星に還る-ある宇宙船乗りの最期の記憶-

蓮見庸

1

「おい、エマ。もう行ってしまうのか?」

 その男はひどく悲しそうな顔をしてじっと俺を見て言った。

「なんだ、まだ何かあるのか?」

「いや、そういうわけじゃないが…」

「なんだ、お前にしては珍しく煮えきらないな」

「そりゃそうだろ。これまで何十年一緒にいたっていうんだ。名残は尽きないっていうじゃないか」

「なんだそりゃ」

「なあ、まだもう少しだけいいじゃないか。お前と俺との仲だろ?」

「いまさら何を言ってるんだ。早くしないと警備のやつらにバレちまう。お前だってわかってるだろ」

「まあな。けど、いざこれで会えなくなると思うと、やっぱり寂しいもんだと思ってな」

「いつもと同じさ。生きて帰って来るか、そうでないか。俺たちの選択肢はそれだけだ。お互いいつだってその時の覚悟はできてるはずだろ?」

「相変わらずだな」

 男はあきらめたような表情で苦笑した。

「お前のそういうところ、尊敬するぜ。それじゃ、まあ、幸運を祈る……というのもおかしいか。とにかく、うまくやれよ」

「言われなくても了解だ。世話になったな。恩に着るぜ。じゃあな」

 俺はコクピットの前面に表示されたボタン類に視線をやり、ハッチを閉めた。

 男は敬礼の真似をして見せ、泣き笑いの顔をしながら後ろへひとつ飛び、ゆっくりと離れていった。


 この男は俺の信頼できる相棒パートナーだ。そして俺にとって、おそらくあいつにとっても親兄弟以上の存在だ。

 今でこそ別々の宇宙船に乗っているが、俺たちがこの仕事を始めた当初は、ふたりで乗るには小さすぎる宇宙船の狭いコクピットの中で、四六時中肩を寄せ合うようにして過ごしたものだった。

 生きていくこと、ただそれだけのことが過酷な宇宙では、喧嘩をするような暇もなかった。

 恋人のようなものだったのかって? やめてくれ。そんな馴れ合いで、この宇宙で生きていけるわけがない。

 ここは、死がすぐ隣りにある世界。

 いや、そう表現されることもあるが、そんなものでは足りない。

 俺たちにいわせれば、宇宙船の中も外も、ここは死の世界そのもの。

 意地で生き延びてきただけだ。

 男だろうが女だろうが、子供だろうが老人だろうが、ここでは対等だ。

 生きるか死ぬか、ただそれだけだ。

 その覚悟がないやつはここへ来るべきじゃない。


 そして俺にはもうひとりの相棒パートナーがいる。それは、今乗っている愛機スターチェイサー星を追うものだ。

 アステロイドベルトだけに眠る希少金属を探し求めて、もう何十年も、まさしく手足となって働いてくれている相棒だ。さすがにガタがきているが、腕利きの設計士に職人の仕事、ずいぶんと高くついたが、いい整備士にも恵まれ、おかげでまだまだ現役だ。

 この相棒と別れるのはちと寂しいが、解体されて鉄クズになるくらいなら、最後まで俺に付き合うという。無機質なやつに誰がこんな感情を仕込みやがったのか。そいつの顔を見てみたい。


 宇宙船の格納庫の扉が開くと、俺の目の前に数え切れないほどの星の輝きが飛び込んできた。

 いつもの見慣れた景色だが、これが最後だと思うと、ずいぶん久しぶりに見たような、とても新鮮な光景だった。

 初めて宇宙空間へ飛び出したガキの頃のことを思い出す。

 俺にもそんな時代があったんだな。


 相棒は重力に逆らってゆっくりと浮かび上がり、静かに進み始めた。

 軌道はすでに入力してある。

 目的地は、母なる太陽。

 俺たちがいつも見ているこの地上の太陽のことではない。

 太陽系の中心に位置する太陽のことだ。

 ここからは針の穴のようにしか見えないが、巨大な恒星であることに違いはない。

 光ならほんの1時間程度の距離だが、俺たちにとっては遠い道のりだ。


 俺たち宇宙船乗りはこの何もない宇宙空間で孤独に生きてきた。

 誰かが隣にいようと、やはり孤独だった。

 ふとした拍子に感じる孤独は、もはや、死、そのもの。

 一度その感覚に囚われてしまうと、眠れない日が何日も続いた。

 けれどそれを恥ずかしいとは思わない。むしろ正常な反応だと思う。

 死に囚われて、なんとも思わない方がどうにかしてる。

 だがそれにも次第に慣れてきた。

 慣れとは恐ろしいものだ。

 気が付いた頃には、そいつは俺の体を確実に蝕んでいた。

 近いうちに宇宙に出ることもできなくなってしまう。

 愛しい思いすら抱き始めていた死にも見捨てられちまったということだ。

 若い時には体がいうことをきかなくなるなんて想像すらしなかった。

 思い返せば体が不自由なやつらも大勢いたが、俺は見ていなかったんだろうな。

 ちょっとばかりここ宇宙にいる時間が長かった、ただそれだけだ。


 ここはやはりそういう世界だ。

 死に魅入られたらそれまでだ。

 逃げることなんかできやしない。

 なんせ死の世界のど真ん中にいるんだからな。

 長くここにいると、ついついそのことを忘れちまう。

 だが、俺は何も後悔なんてしちゃいない。

 せっかく重力から解放されてここで自由に生きてきたっていうのに、地上で這いつくばってるやつらと一緒にされたら迷惑だ。

 地上でやつらと同じ最期を迎えるなんて、たまったもんじゃない。

 動かない体で何もできずに老いぼれていく無様な姿なんか、誰が見せられるかっていうんだ。

 だから俺はここで最期を迎える。

 家族が悲しむだって? 冗談じゃない。

 誰がなんと言おうと、これが俺たち宇宙船乗りの生きざまってやつさ。

 あいつも同じ考えだろう。たまたま俺が先で、あいつが後だったっていうだけの話だ。

 ひょっとしたら立場は逆になっていたかもしれないが。


 そして、これがその最後の航行だ。


 あえてブラックホールに向かうやつもいる。

 たとえ光速で飛べたって、そんなとこまでいったい何千年かかるのか。

 それに今の技術レベルじゃ、そんな遠い目的地まで辿り着けるのかすらわかりはしない。

 未知の地へのあこがれやロマンを口にするやつもいる。科学的な意義があるんだとかどうとか。

 どのみちすぐに死んでしまうのに、自分の存在がこの世からすぐになくなってしまう、結局はそんなのが怖いんじゃないかと思ったりもする。俺にはそんな風に思える。

 けどまあ、それはそれでそいつらの考えだ。知ったこっちゃない。好きにすればいい。

 だが、俺は違う。

 この体がまだ動くうちに、俺たちの墓場、確実に太陽へ向かうんだ。

 いや、墓場じゃない。

 俺たちに命の輝きをもたらすもの。

 母なる太陽。

 大の大人が恥ずかしげもなくそう呼ぶもの。

 そうだ、俺たちはこの星から生まれたんだ。

 だから星に還って、また生まれ変わるんだ。

 誰も地上のやつらのいう生まれ変わりなんか信じてるわけじゃない。

 ただ、ここ宇宙で生きてきた俺の感覚がそう思わせるんだ。

 昼も夜もないこの宇宙では、いつも太陽があった。

 死の世界にあって、生を感じるもの、それが太陽だ。

 俺たちの始まりは太陽だった。

 そう思う……………。

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