第5話 初めてのお客さん
「い、いらっしゃい……ませ?」
「うん」
元気な声で入って来たその子は、こくりと頷いた。
そしてドアをそっと閉めて、こちらへ向かって来る。
豪快にやって来たわりには、動きの一つ一つに、どこか品を感じる子だ。着ている服もずいぶん上等な素材が使われている。
もしかしたら、どこかの裕福な家のお嬢さんなのかもしれない。見た目は人間っぽいけれど、彼女も魔族なのだろうか。
そんなことを思っていると、彼女はカウンターに一番近い席へ腰を下ろした。
「……あっ」
思わず、ぼーっとしてしまったけれど、これはもしかして、初めてのお客さんではないだろうか。
僕は火を消して、メニュー表を引っ掴むと、彼女の席へと急ぐ。
「こんにちは! いらっしゃいませ!」
「こんにちは」
挨拶をすれば、彼女は僕を見上げて、同じように返してくれた。
それから、入って来たドアを指さす。
「看板に、カフェと書いてあったけれど、合ってる? この間まで、ここにはなかったから、ちょっとだけ心配」
「はい、合っていますよ。つい数日前にオープンしたばかりなんです」
「そうなの?」
「そうです」
まぁ、何もなかった場所に、突然、建物が建ったら驚くだろう。
それは分かっているけれど、嘘でもないので、僕はしっかりと頷く。
「そう」
「えっと、こちらメニューになります」
「ありがとう」
メニュー表を渡すと、彼女はこくりと頷く。
そして上から順番に眺め始めた。
「…………」
「…………」
しばしの無言。こういう時って、どうすればいいんだろう。
ここしばらく接客の仕事はしていなかったから、妙に緊張してしまう。
子供の頃に、両親の手伝いで注文を受けたり、料理を運んだりしていた以来だ。
冒険者になりたての頃も、腕力や体力を鍛えたくて、建築現場の手伝いとか、力仕事中心のアルバイトをしていたから、接客業は長い間やっていない。
勇者もある意味接客業という面はあるかもしれないけれど。
そんな事情で、ずいぶん久しぶりだ。
……だ、大丈夫かな。何か粗相でもしてしまわないかと、だんだん心配になってきた。
い、いや、大丈夫なはずだ。たぶん。これまでにも、王様と何度も謁見したし、その時に不敬罪に問われることはなかった。依頼主とだって揉めたことはない。
……ないんだけど。
「…………」
仲間たちの不満に、気付くことができなかった僕だ。何かやらかしていてもおかしくはない。
考えれば考えるほど、不安になってきた。いっそ心を無にしていた方が良いかもしれない。
頭の中でぐるぐると、そんなことを思いながらオーダーを待っていると、ふっと彼女が僕を見上げた。
「ねぇ。そういえば、さっきこの店から漂ってきた、あの良い香りは何?」
彼女は少しだけ首を傾げ、そう言った。
ああ、と僕は軽くつぶやいて、キッチンの方へ顔を向ける。
「あれはフレンチトーストの香りですね。僕のお昼ご飯用に作っていたんです」
「フレンチトースト……」
鸚鵡返しにつぶやいた彼女の目は、何だかキラキラと輝いている。
香り作戦は大成功だったようだ。
広告や張り紙も大事だけど、食べ物を扱う店なら『香り』も大事な宣伝だよね。
僕も城下町の屋台で、焼き鳥を買った時も、あの肉の焦げる良い匂いに釣られたのだ。
僕が思い出し笑いを浮かべている間、彼女はじっと、キッチンの方を見つめていた。
おや、と僕は目を瞬く。
……もしかして、食べたいのかな?
「……あの。良かったら、フレンチトースト、食べますか?」
「……! いいの?」
彼女はバッと僕を振り返った。
表情の変化が薄いから分かり難いけれど、嬉しそうに見える。
もともとあのフレンチトーストは自分用の賄いだ。
お客様に出すならば、それなりに美味しそうにしなければ。
それに彼女は最初のお客さんだ。食べたいって思ってもらえたものを、しっかりお出ししたいよね。
「かしこまりました。それでは、少々お待ちくださいませ」
「うん」
彼女が頷くのを見てから、僕はカウンターの内側へと戻る。
そしてもう一度フライパンに火をつけて、フレンチトースト作りを再開する。
フレンチトーストの乗ったフライパンは、ジュワ、という小さな音から、だんだんと賑やかな音へと変化していく。
音とともに、フレンチトーストがこんがりと焼ける匂いも、店内に広がり始めた。
……こうして料理をしていると、両親のことを思い出すなぁ。
父さんと母さんは、いつも楽しそうに料理をしていたっけ。
楽しいことは大事。そして楽しい気持ちから浮かぶ笑顔はもっと大事なのだと、二人は僕に話してくれた。
思い出していると、女の子の方から、ぐう、と可愛らしい音が聞こえた。
顔を向けると、女の子がお腹を押さえながら、こちらをジーッと見つめている。
……これは期待してくていると考えて良いのかな?
