第4話 消えた男爵令嬢の行方~アンナ2~
「ダメ。途中で近衛兵に掴まった後はまた同じコース。殿下の発言力が強すぎて私じゃどうにもならない。言い訳も釈明もできなくて。泣き叫んで救いを求めても殿下が勝手に話を進めてしまう」
「婚約披露パーティの夜にしか戻れないのが厳しいか。他に協力してもらえそうな相手は?」
彼女は首を振る。男爵令嬢とは言え平民出。
育ちもあって気後れして、周りとも距離があったらしい。
「何より私の偽物が現れたという話も不気味です。何が起こっているのでしょう」
直接は目にしていないらしいので、一度確かめる必要はありそうだ。
「君が居なくても話が進んだ。何かを盛られた以上は計画的だ。誰かが姿を変える祝福でも使っているんじゃないのか?」
「あり得るよね。こんな規格外の祝福もあると知った今となっては、それくらい誰かしらが持っていても全く不思議じゃない。それならいっそ、架空の人物でもでっち上げてやって欲しい。どうして私が巻き込まれなくてはいけないの」
怒りと憤りを滲ませて彼女は拳を握る。
「実在の誰かにしか変身できないのかもしれないね。そして失敗した場合に泥を被せる者が必要ということで君が選ばれた」
「あぁ、おぞましい。この繰り返しですっかり淡い想いも消し飛んだ。よく考えたら私のことを小馬鹿にするような言動も多くて、とにかく上から目線だったんです。可哀想に可哀想にってね。もう本当に腹が立って逆に闘志が湧いてきました」
すっかり夢から覚めたようだ。
気の毒ではあるが最初に会ったときよりよほど力強い。
「その意気だよ。頑張ろう。僕も話を聞いて腹が立ってきた」
「えぇ、とにかく助かる手段を見つけましょう」
それから相談を重ねた。今晩が過ぎれば明日には断頭台。勝負は夜明けまで。彼女が戻ってくる時間は今の僕の体感時間における最新時点に戻って来るらしかった。これは過去にも経験済み。だから時間は今晩だけしかない。
「いっそその場から逃げるのも手だが、君の偽物が居ると言うのが厳しいね」
「えぇ、お父様にも類が及びますし、何もかも捨てて逃げ出すのは難しいです」
「そうだね。大きく違う動きを取れば、ここに戻れるかもわからない。そうなればやり直しも出来ない」
「試しながらも牢に戻る必要があると言うのが厳しいね。どこまで変えていいものか」
そこが繰り返しの最も難しい点だ。
仮に逃亡して、より時間が進めばそれ以上過去へは戻れない。
「侯爵令嬢の下へは行けない?」
「試してるんだけど、誰かしらに途中で止められてしまうの。身分の差ってそれほどのものよ。でも、繰り返しているうちに周りの動きは読めるようになっていると思う」
「薬を飲んだフリをして、どこかで抜け出してみるのは?」
「やってみる。簡単なことなのに、意外と思いつかないものね」
「それは生きるか死ぬかと言うときなら当然だよ」
「とにかくやってみます」
消えては現れることを繰り返す。
ただこの祝福による逆行には一つ大きな欠点がある。
「だんだん戻る時間が進んでいるの。これまでよりも余裕がなくなって行ってる」
「祝福の仕様だ。ここに居る僕の時間が進む分だけ、戻れる時間もずれていく」
「それに、あなたの姿がしばらくの間見えなくなる。急に現れるように感じるんだけど、これはどうなっているの?」
「どうも、何らかの制限らしい。恐らく常に『今の僕』の下に戻るようになっている」
つまり僕の最新時点での祝福を使った直後。
そこが彼女の戻る時間となる。
そうでないと僕に記憶の混乱が生じるためだろう。
これは僕自身にも曖昧にしか説明できない。
人知を超えた能力であり、全容を把握しているとは言い難かった。
「やり直しにも限界があるということね」
溜め息を吐きながらも、彼女は諦めずに繰り返す。
「感触として上手く行きそうだった」
幾度目かのやり直しを経て、そんな希望を覗かせた。
ただし限界は刻一刻と近づいている。
自由に身動きが取れなくなった時点で終わりだ。
「身を隠して私の偽物を確認した。部屋の窓から出て大広間に回り込んでね」
何度も失敗を重ねた上で、ようやく成功しそうな状況に辿り着く。
周りの人間が同じような動きをする以上、一切の隙が無いとは言えないだろう。
