締められる
先に限界が訪れたのは。
奈流芳一以でも。
祅霊でも無かった。
「ッ、」
瞬間的に。
奈流芳一以は歪な音を聞いた。
エレベーターである。
エレベーターが、重力の圧に耐え切れずに、ワイヤーが切れてしまった。
これにより、奈流芳一以と祅霊は、最上階付近から、高速で落下していく。
ただ落下するだけでは、落下防止用のストッパーが発動するのだが。
異様な程にまで掛けられた重力の圧により、ストッパーすらも破壊される。
きりきりと、火花を散らす程の勢いと、耳を劈く程の音が響くと共に、両者共々落下する。
「襲玄ッ!!」
奈流芳一以は襲玄を解放した。
実体は熱の波となって霧散する。
それでも、ストッパーが破壊されたので、止まる気配などは無かった。
重力から解放された事により、即座に祅霊は、奈流芳一以から離れる。
このまま、手を下さずとも、奈流芳一以はエレベーターと共に地面に衝突するだろう。
そう祅霊は判断して、奈流芳一以から離れたのだ。
エレベーターの天井から出て行く祅霊を見ながら、奈流芳一以は苛立ちを覚えた。
このまま、手を下さずとも、己を倒せると祅霊に見下された。
舐められたのだ、祅霊如きに。
「なめ、んなッ!!」
奈流芳一以は、炎命炉刃金を握り締めた状態で肉体に宿る炎子炉を放出。
闘火を外界へ発散させるのではなく、体内へと循環した。
斬人が使う闘火の使用方法の一つである。
『炉心躰火』と呼ばれる身体能力を向上させる技法により、奈流芳一以は地面を蹴って、祅霊が出て行った穴から飛び出した。
そして、炎命炉刃金を使い、壁に向けて刀を強く突き刺す。
どれ程、屈強な壁であろうとも、瞬間的に、闘火による熱源によってバターの様に溶かして突き刺す事が出来る。
そして、奈流芳一以は壁に直立しながら祅霊を睨んでいた。
この状態では、動く事もままならず、祅霊に襲われてしまう。
祅霊は、蛇の様な形状をしていた。
壁に吸い付く様に、胴体を密着させている。
必然的に、祅霊が先に出た為に、祅霊が上空に居る。
下層に居る奈流芳一以は、不利な状況になっている。
しかし、この状況を、奈流芳一以は不利とは言わない。
これ以上の理不尽を、奈流芳一以は体験して来た。
その時に比べれば、この様な状況など、苦にすらならない。
「斬神」
襲玄を再び構成する。
肉体に流れる闘火を放出し、再び紫黒の剣士を現界させた。
奈流芳一以の背後に立つ様に、奈流芳一以は襲玄に命令すると。
そのまま、奈流芳一以は、斬神・襲玄に術を発動させる。
『
襲玄の周辺の重力を変化する。
斬神・襲玄の周辺からは、黒い波動が放たれ、その枠内に入っている奈流芳一以は、ゆっくりと刀を引き抜いた。
本来ならば、それで落ちる筈だった。
だが、奈流芳一以は立っていられる。
この術は、自身が立つ場所の重力を変える事が出来る、と言うものだ。
つまり、壁に足を向ければ、壁に立つ事が出来るし、天井すらも歩く事が出来る。
この能力によって、上下に関する不利は掻き消された。
奈流芳一以は、敵を睨みつけて、炎命炉刃金を構える。
「行くぞ」
斬神・襲玄は術の使用により、攻撃に関する補助が出来ない。
だが、奈流芳一以には、これまで築き上げた斬術戦法が存在する。
闘火を使役し、通常の剣術に更に力を上乗せした戦闘方法。
奈流芳一以が住んでいた道場では、一、二位を争う程の出来であり、試刀院に入学時、彼女に出会わなければ上位三位内には入る程の実力を発揮する。
未だ、その実力は天井知らずに上昇している。
奈流芳一以は、一歩足を踏み出した。
祅霊は、このまま奈流芳一以を野放しにすれば不味いと思った。
逃げる、と言う選択肢が脳内で生まれてしまう。
しかし、逃げた所で、この男は何処までも追って来るだろうと言う確信があった。
ならば、祅霊は逃げ出す真似はしなかった。
