好き避けしてくる幼馴染がいるけど、恋人がいる僕にはどうする事もできない

戯 一樹

第1話



 今日もまた、花乃かのに目を逸らされてしまった。



 季節は初夏。先々月まで咲き乱れていた校門の桜並木も、今では青々と生い茂っていた。この緑も秋になったら落葉し、やがて枯れ木となって、そしてまた桜の花を咲かせるのだろう。四季の訪れを変わらず知らせるように。

 けど、人間関係は四季のようにわかりやすく変わってはくれないようで、現在僕は、幼馴染で同じ高校に通っている宇都美うつみ花乃の態度に困惑していた。

「あ、またこっち見た……」

 先を行く花乃が、少し離れた位置にいる僕にチラッと視線を寄越す。そして目が合った瞬間に目を逸らされ、しばらくしたら、またこっちをおそるおそる振り返ってくる。あたかもダルマさんが転んだでもやっているかのように。

 こんなやり取りが、自宅を出てからずっと、花乃と顔を合わせてから何度も繰り返されていた。

 しかも昨日今日の話じゃない。高校に入学して半年ほど経ってから、ずっとこんな調子だった。中学生の頃は普通に話せていた方だったのに。

 なまじ、お互い家が近所で通学路も帰路もほとんど同じなので、僕としては気まずいったらなかった。

 どうしてこんな事になってしまったかはよくわからない。僕に落ち度はない……と思う。少なくとも花乃を怒らせた覚えはない。

 一度、こっちから声を掛けてみた事もあったけれど、まるで野生動物のように逃げられてしまった事がある。見た目は目元が隠れるくらいの野暮ったい黒髪で、なおかつ小柄な女の子なので、どちらかというと警戒心の強い黒猫という印象の方が強いけれど。

 できれば、また昔のように話したいという気持ちはあるのだけれど、ああも避けられてはどうしようもない。せめて嫌われてはいない事だけが唯一の救いか。

 そうして、花乃と目が合いつつもすぐに逸らされるという事を何度も繰り返しつつ、僕はなんとも言えない心持ちのまま校門をくぐった。




 ところで、見た目の印象からもわかるように、花乃は昔からとても内気な女の子で、どちらかと言わずとも陰キャグループに属している。まあそれは僕も同じというか、正直言って全然友達がいないとすら言えるレベルではあるのだけれど。

 ただ僕の印象では、幼稚園に通っていた頃の花乃はもう少し明るかったように思う。今では考えられないけれど、花乃の方から積極的に声を掛けてきた事があるくらいには。

 幼稚園に通っていた無垢な頃と、今の多感な時期を比べるのもどうかという気もするけれども。



正太郎しょうたろう、今日はどうだった?」



 と。

 教室の隅でひとり窓からの景色を見るともなしに眺めていた僕に、友達というわけではないけれど、学校ではよく話す程度の仲ではあるクラスメートの男子、もとい康二こうじが不意に声を掛けてきた。

「どうって、何が?」

「そんなの、宇都美さんの件に決まってるじゃん」

 いちいちわかりきった事を訊くなよ、と口にしながら、僕の前の席に座る康二。

「あー、まあうん。いつも通りだった」

「そっかー。相変わらずかー。半年くらい前からだよな、こうなったのって。いきなり幼馴染に避けられるのって、けっこうキツいよな」

「うん……」

 康二とは高校の時に知り合った仲だけど、花乃との関係は話しているので、幼馴染だという事はすでに知っている。

 何なら花乃と話した事もあるけれど、別段仲が良いわけじゃない。たまたま僕との交流の延長線上で会話する機会が何度かあったというだけで、相性が良いというわけではないようだった。

 だからと言って、決して仲が悪いというわけではなく、単に互いに興味がないというだけなんだけれど、そんな康二でも最近の僕と花乃の関係が変わった事を気にしてくれているようだった。

