°・。苦くて甘くて、すこしだけシュワシュワ。・°

ねじまきねずみ

°・。・○°・

「いらっしゃいませ〜。一名様ですね」

秋の夜のファミレス。

アメリカンダイナーを意識したような、ストライプのワンピースにエプロン姿、それにおだんごヘアの女性店員が明るい笑顔で接客してくれる。

駅からは少しだけ歩く、道路に面した店舗。

とくに高校の頃は友だちグループでよく来てた。

ドリンクバーでメロンソーダとオレンジジュースとアイスティーを混ぜて笑ってたのも今となっては青春の思い出だ。……なんていうほど、まだ年取ってないけどね。


帳谷彗斗とばりたにけいと・19歳。デザイン系の専門学校でイラストとグラフィックデザインの勉強をしている学生。

高校までは地元の学校に通ってたけど、今の学校は電車で30分以上かかるから、このファミレスに学校の友だちと来るなんてことは無くなった。


この店は空いているわけでもないけど、昼飯時と夕飯時以外は広い店内が満席になるほど混雑することもない。

今みたいに23時を過ぎた頃にはあいている席も少なくなくて、一人の客でもソファ席に通してもらえる。

家じゃ集中できない学校の課題をやろうと思って来たから、広々としたテーブルはありがたい。


席に案内されている時から後ろ姿で気づいてた。

七晴ななせが座ってるって。

ミルクティー色の革張り風のソファ越しに首から上だけ、しかも後ろ姿しか見えてないけどあの丸みのある頭に栗色の髪は絶対、七晴。

髪は前に会った時より伸びて肩についてる。


明槻七晴あかつきななせは高校の同級生だ。

3年間同じクラスでノリも合ったから、よくグループで連んでた。

このファミレスにだってよく来てたし、ドリンクバーで飲み物を混ぜて笑い合ってた中の一人だ。

七晴とは絵を描くっていう共通の趣味があって、音楽の好みも合ったし、笑いのツボみたいなものも近かったからよく話した。

彼女は地元から通える有名な美大に進学している。


ひさびさに七晴に会ったけど、声はかけない。

なぜなら七晴の向こう側に彼氏らしき男が座ってるから。

初めて見るけど結構年上っぽい。20代半ばから後半てとこ?

ゆるめの柄シャツに、ゆるくパーマのかかった茶髪にメガネ。多分デザイン系の人間だな。俺の学校の先輩や卒業生たちと同類の匂いがする。

そんなことを考えながら、七晴と背中合わせになるように座る。

「飲み物取ってきてやるよ。何にする?」

七晴の彼氏が彼女に聞く。

七晴はドリンクバーでは決まって〝メロンソーダ〟だ。絶対。

テーブルに設置された注文用のタブレットをいじりながら答えを確信して口角をあげる。

「アイスコーヒー」

意外な答えに、彼女の背後で肩透かしをくらう。



『七晴、メロンソーダしか飲まないね』

高一の夏にはよく仲間5人でこのファミレスに来るようになっていた。

山盛りのフライドポテトに無料オプションのディップソースをいろいろ用意して、ドリンクバーで長話がお決まりだった。

あの先生がムカつくだとか、切ない曲があった、誰と誰が付き合ってる、はたまたケンカして絶交……そんな、他愛のないことを何時間だって話して笑ってた。

『だって一番おいしいもん。甘くて、ちょっと苦味もあって』

『口の中が緑になるじゃん』

俺が言ったらおかっぱヘアの七晴が「べー」って緑の舌を出して見せたから、思わず笑ってしまった。

俺のリアクションに、七晴もいたずらっ子みたいな笑みを見せる。

『七晴って子どもみたいだな』

七晴はそういう無邪気なところがある。



それがアイスコーヒーを飲むようになったっていうんだから、時が経つのは早い……って、だからそんなに時間は経ってない。

最後に七晴に会ったのっていつだっけ? たしか……今年の5月の連休?