「護衛の不意を突いて侯爵令嬢の近くに飛び込めそうだった。多分それで上手く行くと思う」
「もう少しのところで失敗したの?」
「ううん。あなたともう一度会いたくて」
その言葉を聞いて、少し体が震える。
ぞくっと、何か深い部分が揺れるような気持ちだった。
「お礼を言いたかったの。ありがとう」
僕からしてみれば、彼女の様子は短い間で一気に変わった。
その印象も、どんどんこちらに対して親密さを感じさせるものになる。
戸惑って、彼女の眼差しから目を逸らす。
「いや、僕の祝福は女神様から賜ったもので、お礼はその」
「でも女神様があなたを遣わしてくださったから私は救われたのよ。力だけじゃない、ずっとずっと励ましてくれていたわ。もう幾日が経ったでしょう」
「僕からするとまだ一晩経ってないよ」
「もう何回繰り返したかしらね。とても特別な体験だったわ。牢に入れられるたびに、気が付いたらあなたのことばかり考えていたわ。唯一信頼のおける相手だもの」
「えっ」
「あなたほどに頼れる相手も居ないでしょ」
彼女は悪戯っぽく微笑む。
「それは、君からしたらそうだろうね」
こちらの体感と彼女の体感した時間はまるで違う。
彼女にとっては処刑が決まるまで数日が経過しており、それを延々と繰り返したことによって僕と数日おきに顔を合わせていることになるわけだ。
「ねぇ、あなたの名前を教えて」
「シュテファン」
「素敵な名前。ねぇシュテファン、私の名前を呼んでくれない? アンナよ」
「アンナ。とっても美しい君にぴったりの名だね」
そんな気障な言葉が自然と出て来て、驚いた。
「ありがとう。また、貴方に会いたい。ねぇ、会えないかな」
「僕は牢番だからね。もうずっとここで暮らしてる」
守る秘密も多いだけに、この仕事を継いで以来、外へ出たこともない。
冷たく据えた匂いのするこの牢屋で多くの時間を過ごしていた。
「一度も外には出られないの?」
「難しいだろうね。でも、君が助かるならそれだけで十分だよ」
「あぁ。またあなたに会いたい。会いたいよ」
彼女はとても気が弱っている。
だから目の前の唯一縋れる相手にぐらついているんだろう。
こちらもまた彼女に惹かれている。
初めて出会えた天使のような人。
「アンナ。元気出して。それより今は君が助かることだけ考えて」
「えぇ。わかってる。生きていれば、いつか会えるよね」
「うん。もちろんだ」
鉄格子の隙間に手を入れ、彼女と握手を交わす。
「シュテファン。あなたと一緒に明るいお日様の下で会いたい」
「それは、とても素敵な夢だね」
「できるなら、もっともっと素晴らしい夢を見たいわ」
力強い眼差しで見つめられ、全身に熱が走る。
指先の感触、汗ばんだ手のひらの心地よさ。
あぁ、何年ぶりだろう。誰かの温もりに触れたのなんて。
両親が亡くなってから、もうずっと一人だった。
「僕は君が救われるならそれでいいんだよ」
「それだけじゃ嫌。私はこれまで多くのものを奪われてきたわ。でも、自分で何かを得る努力をもっとすべきだったと思うの。女神様の慈悲に泣いて縋るだけじゃダメだったのよ。そんな愚かな者にはきっと誰も微笑みかけてなどくれない。だから」
過去へと遡る日々は彼女の精神的な成長を促したらしい。
牢の中で震えていた幼さはもう消え去っている。
その眩しさに、僕は。
「さぁ、行っておいで」
それだけを、ようやく口にする。
「うん。またね」
僕は返事を返さなかった。
そして彼女は消えた。
牢屋の中は空っぽには……ならなかった。
「私がどうして、こんな目に遭わなくてはいけないの」
牢屋の中ですすり泣くのはアンナではなかった。
同じ年頃の別の女性である。
着ている服は粗末なもので、貴族の女性には見えない。
「あの、あなたは誰ですか?」
「え、あなたこそ」
「僕は牢番ですが、何があったのかと。その、話をお聞きしましょうか」
戸惑いながら、そう申し出た。
真偽を見抜く祝福を発動させる。
「私、アンナ様という方を殺してなんていません」
その言葉の衝撃に、僕は凍り付く。
彼女は真実を示す青色の光をまとっていた。
心を貫くような絶望に全身が震えた。
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