「人間たちの真昼」

天川裕司

「人間たちの真昼」

「人間たちの真昼」

 乱脈、乱行、とは、いつしか、人々の正義に近寄り、やがて、その人の正義を呑み込んだ様子である。否、このような経過を現実に於いて辿る事は、人が存在した時点で、その「人」の言動を決定させる自然に於いて定められていたものかも知れない。エデンの園に居たアダムとエバの末路について配慮をした際に、もしかすると気付きはしまいか。アダムとイブとは、人がいつしか「自然」とする神の御力により、勝手に発生させられた命達であり、彼等は与えられた命を無意識の内に享受して、エデンの園で暮らすこととなっていた。ヘビの誘惑により目開きと成るが、与えられた「命」、その「命」により知った環境、蛇の誘惑とは何故自分達が住む周囲に在ったのか、等に対する疑問を語らず、又、自然の力(神の御力)により園を追放され、苦役に苛まれる人生に生きる事を受容する。聖書の冒頭に記された「創世記」に於ける一場面を述べれば、上記のように成る。人の力は神に及ばず、神の力は人を支配するところに在り、常に、人々を見降ろしていた。人はその莫大な遠心力に対してひれ伏す形を取るが、神の前に崇拝の念を持ちながらにして、その心とは、遠くに在るものだった。その事に気付かずに、人はいつものように駆け回り、釣りをして、飯を食い、息をして、日々を優雅に過ごしていたのであろうか。満面の笑みを交わした二人の最後の光景を見たものとは、一体何であったか。エデンに雲があったか、川が流れていたか、星は見えたのか、私が今感じているように、自然とは、二人を生きながらえさせ、死なせるものであったのか、何も解らずに書く私の目前には、空虚を灯す空想しか生まれない。恐らくこれ等の疑問については誰も知るまい、といっそ私は、断言してみたい。自然と人とは、平行線を画す存在であると思わせながら、奇しくも現在、共存する。この不思議は何を目的として、誰が構成したのか。人であれば知る筈がない、と嘆くのは、今日始まった人についての悲劇ではない。ずっと以前から存在した悲劇であったかも知れなく、私は今日に於いて、この謎を解明してみたいとも思う。しかし、何かが許さず、誰かが道を閉ざしている。この摩訶不思議に打ち勝つ算段を、最寄りの公園で、大学の構内に設けられた階段で、会社でコピー機いじっている最中に、為しているが、淀みがない程、億劫な倦怠が又やって来る。私を襲う無情の寂寥感とは一体何なのか。アダムとエバの追放された後の末路を辿り、彼等の生活に於ける人が織り成す、自然に対する真実、について追究したい。私は愚かであろうか。日常を、車を飛ばし、比叡山まで行き、彼女、彼氏、の肩を抱いて、夜景を見ながら優雅に乾杯して謳歌する若者に紛れて私は、唯、哲学少年かぶれして足踏みしている愚人であろうか。突拍子もなく様々な立場を取って、光景が私のデリカシーを苛む。「人よ、狂わないで」、「祭りだけが残って、戦争は消えてしまった」、こんな事を呟きながら、階段を下りて行き、「現実」と書かれた看板のバーの扉を開けると目前には、奥行き知れない薄明かりの空間が広がって居り、カウンターにはグラスを磨いているうつむいたマスター、背中を丸めて見せて表情を余り変えずにウィスキーのようなものを呑む学生風の客、少し奥には、脂ぎった額の汗を拭き拭き、接待するように落ち着いた紳士服の相手をする50代半ばの会社員、何故か時代錯誤にも、インベーダーゲームが内蔵されたテーブルが置かれてあり、そこには十代から二十代の若者が現実を忘れるかのように一点見続け、「どんちゃん」という雰囲気の加減に魅了された挙句、家に帰る事をも忘れている。茶色した証明だった。店の内壁はレンガ造りのよくある壁で、ところどころに欠けがあり、罅があり、初めから取り付けられていたような窓ガラスは、唯、黒い深い闇を覗かせており、都会を思わせる。何も輝かないのに、私の経験が物をいい、ステンドグラスを嵌め込んだり、向こうに景色を浮かばせたり、時には、誰かの躍動さえも映すのである。これ等の光景とは、私に何の意味を齎すのか。しゃくり上げた女の泣き声は、その情景には似合わない。

 

 私は成長した。アダムとエバの不思議についても、殆ど、とやかく言わなくなった。小学校、中学校、と最寄りの学校に通学していた私は、高校は少し自宅から遠い私学に通学しており、その私学へ行く為の通学電車の中でも、常に、流行した白書やムック雑誌の旅行蘭に目を止め、現実に於いて、心身共に、強く成長したと自覚していた。あれは3月初めの、初春という響きが最も自分の心境に似合うと思った、暖かい日のこと。いつものように私が満員に近い電車に乗り込み、やっとの思いで空いてた席に座ると、すぐ隣に若い女性が座った。私と目的が一緒の、紺のブレザーを着た女学生である。学習手帳を自分の胸の前で広げて、私の見ている前で、今後の自分のスケジュールを模索するかのように、青や赤の鉛筆で、暦の数字に丸を付け始めた。かと思いきや、車内の天井から下がった広告が揺れる。「きゃっ」という声と共に、彼女は、眠っている私の肩に寄って来た。私が眠っているにも関わらず、彼女は「ごめんなさい」と言い、又まっすぐ前方を見詰めた。私はこの娘に恋をした。「恋」とは、果たして、どこからでも心に入って来るものである。暫く景色を眺めていた二人は、ぼうっとして、三つ目の雲が私達の目前を通り過ぎる頃、私達は車内にも関わらずに接吻した。出逢ってから束の間の恋の末路である。別れる事は始めから決まっていた。

 そこへ、男が、ずいずい侵入して来た。私達は、その「男」の事を第三者と呼んだ。第三者にも関わらずに男は、私達が築き上げたパラダイスに根を張り、腰を落ち着けようとしている様子であった。私は男のその行為を嫌ったが、彼女はすんなり受け入れた。私は、エデンに於いてあの「受容」が為された、自然の内の人の所作の事を思い出した。もう一度、男が侵入する事を私は拒んで見せたが、彼女が男の言う事を一々聞くものだから、拒む理由がなくなってしまい、結局、王座を男に明け渡してしまった。王座を明け渡した私はそそくさと別の車両に体を持って行き、鮨詰めの行列に自分を押し込んで、何とか、男と女から見えない所まで自分を画す事が出来た。そこで私は「身を隠す事に成功した」と思い、安心していたが、すぐに又、後悔の念が自身の心を襲った。すっかり王座を明け渡してしまったのに、又、あの王座を奪還したいと思っていた。成る程、男と女は、逃げてしまった私の後ろ姿を見送り、誰もいなくなった後で、パラダイスを作り直して、新緑の芳香を感覚で楽しみながら、今後、自分達が歩む事となる計画について想像しており、笑っている。私の分身は、一旦、私から離れて、家に帰って凶器を持参して、彼等の前に立ちはだかった。彼等は気付いておらず、唯、喋る。雨の日に、水から上がり道路に迷い込んだ蛙を見付けて、車に轢かれないように、又、水に返してやる、といったやさしさを掲げた気持ちを以て、二本の斧を彼等の頭上に振り下ろし、一区切りを付けた。彼等は、私に対して何も話さなくなり、私は目的の駅の一つ手前で急いで下りた。その後の彼等がどのような言動を振りまいていたかについて私は知らない。唯、見える現状の内で私は満足が欲しかったのだ。私は男であり、その後、女というものを見た事が無い。


 相手(他人)を殺すには、自分も死ぬ覚悟が必要である。多々起こる、この不条理への反発、犯罪とは、人に何を意味するのか....。「盲目」という雨が降り注ぐこの世界では、結果と呼ばれる、脆弱(よわ)い自分が映る鏡を見ているしかなく、何が起きても、見続けている他なく、どうあっても、盲目が続くこの世界で生きることが条件付けられる。文句を言えば、逆(ハネ)返る。そのような自然が在る故、人は、盲目を打ち破る眼力を身に付けねばならない。体が凍る寒さの中で、見る脆弱い希望。その態(てい)に、その結果(こたえ)は容赦なくあらわれる。我が身かわいさが、かえって、仮に作った「善悪」を坩堝に投げ込む手腕を助長する主義に、変る事がある。神に祈り、その身を守ろうとする人間の脆弱さは絶えず、一つの目的を見ている。「この世を足蹴にして良い」と自分に言い聞かせたパラダイスが、この世を越えた世界に置かせた目的を、知性(げんじつ)の力を以て見せるのだ。.......(目に見える影が邪魔してしまった。頭の中が白紙になった。五線さえ引いていない真っ白い白紙。何もかけなくなった。ここにて、途中脱落。)


 彼は、何となく兵庫県にある城崎へ行ってみたいと思い、大空の下、京都から山陰線にて特急に乗り込み、とりあえず城崎温泉駅へ向かうことに決めた。日頃の鬱憤、煩悶、それ等を織り成す煩悩も、又これまで出会ったすべての人の面影も、旅先で忘れる事を望んでおり、その矢先で出来上がる自分にとって体裁の良い面々を心中で受容しようという目的が一つ、あるにはあった。しかし、その目的は然程彼にとって重要ではなく、重要な目的は又他にある。景色を見ること、その景色の中に自分が溶け込むこと、その景色が与えてくれ得るだろう感動を手中に収めること、彼の目的は漠然としていた。鬱憤も煩悶も煩悩も漠然としている。又「手中に収める」とは「把握する」ことであると無意識の内にて彼は知っている。切符が二枚、彼の目前にある。現実を思わせてくれる嫌なものだと他所で思いつつも、彼は現実に生きる自分の活性を図る事に尽力し、いそいそと少ない荷物をまとめながら名残惜しむようにして自宅を出る。忘れ物がないかと少々気おくれしながら配慮を以て、最寄りの駅にてバスに乗り込む。

 いつもの光景だ。日差しが仄かに差す京都の街中の情景とは、自分には何も教えてくれずに、他人の体裁を保ちつつ唯一つの目的を担うかの如くに流れるものだ。又歯車に運ばれるようにして隣に居座る他人というものも、いつもの光景と同様に、自分とは違う目的が輝く方向に用意された運命を携えて、自身の体裁を繕いながら、彩り溢れるその側面だけを私に見せている。何故か、そのように成っている。それ等の光景に、妙な憤りを覚えて、又寂しさを感じていた。あれやこれやと考えながら、もう一つの思惑が彼にのしあがる。今回の旅行について、つたない意味付けをし始めるのである。(彼の心中に於いて思惑を語る。)

