蜜柑を食べよう
雨宮テウ
蜜柑を食べよう
ばば様が、
幼い頃から僕にだけ教えてくれたことがある。
おまえは、いつか
このばばと同じ仕事をするのよ、と。
僕はずっと意味がわからなかった。
僕のばば様は足が悪くて、
物心ついた頃からお家の中で刺繍を刺す仕事をしていた。
僕も刺繍を刺すようになるということ…??
と訊くと
『ははは、私の仕事が刺繍に見えるんだねぇ』と
笑うばば様。
ばば様の刺繍は
まるで温度を持っているかのように
あったかかったりひんやりしていたり、
かと思うと今度は命を持ったかのように
動き出しそうだったり、
小さい僕でもその刺繍がそんじょそこらの刺繍じゃないことはわかるくらいなんだ。
でも、僕が継ぐばば様の仕事は
刺繍じゃないらしい。
他にばば様がしている仕事ってなんだろう。
ばば様に会うたびに僕はばば様の様子を観察するんだけれども、
美味しいご飯を作る仕事??
いんや。
お庭のお花を綺麗に咲かす仕事??
ははは、はーずーれ。
綺麗にお洗濯をする仕事??
残念でした。
いつもばば様からは笑顔で不正解をもらうのでした。
ある時ばば様の刺繍の個展のお手伝いをしに行った時、ばば様の刺繍は蝶々がモチーフであることが多いと気づいた。
蝶々の模様は実際には見たこともないような
例えば羽の中に別の景色があったり、
模様が教会のステンドグラスのように物語になっていたり、
沢山の花や葉っぱが組み合わさって蝶になっていたり、人の姿に見える蝶々だったり。
どの蝶々も僕が見たことのある
アゲハ蝶や、紋白蝶や、小灰蝶とはちがう、
1匹も同じ模様のない、蝶々ばかりだ。
ばば様、蝶々が好きなの?
蝶々が好きかって?
そうだねぇ、蝶々はほんとに、いじらしくて、純粋で、たまらないねぇ
と深い深い皺に目が隠れるほど眩しく笑んだ。
僕は謎ばっかりのばば様が
小さい頃から大好きだ。
ばば様は庭以外あまり外には出ないけれど、
時折赤い口紅をさして
着物を着てお庭にいることがあった。
本当にばば様は美しい人なんだ。
昔の写真なんか一枚も見せてくれないけれど、
こんなにしわしわなのに、着物を着てしゃんとした姿でお庭にいるばば様は、
ばば様が一生懸命お世話して咲かせた花たちもかなわないくらい。
ばば様は、いつか継ぐばば様の仕事のことは何にも教えてくれなかったけれど、
着物の着方と、紅のさし方を教えてくれた。
だから僕は着物を着られるし、綺麗に紅をさすこともできるようになった。
肌寒くなる頃、ばば様が育てた蜜柑を
一緒にお茶を飲みながら、
今年も甘いねぇ、なんて、
時代劇の再放送を流しながら食べる時間が大好きだった。
僕は大人になって写真の仕事をするようになった。
写真が嫌いなばば様は
昔から僕が撮るなら映ってやってもいいよ、と、カメラの前に立ってくれて、
いつしか僕は写真をとることがやめられなくなった。
別に誰が褒めてくれるわけでもなかったのに、
ばば様だけは
『おまえはずいぶん、
私を美人にしてくれるじゃないか。』と
僕の撮った写真を飾ってくれた。
『でもねぇ、あんたの写真が欲しいねぇ。
このばばと一緒に撮っておくれ』
2人で着物を着て撮った写真は僕とばば様の宝物だ。
ばば様はここ最近、寝たきりでいることが多くて、僕は仕事でなかなかばば様のお家に行けない日もあり、とてももどかしかった。
ばば様は
大人になった僕が何度一緒に住みたいと言っても
『1人で気楽にいたいのさ、わかっておくれ』
と許してくれなかった。
それはばば様が自分のことで僕の人生の自由を制限してしまうと考えているからに違いなかった。
最後にあった時ばば様は言ってた。
『うまく教えてはあげられないけれどね、
時が来たら全てわかる。
お前にしかできないお前の魂の仕事。
でも、忘れないで、
その仕事にとらわれる必要はない。
仕事は誠心誠意。
けれどおまえはいつだって自由だ。いいね。
ばばと、同じ。自由で幸せでいなさい。』
ある日の仕事帰り
メトロのホームに立っている僕のそばに
弱弱しく飛ぶアゲハ蝶が迷い込んできた。
こんなところに…??