「もうちょっと?」
「もうちょっとです」
そう言って、本当に少しして、フレンチトーストは焼き上がった。
うん、良い色だ。焼き上がったフレンチトーストをお皿に乗せて、そこへバターをころんとひと欠片。
その上に、サラサラと粉砂糖を振りかける。
すると直ぐに、バターと砂糖が熱で溶け始める。
ああ、この瞬間がたまらなく良い。
あとは紅茶も用意して……よし、完成だ。
完成した料理を持って、彼女の所へと慎重に運ぶ。
「お待たせしました」
「待ってた」
彼女の目の前に置くと、彼女はすぐに、ナイフとフォークを手に取った。
そのままサク、ナイフを入れる。そしてフレンチトーストを一口大に切って、口に運んだ。
……どうだろう?
初めてのお客さんということもあって、すごくソワソワする。
固唾を飲んで見守っていると、彼女はもう一口、フレンチトーストを切り分けて口に運ぶ。
最初と比べると、少し大き目に切ってくれているみたいだ。
「……美味しい」
そして、そんな言葉が言葉が聞こえた。
……ああ、良かった。美味しいって。
僕は思わず天井を見上げる。
お客さんがいるから『星降り』は黙ったままだけど、彼も喜んでくれている雰囲気が伝わってきた。
「ねぇ」
感動を噛みしめていると、呼びかけられた。
「はい、どうしました?」
「ここのカフェ、名前は?」
「名前?」
……そう言えば、名前は考えてなかったなぁ。
カフェとは書いたけれど、具体的な名前は、まだ決めてなかったんだよね。
僕は少し考えて、
「……星降り。星降りです。ここはカフェ『星降り』」
と答えた。
このカフェは『星降り』が建ててくれたものだし、彼がいるから僕はこうして生きていられる。
だから『星降り』の名前が、一番ふさわしいと思う。
僕が店の名前を告げると、彼女は小さく微笑んだ。
「良い名前。……カフェの名前は、分かった。それじゃあ、あなたの名前は?」
「僕はレオナルドと言います」
「そう」
彼女は何度か頷くと、自分の胸に手を当てた。
「私はロザリー。でも皆がヒメとも呼ぶから、ヒメでも良い」
「は、はあ……」
ヒメかぁ……愛称的なものなのかな?
確かに食べ方は綺麗だし、テーブルマナーもしっかりして見えるし、育ちの良さが感じられる。名前の通りヒメっぽさがあるなと思った。
「それじゃあ、ヒメ、さん」
「ヒメでいい」
どうやら『さん』はいらないという事らしい。
それならばお言葉に甘えて、ヒメと呼ばせていただこう。
「……美味しかった」
ヒメはフレンチトーストをぺろりと平らげると、立ち上がる。
そしてテーブルの上に金貨を一枚、コトリと置いた。
……金貨?
いや、待って。もしかしてこれ、お代なのかな?
「また来る」
金貨を置いたヒメは、そのまま店を出て行こうとする。
いや、いやいやいやいや! これはまずい!
「ま、待って! 多い! さすがにこれ多いから! お釣り渡すから待ってて!」
「いい」
良くないよ!
僕が慌ててレジの方へ走ると、ヒメは少し首を傾げて、
「じゃあ、また来るから。その時の代金を、そこから引いて」
と言った。
また来てくれるのは嬉しいけれど……でも、それでも金貨は流石に……。
「じゃあ」
僕がぐるぐると考えていると、ヒメはそのまま出て行ってしまった。
あ、あああ……どうしよう、追いかけた方が良いのかな。
『また来るって言ってんだから、それでいいんじゃないかーレオー』
僕が頭を抱えていると、星降りがそんな風に言ってくれた。
店内が僕だけになったので、話しかけてきてくれたらしい。
……うん、そうだね。せっかくそう言ってくれているんだし、ヒメが来てくれた時はここから代金を引こう。
そう思って僕は大事に金貨を仕舞うと、ヒメのことをノートに書きとめる。
『初めてのお客さんだったなー。良かったなーレオー』
「うん、良かった。嬉しかったなぁ」
星降りの言葉に僕は微笑む。
ヒメかぁ、また来てくれるといいなぁ。
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