 この旅行は、自分が所属する土地と、他府県(兵庫県)とを比較する為のものだ。土地柄、人、文化、(人、物の)在り方、空気の匂い、雰囲気、今、この場では語り切れない事柄を自ず感じて、比較する事になるであろう。両地に於いての「漠然」への思惑の比較、といっても良いかも知れない。これ等は私の糧となるべきものであり、愉しむべきものだ。これ等は旅をするという響きからの唱導により得た糧といっていいかも知れない。今まで京都から一歩も出たことがなかった自分にとって、この旅行が為す意味は大きいものだ。どのような観念、感概、思考、心境、を生ませてくれ得ることか。出会い、を糧として又様々に随想する。

 特急に乗るまでに、大きく分けて三人の人間(内グループを含む)に出会った。心に残った人達のことかも知れない。

 一人目。バスの中の車掌。酷く愛想悪く、「ご乗車ありがとうございました」の一言も、なにやらボソボソ呟いているだけの態にみえて、私としてやり切れない。もう少し良い体裁を構えられないものかと愚痴をこぼしたくもなるものだ。下車する時には、小銭が無く、両替を頼むと快く「はい、どうぞ」と言ってくれる。車掌の顔は見ていなかったのでわからないが、微笑んでいたかも知れない。他人とは、外面からみていてもわからないものだ。

 二人目。京都駅に着き、特急乗り場のプラットフォームに立った時、自分が乗る違う便の丁度一三時一五分頃に、南方から来た特急に乗車していた二人組のギャル達。下りて来て、私の横で、ペチャクチャと喋っていた。なんという偶然だろうか。私は、京都駅に着いてから暫く、オープンカフェに居た。私的な過し方だ。いつ、カフェを出ても良いのに、思い立ったようにプラットフォームにやって来た訳で、その偶然からそのギャル達に出会った、というところであろう。こんな事は確かに、日常、様々なところで起きているようだが、このような時、「偶然の魅力」というものを感じずには居れない。

 三人目。はまかぜ号に乗車した後、私の指定席の隣に座っていた男性。年は初老といったところだろうか。白髪が混じり、風貌は正に、街中に於いても落ち着いて世情を見渡す一歩引いた博識の人。薄命の人にも見えた。私にそのようなイメージを抱かせながらもその人は足を組み、本を読みながら通路側の座席に佇む。「あ、すみません」と、私が窓側の席に座ろうとその男性に声を掛けると「あ、すみません」と両膝下を内側に引き、通り易いように空間を譲ってくれた。その素振りが親切感を感じさせ、誠実な人であるという想像を抱かせた。私が携帯電話を触っている間、隣でずっと文庫本をその男性は読み続け、その後で、きちんと自分の座っていた座席の背もたれを直してから下車した。

 このような出会いも、旅に於ける醍醐味であろう。そして私は昨日、夜勤明けの帰り道の途中で、バイクに乗っていた男と危うく接触しそうになりその男から難癖を付けられている。こんな事を思いながらもその時の後遺症とでもいうべき後味悪い心境に、私は包まれているのだ。しかし、この私の「心境」も偶然が織り成したものであろう。


 トンネルを抜けて三つ目の山が視界を通り過ぎようとした時、それ等の思惑は一旦途切れた。自然の連続と写真の様な静止画像を見せる窓の外には、広大な田畑や空気の新鮮が見えない地平線の彼方まで拡がるイメージを与えるもので、のきなみ散歩がてらにその辺りの参道を歩く事も、ゆったりとした気持ちに浸れるものであろうと、情緒と逸機した古風な涼風は彼に吹き込み、少々、いきり立つようにして興奮を又味わう。ふと彼は、車内で緑茶を買って、下車する駅に到着するまでの間、唯ゆっくりと、その光景を眺めていた。幸い、シーズンオフで利用者の数が少なく、自分が乗ったその車両には七、八人の客しか乗り合わせていない。皆、旅行客であろうか。自分と同じに、あらゆる思惑をかばんに詰めて思い立った旅行客であろうか。何気ない素振りに気を取られつつも、一時、ジャケットかスーツを着た者の存在を横目で確認しており、その者が社用に急ぐ様子を纏った者であるかどうか、気を取られはしたが、やはりどうでもよかった。彼の道は一本の杉の如く、又この列車の線路の如くに、唯目的地までの近道を既に見付け始めていた。

 「兵庫県豊岡市城崎町(旧国但馬国、旧城崎郡城崎町)にある温泉。 平安時代から知られている温泉で1300年の歴史をもつ。江戸時代には「海内第一泉(かいだいだいいちせん)」と呼ばれていて、今もその碑が残る」。その文句を片手に持ち、城崎温泉に纏わるエピソードを彼はまがりなりにも我が物であるかのように一般的な情報を変容させながら、ゆっくりと、何度でも、階段を上りつつ、繰り返した。その時の彼の努力とは、吟味するという言葉にも似ている。明後日の雲行きはどうであろうか、イソップ物語では、太陽は北風に打ち勝つともいう。私は、この先、この人生に用意されたハードルというものに、果して打ち勝つ事が出来ようか。色々な意味付けは、かの、先程のイソップではなかった、自答に繰り返されるようにして、仄かな淡い色めきを見せている。何度でも、ここへ来よう、そう彼に念押しする傍らで、あの川がそよそよと、打ち波を寄せるが如く、唯、省み立つ。

 「いつかみたことがある」そう彼に思わせるのは、一体何であろうか。「デジャブ」という言葉も、又その意味についても彼は知っている。しかし、そのようなたぐいではない事も、既に彼には熟知されるところである。何が何でもこの旅先で、一つの思惑は完遂させる、と、一人の怨念にも似た色香が再び、彼の心中で顔を擡げる。彼にはここ、数年顔を合わせて居ない「昔の恋人」がいる。今どうしているのか、だとか、困惑に任せてその彼女に対する妙な色取りを保とうとか、そのような所謂おかしみは既に失敗の内に落ち着き、唯、彼女の居場所が知りたいだけだった。ここへ来るには、相応の犠牲を払ったつもりである。何を以てせよ、このようないかがわしい気持ちを大空のふもとで保とう等とは死んでも思わぬ。赤い花がきれいに咲いている。あれはなんという花であったか。いつか見た、というのはもしや、あの花ではなかったか、そんな空想さえ飛び立つ程に、あの花は、私の思惑とは又別の居場所に佇んでいる。

 「空想に身を任せるのも結構だが、少しは私の事にも気遣っておくれよ」威勢の良い口調と共に、無類の旧友が背後に忍びよって来る。宇宙の果てから来たような浅黒い顔と、「今風」と噂されるような派手な井出達とは正に、その時の彼を愚弄ではない、翻弄するものである。「いつみきとてか」昔の詩にもあるように、彼にはその男の顔を一瞬忘れさせるような自然の屹立を覚えさせられる煩悩が生れ、又、自身の心中で、乖離する事無く自然に身が落ち着く事を夢見る自分が還る事が出来る学び舎を見付けられるように、艶やかな自然の中で自分の思考を陶冶した。しかしいつもの事である。旧友の事はよもや忘れまい、あの時の惨劇である。二本の煙草が語らい始め、煙たい煙が弱弱しくも空の彼方へ消えてゆく。そよそよ流れる川水は、風に靡く柳の香りと共に自然に任され、二人の声はその作り出された自然の内へと溶け込んで行く。もうじきすると、教会員の他のメンバー達も順折りやってくる。その男との語らいは今のこの時間しかないと、彼は妙にいきり立ち、口数が多くなりつつ、それでも冷静にして、世間話から少々深刻な話題までを繰り広げた。時が唯、過ぎて行く。男とは、中年ながらに若々しく、頬の辺りはほんのりと赤みがさし、井出達こそ緋色のセーターに身を包み、よくある、ポーチを腰の辺りに巻きながら登山用の恰好を醸し出す少々若づくりを思わせる小粋な容姿をしていた。

 何気に話すその時間はだんだん長くなり、思考の竈をあけようとした時に二三人、玄関から入って来た。小さい旅館である。温泉横のしなびた旅館であり、前には川が流れる。背後には高く聳える緑山を険しく奏で、スカイラインを隔てた向こうには果てない空である。のほほんとした歓声に似た男女の声が、玄関先からロビーにまで響き渡って、躊躇する彼を尻目に、中年の男は「ちょいとおいとま」と軽い会釈の下、そそくさと、無遠慮に、席を立つ。彼と男のそれまでの経緯とは、彼が先に旅館に着き、玄関先で一服していた最中に一五分程遅れてその男はやって来て、そそくさ入ったその旅館の仲居に名簿を書き取らせた後でそのまま待つように、とロビーに案内させた後、再び彼は一服し、男もつられて会話に話を弾ませていたと、このようなものである。 「てなもんや街道」を真っ直ぐ抜けてやって来たその二人の男女は、ついでに土産を買ってきていたらしく、合計四人で仲良く分け合いながら芋饅頭を頬張る。その男女とは、男が教会の神学生であり、女はその教会のピアノ奏楽者である。もうすぐ結婚を控えたその奏楽者は、きちんとした身なりにその身を纏い、化粧は少なに実直溢れる言動をする事に努めていた。だものでその彼女の言動には目を見張るものがあり、彼は密かにその娘に恋心を抱いていた。横恋慕とは知りつつも、その矛先とは無効の彼方に消えるものであると遥かな空に欲情を求め、決してその身に起る情熱を、彼女には向けなかった。これも又よくある、片思いの逡巡である。とかく打ち破れはしまい人間の懐柔である。どこがどう曲がりくねって来たのか、当の本人には皆目見当もつかない。それ程の時間が既に経過している。哀れとも思うなら、この時間を止めてみせよ、誰に言ったのかは忘れたが、彼には一つ、共鳴する過去の思い出が在る。上手く手懐ける程に、人間の情緒というものは自分が知る理性とは別の方向へとその姿を消して行くものである。何が何でも、この言葉も又、倫理には程遠い言葉なのかも知れない。いつも囃し立てた心の行き先とは、頃合い見計らった頃にやって来る、祭り囃の行燈のようなものではないか。いつまで歩いてみても、他人はその形相一つ変えず、川のせせらぎのように不変を投じてこの体に馴染ませて行く。自然の強みというものを。