敵が迫るのならば、それに応じて接敵するのみである。
そうしなければ、己は殺されてしまう。
この状況、敵に背を向ける方が不味いのだと、認識した。
「(狭い空間で、出来る事は限られる)」
奈流芳一以が教え込まれた道場では、多対一を基本とした野外戦術だ。
室内での戦闘も出来なくはないが、刀を振り回す事が出来る程の広さが無ければ、彼の斬術戦法は全て無駄になってしまう。
彼が教え込まれた斬術の内、この状況で使えるものが無いかを考えて、即座に一つ、思い浮かんだものを選択する。
「(これしかないか…仕方が無い)」
奈流芳一以は、ゆっくりと腰を落とす。
そして、炎命炉刃金をゆっくりと鞘の中へと押し込めた。
本来ならば、この行動によって、斬神との熱源放出は切断され、斬神・襲玄の効力は失ってしまう。
だが、持続性を持つ『
「(仟景流・斬術戦法…)」
刀に手を掛ける。
極限にまで腰を落として、刀を構える。
それは、抜刀術に似ていた。
だが、余りにも、距離がある。
祅霊と、奈流芳一以との間に、刀の間合いでは届かない、致命的な、だが。
「断ち切る…」
刀身が、届いた。
奈流芳一以は、飛び込んだのだ。
急激な肉体加速を要する斬術戦法『
その高速移動は、身体能力を強化させる
肉体に流れる闘火を、爆発させる様に発散させる事で、一瞬で肉体を飛び跳ねさせる。
更に加えて、斬術戦法『
刀身に流し込んだ闘火を貯め込み、敵に接敵すると共に鞘の内部で刀身から闘火を爆破させ、その爆発力によって高速抜刀を行う。
この二点を混合し、一つの技として昇華させた高等技術が存在する。
斬術戦法・『
抜刀術であり、身を丸めるような居合の構えを行い空気抵抗を極限にまで減らす。
その状態で『縮步』を行い高速で移動し、『鞘辷』を以て敵を一刀両断する。
流れる様な攻撃動作、故に『流閃』と呼ばれる技だった。
刀身が、祅霊の肉体を切り裂いた。
一瞬の事で、眼にすら映らなかっただろう。
祅霊は、自分が斬られた、と言う事実すら理解しきれないのかも知れない。
肉体が霧散していく祅霊。
奈流芳一以は、刀を振りぬいたまま硬直した。
流閃を披露した後、直後に迫る硬直である。
急激な加速を行う行為は、実際の所、肉体に多大な負荷を掛ける技だった。
なので、肉体の血流に圧が掛かり、一時的な麻痺を憶える。
確実に相手を殺すか、斬神による補助が無ければ、先ず使用出来ない技だった。
「(不味い…効力が)」
確実に、祅霊を斃せた。
それは間違いない。
だが、奈流芳一以の肉体は硬直してしまった。
そして、思っていた以上に、斬神・襲玄の持続性効果が途切れるのが早かったのだ。
未だ、肉体が硬直したまま、奈流芳一以は落下する。
祅霊を斃す事が出来たが、このまま何もしなければ、落下死してしまう。
「(まさか、これが俺の終わりか?)」
重力を操る斬神を手繰る奈流芳一以が、落下死と言う重力に負けて死ぬと言うのは、何とも滑稽な話である。
だが、奈流芳一以は戦闘の間に忘れている事があった。
最下層より一階上。
およそ、二階の位置である場所。
エレベーターの扉に、無数の斬撃が飛び交う。
あっと言う間に、エレベーターの扉を破壊し尽くし。
そして、壁を歯の高い下駄で走る白い妖精の姿を見た。
「あ」
奈流芳一以は、落下して、地面に落ちてしまうよりも早く。
唐突に登場した、少女の手に抱かれる。
白檮山雪月花だった。
エレベーター内部での戦闘音を聞いて、彼女は奈流芳一以の元へとやって来たらしい。
彼女の体に抱かれながら、奈流芳一以は安堵を憶えた。
「…ありがとうな、白檮山」
良かった、これで、死なずに済んだと、深く溜息をするのだった。
そして、今回の仕事は終わりを迎えた。
奈流芳一以は、白檮山雪月花に救われたと言う、何とも情けない結果だった。
