第26話 薔薇園
「ケイ、あんた最近元気なくない?」
「え? そうかな……疲れてるのかな」
本邸でヴォルクとその前妻の肖像画を見てから数日後。
シーツなどの溜まった洗い物を洗濯場に持っていく途中で、ケイはラスタに声を掛けられた。ケイの荷物を半分持ってくれた親友は、一緒に歩きながらケイの顔色を窺う。
「悩みごと?」
「んー……。そう、かな。不毛な感じの」
「ははーん。……男?」
「ちっ、違うよ!?」
最初は歯切れ悪く返したのに、二度目は即答してしまった。それが逆に怪しく聞こえて、ラスタはにっと肩をぶつけてくる。
「嘘~。……まぁあたし、なんとなくは分かるけど。
「……っ」
ラスタの茶色の目が細められる。こちらに来て長い時間を共有してきた友人に心の奥まで見透かされている気分になり、ケイはカアッとうつむいた。
「お恥ずかしい限りです……。え、私もしかして態度に出てる?」
「出てないわよ。でも、あんたの置かれた状況を思えば
ラスタがしれっと言ってのける。ケイは思わず苦笑してしまった。
「理想、高すぎじゃない?」
「逆よ。完璧すぎてお近付きになれない。ずっとこの国で暮らしてると背負っているものの大きさとかも知ってるしね。そういう意味では、それを知らずに近付けたあんたは珍しい存在だと思うわ。……珍獣的な?」
「珍獣……。パンダかい」
「ぱんだって何? ……それで、あんたこれからどうしたいの?」
ふいに問いかけられ、ケイはきょとんと立ち止まった。怪訝な顔でラスタを振り返る。
「え。いや……どうもしないでしょ。ただあまりにも不毛だから、距離を置こうとは思ってるけど。そろそろ養老院に戻してもらおうかと――」
「えー! なんで!?」
「だって……しんどいの嫌だよ。何より生活していかなきゃいけないし」
日々の生活以外に心を煩わされたくない。そしてそれと同じぐらい、恋愛で痛い目を見るのはもうこりごりだった。
ヴォルクが人として信頼できるのは間違いないが、それでも怖い。想いを寄せ、万が一受け入れられたとしても、またいつか裏切られるのではないかと――忘れたと思っていた心の傷がふいに顔を出す。
心身ともにボロボロになる、あんな想いはもう繰り返したくない。
ラスタにも似たような経験があるからか、ため息をつくとそれ以上は追及してこなかった。
「お似合いだと思うんだけどねえ」
「いやどう見ても釣り合わないでしょ……。さて、仕事仕事。今日こそ薔薇園にお連れしよう? グラースさんにも連絡しといたし」
「はいはい。ひとまずの目標だったからね」
フィアルカの部屋へと戻ってくると、車椅子に乗せるべくケイはフィアルカの体を起こした。だが靴を履かせようとしたところで、いつもとの違いに気付く。
「あれ……足むくんでる。……フィアルカ様、体調悪くないですか? 胸苦しいとかないです?」
「……? ……へー、き」
「そうですか。たまたまかな……」
フィアルカの足が、いつもより少しむくんでいる。靴を履けないことはないが、念のため確認するとフィアルカはきょとんと首を傾げた。
動きもいつも通りのため、ケイはフィアルカを車椅子に乗せるとラスタと外へ連れ出した。来週には医者が往診に来るし、そのとき話せばいいだろう。
あれから何度か車椅子で外に出たからか、フィアルカが移動を恐れることはなくなった。別邸から出てなるべく平らな道を庭園の奥へと押し進めると、やがてガラス張りの温室が見えてきた。
ケイはこの世界で、他に温室を見たことがない。おそらく非常に贅沢なものなのだろうが、フィアルカが少女の頃に造らせたというその温室は、さすがに年季は入っているもののしっかりと手入れされていた。その入り口に立つ男性にケイは手を振る。
「グラースさーん! お連れしましたー」
「おー、ケイちゃん。へぇ、これが『車椅子』ってやつかぁ」
待っていてくれたのは今この温室を管理しているグラースだった。グラースは水やりの手を止めると、車椅子に乗ったフィアルカに近付く。そして目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「お久しぶりです、フィアルカ様。俺のこと、覚えてますか」
「……フ、ラー……。……ス」
久々に呼ぶ名を上手く発音できず、フィアルカが恥じるようにショールで口元を隠してしまう。ラスタが髪を整えて薄く化粧も施していたが、困ったようにうつむくフィアルカにグラースが明るく笑いかける。
「はい! グラースです。お互いトシ取りましたねえ。でも、また来てくれて嬉しいですよ」
「……う。うー……」
「ああ泣かないで。生きてりゃ色んなことありますって。でも、うちのおっかあは
旧知の間柄であるらしいグラースの言葉にフィアルカがしゃくり上げた。その涙をぬぐいながら、ケイはフィアルカをここまで連れてこられた手応えを感じていた。
色とりどりの薔薇が咲き乱れる温室の中へと歩みを進めると、もう一人待っていた人物にケイは目を見開く。
「……オーヴ」
「ヴォルクさん……。え、今日はお仕事じゃ――」
予想してなかった人物が、フィアルカを待っていた。先日の胸の痛みを思い出して心が一瞬ざわついたが、仕事中の顔に戻すとヴォルクもまたケイを見下ろす。
「ひと段落したゆえ、家に持ち帰った。伯母上が薔薇園にいらっしゃるとグラースから聞いてな……。車椅子に乗っているところもまだ見ていなかったしな」
ケイが知る限り、別邸の自室以外の場所でフィアルカとヴォルクが対面するのは病気になってから初めてのはずだ。明るい陽光のもとで顔を合わせた伯母と甥からケイはそっと距離を取る。
ヴォルクはしゃがみ込むと、フィアルカの膝に切りたての薔薇の花を乗せた。
「伯母上。伯母上が大切にされていた温室ですよ。またこうして来ていただけるとは、私もグラースも感無量です。今日は、私が車椅子を押してもよろしいですか?」
「オーヴ……ヴォールーク。……うう、ああ……」
フィアルカの目から大粒の涙があふれ出す。その痩せた手に大きな手を重ねると、ヴォルクは力づけるように握った。
「伯母上と花を見るのは子供の頃以来ですね。気に入ったものがあれば部屋に届けますから、言ってください」
大柄で屈強な甥が、小柄な伯母の乗った車椅子を慣れない様子で押す。遠い昔のように、談笑しながら。
その光景を遠くから眺め、ケイはここでの仕事に一つの区切りがついたことを感じていた。
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