第14話 案内の続き 其の三
久遠が岩に殴られた一方で、三人は楽しく談笑しながら離れへと向かっていた。
歩いている三人の中で一番楽しそうなのは秋だ。
片手に玄の手、片手に海の手、両手とも二人と手を繋いでいてニコニコしながら歩いている。
彼女の紅葉のような赤い瞳の色が、まるで頬にも移ったかのように赤く、肌が彩らられて、幸せそうに笑う。
そんな秋の上機嫌な様子を見ていると、二人もほっこりするのか表情を和らげて秋の歩幅に合わせ、その柔らかく小さな手を握って歩いていた。
「へぇ!、玄くんの苗字って、白鷺って言うのね!、白鷺ってあの鳥の白鷺と同じなのかしら?」
「はい、その白鷺です」
「なんだかおめでたい苗字ね!」
てくてく歩いていた三人は談笑の流れで苗字の話をしていた。
話しているうちに、玄は海の苗字は金城であることを教えてもらったのだ。
彼女は自分の苗字をおめでたいと言ったが、金城という苗字も字面からしておめでたそうだけどなぁ、と玄は心の中で呟いた。
そこで岩の苗字も気になった玄はついでに聞くと、岩の本当の名前は
なぜ岩と呼ばれているかと言うと、本人が呼んでくれと言ったから皆そう呼んでいるらしい。中には岩の名前を忘れている人もいるとかなんとか。
しばらくそんな感じで海と話していた玄は、秋とも会話したいと思い、秋にも話しかけた。
「秋ちゃんは苗字なんていうの?」
そう問いかけると、玄の発言を聞いた海はハッという顔をし、そしてあわあわと焦り始めた。
「えっ、えっと、ね、玄くん、秋ちゃんは、」
「私に苗字はないよ」
海がなんとかフォローする前に、秋は玄に向かってそうすっぱりと返した。
玄は目を丸くすると、ご、ごめん、と秋に言った。
秋は謝ってきた玄の手をぎゅっと握ると、
「何を気にしてるの?、別に玄くんは何もしてないよ、変な玄くん」
くすくすとおかしそうに笑いながら、海ちゃんもそう思うでしょ?と秋は海に同意を求めた。
海は微妙な笑みを浮かべると、そ、そうね、と戸惑ったように返答を返した。
すると、言葉を返したと同時に、秋がぴたり、と立ち止まったのだ。
なんだ?、と玄が疑問に思うと、秋は海と玄を不思議そうに見上げ、
「もうすぐ離れだよ?、このまま行ったら通り過ぎちゃう。二人とも気づかなかった?」
と問いかけた。
二人が言葉に反応して顔を上げると、そこには華美な旅館の雰囲気とは少し違い、質素な雰囲気を醸し出した渡り廊下があった。廊下の突き当たりには離れと思わしき場所の出入り口が見える。
玄は一気に興奮のボルテージが上がったのを感じた。心臓がドキドキして、期待に胸を膨らませてしまう。玄はしてはいけないとは思ったが、昂った感情を抑えるため、つい、秋のまろい、小さな手をぎゅっと握ってしまい、そんな玄を秋は怪訝そうに玄を見上げた。
だが、そんな風に感情が昂ってしまうのは、当たり前と言えば、当たり前だった。
新しく自分の住む所なのだ。期待しない方がおかしいだろう。
「あら、本当だわ、このままじゃ通り過ぎちゃう所だったのね、秋ちゃん、教えてくれてありがとう!」
「どういたしまして!」
そんな玄の胸の内をよそに、秋と海は和やか会話をしていた。
海は秋にお礼を言うと同時に、秋の頭を撫で、そんな海に対して、秋は照れ臭そうに笑った。
玄は二人のそんな様子を見て、少しだけ心を落ち着かせ、今ここで興奮しすぎるのは良くない、と必死に己に問いかけた。
そうこうしながら三人は渡り廊下を歩き始めた。
興奮が収まったかと思いきや、渡り廊下を一歩、また一歩と歩くたびに、玄の中の興奮が再び迫り上がってくる。
玄はもう一度、落ち着け…!と自分に対して念じた。
そんなことをしているうちに、三人は廊下の半ばまで既に歩き終わっていた。
玄は冷めやらない興奮を収めるために、渡り廊下の外の景色を見ようと、ふと、横を向いた。
そして、気づいた。
旅館の近くの山へと続く山道があることに。
その山道が目に入った瞬間、玄の中の興奮は萎み、代わりにえもいわれぬ恐怖が心を襲った。
なんだ、なんなんだよ、あれは!!!
