第12話 案内の続き
食事を終え、食堂を出てきた玄と海、久遠だったが、久遠は仕事がまだ残っているらしく、途中で別れてしまった。
あとは若い二人で行動すればいい、だそうだ。
二人でしばらく歩いていると、
海が話を切り出した。
「じゃあ、案内の続きをしよっか!」
そう言われて、玄は案内が途中だったことを思い出した。
今日1日でいろんなことがあったため、忘れかけていたのだ。
「そうですね、お願いします」
「よしっ!わかったわ!」
二人は玄の持っていた地図を見ながら話した。
海曰く、食堂と厨房を除いたら、あと案内すべき場所は三カ所ほどだという。
残りは全てお客様の部屋となっているため、迂闊に案内することができないそうだ。
海は地図上の書庫と書かれた場所と、離れ、大浴場、を指差した。
「書庫はそのままの意味よ。本が保管されている場所、こっちはそこまで重要じゃないわね。一番重要なのは離れよ。ここは、私たち従業員が住むところなの」
「そうなんですか?」
玄は地図に離れと書かれた場所を見た。
ここが今日から自分が住む場所か…と思うと何だかしみじみした心地になる。
前のアパートは住処としてはひどい場所だったが、ここはどうなのだろうか?と思った。
まだ部屋の間取りすら知らない玄はまだ見ぬ新しい住処に心を躍らせた。
「でもここから一番近いのは大浴場なのよね…うん、大浴場、書庫、離れの順で案内しても構わないかしら?」
「構いませんよ」
離れをすぐにでも見れないのはがっかりしたが、他の場所も普通に気になったため玄は海にそう返事をし、二人は目的地まで歩き出した。
____________________________
話をしながら歩いていると、早速二人は大浴場についた。
大浴場の入り口には女湯と男湯の暖簾がかかっており、いかにもな旅館の雰囲気を醸し出している。なので入口から既に中がかなり立派な作りであることが窺える。
「大浴場の中はとっても広いのよ!、
朝風呂として使う人もたくさんいるから、玄くんもじゃんじゃん使ってちょうだいね!」
そのように話す海に、玄は大浴場がどんな作りで、どれほど広いのだろうかとわくわくした。
だが、二人がついた時、大浴場の入口にはある立札がかけられていた。
[只今掃除中、入らないでください]
玄はがっかりした。これでは入れないよなぁ、と落胆した。
だが海はそんな玄を尻目に、なんと、その立札を無視して大浴場の中に入ろうとしたのだ。
暖簾の中に顔をつっこみ、キョロキョロと中を見渡している海を見た玄は流石にこれはダメだろうと思ったので、彼女の細い腕を掴み、行動を止めた。
髪とお揃いの金色の目を丸くしてキョトンとした顔をした海が玄を見つめた。
やめましょうよ、と強めに言おうとしていた玄はあまりの海の邪気のない顔に勢いを無くして口をまごつかせてしまう。
そしてようやく出てきた言葉が、
「う、海先輩、今って入っていいのでしょうか?」
という言葉だった。
しかし玄がそう言っても、海は大丈夫だよ、と笑って返した。
玄は厨房に行った時にも感じた海への価値観の違いを改めて痛感した。
玄はまずいと思った。
このままでは掃除係の方に迷惑がかかってしまう。
玄がどう海を止めようかと眉間に皺を寄せて思案していると、男湯の暖簾から誰か出てきた。
玄がそちらに目を向けると、蛍光ピンクの髪色に同じ色の瞳をした小柄な女性がそこには立っていた。
髪はボブカットで前髪の半分を後ろにくくっている。
そしてどこぞの不良なのではないのだろうかと言うほどに目をつり上がらせてこちらを睨んでいた。
また、男湯から出てきたというのに、その人物はどこから見ても女ということに玄は驚いたが、もしや、この人が掃除係の人なのだろうか、と玄は思った。
そう考えていると、その女性は小ぶりな唇をゆっくりと震わせ、
「おい、お前ら、今は掃除中なんだよ、用があるならさっさと言え、ないなら帰れ」
と、強い口調で言い放った。
「すっ、すみません!」
その口調に恐れを感じた玄が反射で謝ると同時に、強い言葉を浴びせられたと言うのに海が笑顔になった。
そして思いっきりその女性に抱きついたのだ。
「岩さん!」
海が呼んだ彼女の名前に玄は聞き覚えがあった。
秋や海から話を聞いていた個性的な岩と呼ばれていた人物。
