参加作品

01:わがまま令嬢は花火大会を開催したい。

 茹だるような蒸し暑さ。

 セミの声さえ元気のない昼下がりの教室。

 伊藤いとう吉江よしえが澄まし顔で予習に勤しんでいると、同級生の女の子が「ねぇ」と尋ねた。


貝島かいじまくんは夏休み、用事あるの?」


 声をかけられたのは吉江ではなく、隣席の男子だった。「何も」と彼は嘆息した。


「大学受験も間近だし、ずっと勉強してるだろうな。安川やすかわさんもでしょ?」

「うん。わたしも夏期講習で塾に缶詰めになりそう」

「もう高三だもんな」

「せっかくの夏休みなのにね」


 二人は慰め合うように嘆息を交わす。勉強のせいで夏休みも謳歌できないなんて、庶民は可哀想な生き物だ。吉江はペンを止め、先日届いたAO入試の合格通知を思い返した。

 吉江の両親は伊藤グループという大企業群の代表で、この街の経済を牛耳る支配者だ。もちろん吉江も恩恵にあずかってきた。親のお金で何度も海外留学に行ったし、習い事だって無数にこなしてきた。家庭教師のおかげで学業も充実しているので、お嬢様大学のAO入試など何の苦労もなく突破できた。

 まさに順風満帆、思い通りの人生。

 たったひとつ思い通りにならないのは──隣の席の子の心だけ。


「あーあ。高校生のあいだに一度くらい、花火大会とか行ってみたかったな」


 机に突っ伏しながら男の子が嘆いた。ぴくりと耳が動いて、吉江は思わずペンを置いた。


「このへんってぜんぜん花火大会ないじゃん。僕、まだ一度も行ったことないんだ」

「わたしもだよ。可愛い浴衣着ていくの、ずっと憧れてるんだけどな」


 花火大会ってそんなに特別なものかしら。吉江は長岡やら大曲やら、連れてゆかれたことのある花火大会を思い浮かべた。うるさいばかりで楽しかった記憶はない。でも、気になる人が隣にいたなら、もっと楽しいものだろうか。


「……そんなに見たいのね、花火大会」


 思いきって声をかけてみる。男の子──貝島かいじま太一たいちは不意の声かけに驚いたか、すっとんきょうに「うん」と返事をした。貝島くんの両親はもちろん伊藤グループの社員だった。


「近場でやるなら行きたいよ。でも受験生だし、勉強しなきゃ……」

「あら残念。私、特等席のチケットを何枚か持ってるんだけどな」

「本当!?」


 叫ぶように貝島くんが身を乗り出してきて、衝撃で吉江は我に返った。

 しまった。

 気を引くつもりでデタラメなことを口走ってしまった。しかも、食いつかれた。


「安川さん、いまの聞いた?」

「ねね、それってわたしもチケットもらっていいの? いつどこでやるの?」


 女の子──安川やすかわ敬香けいかまでもが揃って身を乗り出してきた。もちろん安川の両親も伊藤グループの社員だった。

 どうしよう。花火大会の予定なんか吉江は知らないし、もちろんチケットの手配もしていない。しかし目を輝かせる二人の──特に貝島くんの手前、嘘だったとは言い出せない。

 吉江は覚悟を決めた。

 経営者の令嬢たるもの、決断にはスピードが大事だと両親から教え込まれていた。


「に……二週間後よ。会場はすぐそこ、河川敷の野球場」

「知らなかったよ。市報にも載ってなかったのに。どこで聞いたの?」

「まぁ、色々と伝手があるわけ」


 どっしりと胸を張りながら、吉江は机の下に隠したスマホの電源をつけた。チャットアプリを開き、【麻生あそう】の名前を探す。麻生というのは伊藤グループの抱える秘書で、吉江にとっては召使いみたいなものだ。


