第12話 国王

(ゴージャス! ゴージャス……! 私、めちゃくちゃ場違い!!)


 馬車に揺られること20分ほど。たどり着いた王宮の扉の前で、ケイはさっそく足がすくんでいた。


 ここまでの道中、車内でヴォルクと二人きりだったが会話を楽しむ余裕はなかった。コルセットを締めたまま座っている姿勢がそもそも少し苦しかったし、口を開けば綺麗に施されたメイクが崩れてしまいそうで気が気ではなかった。

 深呼吸を繰り返すケイをヴォルクが静かに見つめていたが、ケイが気付くことはなかった。



「に……逃げてもいいですか。私やっぱり王様に会うなんて恐れ多くて――」


「ケイ。緊張しなくても大丈夫だ。今日の謁見は私的なもので、私と陛下以外に人はいない。それに私と陛下は幼馴染だ。かしこまるような間柄ではない」


 門の前に立ち、小さく震え出したケイにヴォルクが慌てて声をかける。

 星読みの館でアデリカルナアドルカに対峙したときも、初めてカルム養老院に行ったときもこれほど緊張はしなかった。最初は否応なしだったし、そうしなければ先に進めない、という切迫感のほうが強くて緊張どころではなかった。

 だが今、そういった必要性がなくもたらされたイベントにケイは萎縮してしまっていた。


「でも……もしヴォルクさんにご迷惑がかかったら……。恥をかかせてしまったら――」


「私が?」


「はい。私はこちらの世界の常識とかマナーを知らないから、何か粗相があったらヴォルクさんやカルム修道院に悪い影響が出るんじゃないかって……」


 両手を組んで震えるケイに、ヴォルクが向き合った。ケイを落ち着かせるように低く静かな声でつぶやく。


「そなたは異界より来た恵みの者だ。こちらの世界のことに詳しくなくとも何も問題はない。そもそも、恵みの者であるそなたに会いたいと言ってきたのは陛下なのだ。そなたの普段の態度を見る限り、非礼を働くとはとても思えぬが――。……すまぬ、触れるぞ」


「へっ?」


 神妙な面持ちで告げたヴォルクが一言断りを入れる。ケイの震える両手を包み込むように、大きな手が添えられた。


「たとえ何があろうとも、私がついている。私の立場は気にせずとも良い。先ほども言ったように、陛下はかしこまるようなお方ではないから大丈夫だ」


「……っ」


 断りはあったが急に触れられて、ケイの心拍数が跳ね上がった。さらには至近距離で真摯に見つめられ、急に頬が熱くなってくる。

 冷たかった指先に血が通い、ふと、それを包み込むヴォルクの体温にケイは気が付いた。――あたたかい。


 うるさかった鼓動が次第にゆっくりになっていく。手の震えもいつしか収まり、ケイはほっと息を吐き出した。

 ……一人じゃない。共にいてくれる人がいる。

 ケイは顔を上げると、ヴォルクの目を見つめてうなずいた。


「ありがとうございます。もう大丈夫です」






(――とはいえ、よ)


「はっはっはっ! ケイと申したか。ヴォルクがあまりに渋るからどんな醜女しこめかと思うたが、なかなかの美人ではないか。今日はよく来てくれた。緊張せずとも良い。菓子でも食うて寛いでいけ」


「……あ、ありがとうございます」


「そうだ、娘がいるとな? 余にも先日四女が産まれたのだ。これがまた母親似で可愛いのなんの。まぁ産まれたときは猿だったがな。それは皆そうだがな!」


「そう、ですね……」


 王の応接間に迎えられるやいなや、アステール3世――アステール王がマシンガントークで出迎えた。同伴のヴォルクの存在など忘れたかのように手ずから椅子を引き、ケイに茶菓子を差し出し、茶が運ばれてくるのも待たずに話し始める。

 ケイはその勢いに圧倒されてちらちらヴォルクを振り返った。


(めっちゃフレンドリー! 思ってたのと違った!)


