悲観~10代から20代に書いた詩~
天川裕司
悲観~10代から20代に書いた詩~
悲観
現実に見捨てられたようである。たとえば、あの爆音。あの漫画。あのうた。あの広告。あのすたり。あの人。...この信念。臆病の目が、きらきらと...。
よくもなければわるくもない。ふつうのひとである。
...読んでくれるものはいない。かいても無意味だ。否、無意味なものか。しかし...。
あの人も、この人も、死んでいった。
死ぬことを生にとらえるごとく。
この世のライセンス試験に、僕は、合格していないようだ。
あの哲学人も、この哲学人も、皆、僕から遠い。
やはり、人がいなければ、しあわせは味わえないものか。一人で生きて行こう、と決意した愚者の墓標が、そこの陰に、横たわる。
何かが引き金になる、酸欠状態が、つづく。
女の鍵を握ることはむずかしい。男はもはや、感覚で生きなければならないらしい。僕にはとても、とても。(私にもとても、とても。)よく言えば、欲を捨ててしまいたい。出来ぬ現実がここにある。
同じことを言って、なにが進歩するのか。あの、作曲家のベートーベンでさえ、その意図は、成し遂げている。
小説家よ、同じく、苦悩を売り物にするな。(きみの苦悩は、それは苦悩などではない。なにかへの、作文である。)息を吸えば、出る息も又、青い。
僕は、どこへでも行ける。しかし、どこへも行けない。何かへの足止めをくらう。
何かから体裁をたて直すとき、野のゆりを見よ。いつかにかかれた”聖書”は、どんな雑踏の霧の中でさえ、我が身を煩ったことなどないではないか。
白紙に路頭あり。白紙に、又、白人あり。一篇のロマンスをかきたがった白人のそのわけは、本当にただ、他人(ヒト)を仄めかすためだけのものにすぎなかった。
暗黙の人間(ヒト)は密室にて。暗黙の僕も又、密室にて。独房とも化す、その密室では、始終、世論会議なる行事が、行われていた。
人の労苦は己の労苦。一度、白紙に、想像できるその労苦の一部始終を、かいてみるがいい。
死人に口なし。現実の人にも又、口なし。真実の扉は、依然、開かず。...
この世には語れぬ壁がある。人の心から、他人(ヒト)心へとうつり住み行く、一人の悪魔は、その壁に向って、叫ぶのを許された。
白黒写真の人は、ただ、わらっている。我が苦しんだときも、喜びに満ちたときも、ただ、わらっている。
物語りには、主人公と脇役が設定されていた。しかし、それは、物語りの内だけの約束事(許容)だったのである筈が、実際、この現実にも、その許容が存在している事が鮮明になっていた。人は、「仕組まれた自由の内」に、市民権を獲得した。
与太郎は蚊になりたがった。血を吸って生き、ついには、人に殺されてしまう運命にさえ魅了させられて、その希望を大切にした。やがて、その蚊になり、人の生き血を吸って、ながらえる時のジブンの立場で、その心境を煩いながら。
一枚の原稿をかくのに、一晩かかったか、二晩かかったか、それとも一生を費やしたか、わからない、もうろうとした情況に、陥っていた。その作家には、自分が一つのことについて、どれ程の時間懊悩したのかが、本当にわからなかったのだった。
友達は、忘れた頃にやってくる。夢の中。現実。
もはや、夢も現実の中に浸り...。
悲観~10代から20代に書いた詩~ 天川裕司 @tenkawayuji
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