 橋に掛かった欄干近くに生えた木の枝が、実によく伸びて、これ等の景色を煽る気の芽となり、よくもって自然にも享受されている。私達もつれづれなるままにちらちら、と横目で見ては、その生気に広大な自然を重ね合わせて和みつつ、いつもの御託を並べ始める。「大山へは行ったことがある」暫く経った経過にものを言わせて沈黙が続いた空間に口火を切ったのは当の牧師であった。況や彼には他の彼等にはないよりどりみどりの経験がある。牧師に近付く身の上で、自然に対する視点の付け方も他の者達にとってはままならぬものではないかと思わせる程に、神秘めいたアウラのようなものが彼にはあった。白紙になった彼の頭の中に、ヒソヒソと、その牧師が言う言葉の端々が流れ込んでくる。否、神学生であった。他の二人も、熱心に聞いている。何か、牧師関連の職に携わる者の声には、無心に傾聴する者達の心理というものがあるようだ。何気ない会話の中でも、牧師が話し始めると否応なく彼等は耳を傾ける。それが例え世間話や小説の感想であってもおかまいなしにである。「大山へは行ったことがある。あそこは登るのに険しく、しかし頂上へ着いてみると実に空気がおいしく、見渡す景色を眺めれば、日頃の鬱憤みたいなものが自然に吹き飛んで行くようだ。君達も行ってみたらいい。そよ風もいいが、あそこはいいよ。普段なら五〇〇円でロープウェー付きの案内券も貰えて、休憩所でおいしいお茶とお菓子も貰えるんだ。是非、行ってみたらいいよ。よければ、僕が又案内してあげる。」流暢に話す神学生の口調には淀みがなく、自分のことのようにして聞くことが出来る為、誰もが固唾を呑みながらふむふむと聞いている。喜ばしい雰囲気だ。何からもつけいられる事なく、そよそよと、時間の経過を眺めていられる。細い路地裏を歩くと、林道に行き着き、その中を歩いて行けば、小さな境内へと繋がる。恐らく「大山寺」の事を話しているのだろう、と彼は一人で思いながら、他の二人よりも親身になって聞き入ろうとしている。他の二人はそろそろ別の話に移ろうと気持ちを切り替えているようだった。誰も見ない密室でのこと。今夜はきれいな満月でも昇りそうな雰囲気だ。

彼等がここへ来た目的とは、罹災者の救援である。救援とは言っても、傾聴する事を頼みの綱とした孤独な者達への救援であった。まだまだ孤独な者達が沢山いる。彼等は孤独ではなかったのであろうか、のような質問、疑問は、ここでは為されるべきではない。そのようなことは遠の昔に知っている。彼はいつ難問が来てもいいようにと、袖の袂を絞りつつ、顎を引き締め、あてなき道しるべを探し始めた。温泉には沢山の罹災者がひしめき合うようにして訪れている。そこしか身体を休めるところがないのだ。彼等とは違う者達が、そこにはいる。果して、その者達の懊悩を彼等が受け止める事が出来るのか。すったもんだの末にやって来た悩みの杖は、折れぬ事を祈られつつ唯そこに在るだけだった。悲しくも「懊悩」にける経験が少ない彼である。「あてなき道」とは必然の昇華を思わせる節がある。ところが実に見事なあの木の枝も、実は自然の網羅に苛まれて身動きが取れないでいる一匹の蜘蛛の巣のあの蝶に匹敵しており、何気なくもみせているあの表情とは、彼に又一段と鋭利な基準を仄めすようだった。かけがえのない希釈に満ちた「自然の網羅」は、私の何を回収して行くというのか。彼はそんなことをここへ着く以前から唯ずっと、考え続けている。

 彼等はもてなされた。依然変わらずまるで植民地状態でいる「罹災者」と謳われた者達の生活の内で、彼等はものともしない救世主のように、唯もてなされた。日頃から歌声がするこの界隈で何気に出された御馳走とは、彼等がこれまでに食べたものの味は含んではいない。「先生、聞いてくださいよぉ」から始まり、「実はせんせい、…」ともの想いの節を掲げた哲学少年の語らいまでびっしりと、神学生と傍らの生徒達は傾聴に走っている。彼は気おくれしながらも彼等に追いつこうと必死である。唯、話し相手が欲しい者達はわらにも縋る思いで彼らが呈する「会話の広場」に身を寄せたがっていたのである。彼には、彼等とその者達が何について話していたのかは知らないところにあり、唯、想像の内で「こんな事を話しているのだろう」としか思い当てず、そのまま気質ながらに時間の経過に身を任せている。唯、時間が経過していった。もうすぐしたら、彼女の結婚相手がここを訪れる。そうしたら益々自分は気が滅入る、果してどうしたものか。川の流れでもみていようか、それともこの者達と一緒に何か世間話にでも花咲かせて、鳥の音色でも聞いていようか。すぐ裏手にある大山ではない青々とした山に一人登るのもいい。とにかく、「彼」が来てからここに彼女と一緒にいることは不味い。颯爽としながらにゆくゆく気分が冴えない自分を見ているしかない彼の脳裏には、早く帰りたいという思いさえ困惑ながらに蘇っていた。ここへ来てから一度は思ったことである。

 「とびっきりの景色をみせてあげる」唐突に彼女が言ったのは、皆が帰った後のことだった。旅館は普段の静けさを取り戻し、やがては夕暮を見せる川塀の苔のてかりがまるで自分の為によそよそしく、淫らな風貌を醸しだしているかのようにみえた。そのような情景を他所に彼は唯彼女の後について行った。大谿川とは円山川の支流であって元一級河川である、ふざけて彼は彼女に言い、彼女は呆気にとられたようにして笑い始めた。何気に立ち振る舞いをおかしく、気を衒わない様にしようとする彼のおかしくも、儚い努力の結晶である。これにはかれも思わず吹き出しそうであった。とはいえ、もうすぐ着くという。何があるのか彼には見当つかず、唯彼女の背中を見詰めている。時々他所に目配りするが、やはり彼女の背中を眺めている。実に良い景色であった。彼女の背中から何が湧き起るでもなく、唯そこに在るだけなのに、彼にはそれがまるで自分の為に用意された自然のようにも思えるのである。空気を吸う様にして、彼女の背中に触れてみたかった。それが成らないのも彼女の吐息が教えてくれる。

 「さあついた」彼女の後について行き、彼女の背中の向こうにみえたのは、あっと言わせるでもない普段の体裁を醸し出している古寺である。確かに林道を抜けて来て、人頃のカップルには良い雰囲気を思わせるであろう情緒を含んでいるにはしても、この寺とはそれ等の雰囲気を一掃させる程の雅を思わせる佇まいがある。何にしてもあまりよくはない、と彼は思っていた。しかし、彼女は何故に自分をここへ連れてきたのだろうか。彼にはその事の方が問題でもある。何処を見渡せど、山の雰囲気が辺りを埋め、彼は少々びくついた。しかし、彼にはこの光景と情景が全く初めてのものではなく、細道を通ったあの自分の臨場を彷彿させる処がある。少し調子付いた。

 「ここは温泉寺って言ってここを訪れた人がよく来る城崎の名所なのよ。一度、誰かと一緒にここへ来てみたかったの。昼間はこの二つの屋根がよく光って立派に見えるものよ。」彼女の話す言葉を一々頷き聞きながら彼は、雑念を振り払っていた。自己嫌悪に陥る日々もきっと近いだろう、そうでなくてはここへ来た意味がない。彼女はきっと、自分に気があるのだ。結婚前夜の処女のような気の衒いが、今自分の目の前にある。これを果してどうしようか。石畳を背後にして、又、二人して凭れながら、三日月が出始めた夜空をぼんやり見上げる。怒涛のような嵐が過ぎたと思えば古寺の前には赤い消火栓の入った箱がある。そぐわない「赤」が二人を誘惑し、この上ない至福を覚えさせた後で「現実」という置き土産をしていった。誰にも見られていない密室での出来事である。二人はあの夕陽に魅せられたのだ。夕日は遠に沈んでいるが二人は未だに見据えている。汚れた髪をバサバサ振り乱して服装を気にしながら、彼の手を取り、二人は少し遅く来る憂鬱を覚えながら外界へと降りて来る。心中では白黒はっきりさせようと二人して尽力していたが、寂光が指す一瞥の無念が古寺の屋根瓦に残っており、風に揺られる木々の匂いと音が益々以て寂しくさせる。金色の炎は一体どこへ行ったのか、自分の心とはまるで、決別を知らない子供のように、慌てふためく彼女の匂いを求めて、唯ひたすら田舎の土手の上を走っているようだ。淑女とは一体誰を指す言葉か。いい思いをした若者にはいつも白羽の矢が突き刺さるもので、いつみてもそれは斜光の中の体裁を思わせるものであり、何故にこのような疑問を持ち続けるのかと自然に対して又思う。自分も悪ければ彼女も悪い、こう思うのはいけないことだろうか。何にしても二人は帰らなければならなかった。恋愛等というものには程遠い浅黒い顔をした横恋慕がほっそり密かに仄めき立つ。

 旅館はすっかり夜の顔をしている。何事も受け付けないような屹立とした容貌が、二人の前に立っている。二人は別々に帰った。一人は電話を掛けに、一人は景色を見る為散歩しに、理由は何でもよかったのだ。どうせ何を言っても結果は同じ事である。真実は一つしかない、この言葉がまさか自分に返って来るとは、彼はそう思っていたが、彼女がどう思っていたかについては誰も知る由ない。知らなくてもいい事だ。「城の崎にて」。志賀直哉の短編が谷崎純一郎の文章読本と共に甦り、その色めきはすっかり表情を失くしたままで彼の心をさ迷い始めた。「或る朝の事、自分は一匹の蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見付けた。足を腹の下にぴったりとつけ、触覚はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯き転がっているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。」そらで覚えた言葉の数が、一様にして或る空虚を持ち込んで来るように、彼をまるで死の淵へと追いやって行く。この死んだ蜂に、命が再び灯るのはいつの事であろうか。自分の空虚の再来は、この死んだ蜂が頭を擡げる時だ。きっと来る。その時が例えこの地上の終わりであったとしても、きっと来る。私も以前には、死んだ虫の命の灯を見た事がある。いつも儚く消えてしまう夢のような綻びが、その虫の羽の微動と成っていたことも。彼女との間にあったもう一人の自分の感情はそこはかとなく、未知の彼方へ消えていった。誰にも止められぬ。一度死んだ者が甦るのならば、私はその光景を見てみたい。いつしかキリストが甦った事のように、人にもその甦りというものは訪れるものであろうか。