 アステールは、ラスタたち市井の人の評判やヴォルクから直接話を聞いた通りに、非常に気さくな人物だった。

 赤い髪と茶の瞳を持つ王は顔立ちも整っており、ヴォルクより年上と聞いたが同年代かむしろ少し若く見えた。センス良く着飾り、見た目は派手だがそれが絶妙に似合っている。快活な笑みは男女問わず人を惹きつけ、『これは大変な人たらしだ』とケイの本能が叫んだ。


(そういえば王妃様以外にも側室が何人もって――。……すごいな)


 興味を引かれてじっと見つめると、おや?という顔で見つめ返してくる。アステールは破顔すると背後のヴォルクを振り返った。


「ヴォルクよ。そなたの恵みの者は余に興味津々のようだぞ。そのように見つめられては照れるな」


「えっ。……すみません! 不躾でしたね!?」


「陛下! ケイは私の所有物ではありません」


 王のからかいに、ケイとヴォルクが揃って答える。それに目を見開くと、アステールはますます面白そうに笑った。


「良い良い。余はヴォルクとはまた趣の異なる美男だからな。好きなだけいくらでも見るがよい」


「……はぁ」


 言っていることはごもっともだが、すごい自信だ。だがこのぐらいの自負がなければ一国の王なんて務まらないのかもしれない。ケイは感心してしまった。

 ぽかんと返すケイにアステールは面白そうに目を細める。


「ケイよ。そなた、ヴォルクのところの養老院で働いているそうだな。聞けば面白き知識でずいぶん助けになっていると。……さすが恵みの者。我が国に少なからず貢献してくれていること、王として好ましく思うぞ」


「え……いいえ、そんな。貢献だなんて。普通に働かせてもらっているだけです。ヴォルクさ――ヴォルク侯爵のおかげで仕事にありつけましたから、あとは少しでもお役に立てれば、と。お褒めいただくようなことは…何も……」


 ケイが職を得て伝えたことなど、『恵みの者』と称されるには程遠いものだ。地味な知識で自分の仕事をやりやすくしただけ。

 手を振って縮こまるケイを、アステールは満足げに見つめた。


「今は寮で暮らしていると聞いたが、何か不便はないか? アデリカルナアドルカに聞いても『大丈夫でしょう』の一点張りでなあ。まぁあやつは『はい』か『いいえ』しかほとんど言わんから、これでもまだ話してくれた方だがな。その素っ気ないところがいいのだがな!」


(守備範囲広いなあ……)


 当然面識はあるのだろうが、あの態度を「いい」と評する人がいることに驚いた。ケイは化粧の濃い美魔女を思い浮かべると曖昧な笑顔でうなずく。


「不便はありません。ヴォルク侯爵に良くしていただいてるので、娘と二人でつつましく暮らせています。侯爵に助けていただけて本当に良かったです」


「ほう……」


 しみじみと実感を込めてケイが告げると、アステールは笑みを深くした。ヴォルクを振り返り意味ありげに目配せするが、ヴォルクは黙礼するだけだった。そんなヴォルクを見ながら王はケイを手招く。


「ケイ、近う寄れ」


「あ、はい」


 ドレスの裾を踏まないよう気をつけながら、ケイが近寄るとアステールも立ち上がった。それほど大柄ではないが、人に命令することに慣れた独特の雰囲気に思わず背を伸ばすと、ずいと近付かれる。

