ごり

雲が近い。ビルもないのに風が強い、これがビル風かとわかる。

下を見ると足もすくむ。鉄塔の電波線も高いところから見ると果てしない遠くまで植わっている。人がどこまで行ってもいることの証明をされているようなきがして嫌になる。


こんなに知らない場所もこともあるのに私は今、狭い縦横50㎝くらいしかない石の箱に入るためだけに死のうとしている。死ぬことは他人に好き勝手言われても仕返しができなくなることだ。

だけど私は自分が面と向かって言われるよりも陰口をこそこそ、言われていた方がいい。だってその人たちの時間を大なり小なり奪っているしもし耳に入りでもしたら足をかけて転ばしてやれる。それこそ気持ちよく暴力が振るえるということだ。だけどなんだか何をするにも疲れてしまった。

言い返すことも無くヘラヘラと顔色を伺うだけ、嫌になった。不満足なわけでは無いけどこのままの日々が続くのなら死んでしまって、目を閉じ続ける方がマシだ。人間関係もすっかり希薄で悲しんでくれる人もいないだろう。


少なくとも、私が死に場所に選んだ地元に昔からあるスーパーに勤める主婦なんかは悲しんでくれるのだろう。糞くらえだ。私は主婦と言う物が世界で一番嫌いだ。ぼけ老人と変わらない。すぐに宗教にどっぷりつかり教えをたいして反芻して考えていないくせにやたらに布教して回る。一度宗教勧誘にきたおばさまを質問攻めにして困らせてやりたいくらいには嫌いだ。私は神を信じてはいないが自分は信じている。好きなものを信じることが信仰ならなぜもっと好きになろうとしない、布教なんて無駄なことをしている時点で半端者のだから主婦なんてやっているんだろうがこれからこれまで本当に好きなことが無かった奴が最終的に信じ込まされるように巧妙に作られている宗教なんかにはまるんだ。


なぜ、私がなかなか飛ばないのか分かっただろう。

そう。私は主婦の一団が通るのを待っているのだ。一生のトラウマになってやろうという人間らしいささやかな理由のない復讐だ。

私が死を選ぶことにしたのはつまらなくなったから、毎日の足踏みに、世界はこんなにも広いんです。とテレビでは頑張って連日放送する癖にどう頑張ってもそのすべてを回ることはできないし第一私の趣味は読書だ、時間もかかればお金もかかる。旅行と両立することはできるのはできるだろうが半端者になってしまう気がする。


この半端者ってのもやっぱり親の目を気にしてのことでいちいち実母なのに姑みたいなことを言う産道にコールセンターがあったならばいいお局になれたような母のせいだ。人の目ばっかりを無意識に気にしてしまう。死ぬときにまで人の目を気にして、結局また失敗に終わりそうだ。この店のブラックリストにもきっと載っている。リストを血で染め上げる殺人鬼になってから死ぬのも悪くない、と不意に思う。昔から妄想だけは一丁前で先生の話は聞かない怒られてもまるで気にもしない。なのに映画を見るときは真剣な顔をしてみるし、漫画は怒られるまでずっと読んでいる。そんな私。親からは育て方を間違えたと言われ家の中ではうまく息ができない。不登校になってからはずっとそうだ。ハローワークにだって親が行けと言うから行った。そのせいで私は死ぬ。


帰り際にフラっとジュースを買うみたいに死ぬ、死のうと毎日のようにしているのに死ねないで、任意の処刑で足踏みばかりしている。意思のない100人を町で集める企画があれば私はかなり早い段階で選ばれるのではないだろうか。