「新しい環境に慣れてきたところで、みんなに会いたくなってきたんじゃない?」なんてことを誰かが言い出して集まったのが最後だと思う。

今が10月だから、5か月くらい前か。

七晴はその時『彼氏ができた』と言っていた。

写真を見せてくれたけど、当たり前のように加工されていて実際の顔はよくわからなかった。

それがこの人か……と思いながら、ドリンクバーからアイスコーヒーを2つ持ってきた彼の方にチラッと視線をやる。

ふーん……。


あれから彼氏や彼女ができたのは七晴だけってわけじゃない。

高校を卒業したら、彼氏彼女に課題に……なんだかんだと忙しくて、みんなで集まる機会が減った。

メッセージアプリのグループだって、最近はポツリポツリと近況報告があって、反応した2、3人とスタンプだけで3往復して終了って感じだ。

〝高校生の仲良しグループ〟が〝高校時代の友人グループ〟に変化していくのをリアルタイムで実感してる。

さみしくないわけじゃないけど、それぞれが新しい環境に馴染んだと思えるのは喜ばしい。

それに俺は本当に課題に追われてるし。


「で、本題なんだけど」

アイスコーヒーをテーブルに置いて座ると、彼氏が話し始めた。

なんとなく、空気がピリッと重い。

七晴が『アイスコーヒー』以来ひと言も発しないからだ。

「別れて欲しいんだ」

……げ。

よりによって別れ話に居合わせてしまった。

絶対に俺という存在に気づかれるわけにはいかない。

「目玉焼きハンバーグのごはんセット。目玉焼き堅焼きです」

ちょうどそのタイミングで、注文していたハンバーグが届く。

ドリンクバーだけにしておけば良かった……。

これを食べたらさっさとこの場を立ち去ろう。

なんて考えに反して、ハンバーグを切るナイフはゆっくりとスライドする。

「どうして?」

そのひと言で、七晴が別れたがっていないことがわかってしまう。

「何か月か付き合ってみたけどさぁ、はっきり言って合わないと思うんだよね」

「……どこが?」

七晴の元気の無い質問に、彼は面倒そうにため息をつく。

「思ってたより子どもっぽかったっていうのかな」

「……そんなの、私が年下だから。これからもっと大人になるよ」

「そういうこと言っちゃうところがさー」

彼氏の方はもう、別れるって決めてるんだって冷たい口調でわかる。

「化粧とか服装とか髪形もさ、もっと女っぽくして欲しかったし」

「だから髪、伸ばしたじゃない……」



『いつもおかっぱ』

『ボブって言ってよ。彗斗センスない』

月曜、髪を切った七晴が眉間にシワを寄せる。

高校3年間、同じクラスだったから何度も繰り返した光景。

『センスないってなんだよ。べつに貶してるわけじゃないじゃん』

『〝お子さま〟って顔に書いてある』

『似合ってるけど、いつも一緒だなーって思って』

七晴は美容院に行くたびに同じシルエットになっていた。

彼女がムッとしてこっちを見る。

『いいでしょ、これが私の——』

『『トレードマーク』』

七晴の言葉を的中させてハモったら、彼女は一瞬頬をふくらめて、それから二人で「ぷっ」と笑った。



その〝トレードマーク〟は5月に会った時点で伸びていた。

メロンソーダはアイスコーヒーになって、おかっぱはセミロングになったんだ。

たったの数か月で、もう〝知らない七晴〟だ。

そう思ったら、心臓がギュ……っと詰まるみたいな音を鳴らした

七晴のおかっぱ、似合ってたのにな。

課題をやるために持ってきたタブレットの画面に、おかっぱヘアの女の子を気まぐれにラクガキして、気まぐれに消した。

「ふぅ」と聞こえないくらいのため息をついて、ドリンクバーに行こうと立ち上がる。

幸いドリンクバーは七晴の背後側だから、俺の姿は見えない。

ドリンクのマシンで光る【メロンソーダ】の表示を見ながら、一瞬また昔を思い出した。

それから【コーラ】のボタンを押す。


席に戻ってもまだ話は継続中。

もう23時30分を回った。別れ話が始まって20分くらい経過してる。

「別れたくない」

「いや、無理だから」

七晴があきらめたら、すぐに話が終わりそうだ。

「だって全然話し合ってないじゃない」

「いや、性格の不一致ってやつだから、話し合う必要なんてないって」

席に戻ったときに見えた彼氏は彼女の方を見ていなかった。

声だって、心底苛立っているのがわかる。

ここからの逆転は無理だよ七晴、俺でもわかる。

「だけど」

「しつこいなぁ」



『絶対緑がいいです!』

高校時代、グラフィックデザインの授業で七晴がめずらしく先生に反論する。

イラストの女の子が飲んでいるドリンクの色の話だ。

『ピンクの方がバランスがいいと思うけどなぁ』

先生が若干困惑していた。

『緑です!』

だってそのイラストは——

『ケイの絵なのに、なんでナナが主張してんの?』

そう、俺の絵だから。

『だってここの色、緑の方がおいしそうでしょ?』

『それってナナがメロンソーダ好きだからでしょ?』

『違うよ。もともと彗斗が緑に塗ってたんだから』

七晴は眉を寄せる。

まあ、俺の頭には七晴のメロンソーダが浮かんでたんだけど。

かれこれ5分はこの論争だ。

『明槻さん激推しなんで、緑で良くないですか? 先生』

『まあ……いいでしょう』

先生は「やれやれ」って表情だ。

『ナナの粘り勝ち。変なところで強情なんだから』

七晴がピースしてみせる。

メロンソーダの色だってのもあるけど、多分七晴は女の子のそばにいた猫の目の緑色を見てた。



今、その粘り強さは必要か?

