝めないものだ。


つまりこの世界はヒノモトの基準からすると、至る所が社の境内以上の神域なのだった。

この世界では気脈のことを、“魔力”とか“魔素まそ”と呼んでいるみたい。

ぼくは自分の流した血をすくい取り、ぺろりと舐める。


「うまいなあ」


自分の中にも気脈が、魔力が、魔素が溢れていた。


「このぼくがこの地へ転生したのは、恐らく何処かに御座おわします神の采配なんだろうな。

彼岸の御方が、うらぶれたぼくに慈悲を御かけになってくれた……」


どなたかは存じませぬが、有り難きこと――

そう心に念じ問いかけるけど、神さまからの声は聞こえてこない。


「この七緒……生まれ変わったからには、その御恩に報いなければなりません」


ヒノモトのように、腑抜けてうらぶれるのはもう御免だった。

妖狐のぼくは思わず、こんと鳴く。


「くっくっくっ、こーん、こんこんっ♪」


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