神薙先生は今日もたばこを咥えている

雨夜いくら

第1話 名前

 とある高校の昼休み。


 校舎裏にある小さなベンチに、二つの人影があった。


「なあ、少年」


「…なんですか?」


「『名は体を表す』という慣用句を知っているか?」


「聞いたことはあります」


 カチッという小さな音が聞こえてそちらに目を向けると、先生がタバコに火を点けていた。


 穏やかな春風に長い黒髪と、白煙をなびかせている。


 その横でベンチに座り、俺は弁当を食べている。


「実体、本質、ありのままの姿が名前に現れている事を言うわけだが…。さて、君の名前は何と言う?」


「…綾川あやかわ天永あまとです」


「ふむ、何処かで聞いたことがあるな」


「あなたの担当しているクラスの出席番2番の生徒ですからね」


「そうだったな。まだ名前を把握しきれてないんだ。ところで親から聞いた事はないか?“天永”という名前にはどんな思いが込められているのかを」


「…天空のようにおおらかで、その心は永遠なれ。っていう意味らしいです」


「なるほど、詩的で素晴らしいじゃないか。美形な君にはピッタリの名前だな」


「…そうですか……。じゃあ、先生の名前にはどんな意味が?」


「私の名前は神薙かんなぎるなという名前だが…。はてさて、つきという漢字に、そんな読みは有っただろうか?」


「いえ…ないです」


「そう、いわゆる当て字…もっと言うとキラキラネームと世間的に呼ばれる物だ。だが、意味は読み取れる。それは何故だ?」


「何故…って言うと、月が“るな”だと分かる理由ですか?確か、ローマ神話に登場する月の女神が“ルーナ”みたいな名前だから、そこからあやかったみたいな話じゃないですか?」


「その通りだ。よく知っているな、他にも色々な国々の言語でルナ、ルーナと発音する単語が月を意味する場合が少なからずあるらしいな。だが、ここで一つ、大きな問題が発生した」


「はい?なんですか…?」


「残念なことに、私は月の女神ではない。まして、月そのものでもない」


「…月ではないですね」


「挙句の果てに、この名前が原因で幼少期の頃はよく嫌がらせを受けてきた」


「……それって名前だけが理由ですか?」


「いいや、他にも理由はあるだろう。私の外見や態度も原因の1つだった。だが名前もまた、その原因の1つだった事も事実だ」


「…確かに一時期、話題にはなりましたよね。キラキラネームというか、いわゆるDQNネームみたいなのが」


「そうだな。『名は体を表す』とは言うが、その一方で案外…“名前”と言う物は、名付けをした者の品性を示すものでもあるのかも知れないな」


「…まあ、そうですね…。でも、月と同じくらいに綺麗な女性だとは思いますよ、神薙先生は」


「………ふふ、そうか」


 タバコの火を消して、かたんと小さく足音を鳴らした。

 そして、俺が座るベンチの後ろを通った時。


「君に言われて悪い気はしないな…」


 と耳元で囁いて、校舎へと戻っていった。


 立ち去った神薙先生を見送ったあと、俺は一人呟いた。


「…………めっちゃ可愛いじゃんあの先生…」


 俺の呟きは、四月の春風にかき消された。

 母が作ってくれたお弁当はいつもよりも美味しい様な気がした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る