そう叫んだつもりだった。
だが、口から出るのは、ひゅーひゅーという呼吸音だけだった。
玄はとにかく怖かった。本能が全力で拒否する、この感覚から逃げたかった。
思わず二人の手をぎゅむ、と思いっきり握る。
普段の玄なら失礼なことをしてしまったと顔を青ざめる所だが、今はそれどころではない。
「(こわい、こわい、こわい!!!)」
恐怖で思考が覆われ、半ばパニックになった玄の目をふと、柔らかなものが覆った。
「あら、玄くん、【アレ】を見ちゃったのね…、大丈夫よ」
それの正体は海の白魚のような美しい手だった。海は優しく玄の目を覆うと、玄の手をゆっくりと握り返した。
温暖な海のような、あたたかくやさしい声が玄の耳に響く。
「大丈夫、大丈夫よ、そのままゆっくり、歩いてちょうだい。大丈夫、手は私と、秋ちゃんが握っているわ、大丈夫だから、大丈夫よ」
まるで赤子に言い聞かせるように、何回も大丈夫、と海は玄に繰り返し言った。
海のその言葉を聞いているうちに、玄もだんだんと恐怖が薄れていくのを感じ、パニックもゆっくりと治まっていった。
そうして完全に気持ちが落ち着く頃には、既に離れの出入り口に着いていた、が、玄の顔色はいまだに悪いままだった。
きっと気分も相当悪いであろうという感じだ。
海は玄に、離れに入る前にすこし休みましょう、と、言い、離れの入り口のすぐ近くにあったベンチに玄を座らせた。
「…な、んですか、【アレ】は」
今にも吐きそうな声色で玄は言葉を絞り出し、海に問いかける。
海は形のいい眉を下げ、困ったような顔をし、
「…今、私から言えることはたった一つよ。あそこには、近づかないこと」
と言った。
玄は首がもげてしまうのではないかというほど頷いた。もう二度とあそこには近づかないと心から誓った。
「…秋ちゃん?」
そんなことを思っていると、ふと、秋がぼーっとしていることに玄は気づいた。
まるで、心ここに在らずと言った雰囲気に、玄は違和感を覚えた。
真っ赤な瞳はどこを見つめるわけでもなく、ただただ空虚だった。
玄はもう一度、強く彼女に呼びかけた。
「秋ちゃん!!!」
玄の声に反応したのか、パチリ、と瞬きを一つ落とすと、秋は光の戻った瞳をゆっくりと玄の方に向けた。
「秋ちゃん、どうしたの?」
海も心配したように秋に声をかける。
だが秋は首をふるふると横に動かすと、
なんでもない、とぎこちなく言葉を返した。
秋のその様子に、まだ違和感は拭えなかったが、とりあえずいつもの秋に戻ってくれたので、二人はひとまず胸を撫で下ろした。
そして、その後、十分ほど休憩を取り、三人は再び動き出した。
「…ふぅ…、とりあえず、大分落ち着いてきました。もう動いても大丈夫だと思います。」
「本当に?、無理してないか心配だわ」
「大丈夫ですよ」
玄の様子を心配した海はまだ休んだ方がいいのではないかと提案したが、玄はそれよりも自分の部屋はどんな感じなのだろうかと気になったため、震える体を叩き起こし、海に大丈夫だと告げた。
海は不安そうにしていたが、玄が先ほどの海のように何度も大丈夫だというと、ようやく安心したように、玄が動くことを了承した。
そうして三人は、離れの出入り口をくぐった。
最初に海、次に玄、最後に秋の順番で入る。
…だから二人は気づかなかったのだ。
あの山道をじっと見つめる秋に。
「…やっぱり、一人は、寂しいよね」
ぽつり、思わず、と言った様子で秋は言葉をこぼすと、玄と海を追いかけるように離れに入って行った。
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