 一時、静かな時間が流れた。朝に来る春光に照らされた部屋の隅々が一斉に現れるかの如く、彼の心の中には迷いがなかった。自分は過ちを犯した。その過ちはいずれ大きく傘となってこの身を守る為の鎧となるのだ。彼女は顔を合わせると微笑んでいた。結婚相手の男は横に居る。ときめき立つ色香の炎は従順な顔をしたまま燃え尽きた。二度とは盛ることのない情熱となるのであろう。彼は静かに席を離れて神学生がいる別室へと行った。今は五人であるが、誰もがその神学生と話をしたがる為に彼も何かに付けて機会を試み、「会話する時間」を設けたかった。神学生は明日の計画を練っていたらしく、彼の予想を裏切る体裁を以て忙しそうに、狭い部屋の中を歩き回っていた。何枚かの書類を携えながら、ああでもないこうでもない、と問答を繰り返し、ようやく落ち着いたところへ彼は入って行った。「罹災者について、信仰について、話したい事があるんですが」彼の言葉には一点の曇りもなく、牽制もなく、二人して話に花を咲かせたいという思いに満ち満ちていた。神学生はその辺りを汲み取り、彼を外へ誘った。沢山過ちを犯して来た彼である。思う処は沢山あった。しかし彼の思惑は既に遠い過去にまで返り咲き、その思い腰を下ろしていた。「一点の曇りもない」とはきっとその枠の内に自分が居たから、余計な事は考えずに済み、目の前の牧師と成る神学生だけを見据えることが出来た為であろう、彼は何気なく思っていた。「他の三人は別の仕事をしているから大丈夫だよ」神学生の頬笑み合わせたその言葉が彼に口火を切らせた。

 「あの時死んだ五千人の命は、一体どこへ行ったのでしょうか。あの中には未だ洗礼を受けずにノンクリスチャンの人も居たかも知れない。否、居た筈です。きっと。神様はそういう、その辺りの人々の境遇なんかも考慮してこの震災を起こしたのでしょうか。あの五千人の命はまるで私達とは別の世界に在るようなものに思えて、本当に、或る世界ではあの五千人の命一人一人と神様がきちんと向き合っていて、そのところで信仰が問われているような、そんな気がするのです。自分達は教会で、あの人達は昏睡の中で、神様に救われるといったような、そんな光景です。今、どこにいるんでしょうか。同じように生れて来たあの人達の命は。」傍から聞けば唐突で要を得ない内容に聞えるものかも知れないが、彼にはきちんと節々の語調が手に取る程にわかるものであり、その内容は的を得ていると確信していた。何が何でもその牧師と成る神学生から聞き出したいと躍起に成っていた自分の姿が、彼の心境の内に在った事にも気付いている。そして同時に、彼にはその神学生に対する或る挑戦めいた思惑が在った。どのような解答が返ってくるのか見極めようというものであり、これまで、同様の質問を他の牧師に対して投げ掛けた所、一様にして同様の解答が返ってきたものだった。わかったような口をきき、彼にはわからないものだった。じっと待っていた矢先に返ってきた答えが「わからない」である。「祈ることは出来るが、僕にはわかりません」その他の言葉のいついては、彼はよく覚えていない。唯、その「わからない」という返答が何よりも嬉しかった事が嘘ではなく、その後の彼の糧と成った。神学生は、色々な人達の相談相手となり、様々な解答を駆使して返している。自分にも出来るとたかをくくったのはあさはかで、そこに居座ることはもうやめようと考え出していた。それが正解だと。

 ところどころに虫食いの目立つ障子を閉めれば、旅館の夜は又、純然たる面持ちで立ちどころのない暗闇を見せる。四の五の云わずに早く寝ろと、分身のような旧友が囁いてくる。てっきり夜になれば小説めいたロマンスが光り始めて、揚々醸し出された娯楽の態に、この体も預けられるのではなかろうかと、彼には一時のわだかまりのようなものがあった。それでも何も訪れずに、唯、最適なドラマを自然はみせる。かたくなな心を打ち砕くものの訪れを、いつのことであろうかと待ち続けるのは果して偶然でもなく、ところどころに穴のあいた隙間から差す光の空間を覚えて彼は、彼女の芳香を求め始めていた。母親の事を思う。水のように流れる血流の息吹が彼には嬉しく、いつまでも変ることのないその自然の在り方を常に手中に収めていたいと言葉はないまま納得する。時に両極にあるような父親の事を思い、ゆくゆくは母と共にある大きな自然の在り方にいつもの眼差しを覚え、二人の偶然に於ける存在がより身近に感じる事に気付く。なにはともあれ自分の母だ。屈託のない表情をお互いにしているが自分の父だ。両親が生きている間は丈夫で在ろうと、その決心がいつの日か孝行にもなる、そう信じている彼とは又、気丈な表情を見せている。埒があかない問答をずっと続けた後に、この世のものとは思えぬ甘さを覚えて、ついには眠りについた。布団をばたばた、手足をばたばた、寝返り打って天井仰ぎ、夢の淵へと身を落す。あの日の行方はどこにあるのか。

 寝覚めが良かったその朝は、モーニングを食べたいと食欲をそそるものでもあって一服した後顔を洗い、手をごしごしタオルで拭いてはたと又、テーブルに落ち着きテレビを付けた。何気ないニュース番組やバラエティ番組、トークといった細々とした朝の枠をやっている。新婚組は既に階下に下りていて或る程度の支度は済ませているようだ。昨日の事は何事もなかったかのような風貌照らし、よそよそと、いつもの表情で明るみに出て行く。彼は彼で途方もないまま行く宛て探し、いつもの情景を描き起こしながらにその日の仕事についてゆく。傾聴とは言っても他にする事は様々あり、彼は広報を担当していた。ファックスで来る情報を掲示板に貼り出したり、新しい情報が入ればすぐさま情報仕入れたといってお客様に提示して差し上げる、そんな調子で昨日から、ゆくゆく細々、何気に事を荒立てないまま調子を付けていた。今日は白いセーターの中年男が「やっほ」と片手を挙げて部屋に入って来る。その部屋は昨日から借り切っている「臨時事務所」としている皆の部屋である。ところどころに書類が散乱しており、昨日から今日まででもうこんなに汚したのか、とさえ思う程、積み重ねられた本の向こうに又書籍がみえる。いくら掃除をしても今すぐには片付けられそうにない。部屋はすっかり改装されていた。時折酸欠を覚える彼である。時々妙に椅子に座って休憩を取らなければ立っても居られない病魔に駆られ、ゆくゆく帰る日は間近にあるのだと想像させられ、彼女との別れに妙な安心感を覚えていた。「キッシンジャの夢をみたことがあるかい?」中年男が彼に問い掛ける。「いえ」勿論すぐには返答出来ない、妙な質問だ。でも彼には思い当たる節もある。そんな質問を彼も以前にしたことがあるので偶然にみる親近感が芽生えていた。「彼は普通の人間になりたかったんだよ。ううん、それが普通でも彼はきっと自分でわかっていた。足りないもののすべては、自分の心中にある、いつかすべてを拾って自分は自分になれる。言葉好すくなに語りはするが、兼好法師、紀貫之、紫式部といった偉人にさえ、私はあったと思うねぇ。あんなとぐろを巻いたような懊悩が。」彼には面白かった。このような絵巻を彷彿させるような会話の内容が好きである。しかし、周囲の騒然が時折邪魔をして一回二回の隔たりを置かせ、感動は消化不良に終わらせられる。どうにかしてこのまま、口調を変えずに二階の部屋まで二人を持って行ってはくれまいか、自然にお願いしても無理を承知しながら諦めず、未だ話し続けている。座談会のような雰囲気の中、パリンと切り裂く音がした。部屋を隔てているドアの向こうからである。何事かと一同表へ出ると、そこには体こそひょろひょろとしているものの、その眼光は今にも襲ってきそうな頑強な、諦め知らずの顔をした一人の男が立っていた。小刻みになにやら頭が微動に頷きながら、真剣な眼でリーダーの神学生をねめつけていた。

 「おまえらは何しにここへ来た!とっとと帰れ!人の生活を嘲笑いにきているんだろう。調子っ外れるのもいい加減にしろ、見世物じゃねぇんだぞ!」大きな声は館内に響き渡る程で、もしかすると玄関先から外にいる誰かにまで届きそうなくらい、凍てついたものだった。「まぁまぁ…」と宥める中年男の声にも聞く耳持たず、眼光の鋭い男は益々以て怒り猛ってゆく。彼女は唯心配そうに光景を見詰めているだけで、婚約相手は様々な表情を見せながらにして立ち位置を変えたりしており、一向に収まるところを知らなかった。神学生だけがその男の相手となっている。彼は彼で、呆然としながらその光景に浸る自分を、唯、見ていた。

 「お前らの神様はどこにいる!?とっとと連れて来て家を出してみろ、金を出してみろ、連れてこれねぇんだろが!見るだけ見てはい終わりで、もう次の算段を始めてやがる。いつになれば正直なるのか、わかったもんじゃねえ。今すぐ金を恵んでくれよ、家を与えて下さいよ、君らの全財産を我々に明け渡して下さいよ。出来ないんだろが。小っちゃい子供にもわかることだぜ。お前らがきても何にもかわりゃしねぇのよ、だろ。わかったらとっとと店を畳んで帰っちまえよ!」男の言葉は行きつくところを知らず、しかし一言一言しっくりきており、誰も何も言い返せない。「私の一存では答えられないんですよ」神学生も、中年男も、新婚組も、調子を合わせて宥めてみせる。彼だけは調子を合わせてみせるが、心の底では男に同調していた。納得していた。気品があるとさえ感じていた。何も言えないのはきっとその所為だと。一瞬、白紙に戻されたような気分だった。何もかもが一に戻った気がした。「店」というのもその通り、まるで偽善を売り物にしている業者のような雰囲気が我々の体裁のどこかにあった。それを言い当てられては元も子もない。いっそ云う通りにして帰った方が良いかもしれぬ。白紙に戻った彼は、そんな事さえ考えていた。 「私の一存では答えられないんですよ」という神学生の言葉に、よくも又逆上しなかったものだと少々男に対する感心を覚えた。いつまで続くのかわからないこの行幸も、どこかで終焉を見る、自然に包まれた城崎の館内では川のせせらぎを他所に彼等の手足は止っていた。躍起に駆られたその男の隣にいつのまにかいたもう一人の男が、部屋に悠然と入って来て、神学生の襟首を掴んだ。その情景をすぐさま捉えた中年男が「やめなさい」と震える手足と唇を以て止めに入ったがなかなか収まる気配がなく、ついには新婚組まで乗じる形で仲介する。彼は呆気にとられて暫く見ていたが、現実に心が目覚めて、彼等に加勢した。再度「パリン!」と花瓶の割れる音がした。皆が気付いた時には床一面に紅い血海が拡がる。「誰かが怪我したのだ…!」現実に浸りながら彼が見たものは両手の赤だった。彼等は異様な眼つきを以て自分を見ている。先程まで怒鳴っていたその男も唇を震わせながらこちらを見ている。彼は妙に自分の頬の周りに熱さを感じ、皆から乖離する自分の姿勢がやがては独房に埋められてゆくのを目の当たりにしていた。独房生活に入る二日前のことである。

