十一 探索開始

 浅草熱田明神そばの日野道場から千住大橋南詰め中村町の口入れ屋山王屋まで行き、そこから引き返して内神田横大工町の唐十郎の長屋に戻るのに一時半かかる。

 すでに八ツ半(午後三時)を過ぎている。今から千住大橋南詰め中村町の山王屋に行って戻るだけで、暮れ六ツ(午後六時)を過ぎてしまう。

 唐十郎と藤兵衛と正太は明日からの探りについて、飴売りの達造、毒消し売りの仁介と打ち合せして日野道場を出た。


 七ツ半(午後五時)過ぎ。

 唐十郎と藤兵衛は正太を竪大工町の正太の長屋に帰宅させて、奉行所に与力の藤堂八郎を訪ねた。藤堂八郎は与五郎を連れて両替屋の佐渡屋へ行ったまま戻っていなかった。

 同心の岡野智永と松原源太郎が、過去に山王屋から女中を斡旋されて、その後、夜盗被害にあった店を調べていた。岡っ引きの鶴次郎は下っ引きの留造とともに錠前屋へ聞き込みに行っていた。

「岡野さんと松原さん。

 忙しいところすまぬが、私たちも、人別帳を見れぬものか」

 そう言って唐十郎と藤兵衛は同心の岡野智永と松原源太郎に頭を下げた。

「唐十郎さん。頭をお上げください。

 山王屋から女中を斡旋されて夜盗被害にあった御店を探すにも、山王屋がどこに女中を斡旋したか人別帳を調べますゆえ、唐十郎さんたちも人別帳を見れるように、明日、与力に話しておきます。

 もうこの刻限ゆえ、今日はここまででごさるよ」

 同心の岡野智永はそう言って、唐十郎と藤兵衛に微笑んだ。愛嬌ある同心の岡野だ。

 まもなく暮れ六ツ(午後六時)だ。

 唐十郎と藤兵衛は礼を言って奉行所を出た。


 長屋への道すがら藤兵衛が言う。

「加賀屋の夜盗ですが、話ができすぎてませんか」

「私もそう思っていた・・・」

 唐十郎はこれまでの出来事を考えていた。


 卯月(四月)初旬。

 日本橋呉服町の呉服問屋、加賀屋菊之助の女房の八重が亡くなった。

 皐月(五月)下旬。

 大番頭の直吉の段取りで、八重に瓜二つの多惠が加賀屋の上女中として奉公に入った。斡旋したのは美人の才女を上女中として斡旋すると評判の、千住大橋南詰め中村町の山王屋、山王屋与三郎である。

 文月(七月)二十一日。

 加賀屋の締日の翌日、奉公人に慰労の酒の席が設けられた。

文月(七月)二十一日深夜から二十二日未明。

 加賀屋の土蔵と金蔵が開錠されて五千両が奪われて、土蔵は施錠された。

 葉月(八月)初旬。

 加賀屋菊之助は上女中の多惠と祝言を挙げる予定だ。



「夜盗は、二十一日が加賀屋の締日翌日で、奉公人に慰労の酒の席が設けられて、御店の警戒が手薄になるのを知っていた・・・」

 そう話す唐十郎の言葉に、藤兵衛は確信する。

「やはり、夜盗の中に加賀屋の内情を詳しく知る者がいるか、加賀屋の奉公人の中に夜盗の仲間がいますぜ」

「奉公人の中に夜盗の仲間がいる・・・。

 ところで、五千両もの大金を奪われた加賀屋は、今後、どうなると思う」

 唐十郎はやっかいになったと思った。

「両替屋から銭金を借りて、今まで同様に商売を続けると思います。

 あるいは、商売を控えて、奉公人に暇を出すかでしょう・・・」

 五千両も借りないだろうが千両や二千両は借りるはずだ。それでも、利息はかなりの額になっちまうと藤兵衛は思った。

「加賀屋ほどの大店なら、両替屋も銭金を貸す。奉公人に暇は出さぬ・・・」

 唐十郎はそう言った。

「もしやして、資金難から、菊之助が祝言をやめるとお考えですかい」

 藤兵衛は歩きながら唐十郎の顔を見た。

 唐十郎は道の先を見ながら考えを言う。

「菊之助は、たとえ祝言を先延ばししてでも、奉公人に暇を出さぬ・・・。

 だが、加賀屋の誰かが、『御店を潰さないために、祝言を先延ばしにして、奉公人に暇を出すべきだ』と主張すれば、『加賀屋の懐具合は火の車だ』との噂が日本橋界隈に拡まる。その結果、加賀屋の商売は行き詰まり、いやでも奉公人は暇を出されて、夜盗の仲間は何食わぬ顔で加賀屋から足を抜ける・・・・」