死の理由を並べるとしよう。この行き場のない怒りを他人にぶつけないように人に迷惑をかけないように死ぬのだ。私は親切で優しい殉教者だ、でも町の主婦100人に聞き込みインタビューをしたならば100人が嫌な顔をするのだろう。だから主婦は嫌いだ。主婦の中でもとびきりの糞時代遅れの専業主婦が、レジでバイトしていくとわかる。同族嫌悪かもしれないがレジ待ちで苛々している人間と言うのはやっぱり専業主婦でシミばかり美しいものは独りもいない。ブスは気が短いとはよく言ったものだ。美人で苛々してレジを通すのを待つ女を見たことはない。美人は昔からちやほやされてきた、つまり人間関係が希薄な私たちとは違う。人とのコミュニケーションの練度が比べ物にならないくらい高い。ナンパをしても嫌な顔をするのはブスばかりで美人の場合は無視されるか成功するかの二択しかないのに対し、ブスを捕まえるのに失敗した場合は警察を呼ばれ、家族を呼ばれ、めんどくさい声だけはデカいデブが呼ばれ、のてんやわんやだろう。


ここで一つ思い出してほしいのだが私は意思のない100人に選ばれた奴だ、このすべてとは言わないがほとんどが自分の考えではないことを覚えていて欲しい。と保険をかけ顔色を伺ってみる。

私が飛ぶときが来たみたいだ。横断歩道を血で染める。渡り切ってからでいいのにせっかちなおばさんはリモコン式になっている鍵を使って車のドアを開ける。ヘッドライトが夜の闇を照らすが一瞬でまた闇に飲み込まれる。

私は三人並んで歩いているおばさん、並んでいるのに一人は何も話さないで二人仲良さそうに話すおばさんの頭上めがけて靴を落とす。靴の種類はハイヒールで叫び声が上がる。


突き刺さりでもしたのだろうがここは暗くて良く見えない。血が、血がと必死な声が聞こえる。せっかちなおばさんは走り出したのか靴が地面を叩く音がテンポよく響く。横断歩道は赤信号、おばさんはすっ飛んできた初心者マークの車にはねられて、私はまた死にたくなくなってしまう。私が死ななくても代わりに死んでくれる人はこんなにもいるんだ、と。


何をしても結局こうなんだ、何をするにも代わりがいる。レジにしてもそうだし代わりの効かないものなんてお笑いコンビの、特にダウンタウンの松本人志くらいのものでパッケージの破れた商品なんかはすぐに別の物と取り換えられて捨てられる。私はそんな商品が並ぶリユースショップの欠陥品にすらなれないのか。欠陥品ですら代わりがあるのかと嫌になる。


ビル風が頬を冷たく撫でる。家では待っている人も誰もいない。帰っても親に心が小さくなることを言われるばっかりだ。だけど帰らないといけない。矛盾に見えるけど世間では正しいとに見えている。


世間とは人の流れでしかないのだから私とは関係が無いとバッサリ切ることができそうではある。だけど親、弟がいる限りいくら友達を切っても世間の波から逃げることができない。この世間のせいで私は息ができず死にそうになっているのに。でもこの死にたさも一過性、今だけの物と言うのも良く知っている。死んだら後悔も無く安らか、その虜になってしまうのもわかる。大丈夫、私には集めてまだ読んでいない本が命綱の役割をして積みあがっている。おかげで今日もだましだまし生きられている。こんな毎日に。太宰治とその他の作者に感謝。


叫び声と夜の闇、そしてサイレンが大きな音がダメな私の耳をいじめるので今日も死ねずに帰る。家出をしようとしてもまた誰かと一緒にしようなんて下心を覚えている、家出をすることもできない。そのままゆったりと腐っていく自分の手足を眺めながら嘘の笑顔を並べて何をするにもへらへらと早く終わらないかなと考えて。あとからゆっくり後悔すればいい、もう何をするにも徒労なんだ。後悔をしても何しても遅い。耳鳴りの様に響いて離れないサイレンが私が生きていることの罪を裁こうと追いかけてきているような錯覚をして車を走らせる。カーステレオから流れるLemonが夢ならばどれほどよかったでしょう、と私の中のえたいのしれない不吉な塊を刺激して、涙がこぼれそうになった。

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ごり @konitiiha0

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