「正太郎はさ、なんか心当たりとかないのか?」

「さあ……。全然見当も付かない……」

「……正太郎、それマジで言ってる?」

「え、う、うん……」

「マジか……まだわかんないのか……」

 何故か呆れたように言う康二に、僕は意味がわからず首を傾げる。

「正太郎、さすがにもうそろそろ気付かなきゃまずいと思うぞ。宇都美さんが可哀想だ」

「どういう意味……? 花乃が可哀想って、僕が何かしたって事……?」

 僕の問いに「はあ」とこれ見よがしに溜め息を吐いて、

「本当は宇都美さん本人から聞くべきなんだろうけどさ、さすがにじれったいから言わせてもらうわ」

 そう言って、康二は僕の目をまっすぐ言った。



「宇都美さん、お前の事好きだぞ?」



 え、とも言えず、僕は無言で固まった。

 花乃が、僕を好き……? そんなはずない。だって僕と花乃は幼馴染で……女の子ではあるけれど、僕にとっては大切な親友で……。

「その反応、本当に気付いてなかったんだな、お前」

「そんな……何かの間違いじゃないの? だってさ、ずっと避けられてたんだよ?」

「だからそれは、好き避けってやつだよ。好きだから正太郎の事を避けてたんだよ」

「なんでそんな事がわかるのさ? 花乃から直接そう訊いたの?」

「そういうわけじゃないけど、見てりゃなんとなくわかるって」

 いや、今まで彼女も出来た事もない俺が言うのもなんだけどさ、と気まずそうに頭を掻く康二に、僕は戸惑いながら言葉を返す。

「急にそんな事を言われても……まだ信じられないっていうか……。いや、康二の言う事が信じられないってわけじゃないけど、正直心の整理が付かない……」

「まあ、そりゃそうか。でもさ、俺の言葉を信じるか信じないかは別にして、ちゃんと話し合った方がいいと思うぜ? あれじゃあ宇都美さんが不憫だ」

「そう言われても、面と向かって告白されたわけでもないし……。そもそも、話したくても避けられちゃう状態だし……」

「だったらスマホで訊いてみるとか色々方法はあるだろ。余計なお世話かもしれんけど、このままだと、高校を卒業した頃には疎遠になるかもしれないぜ? そうなる前にちゃんと宇都美さんの事を考えてやった方がいいと思う」

「そう、だね……。心配してくれてありがとう」

 僕の言葉に「ただのお節介だよ」と照れ臭そうに頬を掻く康二。

 そんな康二に苦笑を向けつつ、僕は心の内で決めている事があった。



 たとえ花乃に告白される事があったとしても、彼女と付き合う事は絶対にない、と。



 何故なら、僕には──……。



 ■ ■ ■



 放課後。

 僕は自宅には帰らず、とある家の前に立っていた。

「はあ……」

 重々しく溜め息を漏らす。

 これからに会わないといけないと思うと、どうしても気が重くてなかなかインターホンを鳴らす気分になれなかった。

 でも行かないわけにはいかない。



 だって、僕とあの子は──



「はあ……」

 再度溜め息を吐きつつ、僕は意を決してインターホンを押した。




「今日も来てくれたのね、正ちゃん」

 ベッドの上で上半身を起こしながら薄く微笑むボブカットの少女──瑠璃るりに、僕は正面に座りながら「うん」と小さく頷く。

「約束だから。土日以外は瑠璃に会いに行くって」

「約束がないと会いに来てくれないの?」

「そういうわけじゃ、ないけど……」

「ふふ、そうよね。だって私達、恋人同士だものね」

 同い年のはずなのに、妖艶に僕の頬を撫でながら微笑する瑠璃に、僕は何も言えず押し黙った。



 そう。

 実は僕と瑠璃は、数年前から付き合っている恋人同士なのだ。

 それもただの恋人同士ではなく、花乃と同じ、幼馴染でもある。



「もう何年だっけ? 私達が付き合い始めてから」

「たぶん四年じゃないかな。中学に上がってからだったから」

「そっか。もう四年も経つのねー。あの頃は私と正ちゃんと花乃の三人でよく遊んでたわよねー」

 瑠璃が言った通り、僕達三人は家が近所という事もあって、昔はよく一緒に遊んでいた。それこそ、普通なら思春期特有の異性避けがあっても不思議ではない年頃の時まで。

 まあそれは、幼稚園の頃からの付き合いなので、お互いに気心が知れていたというのもあるのだろうけれど、単純に気が合っていたのだと思う。性別も違っていれば、性格だって決して似ているというわけでもないのに。

