沈黙~10代から20代に書いた詩~

天川裕司

沈黙~10代から20代に書いた詩~

沈黙

 思考が纏まらず、口から不意と出る物言(ものごと)を、あたたかく見据えてくれる他人の思いやりが欲しい。何故、その一言すら、ないのだ。その口は、ない方がましである。沈黙。


「恋人からの斡旋」

 深夜。昔の恋人の写真を見た。三枚。一緒に映っている写真ではなくて、彼女一人が映っているものである。僕は、暫く、見入ることになった。それ程、好意を抱いていたとはいえ、昔のこと。まさか、今頃になって、昔の恋人に助けて貰うことになろうとは。夜の帳。朦朧。


恋愛を、再び、見た。一度、知ったことを、再度、確認したのだ。女とは、この世との斡旋。所謂、つよみ。世間も、それには、ぐっとくるのだ。自ずと力も出る。わかっていながら、罪な事だ。あの彼女が、もし、騙す事があったとしたなら。やりきれない。冗談。辟易。


「撫子」

 勧善懲悪。日本の、所謂、シンボルでもある。二重のきつい男は、一重の怖い怪人を、めった斬りに切り刻み、殺すのである。幼女の頃の、規矩(手本)である。一度は、見た事がある。得てして、善役は、恰好の良い態であり、悪を倒す時も、又、死ぬ時でさえ、傍らの悪者とは全然違う。一種の、日本の十八番だと言っていい。私が見て来た漫画にしろ、ドラマにしろ、映画にしろ、帰趨するところは共にある。その為に私は、その善役にしかなれなくなった。考えてみれば、罪な事だ。悪者の情緒について等、一度たりとも考えもせず、目に映っただけで、大抵、一拭きで払ってしまうのであるから。私は、日頃の変人(怪人)を、”ウルトラマン”や”仮面ライダー”等に出て来る怪人に、例えて見て、陶酔に浸る癖がある。潜在意識。気に入った悪者と言えば、何彼、力のある者。得てして、善役にさえ勝ってしまうのでないか、と思わされる程のつよい悪者である。その辺りに、粘り強い、何等かのつよさを見たのかも知れない。その時から、きっと、私達の内には、共通のルール(規則)が出来てしまったのだろうか。怪人の孤独を、見ない、という点では、同じ事が一杯言えるものがある。結局は、ウルトラマンが来て、やっつけてしまう。

 そのような一連を、連日見た。その悪者が、大抵、主役よりも弱いのを知っている。そう、覚えている。だから、その怪人を見る際、その心中では、ウルトラマンが、どのようにしてやっつけてしまうか、という展開について、自分で物語る筈である。今日は、どの技を使って、あの怪人をやっつけるだろう、と。怪人は、人の形をしていない。へんてこである。嫌われる怪人程、嫌な形をしている。身に覚えのある嫌な形、一般受けしないのである。この情景の形容とは、人間のそれにも当て嵌まる。

 昔”エレファントマン”という映画があった。顔全体が膨れ上がり、一般男性の頭部の大きさの、十分、二倍以上はあるシロモノを持った男である。その「象男」の名を題されたエレファントマン(男)は、生れて以来、布の様なタオルを頭から被り、目のところだけを空けて行動するのである。ある者はその在り方について「凄惨である」と言い、ある者は同様にして「寛容である」と言った。一歩、歩けば、脆弱である。ジョン・メリックはイギリス人であり、1888年に於いて、実在した人物である。彼は当時、このエレファントマンと同様の容姿を持ち合わせて生れ、人々は彼の事を”怪人”と呼んだ。「治療」と称されて、彼は見世物小屋に出された。その小屋は、豪華なシャンデリアが飾られており、列席する人物とは、皆一角の者達であった。錚々たる顔ぶれが並ぶ中、ここにも「怪人」は居るのである。ウルトラマンに登場するような、大きくて、現実離れしたものじゃなく、現実味を帯びた怪人である。しかし、その男が言う「真実」の内容を、誰も知らない。整形手術というものは現在に在り、それが失敗に終わると、普通の顔を持った人間ではなくなる可能性が在り、怪人の風貌は個人にも存在する。そんな輩は決まって容姿を隠すのである。孤独を我がもの顔で喰った後で、飯を食う。体力が付いて、又歩き始める。あのウルトラマンに登場する怪獣も、詰る所、同様の大きな孤独を持つ者であろう。時々、人から怪獣になったりしたものも居た。それを、ウルトラマンがやって来て、こてんぱんにのしてしまうのである。途中から、思い出したかのように、仕切りを入れた。勧善懲悪の世界は、日本人が作り上げたものである。怪獣とは、暴れてもやはり、孤独な者である。正義とは、どこに在るのか。二つあるのかも知れない。エレファントマンの行く末は、自然が許さず、ある一定を作り上げる。「エレファントマン」は良い出来だった。しかし物語としては、結末がなかった。行く末は案じるしかないのである。「孤独」をどう解決するのか、人の永続的な所業は脇目もふらさず、一定である。人は、イエス・キリストを殴り続けた。変った者を殴り続けた。蟻の群れに落ちた撫子の花は、果たして、散らばるものであろうか。人は孤独を処分出来ないとすれば、撫子は蟻の巣に引きずり込まれた後でも、その原型を止めるものではなかろうか。


「良賈は深く蔵して虚しきが若し。」史記に於いて、老子の言葉。人の正義が所謂画餅であっては困る。


 又、欲望は、ないことを望む。規則を嫌い、革命を志す。主役に飽きれば、脇役を。悪者に飽きれば、又善役を。両方に飽きれば又革命を。一生涯くり返される。人は前途を期した上で、過去に立ち向かう者なのかも知れない。


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沈黙~10代から20代に書いた詩~ 天川裕司 @tenkawayuji

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