「なるほど・・・」

 藤兵衛は納得した。いったい誰が『祝言を先延ばしにして奉公人に暇を出せ』と言うのだろう。ここは、両替屋を騙って加賀屋に潜入する、与五郎の腕の見せ所だ・・・。

「さあ、話はこれくらいにして、帰って夕餉にしよう。女房たちが待っている」

 唐十郎は藤兵衛とともに長屋へ歩いた。


 六ツ半(午後七時)過ぎ。

 唐十郎とあかねは、唐十郎の長屋で藤兵衛たち夫婦とともに夕餉をすませた。

「では、あっしらは帰ります」

 しばし待てと唐十郎は藤兵衛を引きとめた。

「明日の昼には幕閣の屋敷の出稽古から戻るゆえ、奉行所へ行こう。

 山王屋に行くか否かは、その時決めよう。

 藤兵衛は昼までに、今請け負っている仕事の段取りをつけてくれまいか」

「ようござんす。あっしもその方が好都合でして。では、明日の昼餉に。

 あかね様。おやすみなさいまし」

「あかねさん、おやすみ」

 そう言って藤兵衛とお綾は自分たちの長屋へ帰っていった。


 二人が帰ると、あかねは洗い物をすませた。その間に唐十郎が部屋に褥を用意して二人が睦みあったまま眠っているように、布団の中に布団を丸めて入れた。

 作業が終ると、唐十郎は天井板を動かして風呂敷包みを取りだし、あかねとともに、中に入っている黒装束を身に着けて大小の刀を帯びた。あかねはそれまで着ていた二人の装束を風呂敷に入れて天井へ上げた。

 唐十郎が行灯の明りを吹き消して片膝を突き、もう片方の膝を立てた。その膝を踏み台にしてあかねが天井へ舞いあがり、天井裏から太い麻の綱を垂れた。唐十郎はその綱をつたって天井裏へ上がった。

 天井裏から、隣の長屋の藤兵衛とお綾を見た。

 藤兵衛とお綾は、あかねが夕餉の吸い物のお椀に塗った眠り薬が効いて、ぐっすり眠りこんでいる。


 それから一時ほど後。宵五ツ(午後八時)過ぎ。

 星空だが月は出ていない。

 江戸から奥州街道に続く千住大橋南詰め中村町の通りぞいに、口入れ屋の山王屋がある。

 通りは夜になっても街道を行き来する人があり、宿場の客引きが旅人たちを旅籠屋に誘っている。

 通りを行き来する者たちは、客引きや宿の格子から顔を見せる宿場女郎に目を奪われて、屋根伝いに移動する二人の人影に誰も気づいていなかった。人影の移動は山王屋の屋根で止って、人影は屋根から消えた。


 山王屋の奥座敷に、二人の男が酒肴の膳を前に向い合って座っている。 

「両替屋の耳に入るよう、話を流しときましたぜ。噂なんぞは嘘だろうと、人の口から広まれば、誠になっちまうってもんですぜ」

 そう言って与三郎に酌をしているのは、番頭の安吉だ。

「それで、両替屋たちはどんなだった」

 酒が満たされる杯を見ながら、与三郎は何やら考えている。

「両替屋に出入している大店の主たちの言葉ですから、両替屋の主たちは、火のねえ所に煙は立たねえと金貸しを渋る様子でした」

「銭金を借りられぬとなれば、加賀屋も商売を手控えて、奉公人に暇を出すしかなくなる。

 安吉。次の仕込みを始めてくれ。大店の助平な主を探せ」

「へい。わかりやした。では、早々に」

 安吉はその場から立とうとした。

「何も、慌てなくていい。しばらく加賀屋の様子を見るのだ。その合い間に、次の仕込みを考えてくれ。

 まあ、今宵はゆっくり飲め。今ごろ、多惠はどうしているやら・・・」

 そう言って与三郎は杯の酒を飲み干した。

「姐さんのことだ。今ごろは気弱な御内儀を演じてますぜ」

「まだ、祝言前だ・・・。早く抜けてくれるといいが・・・」

 与三郎は多惠の身を案じながら、酒を注げと安吉の前に杯を差しだした。

 ふたりは夜が更けるまで、酒を酌み交した。

 山王屋に忍びこんだ人影は、いつのまにか姿を消していた。

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