月下の兵士に讃美歌を

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 ある日のこと。

 呼び出しを受けた俺は、入れ、という声と共にスティーヴ大佐の居室へと踏み入った。

 真っ白な部屋だ。塵や埃は一切存在を許されず、代わりに循環された清潔な空気が部屋を満たしている。


「おう、キョウ・タカキ准尉。昼食時だというのにすまないな」

「いえ、お構いなく」


 俺を呼び出した作戦課長――スティーヴ・ケネリー大佐は、手元のコンソールを操作し、一枚の紙を印刷した。一瞬のことだ。俺に差し出される頃には、緑色の蛍光色で透明な用紙に文面が記載されている。


 そこにあった一つの単語に、俺は一瞬釘付けになった。


「……地球? 太陽系第三惑星の? また制圧部隊を送るんですか?」

「そうだ。詳細はゆっくり読んでもらわんといかんがな」

「それはいいんですが……今更ですか? ここ数十年は、辺境の一惑星に過ぎませんけど」

「お前の言わんとするところは分かるぞ、タカキ准尉。しかし我々司令部にも思うところがあってな。お前にも出動要請が出ている。地球に降りて、調査活動を行ってほしい」


 辞令を受け取って、俺は顔を上げる。スティーヴ大佐はさっきと変わらず、ぶすっとした表情で俺を睨んでいた。


 それにしても、ただの一兵卒が大佐と相まみえる機会なんて、そうそうあるものではない。まあ、俺は例外なのだけれど。


 とにかく、今日の会話は内容的に他人に聞かせていいものではない。大佐との付き合いの長い俺には、彼の目つきで判断できる。たとえまだ俺が二十歳そこそこの若造だったとしても。


 俺が返答に窮していると、穏やかな艦内アナウンスが鳴り響いた。


《現在、本艦『ユニバーサル・ウィング』は、火星の周回軌道に入りました。この軌道上に障害物はありません。乗員、及びクルーの皆様、ごゆっくり、落ち着いて昼食をお召し上がりください》


 俺は今さっき大佐から受け取った辞令を、折り目正しく四つ折りにして胸ポケットに仕舞い込んだ。この辞令もまた、他の資料同様に立体画像に転写されているだけの固定画像でしかないのだが。


 ふっと息をつき、大佐の目を見返す。


「俺は異存ありません。多かれ少なかれ、惑星探査に危険は付き物ですから。引き受けますよ」

「うむ、感謝する。資料は君の受像ポストに入れておくから、目を通しておいてくれ」

「はッ」


 敬礼をして、俺は大佐の執務室を後にした。


         ※


 昼食を終えた俺は、さっさと自室に引っ込んだ。入口の反対側、正面には真空の宇宙空間が広がっている。立体映像ではない。本物だ。

 この『ユニバーサル・ウィング』――略称・UNは、巨大な宇宙船だ。刃先の丸まった短刀のような形をしている。光学ステルス機能を活かすべく、船体は真っ黒に塗装されており、全方位に小惑星迎撃用の無反動実弾機銃が装備されている。

 それに、人工重力発生場が活用されているのも有難い。別な同型艦に乗って無重力を経験したことはあるが……二度と乗るか。


 肝心のUNの任務内容だが、大佐の言う通り惑星探査だ。本来なら、ワープホール――ブラックホールの原理を応用して開発された、瞬間移動システム――を使って外宇宙の旅に出ている。

 だから、地球のある太陽系に戻ってくると聞かされた時は何かの間違いかと思った。


 だが、どうやらそれはただのゴシップではなかったらしい。

 それも、探査目標はよりにもよって地球だという。


「人類発祥の地、か」


 そう呟いてみたものの、ぶっちゃけどうでもよかった。自分の出生さえよく分からないのだから。

 俺は、遠くの惑星の周回軌道に乗ったコロニーの貧困街の生まれだ。両親の顔すら分からない。そんなガキの俺を拾ってくれたのだから、俺としては大佐に頭の上がらないところではある。

 同時に拾われた弟は、残念だが保護されてから一週間で幼い命を落としてしまった。


「唯一の家族だったんだがな……」


 呟いてみたところで、弟が生き返るわけがない。顔を上げて目に入ったのは、弟ではなく自分の細面だった。血色が悪いのはいつものことなので、気にしないでおく。


 やや高めの身長に、ほっそりとした体躯。髪はボサボサだ。服装の選び方によっては、ホームレスに見えてもおかしくない。試したことはないけど。


 俺はベッドから立ち上がり、小型冷蔵庫から炭酸飲料のボトルを取り出してぐいっと煽った。

 半分ほどを飲み干した時、部屋の入り口側に緑色の文字が点滅しているのに気づいた。『POST』とある。大佐から送られてきた、地球に関する資料だ。


 俺はだらだらとベッドから立ち上がり、右手の人差し指をかざす。古風な指紋認証だ。すると、何もないように見える部分から紙束がするり、と流れ落ちてきた。左の掌で受け止める。


