第2話 煙草

「なあ、綾川少年」


「はい。なんですか?」


「『百害あって一利なし』ということわざを知っているか?」


「……神薙先生が今、手に持ってるソレの事ですか?」


「最も有名な物で言うとその通り、タバコを表す時なんかによく使われる言葉だな」


 そう言いながら、先生はタバコに火を点けた。

 どうやら神薙先生は毎日、この昼休みの時間に、ここで一本だけタバコを吸って休憩しているらしい。


「…そもそも、学校でタバコって良いんですか?」


「良かったら、こんな場所でコソコソと吸ってなんかいないさ。生徒の前で吸うなんて以ての外だ」


「…自分で言うんですね」


「だが生憎と、校内に喫煙室なんて無いからな。大人しく外で吸っているだろう」


「……そうですか」


「さて、確かにタバコは『百害あって一利なし』とは言うが、それは何故だ?」


「何故って…。健康に良くないから、ですよね」


「その通りだ。タバコの煙に含まれる化学物質の内、特にニコチン、タール、一酸化炭素は三大有害物質と呼ばれている。では、何故人はそんなものをわざわざ金を払って摂取しようとしているんだ?」


「……依存性があるからですか?」


「そうだな、タバコに含まれる成分の中でも特にニコチンには依存性がある。人の脳にはニコチンと結合する事で神経伝達物質であるドーパミンを放出する受容体があるからな。これにより、リラックスできたり安心感を得たりする訳だ」


「…まあ、快楽物質って呼ばれてるくらいなんで…」


「だが、他にもその快楽物質とやらを得られる方法なんて、現代社会の世の中にはいくらでもあるだろう。手軽な物で言えばゲームやスマホ、酒やギャンブル、あとは、性行為なんかもな」


「んぐっ、げほっ…ケホッ…」


「大丈夫か? …ともかく、これら全てに言えることは、ある種のコミュニケーションツールである、という事。それでいて、脳や身体に大きな悪影響を及ぼす可能性もある」


「……そう、ですね…」


「しかし…だ。他者とのコミュニケーションとして使える物、という時点で、それは果たして“一利なし”と言って良いものだろうか?」


「あぁ…俺としては、先生がタバコ吸ってるお陰で、こうして話が出来てるんで、確かに利はありますよね…」


「ふふっそうか?私は小さい頃は、親が吸っていたタバコが大嫌いだったんだがな…。今では、居場所の一つになってしまったよ」


「居場所、ですか…」


「“依存”と言うと確かに聞こえは悪いが、私のように一息付くための拠り所している者も少なからず、世の中にはいる」


「…まあ、最初の一歩として手を出す理由がある訳ですからね」


「そうだな。現代にはストレス社会、という背景がある以上、誰だって縋れるものがあるなら手を伸ばしてしまうものなんだ。……世の中が悪い、とまで言うつもりはないが、一因であることは確かだな」


 言いながら、先生はタバコの火を消して小さく息を吐いた。


「まあ、将来どうなるかは分からないが、お前は止めておけよ」


「…美人教師にタバコって凄く似合いますよね。神薙先生と話せて、目の保養にもなって…って考えると、俺にとってタバコは一石二鳥ですね」


「ふふっ…あんまり大人をからかうなよ」


 神薙先生はそう言いながら、俺の前を通り過ぎるついでに、俺の額をぱちっ、と軽く人差し指で弾いた。


 立ち去った後に、俺は一人呟いた。


「……結構真面目に言ってたんだけどな…」

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