 取りとめのない朝を迎えたのはそれから数時間経ってのことである。皆はおらず、何か気忙しい空気が辺りを苛み、テーブルの上に飾られてある白い花の入った花瓶が妙に別の顔をして立っている。調書を取られ、尋問を受け、時には拷問も…、限りない言葉の責めが彼を苛んだ。他人の顔が違ってみえる。どうもしっくりとこない。何故か直視出来ない噴門の嵐が自身の心中に在ることを、自ず静かに気付いては居た。自然に花が咲く土手の上をすべてに解放された後で散歩したいと思っていた。風は気持ちよかろう。いつも風というものには何等かの安堵を感じていた。古風な顔から太古の昔、そして現在の自分の体をすべてに至るまで、包み込むその神秘に一時の安堵を感じていた。そこには誰かがいてもいい。否いてくれなければ困る。宇宙の果てがみえない自分だ。いてくれなければ困る。くしゃみをしてもこの思いは尽きることがない。一旦途切れようが問題ではなく、この自然の営みと同様に、この体の傷も又、何処のものにか変わってゆくのだ。

「みたかね、あれを」

「はい、しっかりとみました」

「どう感じた?」

「自然の在り方だと」

「自然?」

「はい、自然です。そのほか何者でもありません」

「君は何について何をいっているのかね。自分のいっている事がわかっているかね?」

「はいよく存じております」

「どこの馬の骨かもわからぬ、幼児のようなものを拾ってきおって。君はこれを自分の心で飼いならして行けるつもりなのかね。まったく、こんなだから殺人まで平気で犯すんだな。もう一度よく見たまえ。自分のしでかした事を。この有様を!」

「ずっと、見ています。誰が何と言おうと、私は、もうずっと見ております」

取りとめもない談笑はこの上なく続き、やがて夜が来た。皆は屯しながら食卓につき、彼が来るのを待っている。彼は「もうすぐ行きます」と言ったきり、三十分以上もヘアドライアーをつけて髪を梳かしている。何がどうなる訳でもないというのに、もうずっと梳かし続けている。「三分の筈じゃなかったのかね?」笑いながら中年男が発破をかけるが、彼は又「あとちょっとで行きますから」と笑ってばかりいる。ガラス戸の向こうに朝日がみえる。彼にはきっとみえていた。轟く事の知らぬ自然の発生を。

 一応の段取りを付け終えて仕事の終止符をあれから三日後に迎えた彼等は一同、まもなく帰る事になる時の流れに名残を惜しんで、辺りを散歩しようと誰かが言い出した。大山も自然の賜物なら裏手にある山々も自然の賜物、空気だってほら、こんなにおいしく澄んでいる。川の音が木霊するねぇ。中年男の言葉と声にはいつ聞いても妙に落ち着かせるものがあり、彼は好きだった。否、彼だけでなくこんな時には皆一様にして耳を傾ける。しかし彼には、川のせせらぎも柳の揺れる音も突如として轟音に聞え、街中の雑音のようにも聞える時がある。「惨劇」とはこのような時翻ってくるものだ。いつかみた教会での風景、嫌なものをみた。見知らぬ男が彼に向って悪行憎音を吐いて来たあの時、彼は心の中で三度、その男を殺していた。一度目は何気に殺し、二度目は理屈を付けて殺し、三度目はひたすら酷く殺していた。何にせよ、誰にも知られない密室の中で起こった出来事である。誰にも知られまいとして、彼は既にいいようにその男の亡骸までも自分の為に粉々にしている。観賞用にとポケットサイズのかけらを作り上げた事もあった。取りとめもない惨劇の話である。通り道に投げ捨ててもいい、歌いながらトラッシュボックスにきちんと投げ込んでもいい、又恋人との話の種に少々のお飾りを付けて話題にしてもいい。どれにせよ彼には何のおとがめも来ぬのだから彼にしては自由だ。しかし何かが拒む。誰かが「してはならぬ」と催促して来る。亡骸をそんな風に扱ってはいけないと、一々説教して来る。誰であろうと構わない筈なのに、彼は一様にして、そのような声には傾聴する。自然の中の小さい悪戯だと聞かせても、一向に甦る気配なし。あの時の正義とは見知らぬものとなってしまったのか。風が吹く。柳が揺れているその下で皆が待っていた。いつも機転が遅い彼の身の上は、こんな時ほうほうの体である。いつもならもっと早く動けるのに、言い訳染みたもの鬱いが閃光のようにして彼の目前を走って行く。その閃光の跡はきっと目前の彼等にまで誘導するものであろうと、はにかみながら彼は考えていた。少々肌寒い昼間であったが、歩く内に温かくなるだろうと彼は薄着でいた。他の者達は各々手間暇かけて繕った井出達であり、彼の前を颯爽と歩いて行く。陽が次第に高く上るのを感じながら、手早く帰ろうと彼の心中には少々反抗的な態度もあった。表情は笑っている。良い所の出だと皆に褒めて貰いたいらしい。坊っちゃん気取りでどこまで耐えられるか等、彼は遠に気付いている。一分足りとも保つものか、なのに彼は平然な顔して彼等の後に続く。

 暫く行くと、裏手の山へと続く参道沿いに、こじんまりとした茶店がみえてくる。一同は一旦落ち着き、「ほっこり」しようとそこいらで各々休憩を取り始めていた。彼もいそいそと手に持っていた荷物をもんぜんの上に置き、くぅっと伸びをした。一同爽やかな溜息を吐き、さあこれからだ、とでも云わんばかりに茶店のお茶と芋饅頭を態よく頬張る。小鳥の鳴き声が自然の中で木霊して、心機一転、気力を与えてくれる。蝉の鳴き声はしないかしら、彼女のおどけた質問は彼の心にも印象強く植え付けられた。辺りを見回してみても蝉等鳴く筈もない、今は十一月の秋半ばである。鳴いてくれたらいいものなのに、彼も男も彼女の心に基調を合わせた。ゆるめのカーブがずっと続いて行く。少々坂になっている参道がだんだん険しい山道へと変わって行く。一体いつまで続くのかと疑問が湧くようなその山道である。頂上に登ればきっと良い事がある、皆心のどこかでそんなような事を覚えていたのだろうか。大山とまでは行かない少しゆるめの坂をずっと登って行く。途中で何度か「休憩しようよ」と笑いながら愚痴を飛ばす男の声は、その後ずっと、歩く者達のBGMのようにして流れ始めていた。誰も何も疑わぬ、秋の散歩道である。透明の色した山間の空気が林道を囃して木々の間を優雅に流れ、彼のふもとにまでやって来た。これを逃してなるものか、と彼は一生懸命に檄を飛ばしながら日頃の情緒のはけ口をそこに求めた。情緒とは一見美しいものにみえるが、或る者にとっては鬱憤を孕んだ手強い空虚を見せ付ける事があり、彼にはその節が青々として在ったのだ。ところどころに波乱を含んだ空気である。一帳のアルバムを束の間見た後感動冷めやらぬ内にもう一度見たいと催促し、自力で究竟の彼方へと、自分を運んで行くようなそんな尽力をその際に覚えてもいる。彼等は何食わぬ顔して談笑の内にその身を預け、唯悠然と歩いて行く。彼等の目的に向けられた集中と鉢合わせせぬよう注意を携え、彼の文言は心と空気に表されていた。人の恐れとは何であろうか。この上ない恵みというものがこの地上にはきっと在るのだろうが、私はそれを見た事がない。否、見た事はきっと在るのだろうが、覚えていられないのだ。何が私をそうさせるか。否、彼等もきっと同じであろう。何故、それなのに、彼等は何も云わぬ。どこで鉢合わせするというのか。私はこんなにも毎日うろたえているというのに。彼等は何も思わない屍のように、唯じっと、自然の内に溶け込んでいるというのであろうか。ここまでくれば、もう喋ってくれてもいいはずなのに。こう思うのは又、私の我儘なのかも知れぬ。きっと彼等はところどころで気付いているのだ。気付いてくれている、私が苛む心の有り様を。この大空の下で虫のように這い回る頼りなくちっぽけな煩悶に苛まれる姿を、きっと彼等は気付いていてくれる。私はそのやさしさにも似た情緒の中を、悠然と歩いて行くのだ。そうであるから、言葉語らず、行く末案じず、心のままに信じた行いに身を投じればそれで良い筈である。なのに未だ、窘める声が聞える。どこからするのか遠にわからず、いつ消え果てるか終ぞわからず、それでも頑強な態を以て我が目前に両手を拡げて立っている。この有様とは一体何のことか。いつもの調子はどこへ捨て去ったのか。捨てさせられたと言って過言ではなく、私はこの自然の雄大に、体裁繕う術を放つ脳を捨てさせられたのだ。言葉を変えてもきっと同じ、究竟に降り立つ魔人のような自然は私を苛める。

