第33話 医務室の令嬢



 秋についていくと、四人が歩いていた廊下の先に医務室という札が掛けられた洋風のドアが現れた。

 秋はそのドアの前に立つと、コンコン、と控えめにノックをする。


 すると、中から可愛らしい女性が出てきた。

 ゆるくウェーブのかかった長く綺麗な金髪に、優しそうな輝きを宿した碧色の瞳が特徴的な人物だ。


 彼女は玄達を視界に入れると、きょとんとした顔をした。そのまま目線を下げると秋がそこにいることに気づいた彼女は、目尻を緩める。

 彼女は秋に目線を合わせるためにしゃがみ込むと、玄たちをチラチラと気にしながら質問を投げかけた。




「パルカちゃん」



「あらあらまあ、こんなに人を引き連れて、どうしたのですか?秋さん」




 物腰柔らかな口調に、小鳥が囀るような耳に入れて心地いい声。

 優れた容姿と相まって、彼女がまるで少女漫画の主人公のように見える。


 もし、この場に他の人物がいなければ、玄は彼女に、どこかの国の令嬢なのか、と質問していただろう。

 そのまま不躾ながらも、ぽやあ、とパルカに見とれていると、ふと秋から目線を外した彼女とパチリと目が合った。


 ふわり、とパルカは優しく笑う。


 玄は思わず顔に血が昇るのを感じた。

 胸がドキッと高鳴る。



「おや、あなたは玄さんではないですか、ここに来るのは初めてですよね?私はこの旅館で医者をやっているパルカ・オフェリアです」



「あ、ハイ、玄です…」



 玄はドギマギしながら声を出した。声が上擦らないよう気をつけながら慎重に話す。

 そんな二人を見ていた秋はなんと急に玄に向かってタックルするかの如き勢いで抱きついた。

 玄は変な声を出しよろけながら抱きとめる。


 なんだなんだと秋を見るとぐりぐりと頭を押し付けてきたため、玄は困惑した。

 秋は、むすっとした顔で頭を玄から離すとパルカに対して向き合う。



「パルカちゃん、ここにアニマちゃん来てない?」



 むすっとした顔のままそう言った秋に、パルカは、あらあら、と微笑ましそうにした後、アニマさんはここにいますよ、と答えた。



「私たち、アニマちゃんに会いにきたの。入っていいかな?」



「ええ、構いませんよ。ですが、インレイさんはまだ寝ていらっしゃるので静かに過ごしてください」



 パルカの許可を取った四人は、彼女に案内されるままに医務室の中に入る。

 医務室内は一昔前の昭和の病院のような内装をしていた。

 つぅんと消毒液の匂いが鼻を刺す。

 小学校の保健室を思い出し、玄は少し懐かしい気持ちになった。


 ベットがズラリと並んでいる列の一番奥の方を覗き込むと、見覚えのある茶色い頭が目に入る。


 あ、と目を見開くと同時にレジェロが叫んだ。



「アニマちゃん!!」


「しー、ですよ」



 中々な大声で叫んだレジェロに間髪いれずにパルカが優しく注意する。


 子供に言い聞かせるように口の前に指を持っていき、静かにのポーズを取った彼女を見たレジェロは、あっ、と言う表情をした後、口を両手で押さえた。


 レジェロの隣にいたクレモナは呆れたようにため息をつく。


 そんな彼を見たレジェロは頬を膨らませ黙りながらポカポカと全く効きそうにないパンチで彼を殴っていると、ゆっくりと茶色い頭がこちらを振り向いた。



「レジェロちゃん…?あれ、クレモナくんもいる、ど、どうしたの?」



 アニマは玄たち四人を視界に入れると、パチパチと瞬きを繰り返し、動揺したように声をかける。

 彼女の顔色は悪く、声も若干震えていた。

 先ほどのジーヴォに対して啖呵を切ったあの勢いはどこにもない。


 レジェロはそんな彼女に構わず、思いっきり抱きつき、今まであったことを話した。



「アニマちゃん!」


「ぅあ?!」



「アニマちゃん、私たちね、アニマちゃんに協力することにしたの!」



「…神在月の宴、再現するってジーヴォさんに言っただろ、俺たちもそれに協力する…俺は不本意だが」



「私たちも協力するよ、ね、玄くん」



「う、うん、えっと、アニマさん、

 僕は白鷺玄です。旅館の従業員…といっても、新人で大した権限も持ってないですけど、協力させてください」



 四人が口を揃えてアニマに協力する、というと、アニマはポカンとした顔をした後、ふるふると震え、泣き出してしまった。


 レジェロと玄はおろおろした、泣くとは思っていなかったからだ。

 クレモナが素早くパルカからタオルを借りてくると、アニマの顔にそれを押し付けて乱暴に拭う。


 アニマはそのまま顔から涙をボロボロと出しながら四人に感謝を伝えた。



「あ、ぁりがどぉ〜、ぅうぅぅ!」



「汚い、拭け」



「クレモナくん、あぃがどぉ…、うう、

 ほんっどうにどうしようかと思っだよぉ!あんな勢いのままにジーヴォさんに逆らって、インレイくんも私を庇って怪我しちゃったし…、それにそれに、頭冷やして考えてみたら、私、楽団から脱退させられるんじゃないがっで…」



