偽聖女と断罪されて婚約破棄の上国外追放された私は、何故か隣国の王女様に溺愛されています。

ひっちゃん

第1部:聖女という肩書

序章:働き者の聖女様

第1話:聖女様の来訪

 帝都から少し離れた山間に位置する、小さな農村。そこに広がる畑のうちの一つを、疲労が色濃くうかがえる表情で耕していた農夫が、風に乗って聞こえてきた蹄の音に顔を上げる。


 彼の目に映ったのは、遠目に見てもわかる上質な毛並みを持った馬と、その馬が引く白を基調とした立派な馬車だ。生まれてこの方、村を出たことがないこの農夫であってもわかる、明らかに高位の貴族が乗っていそうなそれに、彼は怪訝な表情を浮かべる。


 が、しかし、車体に掲げられた紋章を視認した直後、その表情が一変する。驚きに目を見開いたかと思うと、次の瞬間には喜色を満面に浮かべ、手にした鍬を置くのも忘れて村の中心へと駆けだしていった。


「聖女様だ! 聖女様がお越しになったぞ!」


 村人たちは、その言葉が届いた者から順に家を飛び出し、また畑を放り出して、馬車のほうへと駆けていく。その顔には皆一様に、驚きと喜びが浮かんでいた。


 そうして村の入り口で止まった馬車を村人たちが囲む中、開いた扉の向こうから一人の少女が姿を現した。先に降りた侍女が差し出した手を取り、踏み固めただけの肌色の地面にそっと降り立つ。


 年のころは十歳ほどだろうか。あどけなさを残す面立ちの中で、海のように深い碧眼がどこか儚げに周囲を見回している。一方で腰まで届く銀髪に、小柄で華奢な体躯を純白のローブで包んだ姿は、幼さよりも先に神々しさを感じさせた。


 村人たちの何人かが息を呑む中、白い顎鬚をたくわえた老人が一歩前に進み出て口を開く。


「ようこそお越しくださいました、聖女様。私がこの村の村長でございます」


「ご丁寧にありがとうございます。アンジェ・バールです」


 深々と頭を下げる村長に応じて、聖女――アンジェも丁寧に一礼する。その様子を見て、傍らに立つ侍女がわずかに眉をひそめた。


 本来、爵位を持つアンジェがこのようにへりくだる必要はない。むしろ身分さをはっきりさせるために尊大に振る舞うのが、貴族の常識なのだ。しかしながら、元平民であるアンジェがそのような感覚を持ち合わせているはずもなく、元来の性格も相まってどうにもそういう振る舞いは苦手としているのである。


 そういった貴族の礼法の教育も担当している侍女が内心でため息をつく中、村長はさっそくと本題を切り出す。


 曰く、流行り病に苦しむ村人たちを治療してほしい、とのこと。病、と言っても対処を誤らなければ命にはかかわらない類の者で、一般的に聖女に依頼する用件のレベルからすれば数段劣るのだが、この小さな村で働き手が減るというのは大変な打撃になるのだ。


 アンジェは小さく頷くと、村長の案内で病人たちが療養している集会所へと足を踏み入れた。


 そこでは、顔色の悪い十名ほどの男女が、藁を集めた上に布を被せただけの簡易的な寝床に横たわっている。外の騒ぎは聞こえていなかったのか、突然現れた明らかに村の者でない少女の姿に、症状の軽い者は怪訝そうだ。


「重篤な方は――いらっしゃらないですね。皆さん、すぐ楽になりますから」


 中を一瞥したアンジェは柔らかい声色で言うと、両手を胸の前で組んで目を閉じる。


 そして。


「……【癒しの光】」


 パッと目を見開いたアンジェが小さな声で呟いた直後、薄暗い室内が春のひだまりのような光に包まれた。アンジェ以外の誰もが反射的に瞼を閉じ、数秒の後恐る恐る目を開ける。


 彼らが目にしたのは、どことなくうっすら輝いて見える集会所の内装と――驚くほどに血色の良くなった、お互いの顔であった。


「っあ、あれ? なんか、苦しくなくなってる……!?」


「わ、私も! それどころか、体が軽いっていうか……!?」


「もしかして、そこの嬢ちゃんが助けてくれたのか!? ……まてよ、銀髪碧眼、白いローブって、まさか……!?」


 村人たちがまるで確かめるかのように症状の全快を口にする中、アンジェはホッと安どのため息をついて、


「無事に治ったみたいですね。では、私はこれで失礼します」


「せ、聖女様!? お待ちください、ぜひお礼に歓待を!」


「すみません、次の予定がありますので。お気持ちだけいただいておきます」


 早々の出立宣言に泡を食った村長に申し訳なさそうに一礼すると、侍女を従えて足早に集会所を後にした。


 やや遅れて集会所を飛び出してきた村長らが見たのは、着た時と同じかそれ以上の速度で走り去っていく、馬車の後ろ姿だった。


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