 ほうほうの体で、彼は彼等に追いついた。彼等は次の二軒茶屋にも似た二つ目の茶店で談を取っていた。ここでは用を足す者の為に足を止めたらしいことは自ずと気付く。何度も茶店の裏にある小さな公衆トイレに駆け込む男女の姿は、目の当たりにして溶け込んで行く。どうも先程の芋饅頭があたったらしい。そんなことは当の茶店の主人には言える筈もなく、我々は一同気を遣ったまま、口を噤んでいた。皆、やさしい者達である。一体いつになったら頂上に着くのかなぁ、穏やかな口調で大きく張り上げるのはいつもの中年男である。もう皆、その男の愚痴を待っているかのようであり、その男が何か言う度にこんな時には程良い活気が一同の心に灯された。「もうすぐだよ、もうすぐしたらちょっとした休憩所があって、まぁ椅子みたいのが幾つも並んでいる所なんだけど、そこを通りすぎれば、そう、丁度ロープウェーが真下にみえる位置に看板が出てるんだよ。その看板を差しているのが美術館でね」神学生はとうとうと話し始めた。いつのまにか、美術館へ行くことがこの行幸の目的となっているらしい。彼は少々の安堵と倦怠とを覚えながらも又基調を合わせ、「もうすぐなんですね。でもこの山道ゆるい坂道だけど、ずっと登ってくると結構きついものがありますね」笑って会釈するように言った。神学生は黙って唯頬笑み、彼女は彼女で婚約相手の荷物を肩に担ぎ、今度は自分が重い方を持つといった具合に又笑っている。婚約相手は相も変らず無口を決め込んだままで、唯頬笑み忘れず、己が道を行く、といった具合に健闘を重ねる。中年男がトイレから戻ってきた。さあ出発だ、皆よくよく汗ばみながら、又順折りゆっくり、行くべき道を歩いて行った。一通り周囲の顔というものを見終えた彼は少し安心しながら、何故か急にふと、昔のことを思い出していた。自分と七つ年の離れた初恋相手である。彼女は彼の高等学校の頃の国語の教師であって、その昔に彼は、彼女に対して結構な悪戯をしたものだった。悪戯といっても時効を踏めばとっくに許されるものであり、唯、帰りにまちぶせするだとか、先生がいる職員室までつけて行くとか、先生の肩に手を回して喜んでいるとか、そんなところであるが、当時の彼にとってはそれ等の言動の内で得る衝動と感動が、何よりも嬉しい賛歌であった。体がそのまま天に上げられるというくらいに猛り喜び、彼女をその度、困らせたものであった。そんな彼女のことを何故急に思い出したのか詳細にはわからないが、きっと、苦しい時の神頼みのように、母を思う気持ちに似た貪欲が為せる幻想であることは少々気付かされるところがあった。「お悩み相談室じゃないのよ、私」そんな彼女の口癖が、こんな時、彼の心をいつも射止める黄金風景を醸し出し、つい、その足を止めようとするのである。しかし、これ以上離されてはならぬと、彼には彼の義務感が突如として芽生え始めており、唐突もなく後押しする風采の灯が何等かの感動を彼に与え、唯「もう少し立派になろう」とする彼の気持ちを助長している。見かけ倒しの強さはもういい、といった彼の奔走がそこにある。彼が従う道には彼女の姿はなく、唯彼女の亡霊とはゆくゆくままに彼のあてなき道の導となり果てる。終にはこれが彼には我慢出来ないものではあるのだが、しかし自然の脅威には逆らえず、遂にはやはり、疾走交えて山河に降り立ち、これ等の自然と同じくして歩調を合わせながら、自然の凌駕の内に溶け込み始める。彼には他に為す術が思い付かなかった。

 一時の逡巡を後にして、彼等はやっと頂上へと登り詰めた。いささか府に落ちないその質素な佇まいに、なるほど幾つも置かれてある木造の椅子の広場が思ったよりも小さい事に、少々気を取られてしまい、刹那、無言を発した。「これが美術館?思ったよりも小さいなぁ」やはりこの男の口調で事が始まる。「そうだよ。ここの中は結構色んなものがひしめきあってるよぉ」おどけて調子を合わせる神学生に、皆どっと笑う。その場に居れば少々の小言も笑って済ませるものである。何が何でもここへ来てみたかったんだ、そう言いながら神学生は、腰に巻いたポーチの中からお金を取り出して皆の分を払おうとする。その矢先、「いやいいですって、皆自分の分は持って来てるんだから、本当にそんなに気を遣わなくても。自分の分は自分で、ね」中年男の調子付いた言葉の節々が他の三人にも木霊して、三人が三様にして体裁を繕い始める。金銭に絡んだよくある光景である。妙に金の事には皆相応にして、慎重になりその言動は多少の緊張を呼ぶ。その問答が少々続いた後、各自が払うということとなり、落ち着いた様子で館内へ入場して行く。昼を少し回った頃だった。妙に時間を喰ったものである。ここまでの道程然程の苦労も実はなかったが、ぬくぬくぼんやりと進んで来たつけがここで表れたようなそんな感じだった。通り過ぎれば過去の想い出、アルバムは一ページめくれば写真を隠す。もと来た道は各自色を付けて覚えているものである。早く帰るつもりがもうこんな時間、彼の心には焦りと不安とが膨らんで来て、困惑する発想のようなものが次第に成長して来た。「早く帰ろうよぉ」等とは言える筈もなく、彼の気を衒った体裁は彼等には見えないところで大きくなったり小さくなったり、不安定を維持したままで、次々に現れる骨董品のような物を見ているしかない。遠くに浮ぶ水平線のような自分のゴールが、その上にいきり立っている積乱雲の所為で遠くに見えたり近くに見えたり、その遥かに長い距離を知ってはいつつも、なかなか鵜呑みには出来ない本音が彼にはあった。それでも皆の楽しみを損なってはならぬと自重に伴い言動改め、何も悪い事はしていないのに、つい他人の顔色見てやる滑稽に、その身を浸らせて行く。頼みの綱の小規模ハウスのこの館内が、彼に即興の援助を施していた。六時になれば閉めます、と要らないアナウンスを横耳に聞き流して彼は、ふむふむと、つたない浅学の知識はひけらかすことなく、骨董品集めの初老の博識のように程良い体裁を保ち続けた。見知らぬ他人に会わせる態を、彼はそこでも披露していた。

 ようやく帰る時間となって、皆方々に歩調重ねて山道を下り、さっき寄った茶店の主人に会釈をしながら順調に又旅館のふもとへと近付いて行く。「よかったねー」「また来たいよねぇ」等の談笑が続く中、彼女は忍んで彼に近寄った。婚約相手は水を飲みに旅館の奥へと消えている。「うん、また来てみたい。今度は別のところも回ってみたいかな。麦わら細工伝承館や文芸館もあるんだよね。今度は時間かけてその辺りも回ってみたいなぁ。」頭の後ろで手を組むようにして、余裕付いた格好を装いながら彼は気を衒い続けた。彼女の前で、大きな器を見せたかったのである。しかし続かない事は承知の上であり、その許容は限られたものであり、少しでも長く彼女と話したいとする彼の欲情が又とんでもない事を言わせてしまう。「温泉寺へも行ってみたいよね」彼女は頬を赤らめた。ここぞと念押し、よかれと思い、「あそこは立派な二重屋根をした古寺が佇んでいて、夕暮になれば滅多に人は来ないし、静かで良い所だよ。石畳の確立されたような面持ちも何かいいしね。そしてその向こうに見える赤がいい。あの赤は僕らの絆の赤なんじゃない?どうでもいいとは言わせない。だってあの前で僕らは身を結んだんだもの。そうでしょう」彼女は唯、黙って頷き、聞いているだけだった。しかしその眼は潤んだように妖しく燃え始めて、長い睫毛の斜から再び彼を真っ直ぐ見詰めて自棄の淵に追いやった。こんな時、彼は脆弱(よわ)いものである。仕掛けた罠が思ったよりも効果を上げて両刃の剣と成り果てる。溶け込めない空気がそこにある。どうしても振り払えない煩悩の渦はまるで鳴門の渦のようにして、自然が為せる業と成り、再び冷淡な力を以て運命は彼を苛む。ところどころで救われる道はあったのだが、その道の数々を彼が悉く消し去って行った為に一本の道しか残されず、坩堝の壁はぬるぬると彼を前方へと押しやって行く。その先には楽園があり、破滅がある。彼は再び彼女を手中にした。二度、彼女を殺したのである。幸せな家庭を築くという彼女の夢も、この先生れる新しい命の幸せも、婚約者と育む情の語らいも、すべてを台無しにして、横恋慕する「彼」という狼が巣にある卵を割った。中から出て来る命の結晶を彼は呑まずに蹂躙している。今までは、この今までは、君が僕の墓石のような存在で、言葉少なに語ってみても、君はやっぱり聞かないでしょう。どこへ行っても君の面影が近付いて来て、はっと息を呑んだらもういない。誰よりも、誰よりも、…。そこへ婚約者が水を飲み終えて戻って来た。婚約者と彼女は何事もなかったように唯微笑み合って、又どちらが重い方の荷物を持つのか問答している。どうせ途中で代わって男が重い方を持つのだ。決ってる。そうして世の中は出来ているのだから。彼は恥しさに耐えながら、暫く、彼女だけを見ていた。しかしその領域に婚約者が入って来て、もう無視することは出来なくなった。どうしてもというなら、この俺を倒してから行け、とでも云わんばかりに、男の右手は厚く、やさしく彼女の肩に置かれている。どうせあの手で、彼は彼女を抱き寄せ、二人だけによろしく佇む闇の中へと誘い込むのだ。どうせあの手で、彼女の為に大きな家を打ち立てて、二人の住処に明かりを灯すのだろう。生れて来た赤ん坊は二人の手で抱き上げて、乳を飲ませて、成長させたなら、又屈託のない愛の世界があらわれる。何を掴むにも掴みどころのない世界だ。再び彼は、自分の居場所を求めて、冬に飛び立つ烏のように海を渡って行った。

 「ここは千三百年の歴史があって、平安時代から知られる温泉があるのです。江戸時代にも感化を浴びて第一線なんて余程の知名度を浴びたのでしょう。足湯と飲泉場には浴衣を着ていなければだめですよ。そうして履くものは下駄。これがここの習わしなんです。決まりなんですよ。おかしなものでしょう。こういうちょっと知名度を帯びた所ではすぐにそういう習わしみたいなのが出来るんですね。僕は気付きませんでした。そんな習わしがこの世にあるなんて。君は知っていましたか?ま、どうでもいいことでしょうか。一時の感情を忘れれば人は仲良くなれるものですね。きっとそうですよね。恐らくこれが最後の出会いとなりましょう。そうでなければ僕が、君が、可哀そうですから」

