第36話 ついに、罪を償う機会を得たのやもしれぬ(姫蔵視点)

 ──火宮本家は家臣筆頭、井上新左衛門殿との電話でのやり取りを終え、私こと姫蔵和也は受話器をそっと下ろした。

 一応は天象の地を統べるだけの力ある貴族の本家当主たる私をして、かの大老からは一筋縄ではいかないすごみを通話越しに感じ取らせる。

 さすがは天象火宮本家、当主紫音様を陰に日向に支える家臣であると戦慄しつつも感心するばかりだ。

 

「とはいえ、前向きな反応はいただけた……綾音よ、喜べ。少なくとも火宮の家臣団は我々との婚姻に対して否定的ではないぞ」

「や……やったぁ!! 紫音様と結ばれるための外堀が、これで埋められたも同然なのですね、お父様!!」

「うむ……!! これはまさしく素晴らしいことだ。100年前に行われた我らの薄汚い裏切り、唾棄すべき簒奪をとうとう償える日が近づいてきたのだからな」

 

 姫蔵本邸、当主の執務室にて集いし我が子供達。長男圭一、長女の真澄。そして今回の話の中核となる次女、綾音。

 愛し子達へと今しがたの話し合いの仔細を語れば、誰よりも何よりもまず綾音が喜び勇み跳び跳ねた。


 我が家のしきたりにより男装しているがそれでもなお隠しきれない女人と溌剌とした美しさは、なるほど分家の馬鹿どもを魅せるだけのことはあると思わせるものだ。

 振り返れば真澄も学生時代、同じくしきたりから男装していたがそれでも分家やら他貴族、学園の男どもからアプローチを受けること数多だったという。


 すでに世を去りし我が最愛の妻、澄音の面影を受け継いでくれたのは嬉しいところだが、それでも変な虫がつくのはよろしくないと常々思っていた。

 そんな折に、少なくとも綾音のほうは良い縁談を結べそうなのだから僥倖と呼ぶしかない。姫蔵本家の事情もありつつ、しかしそれ以上に綾音が強く、これ以上ないほどに強く望んでいるのが此度の話だ。


 紫音様に直接話が行く前に、家臣団の方々からの全面的な賛同をいただけるのは綾音にとっても心強いだろう。

 まったくありがたい話だと親子揃って笑い合っていると、長男にして次期姫蔵当主を予定している圭一が話しかけてきた。

 

「まことめでたい話ですが……しかし、そうなれば分家筋の者達はうるさくなりますね。今からでも対策を講じなければなりますまい」

「うむ。特に綾音の護衛を務めていた貞時と兼輝の筋、中小路家と静家。小金井家も……時久はずいぶん性根を改めたと言う話だが、さりとて家族が騒ごうな」

「他にも姫蔵の権威利権が脅かされると判断すれば、どんな浅ましい手を使うことをも厭わぬ下衆共が多数。まったく興りから薄汚い簒奪者の一族は、その末端までも欲に塗れているようです」

「嘆かわしいことだ。我々にはそもそも過ぎた位置と力でしかないのだ、現状の姫蔵など。それをどうしても認めたくないようだ、所詮は本家にしがみつくばかりの寄生虫どもが」

 

 次期当主たる我が子だけあり、圭一も分家へと思うところに関しては、ほぼほぼ私と同じものを共有している。

 特に最近では、分家の若い世代などがこの子に集っては世辞におべっか、美辞麗句に下らぬ自己主張をしてきているというのは私の耳にも入ってきている。さぞかし苛立ちを覚えていることだろう。

 

 まったく馬鹿馬鹿しい。裏切りと悪徳で得た栄華を何故そうまで誇れるのか。少なくとも初代姫蔵も二代目も──つまりは私の祖父も父も。悪びれこそせずとも誇りはしなかった。

 それはそれで唾棄すべき態度であることに変わりないのだが、しかし分家どもの恥知らずで情けない態度に比べればいくらかマシだろう。


 そしてそんな姿を見ているからこそ、私は正しく子供達に教育することができたのだ。罪深き姫蔵の在り方と発端、そしていずれ必ずや火宮一族へと贖罪せねばならないということを。

 これは子々孫々、末代まで受け継いでいかねばならない。薄汚くも罪に塗れたこの血族は、彼ら火宮にすべてを返さなければ生まれた意味も生きている価値もないのだから。

 

「お父様……! これできっと僕、紫音様にすべてを償いいたします!!」

「うむ。しかし紫音様はお優しい方であらせられるため、おそらくは綾音の心を慮られて消極的な態度を取られるだろう──と、いうのが井上殿の見解だ。であるならば、分かるな?」

「はい! むしろこちらから押して、押して、押し倒すほどに押していけば良いんですよね! たしかに紫音様は話していても、ぶっきらぼうなんですけど人の良さや優しさが伝わってくる温かい方ですから、しなくて良いのに僕なんかのことも気にしてくださりそうです!!」

 

 満面の笑みで今後の展望を語る綾音。そう、ここから先は綾音次第なのだ。

 縁談を持ちかけ、それなりに好感触で迎え入れていただけるだけのお膳立てはどうにかこちらでできたが、肝心要の紫音様との交流だけは余人にはどうともできぬ、綾音が気張らねばならぬ領域なのである。

 

 それを分かっているからこそ、綾音もあえて発奮して気炎を吐いている。絶対にこの好機を逃すまいとする、肉食獣にも似た野生の眼だ。

 きっと紫音殿の懐にも潜れるだろう。澄音もこんな顔を、目をした時の爆発力は凄まじいものだった。

 

 うまくいけば、すべての罪の清算が叶うやもしれぬ。

 そのことに、私は高揚と期待を抱かずにはいられなかった。

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