「その…ありがとうな、白檮山」
奈流芳一以は、育成者として恥ずかしい行為だと思いながらも、彼女に感謝の言葉を伝える。
その言葉を、白檮山雪月花は大きく目を見開いて、彼の顔を見たが、すぐにそっぽを向いている。
両手で、彼女は自らの頬に触れていた。
大福を愛でるかの様に、柔らかな頬を揉んでいる。
マンションの管理人と、奈流芳一以は会話を行う。
今回の事件によって、エレベーターの破損による費用は、対祅霊に関する保険金が下りる事で、話が纏まった。
これにて、一件落着、と言う方向へと向かう筈だった。
疲れた様子で、奈流芳一以は自宅へ戻る。
当然ながら、炎命炉刃金の持ち出し許可を取っているので、刀を持ちながら、である。
自宅へ戻ると、部屋の前に体育座りをしている女性が言った。
玄関前、白色の髪を靡かせている、宝蔵院珠瑜だった。
「おそい」
彼女には、合鍵を渡していない。
だから、何時も、彼女は扉の前で待っていた。
何時頃、己の帰りを待っていたのか。
「悪い」
奈流芳一以は聞かなかった。
彼女に詫びの言葉を入れる。
そして、宝蔵院珠瑜は立ち上がると、何か、違和感に気が付いた。
「…は?」
苛立ちを隠せない様子で、そう言うと共に確かめるかの様に奈流芳一以の体を抱き締める。
この場で始めようと言うのだろうか、奈流芳一以は驚いた。
「ま、待て…こんな場所で」
静止しようとした。
だが、彼女の腕力によって、奈流芳一以の身体が強く引き締められる。
「なんで他の女の匂いがすんの?」
それは、仕事中。
奈流芳一以が落下した時、白檮山雪月花によって抱き締められた。
その臭いが衣服に付着していたらしく、彼女はその違和感に勘付き、奈流芳一以に問い詰めるのだった。
奈流芳一以は狼狽した。
彼女に抱き締められて強く絞られながら、彼は言葉を紡ぐ。
「いや…これは」
即座に、彼女の事を言おうとした。
だが、慌てているのか、冷静に言葉を発する事が出来ない。
自然と、声が詰まってしまう。
対人の会話が苦手が故の咄嗟の発言が出来なかった。
彼の言葉の詰まり具合を見て、宝蔵院珠瑜はより一層彼に対して怪しんだ。
「ボクが聞いてるのにはぐらかすの?」
そういうワケでは無い。
だが、彼の言動から、そう見られても仕方が無いだろう。
「それとも、ボクだからって、騙せるとでも?」
今度は、奈流芳一以の背中に爪を突き立てる。
服を貫通して、皮膚を強く突き刺さる爪に苦痛の表情を浮かべる。
「服に染み着いた匂いくらい、分からない筈ないだろ?」
彼女には、奈流芳一以とそれ以外の人間の匂いを見分ける自信があった。
何故ならば、二年間、肌を重ね合わせた経験がある為だ。
必然に、奈流芳一以の匂いが、鼻腔の奥に染み着いている。
だから、彼がどの様な女性と出会ったのか、匂いで判別が可能だった。
「いつだって、キミの匂いを、嗅いでいるんだからさ…」
喉を締められている様な気分だった。
選択を間違えれば、首が飛んでしまいそうでもある。
沈黙こそが正解である可能性もあるが。
「さあ、答えなよ、何か弁明があるんだろう?」
彼女は答えを口にする様に答えた。
逃げ場を封じられ、後は答える、と言う選択しか残されない。
奈流芳一以は、必死になって考える。
どうすれば彼女に、この匂いの相手を知る事が出来るのか。
「…後輩」
そして絞り出されたのがその名称。
「ん?」
後輩と言う言葉を聞いて耳を疑う彼女。
再び、奈流芳一以は言う。
「後輩だよ、知ってるだろ?白檮山雪月花」
白檮山雪月花。
その名前を聞いて、彼女はようやく納得した。
「あぁ…」
頷いて、そして、だからなんだ、と言いたげな表情だった。
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