 距離感、近くない? そう胸中で首をかしげる間もなく、アステールに手を取られる。ケイのささくれ立つ手をしげしげと眺め、王は間近でふっと笑んだ。


「……働き者の手だな」


「はぁ」


 それは暗に、手入れしろと言われているのか――戸惑うケイに王は続ける。


「余は働き者と、智の深い者と、慈愛ある者が好きだ。ケイよ、存分にこの国で生きるが良い。しかし、ヴォルクの元にいるのが嫌になったら――余の第5夫人にでもなるか?」


「!」


「陛下!」


 ちゅ、と手の甲に口付けを落とされ、ケイは「うひょお」と叫びそうになった。間抜けな叫び声をぎりぎりでこらえられたのは奇跡に近い。

 さすが王様ともなるとやることが違う――ぽかんと固まったケイとアステールの間に、ヴォルクが割って入った。険しい顔でケイの手を取り、自身の方へ引き寄せる。


「軽はずみなことを言うのはおやめください! ケイは陛下の冗談が通じる相手ではないのですよ!?」


「別に冗談ではないのだがな。ケイはそなたのものではないのだろう? ならば誰が口説こうが自由だ」


「私のものではありませんが、ケイにはケイの意思があります! 我々しか聞いてないとはいえ、あまりに軽率なお言葉……! 取り下げてください!」


「嫌だ」


 仮にも主君に向かって本気の怒りを見せるヴォルクにケイは圧倒された。

 握られた手が痛い。それに気付いたようにアステールがトントンと自らの手を叩くと、ヴォルクははっとしたようにケイの手を離した。


「あ……すまない」


「大丈夫です」


 王に急に触れられたのは驚いたが、ケイにはどこか既視感があった。そして唐突な口説き文句も。それは元の世界で何度か覚えのあるものだった。

 もう枯れているだろうと思っていたご老体に手をスリスリされて、「今からでも一緒にならんか~」と言われるアレと一緒だ。ケイはアステールに向き合うと、丁重に頭を下げる。


「すみません、王様。結婚はできません。……私、元いた世界で夫に浮気されて離婚したんです。だから他にお相手がいる方は、もうこりごりなんです」


「…………」


 きっぱりとしたケイの返答に、男性二人は無言になった。片方は虚を突かれたように、そしてもう片方はぎょっとしたように。

 短い沈黙を破ったのは、アステールの大きな笑い声だった。


「はっはっは! 断られたぞ、ヴォルク! 求婚を断られたのは生まれて初めてだ!」


「えっ。もしかして、断ったら駄目でした? 私、不敬罪ですか!?」


「陛下……」


 ケイがぎょっとすると、ヴォルクは額を押さえた。王はゆったりと椅子に腰かけると、笑いながら手を振る。


「良い良い。ケイよ、そなたは面白いな。……わざわざ時間を作って余を楽しませてくれた礼に、何か褒美でも取らせよう。欲しいものはあるか?」


「え……。いえ、特にないです」


「ははっ。そう言うと思ったぞ。……ヴォルクよ、紙とペンを持て。どれ、一筆記してやろう」


「陛下。あまり滅多なことは――」


「安心しろ。そなたが心配するようなことは書かん」


 王のめい通りに動きながらも、ヴォルクが懸念をにじませる。それに首を振って答えると、アステールはさらさらと紙に羽ペンを走らせた。サインらしきものを最後にしたためると、そのままケイに渡す。


「……? あの、これは? すみません、私こちらの文字が読めなくて」


「一度だけ、余の時間を自由にして良いと書いた。この書状があれば、王宮の門はもちろん余の執務室、閨房けいぼうまで咎めなく立ち入って余と話すことができる」


「『けいぼう』ってなんですか?」


 聞き慣れぬ単語に首を傾げたケイに、もう一度アステールが近付く。そして、耳元に色めいたささやきを落とした。


ねやのことだ。そなたならいつでも歓迎するぞ」


「陛下!」


 再びヴォルクの怒号が飛ぶ。それに肩をすくめると、アステールはケイの目を見てにっと笑った。


「さて、そろそろヴォルクの血管が心配になるな。ケイよ、なかなか楽しい時間だった。ヴォルクの仏頂面に飽いたらまた話し相手になってくれ」


「あ、はい。……ありがとうございました」


 どうやら謁見の時間が終わりに近付いているようだった。ケイが振り返ると、ヴォルクは苦虫を嚙みつぶしたような顔でケイの肩に触れた。そのまま引き寄せられ、勢い余ってヴォルクの胸にぶつかりそうになる。

 ケイの肩を抱いたままヴォルクは早口で告げた。


「ではこれで失礼させていただきます。また次週――」


「ああ、ヴォルクは残れ。少し話がある」



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