「覚えてる? 小学五年生の時に、三人で一緒にバスに乗って隣町のショッピングモールに行った事」

「覚えてるよ。瑠璃の荷物持ちをさせられたから」

「えー? 私だけじゃなかったでしょ? 花乃も持たせていたはずよ?」

「いや、あれは花乃が断ったのを無理やり瑠璃が僕に持たせたからだよ。『男なら女の子の荷物を持つのは当たり前だ』とかなんとか言って」

「レディファーストよ。今は時代錯誤だとか性別差別とか言われるかもしれないけど、結局便利……女の子に優しい男はいつの時代もモテるのよ」

 今さっき「便利な男」って言いかけなかったか?

「ほんと、あの頃は楽しかったわよねー。いつも三人一緒で、男だとか女だとかも気にしないで、色々な場所に行って遊んだりとかしてさ。山とか川とか、電車に乗って海にも行ったわよねー」

「そう、だね……」

「懐かしい……また三人で一緒にどこかに遊びに行きたいなあ。正ちゃんと花乃と一緒にまた走り回りたいなあ」



 まあ、私は一生無理だろうけど。



 言って、瑠璃は貼り付けたような笑みを浮かべなから、パジャマの上から自身の足を撫でた。

 瑠璃の言葉に、僕は何も言えず俯いた。というよりは、何を言えばいいのかもわからなかった。



 下半身付随で、自分で立つ事もできない花乃には。



「あれから四年かあ。事故にあって、下半身付随って言われたの」

「………………」

「あれから私、中学にも行かずにずっと家に引き篭もるようになっちゃってさー。本当なら今頃、高校にも通っているはずだったのに」

「………………」

「いや、もちろん車椅子で登校するって選択肢もあったし、パパとママにも勧められたけれど、行けるわけないわよねー。だって自分だけ車椅子なのよ? トイレだって人の力を借りないと行けないのに、そんなの頼めるわけないわよね。相手も迷惑だろうし、何より私が嫌。家族以外にトイレの補助をしてもらうなんて絶対耐えられないもの」

「………………」

「正ちゃんの言いたい事はわかるわよ。それなら、普通科じゃなくて特別支援学校にでも行けばいいって思ってるんでしょ? でもわかる? 少し前まで普通に歩けていたのに、ある日突然、特別支援学校に行く事の辛さや不安が」

「………………」

「あ、別に障害者を見下しているわけじゃないのよ? 私だってそうだし、突然障害者になった辛さは私自身がよくわかっているつもり。自分の事をよく知りもしない人間に憐れまれたり、根拠も無しにポジティブな発言をされる辛さはね」

「………………」

「けどさあ、だからと言って割り切れるものでもないのよ。だって私、事故に遭う前は普通に歩けていたんだもの。それなのに、車椅子に乗って生活しなくちゃいけないなんて、私には無理。そんな自分の姿を想像するだけで惨めで死にたくなるわ」

「………………」

「ねぇ正ちゃんはどう思う? もしも正ちゃんが私と同じ立場だったらどうしてた?」

「………………」

「何も言ってくれないのね。でも、仕方ないかー」

 そこまで言って。

 瑠璃は上半身の力だけでベッドの上を移動しながら、僕の首にねっとり抱き付いてきた。



「だって正ちゃんのせいだもんね。私が一生歩けない体になっちゃったのは」



 ねっとりと耳元で囁く瑠璃に、僕は何も応えられなかった。

 瑠璃の言った事は本当だ。瑠璃が下半身付随になったのは僕のせいだ。



 事故に遭った瑠璃をすぐに助けなかったせいで、瑠璃は下半身付随になってしまった。

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