「大丈夫!ジーヴォ様、アニマちゃんに脱退しろなんて一言も言ったなかったよ!」



「っ〜、よ、がっだぁ…」




 タガが外れたように思いを吐き出し始めたアニマをレジェロが優しく抱きしめた。

 その姿はまるで母と子のようだ。

 見た目で言えば、レジェロの方が子供に見えるというのに、今の彼女は年配の女性のような雰囲気を纏っている。


 玄は二人のそんな様子を見ながら会話を聞いていると、ん?と少し引っかかった部分があった。



「楽団?」



 玄の疑問そうな声に、アニマ、クレモナ、レジェロの三人が振り向いた。



「ぁ、えっと」



 玄を視界に入れたことで、親しい人物以外がいることを改めて認識したアニマが恥ずかしそうに慌ててゴシゴシと涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を拭く。



「あ、ぁ、み、みっともないところを見せてしまい、申し訳ありません」



「いえ大丈夫ですよ、アニマさん」



 いまだに赤みの引かない頬と目をこちらに向けて、アニマが謝る。

 彼女は玄に、私たちがどういうものか、知っていますか、と質問を投げかけた。


 玄はその問いに否、と答える。



「オニーサン、知らなかったんだ」



 レジェロは意外そうにまじまじと玄を見て言った。

 そんな視線を受けながら、玄は先ほどの気になった疑問を問いかけた。



「先ほど楽団という言葉が聞こえましたが、アニマさんたちは、音楽をやっているのですか?」



「…えーと、何といったらいいのでしょう」



 玄の問いに対して、アニマは歯切りの悪い答えで返す。

 ますます疑問が深まった玄だったが、なんと、その時、タイミングが悪いのかいいのか、インレイが目を覚ましたのだ。


 ぼんやりと起き上がったインレイに、全員が駆け寄る。


 どうやらまだ完全に意識が覚醒しているわけではないらしく、試しにレジェロが話しかけても彼はこちらをぼんやりと見上げるだけだった。



「インレイくん!」


「…」


「っもう!相変わらず寝起きが悪いんだから!」



 いくら問いかけても、いくら体を揺さぶっても、意識がどこかへと行ってしまっているインレイ。そんな彼に痺れを切らしたレジェロが、アニマに対してとんでもない提案をした。



「アニマちゃん、インレイくんに思いっきりビンタして!」



それを聞いた玄とアニマは目を丸くした。アニマに至っては、首をブンブンとふり、必死にレジェロに反対した。


だが、抵抗も虚しくレジェロによって無理やりインレイと向き合わされる。



「む、むりむり!後で私、インレイくんに殺されちゃうよ!」



「だぁいじょうぶ!インレイくんなら、

 アニマちゃんがビンタしても絶対怒らないって!」



「あぁ、というか、ビンタでもしないとこいつ自力で目が覚めるまで1時間はかかるぞ」



 クレモナが放ったその言葉に、アニマは少したじろぐと、覚悟を決めたように手を構える。

 そして、ごめんなさい、と一言言うと、思いっきりインレイをビンタしたのだ。


 バチンッとある意味良い音が響いた次の瞬間、玄はありえないものを聞いた。

 あまりの痛みと衝撃で目を見開いたインレイの口から、まるでエレキギターを思いっきりかき鳴らしたような音が放たれたのだ。



「ーーーーー!!!!」



「!?」



 その後も、ギュイン、ギュインと人が出すにしてはありえない音を喉から出すインレイ。彼は一体なんなんだ、というふうに顔を見上げると、驚いた顔をした。



「ーー…!!!??」



 そして、口の動きから推測するに玄たちに向かって、なぜここにいるんだ、と言ったようだが己の口から言葉ではなく、音が紡がれていることに意識して話したことでようやく気づいたらしく、ひどく驚いた表情をした。


 玄は、一体この人たちはなんなんだ、と思っていると、トントン、と足音が後ろから聞こえたので、反射的に振り向いた。そして、振り向かなければよかったと後悔した。


 そこには目が笑っていないパルカがいたからだ。


 明らかに怒っている雰囲気を纏ったパルカに玄は体を固める。

 そして、先ほどまでの自分達の様子を思い出し、うるさいよな、そりゃあ怒るだろうな、と思った。



「皆さん、お静かに、と私、言いましたよね?」



 玄が固まったことに気づいた他の者も、振り向く。

 そして、皆一様に体が固まる。

 全員が己に視線を向けたことを認識したパルカは、一言、皆に向かって言葉を放った。



「お覚悟、できていますね?」



 この後全員怒られた。






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