「逆思想。」~10代から20代に書いた詩~

天川裕司

「逆思想。」~10代から20代に書いた詩~

「決心。」

 又昔の遠い友人で、今では忘れかけている程会わない友達が居た。人はその成り行きを見て良しとした。その人の知り合いの神父に、それに似た考え方をしている者が在った。

その者はあるところの牧師であり、その一つところに十年以上は止るのは良くないと考えを正し、丁度十年経てば、又別のところへ移り住むと決意している。人も又同じで、ある縁のない人と必要以上に会うのは好ましくないと考え、今再び縁のない者とは、それ以上会うのは良くない事であると決意し、その決意を欲望にかけて、正しきものと理解した。特に、異性がそうである。

必要以上の和解は歪ったなれ合いを芽生えさせ、そこから神から背向いた暗闇へと闊歩して行く事がある。そこには正しき理性と思慮が必要であり、この現代において、その二つを手放す事のない輩は貴重である。誰でも目に見えたものを重んじれば、その罪は犯す。ふれ合いとなれ合いとを区別するのは人にとって、目に見えない事を信じる事程、難しいものである。

正しき信仰がなければ歪った信仰が芽生えてしまい、その自らの故に盲目に陥り、他人(ヒト)を責めながら自分をも滅ぼしてしまう。

得てして欲望とは、単純であり、複雑であり、人の脆弱(よわ)いところに入るのがたやすいものである。人はそのたやすさ故に、自分が盲目になった事を知らず、その勢いのままで、暗きところに光を見出し闊歩して行くのである。

それに歯止めをかけるのは正しき自分であり、又正しき他人(ヒト)である。「人は一人で居るべきではない。」と言われたあの神の御言葉も、その天命(縁)の下にて会わされた人に、その光を感じると言わされたのである。それによって今は、正しきを見つけたいと私は思う。この終りの時まで、天災が起った時に呼び込む、人の終りへのたわいない期待の影が、一度私の決心を固めた。


「逆思想。」

 「又、簡単な性癖、治りにくい。」人は幼なき日に母親から相応のぎゃくたいを受け、そのぎゃくたいの故に、その時身に付いた恐怖が尚生き続いていた。母親が怒って、ドアを閉める時の音はその少年の耳について忘れられなかった。「バァン」という凄じい殺気を感じるその音が、人の精神を悩ませた。

もしかすれば、母親は怒りに我を忘れてもうすぐしたら私を殺しに来るのかも知れない。そうすれば私にはもはや逃げる場所がなく、そのための心の準備も出来ていないのに、唯、その母親に殺されるのを待っているしかなくなるのだ。

それらの思いが、その人の少年の恐怖に思う気持ちを拍車がけた。以前に、少年は幼き日に、自分の母親に一度その時に嫌悪してもしきれない程の深手を負わせて居て、その嫌悪する炎は今更消えては居らず、むしろ、その時よりも時が経った分、その糧が確信するべく固いものとなっていた。度合いが増したというよりは、その事を思う深さが深まったという方が適切である。人はその日のために、生涯、改悛する事を忘れはしないと確信していた。しかし時にその炎は、その続いているため、「自立」という名のもとに自分のための都合の良いものに姿を変えていた。

人はその恐れた日々を忘れる事は出来ず、今も尚思うところから足を洗えなかった。しかし時が経って、その恐怖は次第に薄れて行き、別の思想がその人の中に芽生えた。「自立」というものである。その事は、父親の為す事がそれを救った。

父親は仕事のためにその家を離れ、遠くから帰って来てその日に家族と過し、その日々は一週の内二,三日であった。その父親は翌日、水を火にかけようと水のある所まで行ってドアを閉めた。男手であるからその音は大きく、その少年には母親が閉めたようにも聞えた。しかし、その時の音が丈夫なようにも聞えたためその人は、その時にその恐怖を水に濁した。


「自信について。」

 人は自信をつけねばならぬ事を知る。

時にその自信は、自らの手で起させる事を知り、それが神から離れたところのものであってもそれを持ち続けて行く事がある。

他人に信じさせるためにそれが必要だと愛し、又自分に屹立とした固い信用を得るためにそれを愛した。しかし自信は時に、人を暗い者にする。

自分がその天然の高台に昇りつめて人を見下し、その高い場所を自分のものとして、それがこの世で自分の置かれている立場だと勘違いをするのだ。

人は皆平等であり、己が労苦を人に言わないのと同じ様に、その人にも又、労苦の過去がある。常に、個人が通って行く道は一つであり、そこに居る労苦も又一人である。

それに気付かない者がおごりたかぶり、人をないがしろにするのだ。その様な者であってはその暗いところから逃れる事は出来ず、又肉が果てても、更に深い闇から逃れる事は出来ない。

神はその様な者でさえも、この世では御手を差しのべて下さり、その者を良い者へと導いて下さっている。人は、そこから目を背向けてはならない。

常に一人の労苦は、各々にまで行き渡っており、降り注いでいる。人の自分勝手さは、得手してその自信から生まれる事がある。この世では人には改悛する時間があり、それが人にとっての救いの形である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「逆思想。」~10代から20代に書いた詩~ 天川裕司 @tenkawayuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