髪形? 服装? そんなことで七晴を判断するようなヤツにそんな価値があるのか?

「どうして? 悪いところあるなら直すよ」

「だから無理だって。俺の好みにはなれないよ」

「でも——」

なあ七晴、そんな男にすがるなよ。

「お前じゃ無理なんだよ。いい加減、あきらめてくれよ。これ以上はさすがにウザいよ」

立ち上がって振り向いて、ひと言言ってやりたい衝動に駆られる。

タブレットのペンを持つ手にグッと力が入る。

「じゃあ俺行くわ。俺の家に残ってるお前の私物はテキトーに取りに来て」

彼氏は伝票を持ってレジに向かって行った。

なんてことないって感じの足取りだ。

嫌なもの見ちゃったな。

俺も課題やめて帰ろうか——


「盗み聞きとか、やめてよ」


肩がギクって小さく上下する。

「気づいてたんだ」

観念して、背中合わせのまま七晴と会話する。

「だって目玉焼きが堅焼きなんだもん」

目玉焼きの堅焼きはイレギュラーなメニューで、あまり注文する客がいない。

「それで窓見たら、彗斗が映ってた」

夜のファミレスっていうのは窓の外の黒い景色が鏡になりがちだ。

「半熟食えないし」

やっぱりドリンクバーだけにしておけば良かったな。

「あれ、彼氏?」

「……元彼ってやつなんじゃない?」

そう言った七晴の声が震える。

「そっち行っていい?」

「……ちょっと、だめ、かも」

俺は小さくため息をつく。



泣いてる七晴なんて、初めて見た。

「だめって言ったのに……」

「課題がちょうど〝泣き顔〟なんだよ」

タブレットにペンを走らせながら言う。

「……彗斗、サイテー」

強がって非難するように言う。

「だから、気にせず思う存分泣けよ」

七瀬は一瞬驚いたように黙った。

「……ありがと」

泣き顔の七晴が力なく笑う。


あーあ、気づいちゃった。

気づきたくなかった。


「いつから付き合ってた?」

「……」

俺の質問に彼女は黙り込む。

当たり前だ。今振られた相手の話なんてしたくないよな。

「誰かに話した方が気が楽になるんじゃない?」

タブレットを見ながら何食わぬ顔でそんなことを言って、姑息に自分の知らない七晴を知ろうとしている。

「……2月から」

同じクラスで、いつも通りにくだらないことで笑いながら過ごしていた時期からか。

5月まで隠されてたのは結構ショックだ。

「……美術の予備校の講師だったの」

「ふーん……」

七晴は美大に行くために予備校に通っていた。

「メロンソーダじゃないんだな」

七晴の前には飲みかけのアイスコーヒーのグラスが置かれている。

こうして見ると……セミロングの髪にはゆるいパーマ、Tシャツだパーカーだ、ってカジュアルだった服もやわらかそうな女子っぽいブラウスに変わってて、まるで別人だ。

ビビッドカラーだった七晴は、ペールトーンに変わった。

「彼が……メロンソーダは子どもっぽいって言うから」

「髪形も、服装も?」

七晴がコクリとうなずく。

「……最初はね、かわいいって言ってくれてたの」

聞きたいような、聞きたくないような。

「だけどだんだん……〝もっと大人っぽく〟〝もっと女らしく〟って」

「……」

俺の絵で、他人の絵で、あんなに意見を曲げなかった七晴が。

「それで最近はケンカも多くて」

七晴がため息をつく。

「それってさぁ、モラハラってやつなんじゃね?」

「……」

「だって、服装だとか行動に制限があるんだろ?」

年上の彼氏のモラハラだよ。

「……そんなこと」

〝ない〟?