玄はもう一度目の前の女性を見つめ、
目の前のこの人が、あの岩さんなのだろうか、と思案した。
「あぁ?海、と…お前、さっきの昼飯の時にいた人間じゃないか」
抱きついてきた海を剥がしながら驚いたように玄をまじまじと見る岩と呼ばれた女性に、玄は既視感を感じた。
食堂を出る時に好奇の目に晒されたのと同じ感覚だ。
少しの居心地悪さを感じると、
岩は玄の気持ちを察したのか、ばつの悪そうな顔をしたあと、頭を下げて、玄に対して謝ってきたのだ。
「あー…いや、ジロジロ見てすまん。人間が同僚なんて、今までなかったもんでな…」
「い、え、こちらこそ、突然押しかけてすみません」
玄はまたまた驚いた。失礼かもしれないが、秋や海から話を聞き、想像していた人物像より大分まともだったからである。
玄が想像していたのは、自分の理不尽を認めず押し通そうとするような人物だった。
少なくとも自分の仕事が増えるという理由で汚れを許ず、汚せば当たり散らす人物と聞けばそんな性格の人を想像してしまうだろう。
だが目の前の彼女を見ると、そんな様子はない。
むしろいい人に見える。
自分の疑いすぎか?、と玄は思った。
「岩さんが中にいたのね!岩さん、彼は玄くんって言うの!」
「昼飯の時にとっくに知った」
海が嬉しそうに岩に話しかけると、岩はうざったそうに軽く海をあしらった。
だがしかし、全くめげる様子もなく話しかけ続ける海に、岩はイライラしたように応答している。
玄から見た印象だったが、どうやら岩は海のことが苦手そうだった。
ただ海の言うことを無視せずちゃんと返しており、抱きついても剥がすだけで本気で嫌がってなさそうなあたり関係はそこまで悪いわけではなさそうだ。
そうこう三人で話しているうちに海が岩にお願い事をし始めた。
「ねぇ、岩さん、私、岩さんに頼みがあるのだけれど」
目を潤ませ上目遣いで手を合わせてお願いする海の姿はものすごく可愛らしかった。
玄は自分が同じことをされたらなんでも了承してしまうかもしれないと思った。
しかし岩はそんな海に靡く様子は全くない。むしろ嫌そうに顔を歪める。
「ちっ、んだよ、さっさと言え、私は掃除に戻りたいんだよ」
「大浴場の中を玄くんに見せてもいいかしら?」
「はぁ?」
海の言葉に顔を歪ませたまま低い声でそう言った岩は明らかに不機嫌が限界まで高まっていた。
玄は焦った。このままでは空気が悪くなってしまう、と。
もう既に手遅れなレベルで空気は悪かったのだが、それでも玄はなんとかしようとした。
「ふざけるなよ、お前、お前の目は節穴か?入るなって書いてある立札が見えないのか」
ひしひしと怒りを滲ませながら青筋を浮かべ海にそう言う岩。
なぜ岩に怒られているのか本気でわかってなさそうな海。
本当にやばい、玄はそう思った。
既に掃除を邪魔された怒りが限界にきているのか、岩の体が小刻みに震えている。
「あ、あの!」
ついに勇気を振り絞り、声を発した玄だったが、怒りのボルテージが既にMAXギリギリの岩に睨まれ口を窄ませてしまった。
美人の怒り顔ほど怖いって本当だなと玄は頭の片隅でぼんやりと思った。
だがこのままでは埒があかない上に大変なことになるということだけは察知した玄は振り絞った勇気をさらに絞り出し頑張って言葉を発した。
「ぼ、僕、大浴場の案内、別にしなくてもいいです!むしろ、今日の夜の風呂に入る時の楽しみにします!!だから、先に書庫に行きたいです!!!」
玄がそう言うと、岩は表情を少し緩めた。
どうやらこの対応で正解だったらしい。
海は玄の言葉に驚いたような顔をして、本当にいいのか、と確認してきた。
「はい、大丈夫です」
そう玄が返すと、申し訳なさそうな顔をしながら、わかったわ、と海は言った。
「本当はちゃんと案内しようと思ったけど、玄くんがそう言うなら仕方ないわね」
その言葉を聞いた玄は己のことを思って案内してくれる海の気遣いには感動したが、海の言葉を聞いた岩が、「私の迷惑は考えてねぇのか、このアマ…!」と言いながらさらに青筋を立てたので、玄は海にはもっと周りを見てほしいな、とも思った。
だが無邪気に笑う海にそんなこと、玄は言えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます