十四 山王屋与三郎

 文月(七月)二十三日、八ツ半(午後三時)前。

 唐十郎と藤兵衛と正太の三人は、奉行所を出てから一時ほどで、千住大橋南詰め中村町に着いた。藤兵衛は羽織をまとって髪は商人風の髷。一見、大店の主だ。正太も商人の身なりで番頭風だ。唐十郎は着流しに大小の刀を帯びて藤兵衛の用心棒との風情である。

 三人は、千住大橋南詰め中村町の蕎麦屋、科野屋の暖簾をくぐって小上りに上がった。


「おかみさん。蕎麦を三人前、お願いしますよ」

 そう言って藤兵衛が女将を呼んだ。

「はあい。わかりましたよ。

 お酒をお付けしますか。今日のお通しは漬け物と目刺しですよ」

「では、三本、お願いしましょうか」

「はい。他にも注文はいかがですか」

 女将は店の壁に下がった品書きの札を示している。

「とりあえず、蕎麦と酒をお願いしますよ」

「はあい。おまえさんっ。蕎麦三つっ。酒三本だよっ」

 女将が調理場に向ってそう言うと調理場から、あいよっ、と声がする。


「旦那さんたちは、どこからおいでなすったのかね」

 女将は、藤兵衛たち三人連れの身なりから、この辺りの者ではないと思った。三人はこれから日本堤の西の吉原に行こうとしているようにも見えない・・・。

「日本橋からですよ。山王屋さんの評判を聞いてきました。女中を紹介してもらおうと思いましてね。山王屋さんは、いかがなものでしょうか」

 藤兵衛は女将にそう尋ねた。

「そりゃあ、山王屋さんなら、まちがいありませんよ。

 皐月下旬に奉公に上がった女中は、主に見初められて、来月(葉月)初めに祝言を挙げるらしいですよ」

 女将は誇らしげにそう話した。


 藤兵衛が尋ねる。

「山王屋さんは、いつから口入れ屋をなさっておいでですか」

「ここ中村町に口入れ屋を開いて、かれこれ三年を越えます。

 どの御店に奉公に上がった女中も、たいそう評判が良いらしいですよ」

 女将はまるで自分の事のようにそう話した。


「それは、どういうことですか?」

 と正太が藤兵衛の隣で驚いたように目を見開いている。唐十郎は腕組みしたまま伏し目がちに話を聞いている。

「奉公に上がった女中は上女中なんですよ。みな、美人の才女で、どの御店でも主の女房になったり、妾になったりしてるって噂ですよ」

「御店の主も、女に目がないんですかねえ・・・」

 藤兵衛がふしぎそうにそう言った。

「ところが、噂ではそうじゃないらしいんですよ・・・・」

 女将は山王屋与三郎が上女中を斡旋した店の内情を説明した。

 どの店も主が女房を亡くして後添いを考えていた。そこへ番頭や大番頭の勧めがあり、主は山王屋へ足を運んで上女中の斡旋を依頼した。そして、その一ヶ月ほど後に上女中が奉公に上がり、上女中は主に見初められて女房になったり妾になったりしている。


 加賀屋菊之助と上女中の多惠の場合によく似ている・・・。おそらく、上女中が奉公に上がった御店が、夜盗に入られた御店だ・・・。

 唐十郎がそう思っていると藤兵衛が言う。

「ところで、山王屋さんはどこの生まれですか。なあに、同郷なら話しやすいと思いましてね」

「旦那さんはどこの生まれですかい」

 女将は驚いたような顔をしている。

「私の父親が仙台から江戸へ。はい」

「おや、まあ。そんなら、山王屋さんとおんなじだわさ。

 旦那さんも、山王屋与と馬が合うってもんさね」

 女将はニコニコし、

「蕎麦と酒、あがったよっ」

 と言う調理場の声に、あいよっ、と答えて、調理場へ行った。


「繋がりましたね」

 藤兵衛は、与三郎と多惠が同郷だと推察した。達造や仁介では、大店の商人に扮して探りを入れるなどできない・・・。

 唐十郎は思った。

 与三郎と多惠は三年前から顔見知りだ。そして、その頃から夜盗被害が続いている。いずれも山王屋与三郎が多惠あるいは他の上女中を御店に斡旋して、その後、与三郎が御店へ夜盗に入ったのだろう・・・。

 しかし、土蔵の錠前はどうやって開錠したのか・・・。同心たちの調べで、加賀屋に出入りしていた錠前屋は、獅子堂屋の番頭の安吉と判明している。同心たちは行方の知れぬ安吉の行方を調べてくるだろうか・・・。


「お待たせしましたね」

 女将が三人の前の座卓に蕎麦と酒、漬け物と目刺しのお通しを置いた。

「他に御注文はありませんか・・・」

 女将は笑顔で藤兵衛を見ている。

「旦那様。山王屋さんにお願いする事がありますから、ほどほどに・・・」

 正太が藤兵衛にそう言うが、藤兵衛は聞き入れない。

「酒三本とお勧めの肴を三人前お願いしますよ」

「はあい」

 女将はそう言って調理場へ戻った。


「正太。すまぬが山王屋さんに会って、上女中の斡旋を頼んできてくれぬか」

 藤兵衛の言葉に唐十郎が頷いている。

 正太は藤兵衛の考えを理解した。

「わかりました。では、どのような上女中を、お頼みすれば良いでしょうか」

 藤兵衛には愛しの女房お綾がいる。いったい、どのような上女中を斡旋してもらう気だろうか・・・。

 正太は、唐十郎と藤兵衛の考えを聞きたかった。


 藤兵衛がこっちに寄れと正太に目配せして声を潜めた。

「実はな、田所町の亀甲屋にな・・・」

 藤兵衛は、徳三郎と唐十郎が錬った策をかいつまんで正太に説明した。

 説明を聞いて正太は小声で状況を再確認した。

「わかりました。日本橋田所町の指物問屋の藤正屋を開店するにあたり、御内儀を亡くした主が上女中を捜している、とですね」

 唐十郎が忠告する。

「そうだ。指物の話なら、藤兵衛も正太もできるだろう。

 上女中の好みは、正太の好みで良い。

 ただし、お綾やあかねなど、人の女房は避けるのだ」

「わかりました。御内儀が二人もいたら旦那様も大変ですからね。

 吉原で評判の花魁でも・・・」

「正太。真面目に考えてくださいよ」

 藤兵衛は大店の主を演じている。

「わかりました。蕎麦を食ったら、話してきます。

 待っていてください・・・」

 そう言って正太は酒を飲みながら、漬け物と目刺し、蕎麦を食っている。ずいぶんおちついている。

「では、行ってきます。上女中の斡旋だけを話して、様子をみます」

 蕎麦を食い終えると正太は科野屋を出ていった。

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