「わかってるよ」

思わず七晴の顔を見る。

「だけど、好きだったの」

〝知らない七晴〟の顔。

髪形でも服装でもない、知らない表情。

「……」

「……」

二人して無言になって、一瞬の沈黙が訪れる。

窓の外、車のライトが行き交うのをなんとなく見つめる。

「……あの人がいたから、受験、がんばれたの」



高二の夏頃、進路希望調査票が配られた。

『彗斗はやっぱりデザイン系の専門学校なんだ』

『うん、講師に尊敬してるイラストレーターがいるから』

『そっかあ、彗斗ならイラストレーターになれそうだもんね』

『七晴は美大?』

進路については何度か話したことがある。

『ずっと憧れてる大学だから。秋から予備校も行かなきゃなんだ』

『そっか、大変だな』

七晴は俺なんかとは比べ物にならないくらいデッサンが上手かった。

それでも名門の美大受験は狭き門だ。

『でも七晴なら大丈夫だよ』

俺の言葉に彼女がまた無邪気に笑う。

『ありがと。彗斗にそう言ってもらえたら、受験がんばれそう』


俺の受験なんて、願書を書いて面接を受ければ入れるような、はっきり言って簡単なものだった。

だけど七晴は毎日のように学習塾と美術の予備校に通って大変そうだった。

それでも『楽しいよ』って、笑ってた。


学校では、俺が七晴の息抜きになれたらなって思ってた。もちろん友だちとして。



「苦……やっぱり全然好きじゃない」

七晴がアイスコーヒーを飲んで眉を八の字にしながらつぶやいた。

「ちょっ待ってて」

ドリンクバーに行って、【メロンソーダ】のボタンを押す。

「はい、七晴のガソリン」

「ガソリンって……」

七晴は泣いたまま苦笑いだ。

「せめてバッテリーとかエネルギーって言ってよ」

ストローの袋を開けながら、口を尖らせる。

緑のメロンソーダにこの店の赤いストローをさして、くるっと一周氷をかき混ぜる。七晴のクセだ。

こんな小さなクセも知ってる。

知っててうれしいって思ってる。

頭しか見えないような後ろ姿でもすぐに〝いる〟ってわかる。

堅焼きの目玉焼きで俺を思い浮かべてくれたのだって、正直うれしい。


ようするに

七晴が好きなんだって、今夜気づいて、今夜失恋した。


七晴の泣き顔は、俺の泣き顔だ。

死ぬほどまぬけだ。


七晴がメロンソーダを飲もうとストローに口をつける。

「待った」

「え?」

彼女のグラスを奪うように取り上げる。

「え!? ちょっと!」

残ってたアイスコーヒーのグラスにメロンソーダを躊躇せずに注ぎ込む。

「はい」

「は?」

色はほとんどコーヒーだ。少しだけ炭酸の泡が見える。

「好きな飲み物の思い出が、悲しくなったら嫌じゃん?」

メロンソーダはあいつの思い出にしないで欲しい。

「……まずそう」

「いいじゃん、二度と飲まないまずい味で」

「……それもそっか」

七晴が笑う。

「昔はよく、ドリンクバー混ぜて飲んでたね」

「昔って言うほど時間経ってないけどな」

「おいしい組み合わせってなんだっけ?」

「そのまま飲むのが一番うまい」

「この世の真理」

また「ははっ」って笑う。

それからまた、ストローをくるっと一周。

「……おかっぱの方が似合ってた」

「……ボブって言ってよ」

「……パーカーの方が七晴っぽい」

「……子どもっぽいって言ってない?」

「……メロンソーダ飲んでない七晴は七晴じゃない」

「……それってどうなの?」

困ったように「ふふっ」って眉を八の字にする。

あんなやつの言葉、本当は全部否定して消し去りたいくらいだ。

「案外おいしいよ、これ」

「味覚がおかしい」

彼女の方を見れなくて、タブレットを見たまま言う。

「そんなことないよ。苦くて甘くて、すこしだけシュワシュワしてる」

そう言って、七晴は笑う。

声は少し、揺らいでた。


「多分ね、彼、他に好きな人ができたんだ」

こぼすようにつぶやく。


「そういう人なの。最低だよね」


グラスにひと粒、水滴が落ちる。


「彗斗がいてくれて良かった」

またひと口、メロンソーダコーヒーを飲む。

「彗斗がいるって気づかなかったら、もっとみじめにすがってたもん」

そう言って、泣いたまま笑いかける。

知らない表情が、またひとつ。


「あーあ、こんなに好きなのになぁ……」


いつかまた同じものを飲んだとき、君は俺を思い出してくれるのかな。


それとも


fin.

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