電車の進入時には強い風が吹く。
僕は慌ててその蝶を肩に止まらせて、
掌で壁を作って地上に上がろうとした。
蝶に触れた瞬間だった。
僕は二つのことを悟った。
それは僕の仕事と、
ばば様とのお別れだ。
『そうだったんだね』
蝶々をいじらしくてたまらないと言ったばば様の言葉が心に沁みた。
この蝶に触れたときに全てがわかった。
この蝶はばば様の魂を、運んでくれたのだ。
片方の羽が小さく、うまく飛べないこの弱々しい蝶が、あのばば様の魂を背に乗せて、
行き先へ運んで、そして、僕の元へ来てくれた。
蝶から、蝶とばば様の記憶が流れ込んできた。
蛹の頃に糸が切れてしまったこの蝶をばば様は
弱った体でお世話して、羽化させた。
蝶は糸が切れたせいでうまく飛べなかったけれど、ばば様は庭に咲かせた花の蜜を吸わせに、
何度も痛い体を引き摺って、その蝶に蜜を吸わせた。
蝶という生き物は
花の源を運ぶ仕事と
生き物の魂を行きべきところに運ぶ
二つの仕事を持っていたが
この蝶は、花の源を別の地に運ぶ仕事ができない自分に、生き物の魂を背負って飛べない自分に絶望して、蜜を吸わなかった。
何度も、何度もばば様が蜜を吸わせに花に運んでも。
ばば様が蝶に話しかける声が聞こえた。
『おまえ、なにを悲しんでいるんだい。
このばばがおまえに頼みたいことがあるんだ。
私はね、明日、魂をお前に運んでもらいたい。
お前にしかできない仕事だ。他の蝶にはできない。私の魂は、形が歪でね、お前の羽の上にしか乗らないんだ。頼んでいいかい?』
蝶は到底無理だと嘆いた。
“蝶塚守さま”の魂を自分なんかが運んだら
大事な大事なその魂を傷つけてしまう。と。
『何度、このばばの魂を落としたって構わない。おまえにしかできない。
おまえは立派な蝶だ。
私の愛するいじらしくてたまらなく可愛い立派な蝶だ。
羽が片方小さくとも、花粉を運べなくとも、
このばばを運ぶ事ができるのはお前だけだ。
いいね、何度落としても傷つけてもいい。
私は強いからね。
おまえは諦めずに仕事をするんだ。』
蝶はばば様と約束をしたのだ。
蝶になりきれず半端な生き物だと自分を嘆く蝶を、ばば様は立派な蝶だとわからせるために。
そして、僕にその仕事を終えたこの蝶を
きちんと看取り、祀るようにと。
“おまえは蝶塚守だ。ばばの跡を継ぎ、
このいじらしくたまらない命を
みとどけるのだよ”
僕は蝶を大切に手のひらで守りながら、
着物を着て紅をさし、
そして蝶を祀った。
僕の大切な人を、
精一杯で望むところへ運んでくれた
小さな小さな美しい命。
蝶はいじらしくてたまらくて。
美しくて儚くて。
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私には素敵なじぃじがいる。
いつも綺麗な蝶々のお写真を撮っていて
白と黒のお写真なのに、
なぜだか私にはいろんな色や光が見えるの。
明日、じぃじの個展があって、
沢山の美しい蝶々の写真が見られるの。
楽しみで眠れない!
じぃじはいつか、私にじぃじのお仕事をくれるって言ってたんだけど、
私にあんなに重いカメラが持てるようになるのかなぁ。
じぃじの大好きな蜜柑、リュックにいれたよね?
明日一緒に食べるんだ。
おしまい
蜜柑を食べよう 雨宮テウ @teurain
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