 驟雨が、彼の家の軒先を何度も何度もたたきつけ、一つ煉瓦がすり落ちた。幸い軒下には誰もいなかった為、怪我する人はなく、煉瓦はそのまま雨に打たれ続けている。野良犬が遠くで吠えている。雨が止むまで吠えているかと思えば、途端に静まり、すると又、鋭い叫びを上げて吠えている。何があっても家を出ないぞ、すっかり気落ちして布団にくるまっている彼は、突如として振り出した雨の中、口実を見付けて寝てばかりいる。どっぷり沈んだ夕の暁である。のんびり喋って構えている訳でもない、どこかに又ほら、いい隠れ家があったら教えて欲しいと彼は烏にもおねだりする様。無心はひたすら貧しくさせた。服には皺の様なものが一つ、二つ、彼の見えるところにあり、虫か何かと思えばぎょっとして、その後確認しながら沈着し、そうそう昨日のニュースはと又いつもの暮らしに懐いて行く。灰皿には自然に出来た痰の海が張り、その中を数本の煙草が泳いでいる。「城の崎にて」今度は志賀直哉の原文を、そのまま読んでみた。布団の中でごさごさもがきながら一定の調子を付けてページをめくる。読んでいないところと熟考するところとに見事に別れる。誰もここへは来ない。彼の脳裏にこの言葉がもう、何十回も豹変しており、又、一定の調子を与え出す。これが恐らく元の生活へ戻る為の反応なのだろう。きっちり半分だけ読み終えた彼には又、為すべきことが集まり出した。栓無き事かもわからぬがしなけりゃならぬ、顔も知らないお友達との意見の交換、否一方的な問答である。なくなく体を擡げて布団を剥ぎ取り、いつもの書斎に向き合う。書斎といっても彼が名付けただけの元々父親が使っていたお下がりのもの。殆ど彼の物が置かれていない新品のデスクに瞬時うとうと足を組み、向って居直りなにやら大層なものでも仕立て上げようとめっきり躍起になっている。別にかくものは何もない。唯、日記を上手くかけぬものかと八倒している。余程の機会が訪れなければかけはしまいと、一人でくよくよ才能を拒み始める。到来するかも知れない二つの宝に心ならずも終止符を打つ自分の非力が、最近特に目立って来ているように思えて仕方がないのだ。彼には既知のことである。しかし、そのところから抜け出せない自分の苦悩が次の場所を欲しがっている。もう既に、七回目である。懊悩に殉じた回数が七回目となり、もうそろそろと彼にも躍動が走る訳である。何気ない素振りにも飽きた。もうそろそろ、新しい発展をしてみたい。世の中にはこんなにルールがあるのだから、一つくらい自分に適したものもあるだろう。あの川のせせらぎが、歯車が、運命を運んでくるように新しい体裁で又、私の「もの」を用意してくれはしまいか。今生の願いである。否、一時の願いである。叶えて欲しい。欲付いた純粋は彼の知るところと成り、いずれ近い内にと会釈を交わした旧友が、又ここで以て、その体を現す。

 「やっかみ半分で文字がかけぬ。どうしてもというならこの俺を倒してから行け、何ともまぁ色付く話じゃねぇか。言ってて恥しくないか。どこへ行けどもお前の居場所はほれそこ、死海に面した古い畔さ。そこにはお懐かしいお前の残骸があるのだろう。昔使った作家の死骸だ。よく知っている体だろう。顔の辺りはうむ、おっ母さんにも似ているっけな。もう以前程はやさしくないぜ。お前は罪を犯した。何が何でも罪悪とお前は向きあわねばならぬ。逃げても逃げても同じことだ。知っているだろう。わかってる筈だ。どこへ逃げたってその体の中に埋め込まれているんだものなぁ。自ずと気付くってなもんだ。惨めなもんじゃねぇか、決心付いたあの日に立って、兵庫へはるばる遠征したのに持って帰った土産がこの様かい、一体なにしに行ったんだろうねぇお前の良心は。だからこうして字もかけぬ。居場所も探せぬ。愛する友も女もいない。まったくのひとりだ。ひとりきりだよ。これからのお前の人生を思うと、同情するよ」それまで引っ込み思案だった旧友が、急に囁く憎音に彼は少々冷や汗かいた。何がお前をそんなにまで…(猶予を与えず見知らぬ男が突っかかる)

 「まぁ、これで懲りたんだ。その内なんて云わずに今すぐ精進しなよ。見ててやるから。何がそんなに、じゃあないぜ。はじめからこうなる事はきまってたんだ。そう思えはこうなった。しつこい自然の神様なんて思うんじゃないよ、これも掟、お前を取り巻いてる実に聡明で潔白なこの世の掟だ。これをわかってるだろうと言うのだ。知っていた筈だ。あの時からずっと。彼女を殺して彼も殺したその以前から」

(彼)「いいや、わからない。」

(旧友)「嘘をつくなよ」

(彼)「いいやわからない」

(旧友)「嘘ついたってすぐにばれるんだぜ」

(彼)「いいやわからない」

(旧友)「ちっとも無駄な事だと思ってもいないくせに、したたかだなぁ」

(彼)「…….」

(旧友)「図星を突かれりゃ誰でもそうなる。山でも又みに行くか」

(彼)「…….」

 彼の声は聞こえなくなった。旧友とは誰だか、わからなくなった。自分は誰と話をしていたのだろうか。簡単なことの筈なのに、未だにわからない。はがゆいことだ、どうして自分だけこんな。白紙が彼を誘い始める。唯、ものをかけ、と、じんわりやんわり、誘い始める。たった一人だけ友がいたと思っていたのが、間違いだったのか。自分の味方をしてくれる友が、近くにいると思って安堵していたのに、すっかり消えてしまうのか。名残惜しんでも無駄なのか、名前を呼んでも振り向いてはくれぬのか。どうしても消えるというならその首を置いて行け。証拠があれば又開き直れる。実際見た事もないのだ。その首を置いて行け。頼むから置いて行ってくれ。声は嗄れ嗄れ七色の音色である。色々に使い分けて試してみるが、一向に収まらない。何を以てしても、この世では解決しない内容なのか。尽きない願いを背中に負って彼は又、山道を歩き始める事を決心しながら、今は書斎に向う。自分が生きた証にと次のような文を認めた。

 いつまで、この人間同士の脅し合いが続くのか。人間(ひと)は、常に、三つの心配事に犯されている。一つは、その人間同士の咎め合い。これはどうあっても、この人間界に生きている以上、はがれることはない。日常のいざこざである。又、一つは、人の内なる処から迫りくる暗闇。詰り、健康である。確かに、自然淘汰で、人の健康は、徐々に、削ぎ落されるもの。しかし、人は、今を生きる喜びを得ようと、そんな刺激のない恵みには、目を向けない。そう、重要は、重要を失ってから、初めて気付くものらしい。所謂、”空気”の存在のようなものである。否、”空気”よりは注目を浴びているかも知れない。人は、時に、風邪を引く。そして、更なる一つは、神と悪の存在の有無である。人は、常に、光と暗闇の間に立ち、揺るがされている。その、試される身としては、この現実の連続というものを把握したい性質を持つ生き物であると、自身について認識したいと思うのは自然かも知れない。悪に惚れて、この世で、神に背いてしまえば、その人間は神に見放される、と在る。暴力と欲望が頂点を支配するこの世の中(現実)では、人は、我が身が心配になり、つい、その身を守る力を欲しがろうとしてしまい、暗黙の了解の闇へと、その心配を投げ捨てに出掛ける。目に見えるものに、人はとかく、脆弱(よわ)いのだ。人のやさしさと、暴力、どちらが、人の目にはよく見えるか、ということが、変らず、世間では噂される。よく見えるものは、その目に、より長く、映っているものである。どの立場に立って、その多々起こる、現実の問題を解釈して行けば良いかということである。どの立場も、人間の立場である。この世を支配する裁判官が、もしも、神ならば、この世はもっと、マシになるのかも知れない(否、その時は、既に、終わりの時であろう)。となると、今は、試練の時であると受け止めるしか、術がない様子である。最愛の人が、(他者による)暴力に伏した時、君はどうするか。復讐を誓うか、成り行きの裁きを待つか。否、そこまで人間が出来ている輩も、珍しい。まして”クール”な、今という時代である。人間は時に、不意ながら過ちを犯す。その暗黙の矢は、時を選ばず、結果を選ばず、突然にやって来る。”正しいこと”というのが、そこで、問われる。他者にとってそれが正しいものでも、当人にとっては、その成り行きを知っている故、誤ったものになる、と人間らしい模範もある。その落差を埋める者は又人間であり、切りがない。何度でも、裁判は行われるだろう。矛先を違えた裁決の場では、事の真実とは、その当人以外の者には、盲目で瞼を覆った先に在る事柄と成ってしまうのだ。「真実とは神にしか見えない」という言葉は、永遠に掲げられるものなのか。

 時に、この人間界では、その神の存在を、この地の価値を評する余り、(勢い余って)、なきものにする学者が、居た。ニーチェについて言えば、彼の「反キリスト」等を読み漁り、「笑うニーチェ」という題目にふち当たった時には、彼の子供の様な神に対する残酷さが痛烈に浮き出たものだった。彼の小言を纏めた上で、現実に於いて論を図れば、この収拾のつかない人間のごたごたを他人も話す真実と共に神に突き付ければ、「反キリスト」は人の天然の性質と成り、神はこれについて、人に説明を補わなければならない、という推論さえ考えられる。この「地」の方を大事に見たのだ。神の再臨こそ待たずに、人の再臨(裁き)を待つということこそ、真実だと吠えた現実がここにある。彼は、道徳を守ろうとしながら、暴力の利損を重視した、といえるのではないか。生きる悦びを得る為には、自分が生き残る事が不可欠であり、この身に投じられた欲望の解放への理由も成り立つ訳である。一石二鳥とでも言えば良い。生きる悦びに従い、殺害こそ失くし、その他の本能のままに生きる事が出来るとすれば、人のストレスというものは、どれ程、爽快に感じられるものだろう。クリスチャン(人間)は暴力に暴力を以て対抗することはなく、その分、その暴力の行き交いに会わぬよう、裏通りを歩きながら常に天を仰いでいる。微弱な力が多勢を動かす不変の力に成る事を本気で信じているのである。右の頬を叩かれて、左の頬を差し出すその者は勇者である。しかし、本能がその所作を好まず、尾鰭を付ける。時として、死とは、感覚によりその在り方を変容させる。


