君の桜

ナナシリア

葉桜

 桜だけ、美しい。


 世界に美しいものなんていくらでもある。でも僕は、桜だけを美しいと感じた。


 美しいものだけじゃない。ありとあらゆる感情を失って、その末に残ったのが桜の美しさだった。


 その理由はたぶん、去年の春に起こった、僕の中での一大事件にある。


 去年の春、僕は大学生になった。


 苦しい受験勉強を終えて、やっとその成果が出て、両親はもちろん、弟さえも僕の合格を祝ってくれた。


 だが、幸せなのは入学式までだった。


 式中、来ると言っていたはずの家族が見つからなかった。


 見つけられなかったのは残念だ、帰ってからどこにいたのか訊こう、と思い、幸せな気持ちで電車に乗る。


 何気なくスマホを確認すると、知らない番号からおびただしい量の着信履歴があった。入学式の間は電源を切っていたので気づかなかった。


 その量からして緊急事態であることは間違いなさそうなので、いったん次の駅で降りて、かけなおす。


 相手は電話にすぐに出た。促されて、互いに名乗る。相手の言うことが正しければ、相手は警察らしかった。

 

 空気が重苦しい。


『ご家族が、亡くなりました』


 どういうことか。理解が追い付かなかった。


 いろいろと説明された。頭に入らない。警察署に行けばいいらしい。


 警察に着いた。母がつけていたスカーフ。父がよく使ってた財布。弟の真新しいスマホ。


 間違いなく、家族の――「遺品」だった。


 次に、霊安室に向かった。確かにそこに、家族がいた。涙が零れる。


 警察は、傍で見ていた。黙っていた。




 それからはいろいろあった。


 ひき逃げだったらしい。警察がいろいろ調べた。遺体の調査が終わり、僕が遺体を引き取らなければならなかった。しかし、遺体を引き取る能力は僕にはなかったから、母の両親と父の両親を頼った。最低限の協力は得ることができたが、僕をよく思ってはいないみたいだった。


 捜査はうまく進まなかった。葬儀が終わり、あっという間に四十九日が訪れ、それでも犯人は見つからなかった。


 気づくと警察に失望していて、誰も僕を助けてくれないんだという認識に移って、きっと世界ってそういうものなんだろうと世界のせいにして、いつの間にか世界という仕組みに絶望し失望した。


 それ以降、僕は無気力かつ無関心になった。


 でも、家族が死んだ横断歩道には桜が咲き誇っていて、桜にだけは父や母や弟がいるように思えて、桜にだけは無関心になれなかった。


「桜は、綺麗だ」


 あんな事件があっても変わらず咲いて、僕はそれを見て去年の甘美な記憶を遡る。


 どんな花もきっと季節が来たら咲くだろうが、桜は特別だった。

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