【ちょっと麻生! 今すぐ市に掛け合って、河原の野球場を貸し切りにして】


 メッセージを打ち込むとすぐに既読がついた。降って湧いた指令に彼は混乱した。


【突然どうされたんです。野球でもされるのですか】

【花火大会をやるのよ】

【無茶を仰らないでください! そんなもの消防の許可が下りるはずが……】

【消防本部の上層部に札束でも握らせればいいじゃない】


 ためらいもなく吉江は贈賄を指示した。

 千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。とにもかくにも、この街で理想の花火大会を開催する。あわよくば隣の安川も追っ払って、貝島くんと花火デートを決め込むのだ。


「すごいなぁ。この街で花火が見られるなんて夢みたいだ!」

「どんな演目をやるんだろうね。わたし、ナイアガラとか見てみたい!」

「それってどんなの?」

「全長何キロもある花火の滝なんだって! 川に映ったらきっと綺麗だよ」


 安川の安っぽい解説に貝島くんの瞳が輝きを増してゆく。あなたのためにやるわけじゃない、と吉江は笑顔で彼女を威嚇する。ナイアガラは却下だ。お金もかかるし。


「僕はとにかくたくさん打ち上げてほしいなぁ」


 貝島くんは爽やかに笑った。


「どれくらいが相場なんだろ。十万発って多いのかな?」

「じゅうまっ……」


 ナイアガラの比ではない要求に、吉江は顔をひきつらせた。日本最多の打上げ数を誇る諏訪湖の花火大会ですら、記憶が正しければ四万発だ。十万発の大会など聞いたこともない。

 すかさず、手元のスマホで麻生に指令を出す。


【二週間以内に十万発の花火を調達しなさい】

【また無茶を仰る! ただでさえ花火大会の多い時期に十万発など……】

【花火工場の一つや二つ買収すれば間に合うでしょ。運送会社もついでに買収して】


 吉江は麻生の前ではどこまでも残酷になれる女だった。しぶしぶ、麻生は了承の返信を送ってきた。


「十万発の花火大会ってなんかすごそう! せっかくだし浴衣も新調したいなぁ」

「いいね。僕もせっかくだから甚平とか着てみようかな」

「伊藤さんはどうするの?」


 はしゃぎ通しな安川の声に、吉江は現実へ引き戻された。スマホの電源を落としながら「そうね」と苦笑する。ドレスはともかく浴衣の手持ちはない。貝島くんに恥じをかかさぬよう、最上級の浴衣を仕立てたいところだ。安川なんか十二単でも着ていって幻滅されてしまえばいい。


「私はデパートで買うかしら。二人は?」

「それ、わたしも一緒に行ってもいい?」

「いいけど、きっと値が張ると思う。あなたに買えるかしら?」


 言いながら、すぐさま麻生に指示を出す。着物ショーに出品予定の最新デザインの浴衣を、駅前のデパートへ大量に納入させるように手配した。庶民の安川には手も足も出ないような高級品が店頭を埋め尽くすはずだ。

 そうとも知らない安川はうきうきとスマホを取り出して、「貝島くんも甚平買うよね?」と彼を見上げる。


「いつ買いに行くか決めようよ」

「そうだなぁ。来週の週末なら行けるかも──」


 スマホを覗き込んだ貝島くんの顔が曇った。


「しまった。二週間後って、塾の模試がある日だ。花火大会の日と重なってる……」

「その模試ならたぶん中止になると思うけれど?」


 顔色ひとつ変えずに吉江は言い切った。それからスマホを取り出して【駅前進学塾 分かってるわよね?】と麻生に言いつけた。小一時間もすれば、監督官庁から模試の主催者に業務停止命令が下されるはずだ。【もう勘弁してください】と麻生はスマホの向こうで泣いていた。

 勘弁も我慢もしない。

 だって、そんなことをすれば安川に負ける。

 幼馴染の安川と貝島くんが日頃から懇意にしているのを、ずっと隣の席から眺めていた。このまま正規ヒロインの座を渡してたまるものか。万難排してでも貝島くんの隣に立って、一緒に花火を見て、その心までも射止めてみせるのだ。

 そのくらい、貝島くんが好き。

 高校生活最後にして、人生最初の大事な大事な恋。

 線香花火のようには終わらせないんだから。

 爛々と闘志を燃やす吉江を、当の貝島くんは呆気に取られて見つめている。

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