 よく知人が、再臨というものを、口頭で模写してみせてくれる。「再臨の時には、クリスチャン(神の印が押された者、と言っていた)が先ず天に上げられて、残された者には徐々に『地』が近付いてゆくもので、気付けば天国と地獄とに人の目前で分けられている」と。『地』とは地獄の意味で使用していた、と記憶する。私は、真偽を問いはしない。私自身、そうであって欲しい、と願っていたからである。やはり、思惑とは勝手に喋る、とも思っていた。独りになってもその「模写」を忘れなかった。唯一、真実に近付く事は人の仕業であろうか。この世を楽しみ、共存を図り、道徳を念頭に置いた上で人として十分に生きる事が、この世に於ける人の真実であろうか。明るい内に、誘惑に身を浸しながら生れる言葉とは、神と悪魔の双方に聞かれるものであろう。朝と夜が訪れる自然の成り行きとは、この地上に於いて一つである。悪魔を無視して、人は神に縋りつきたいものなのだ。「正直者は救われる」、そんな格言さえ、人は何千回も理解しようとした。自然による煩悶が人の解決を呼び、訳も分らず積み上げた経験を要素とした土台がバベルの塔程高くそびえ立っている、と人に思わせるのは、これも又、自然による人の解釈が為せる業であろう。この宇宙の果てはどこまで続くのか、神秘が空想を生み出して、人に、「真昼に見る神の姿」を確立させてゆく。あてなき道を思考の葦を持って邁進するその時とは、人間たちの真昼である。


 冷たい夜空に両手を仰いで、彼はひっそり、あの人の名を呼ぶ。返答が返らないのは承知の上で、それでもあの人に自分の声を聞いて欲しかった。少し笑いながら安堵を得たいと白夜の戯れを我が物顔で綴り終え、したたかな夜を過ごし始める。専ら朝は嫌なものだな、彼と一緒に居れば、それでも何とか調子を合わせられるというのに、だって、ここにはもうすぐ天の神様が降りてらっしゃるのでしょう。そうしたら元も子もない。俺は朝がきらいだ。夜が好きだ。だって彼女のことも、君のことも、すべてのことも、忘れる様にして語っていられるから。どこへ行けども君の顔が見えるのでしょう?そうしたらもう安堵など探す必要もないじゃありませんか、君の安堵とは一体どの様なものです?何千里も離れた地平線の彼方に、否宇宙の彼方にでもあるというのでしょうか。そんなもの探したって無駄なことです。諦めなさい。それよりもここにもっと丁度いい安堵がありますよ、ほら。君の掌に映る幻が君の心、信仰次第で還って来るのです。とかく人間とは脆弱いものですね。自己嫌悪なんてものがあって、天国と地獄なんてものがあって、朝、昼、夕、なんて決まりがあって、一体誰の為のものでしょうか。その決まりで何を正すというのでしょう。考えた事がありますか。蜂の死も鼠の死も蠑螈の死も、誰によって生かされ誰によって殺されるのでしょう。見当もつきません。でも、「死んだ」という事実は君の目前に残っていますし、否定する気もないのでしょう。そう、ゆくゆくはです。つれづれなるままに人は生きて、唯目前のものだけを見て、信じて、反発して、自然という大木に身を寄せてやはり生きています。君もこれ等の小動物とお話したことはないのでしょうね。勿論、私もありませんよ、だからこんなことを言うのですから。もうそろそろ長かった夜が明けそうですね。時計の針が朝の五時半を差しています。決められた時間ならもう「夜明け」というのでしょう。あの城崎が早くも懐かしい。ついこないだのようだ。川のせせらぎを覚えていますか。あの畔で意気揚々と咲き誇っていた木々の光を覚えていますか。花は赤かったですよね。あの箱も。柳は揺れて、皆の周りを優雅に揺れて、伝説めいた臨場感さえ漂わせている。あの入口の闇が怖かった。ふと踏み込めば、戻れぬ代物ではないかと思い、怖かった。でも勇気を奮って皆のところへ行きました。ずっと自分を待っていてくれましたよ。片時も忘れない程、自分の事を愛してくれているかのように。錯覚でもいい、安堵が欲しかったのです。私にとっては大山もあの裏手の青々とした山も同じようなものです。同様の感動を受けます。そしてそれ等がなくなった時も恐らく同様の感動を受けるでしょう。この自然が自分では作れない代物であるならば、そのように感動するしかないからです。「ぼんやりとした不安」とは一体誰の手記でしょう。そう、芥川だ。旧友に宛てた手紙の中で、彼はこの言葉を使っていた。恐らく気おくれしながら社会の中で、彼は彼なりに必死に抵抗したのだろうか。旧友に宛てた手紙とは又運が悪い。死ぬ算段を自分では解決出来ずにやはり他人を頼ってあるがままの死を享受しようと試みた。矢先にピストルでもなく飛び降りでもなく、ナイフでもなく、薬を用いた。睡眠薬さ。震えていたらしい、死を前にして。「やむを得ない」心境には一体何があったのか。ところどころ見えそうでもある彼の心境には一体何が宿っていたのか。彼の死と、この三つの死とはどう違うのだろう。この世を離れればあとの祭りとなってしまう死者の懐。探そうにもその軌跡を追えずに遥か彼方へといってしまう。細々した事を考え続けるのがこの世だとすれば、この世を離れた後には何を考えればいいのだろう。皆目見当がつかないのは一体何故か。同様の問答が始終飛び交う。このような環境を自分達に与えた王とは一体誰なのか。誰もが語れない真実の破片はこの世に残ったままで肝心の実体が掴めない。遂行を重ねて間もなく来る夜明けに私はどのような体裁と内実とを以て戸外へ出るのだろう。ノートを広げれば自分が昨日書いた日記があらわれて、その日の感傷に浸りながら手直しさえ出来るというもの。確実に拡げることの出来ない今日というページは昨日も明日もめくれないで、手直し出来ない。絶対の壁がここにある。

 彼は人を殺した。何人殺したかもう覚えていない。場所はどこでも同じであり、月桂冠の冠とはどこにでもある。行くところまで行けば、あとは空に行き止まりを知るまで突き進み、挙句は終始の問答と行き止まり。何かを言わねばならぬと懸命に出掛かった言葉に知恵を伴い表現するが、あと一つ、確信めいたことがいえない。未熟だから確信めいたことをほざいておればそれで良いのだろうか。人はいつまでも未熟である。健康を気にしながらも煙草の量が増え、パッケージにはきちんと吸えば取り憑く病名が記されて在るのに、記した相手も記された相手も平気な顔して吸わせて吸う。人は進歩が出来ないものか。罪を背負ってどこへ行けども真昼の月、逃げても逃げても真昼の太陽、明日には算段「山をみたい」。こんな詩さえ生れて来る程、彼の心は荒んでいたのか。時計の針は先程から一時間進んで六時半である。季節の変わり目ははっきりとわかる。自覚を以て知る事が出来る。寒ければ冬で暑ければ夏で、心地が良ければ春と秋。時間とは実感出来ないまでに、朝、昼、夕と分けられた明暗にてはなはだ解り易く、一分過ぎても実感なし。この延長が季節に代わるとよくよくもってまぁ出来た造りであると感心するものだ。この時間の正体について問えば又、生死に纏わる重大問題と化すのであろう。「和解」を願うが成立せず、純心を掲げるが成就されず、重ねがさね懊悩に苦しむが一向に進歩せず、明日には「私」という看板も無くなってしまうかも知れぬというのに。小刻みに動く川面の水連は、雨の日も風の日も晴れの日も、自然の中で唯、決められた「生」を生きている様子がある。水から拾えば身を震わせて一定の顔を私にみせるが、はらりと落せば顔をそむけて元へと還る。すべてが何か見透かされており、私が何か見詰められているようである。黒い服を着てすべてを隠せても白い心が神の手にあり、体裁なしに見られてしまう。ところどころも密室さえも存在しないで、何気なく漂わせた心機の微動も蔭りを見せない神の御手に委ねられる。アダムとイブが隠れた巣穴から出て来る時に、彼等の腰には一糸のローブが巻き付けられて、彼等はそれを手にして「人間の体裁だ」と主張していた。嘘をついても神を味方につけたかったのか。大樹の陰から出て来る前に彼等は暗い穴ぐらにいた。見付かりはしないと、神に対してたかをくくっていたのだ。天の光を仰ぎ見ながら腰のローブはしっかり掴み、会話の相手をする為に躊躇しながらやはり出て行き、諦めた顔ですべてを話した。彼は女の所為だと言い、女は悪魔の所為だと言った。この辺りに宿命を埋めようとする彼の脳裏にはやはり、一時の迷いが生じていた。人間臭い煩悩である。両手で以て大事そうに掬い上げる心の川には、薄く背景が見えてしまいそうな一輪の花弁がきめ細かに散乱している。明日をも担うこの私の、否、彼の心が今ひとつ朽ちて涸れ果ててしまわぬようにと、その浮かべた一輪一輪の花弁に愛着を以て接吻している。彼女は新婚の初夜を男と共に越えて行き、神学生は皆に慕われながらそれでも牧師と成り、あの中年男は昨夜の晩に交通事故で亡くなったと聞く。嘘か本当か真偽は問わぬが、本当であろう。彼には信じるしかなかった。冷夜に寒がっている人がいればそれが誰でも毛布を持って行き、温まるまで待っててあげよう。子供が川で溺れていたら泳げなくても助けてあげる。火事で火の手が早くても、走れない初老がいれば水がなくても助けてあげる。今目の前で両親が息を引き取れば、三年の間嗚咽して、庭の花壇に無理でも赤い薔薇を植えて育てる。彼は彼を、私は私を、自分で変えてしまった。代替が利かないイデオロギーに、自力で変えてしまったのだ。その事を信じたままでこれからも生き、活動写真をおしまいまで回してかえらぬ景色をずっと見ていよう。


 冷夜。神の名を呼んで、夜中、天井にひとつ手を伸ばしてみる。はっ、と目を見開いた私は、何かを恐れている。「小さい頃は、こんなことはなかったのに」などと思いつつ、その理由が、長く生きた分、妙な好奇心が膨らんで、”もしかしたら”という言葉と共に在った日頃の自分への呵責だった、と気付いてはいた。

(永久に冒頭から読む)


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「人間たちの真昼」 天川裕司 @tenkawayuji

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