 どれどれ、などと言いながら、俺は再びベッドに腰かけ、資料を吟味する作業に入った。

 紙束には、二枚の映像端末が挟まっていた。どちらも十日ほど前のものだ。

 そうだな、まずは映像から見てみるか。その方が、やや眠気を覚えている自分のためにもなる。


「現在の地球環境を捉えた貴重な映像資料、ねえ……」


 今の地球には敵性生物や敵性機械が跋扈しているという。確かに、少なからず敵の存在や戦い方を把握できるのは悪くない。

 

 俺は最初に『クリーチャー』というファイル名の映像を起動した。

 緑色の映像。夜間での偵察任務か何かだろう。背の高い草に、周囲をぐるりと囲まれている。それを記録しているのは、ヘルメットわきに装備するタイプの赤外線用カメラ。


 ……だったのだが、カメラは急に倒れてしまい、以後操作されることはなくなった。

 撮影に必死になりすぎて、ライオンにでも喉を噛み千切られたのだろう。

 とにかく、地球上でこの部隊が全滅したのは確実だ。


 次はこっちか。俺は『ジャンク』の映像を起動する。

 今度はフルカラーの映像だった。といっても、明度が高いとは言い難い。日光があまり差し込んでこないからだ。


 そして、この映像は最初から戦闘中だった。実弾を発射しながら、散り散りになっていく小隊。そんな彼らを外敵と認識したのだろう。旧式の人型ロボットたちが、生身の兵士たちを極めて精確に射抜いていく。青色や赤色の曳光弾が映り込む。

 こいつらの全滅にも、そう長い時間はかからなかっただろう。


「……」


 俺はスクリーンと部屋の照明を落とし、ベッドに大の字に寝そべった。

 俺だって、映像にあったような状況に陥ったことはある。実際、全身傷だらけだ。


 医療スタッフが有能だったのは、まさに僥倖。だが、彼らの任務は生命を繋ぐことだ。兵士に対して、体内に残った弾丸を取り出したり、痕が残らないように丁寧に縫合したり、痛みを緩和させる薬剤を投与したりすることではない。


 かくいう俺も、右手の親指は義手だ。無骨なことこの上ない。

 そしてそんな兵士の今後の人生の面倒を看てくれるような存在はいない。

 飽くまで『今はまだ』という条件はつくが。


 映像はここまでにして、俺は書類を捲り始めた。

 今までに人間に襲い掛かってきたクリーチャーやジャンクが図示されている。


「ふん……」


 俺は露骨に舌打ちをしながら、ばさり、と書類を後方にぶん投げた。生物にしろ機械にしろ、連中は地球という絶好の生活環境を得たのだ。

 人間がいなくなるだけで、残された生物たちがここまで発展するとは、なんとも皮肉な感じがするが……。


 まあ、因果応報とでもいったところか。


 そうそう、ところで――。


 枕の下に手を突っ込み、隠しておいた小振りな拳銃を取り出した。二十二口径のオートマチック。

 ドアの前に、誰かがいる。それも、この部屋と廊下を繋げるスライドドアのすぐ前に。


 殺気は感じないが、何らかの覚悟、決意をしているようだ。俺を殺しに来るには、随分とお粗末な気配の消し方だが……。保安部に突き出すくらいのところまでは面倒を見てやろう。


 俺は室内からの開錠パスコードを打ち込み、自らの背中を壁に張りつけた。

 まさか俺に差し向けられた殺し屋だったら、すぐに飛び込んでくるような愚行は犯さないはずだ。……が。


「うわああああああああ!!」


 俺はズッコケた。それはそれは見事にズッコケた。突然叫ぶ馬鹿があるか。

 刺客と思しき人物は、あまりにも――いや、完全に戦闘行為に慣れ親しんでいるとは思えない。


 大型の自動小銃を手に、なんの罠もトリックも仕掛けず、逆に撃ってくださいとばかりに突撃してきた。そして挙句、すっ転んで額を打ちつけ、その場にしゃがみ込んでしまった。


「あいてててて……」


 自分の額を押さえる謎の人物。随分と小柄で、声から察するに女性だろう。

 だが、俺は容赦なかった。ベッドを二歩で渡り切り、自動小銃を蹴り飛ばす。それから咄嗟に手にしたケーブルを首に巻きつけ、問いを投げることにした。

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